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裏山へ

 裏山の正式な名前は、金比羅岳(こんぴらだけ)と言う。標高は二〇〇メートルに満たない小さな山で、裏山と呼ばれるのは、登山口が学校の敷地の裏手あるためだった。十数年前に起きた山火事のせいで、山頂は広い草原になっており、麓から三十分足らずでたどり着けることから、しばしば学校の遠足や、近隣住民のピクニックに使われている。

 もっとも志緒里(しおり)は、わざわざ個人的に遊びに行こうと考えたことはなかった。山登りに興味はないし、遊ぶ場所なら近場にたくさんあったからだ。遠足の目的地も、志緒里が四年生の頃には、もっぱら隣市の運動公園に変わっていたから、彼女が登山口の前に立つのは、三年ぶりくらいになる。

 そんなわけで、志緒里はたった今になって、登山口が柵によって塞がれていることを、はじめて知るのであった。

「なに、これ?」

 志緒里はつぶやき、角材でぞんざいに造られた柵に手を掛け、揺すってみる。容易にぐらつくそれは、決して頑丈なものではなかった。おそらく誰かの侵入を阻むためと言うより、入ってはいけないことを知らせる標識のような役割をしているのだろう。

 振り返り、圭介(けいすけ)由緒(ゆい)に目で問い掛ける。二人も柵の存在を知らなかったようで、戸惑ったように首を振る。

「がばがばだから、避ければふつうに入れそうだけどね」

 などと由緒は言うが、志緒里はすでにうんざりし始めていた。辺りは腐葉土の匂いが立ち込め、湿気のある空気はまるで粘液のようだったし、立っているだけで汗だくになるほど暑い。セミたちは、わんわんとやかましいほど喚きちらし、わびしげな声で鳴くはずのツクツクボウシさえも、負けじと大声で叫んでいるようだ。

「おーい」

 山の方から声がして、志緒里は目を向けた。

 山道を降りてくるのは、志緒里が三年生の頃に担任だった、江渡先生である。

「あれ、志緒里さん?」

 江渡は少し驚いた様子でつぶやいた後、柵の脇を抜けて志緒里に歩み寄った。

「こんにちは、先生」

「はい、こんにちは」

 江渡は、にこにこ微笑んで挨拶を返し、首に掛けたタオルで顔の汗をぬぐってから、

「こんなところで、どうしたの?」

 と、怪訝な様子でたずねてくる。

 さて、どうしたものか。ゲラ子さんの手掛かりを求めて、山へ入ろうとしたなどと、正直に答えるわけには行かない。肩越しに圭介を見ると、彼も小さく首を振って合図を送って来る。

「えっと……久しぶりに裏山で遊ぼうと思って」

 志緒里は、もごもごと嘘をついた。

「あー、それは止めた方がいいね」

「どうしてですか?」

 志緒里が聞くと、江渡はちらりと柵に目をやってから言う。

「イノシシやサルが出て危険なんだ。二年くらい前に、裏山では遊ばないようにって連絡網で回したんだけど、お母さんから聞いてない?」

 初耳だった。志緒里が首を振ると、江渡は「毎年、通達した方がいいのかな」と、ぶつぶつ呟いた。

「先生は、何をしてたんですか?」

「見回りだよ。柵を避けて遊びに入る子が、たまにいるからね」

 不届き者のために、一人で危険な山道を歩き回るとは、頭が下がる。

「大変ですね」

「まあ、そうだね」

 江渡は苦笑いを浮かべる。そうして彼は志緒里の背後に回り込むと、両肩に手を置いて教え子の身体を帰路に向け、ぐいぐい押し始めた。

「さあ、帰った帰った。なんなら、先生の車で送ってあげようか?」

「あ、あっ。大丈夫です、ちゃんと帰ります!」

「そう?」

 江渡は手を離した。

 志緒里はたたらを踏んでから立ち止まり、振り返る。

 江渡は笑顔で手を振っている。

 志緒里も手を振り返してから、素直に元来た道を引き返した。

「びっくりしたあ」

 由緒が言った。

「そうだね」

 志緒里は同意する。

「けど、どうやって山に入る。あの柵はともかく、先生が見張ってたら厳しいぞ?」

 圭介は歩きながら、腕組みをしてうーんと唸る。

「夜にもう一回来る?」

 由緒は提案する。

「絶対、やだ」

 志緒里は即座に却下した。幽霊を探して真っ暗な山の中を歩き回るなど、どうあっても願い下げである。そもそも夜間外出など、親が許してくれるはずもない。

「夜がダメなら、朝早くだな」と、圭介。「明日は土曜日だし、五時とか六時ならさすがに先生もいないだろう」

「もし見つかっても、カブトムシを取りに来たって言いわけできるしね」

 由緒はうんうんと頷くが、志緒里はそんな言いわけが役に立つとは、まったく思えなかった。


 翌朝、三人は再び裏山の登山口に立っていた。昨日とはうって変わり、空気は清涼でヒグラシの声が響いている。まだ日の出前で薄暗かったから、それぞれ懐中電灯を持参していた。彼らの目論見通り、江渡の姿はない。

「行こうか?」

 圭介は、少し声をひそめて言った。他に誰がいるわけでもなく、近くに民家もないから、大声を出しても問題はないのだが、早朝の空気の中にあると、何とはなしに騒がしくすることがはばかられてしまうのだ。

「オッケー、出発!」

 そんな雰囲気などものともせず、由緒は元気よく言って先頭に立ち、柵を避けて山道に踏み込んだ。

 とは言え、登山道は道とは名ばかりで、その実態は干上がった沢の跡だった。大小さまざまな岩や石があり、勾配も急で容易には進めない。

「なあ、気になってたんだけど」

 ずいぶん経ってから、ほとんど四つん這いの格好で、斜面を登る圭介が言う。

「お前たち、山を登るのに、なんでスカートなんだ?」

 言われてようやく、もっと動きやすい服装で来ればよかったと志緒里は後悔する。

 圭介は先を行く由緒のお尻に、懐中電灯の光を当てた。アニメキャラのプリントがある、白いパンツが丸見えになっていた。

來山(くやま)さん、パンツ見えてる!」

 志緒里が指摘する。

 由緒は素早く振り返り、圭介の顔に懐中電灯を向けた。

「おい、やめろ。まぶしい」

 圭介は手で目を隠しながら抗議する。

「だまれ。さてはパンツが見たくて、ぼくを先に行かせたんだな!」

「張り切って前に出たのは自分じゃないか」

「それも策略だろ。なにしろ圭介はパンツ星人だからな」

 二人はやいやい言い合って、結局、圭介が先頭を行くことになった。

「パンツ星人ってなんなの?」

 志緒里は、由緒のお尻に向かってたずねた。相変わらずパンツ丸見えではあるが、女子に見られるのは気にならないようだ。

「おっぱい星人がおっぱい大好きなように、パンツ星人はパンツが大好きで、チャンスがあったらすぐにパンツを見ようとするんだ。志緒里ちゃんも気を付けたほうがいいよ」

 もう、すでに見られているので、手遅れである。

「それにしても、んぜん進んでる気がしないね」

 と、由緒。

 志緒里も同感だった。そろそろ山頂が見えてきてもよさそうなのに、辺りはずっと変わり映えのしない景色が続いている。この薄暗さのせいで、時間の感覚が狂っているのだろうか。

 さすがにくたびれた志緒里は、足を止めて近くの大岩によりかかり、持参した水筒の蓋を開ける。スカートはともかく、喉が乾くことを予測した自分に感謝する。

 水筒の麦茶を二口三口飲み、再び出発しようと斜面を見上げる。ところが、圭介と由緒の姿は見えなくなっていた。

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