百合のこと
百合が姿を消したのは、三年生の夏休みのことだった。
事件か事故か。
普段は何もない町に警察とマスコミが押し掛け、上を下への大騒ぎとなった。学校は慌てて登校日を設け、全校集会と児童たちへの聞き取り調査を行うも、大した情報は得られなかった。それと言うのは、百合の性状が大いに関わっていた。
百合は、よく笑う女の子だった。
こう言うと、笑顔の絶えない明るい子のように聞いてとれるが、正しくは沸点が低いだけである。ささいなことで腹を抱えるほど笑い、一度火が着くとしばらくは収まらない。その厄介なクセを面倒に思った子供たちは、進んで百合と付き合うことをしなくなった。つまり家族以外で、行方不明となった当日に彼女を見かけた者が、ほとんどいなかったのだ。
おそらく志緒理は、その日に百合の姿を目にした数少ない一人だった。それは、友だちとの待ち合わせのため、学校近くの公園へ向かう途中のこと。道行きにばったり出会った百合から、一緒に遊ばないかと誘われたのだ。もちろん志緒里は、忙しいからと断った。実際、待ち合わせの約束もあったが、何より百合の笑い癖にうんざりしていたと言う理由もある。それでも百合は、学校の裏山で遊んでいるから、用事が済んだら来てくれと食い下がる。仕方なく志緒里は、厄介払いのつもりで暇になったら行くよと空約束し、その場を立ち去ったのだった。
結局、志緒里が裏山へ行くことはなかった。先に約束していた友人たちと別れた時には、もう門限が近かったからだ。そして翌日には、この大騒ぎである。
ひょっとして、自分が約束を守っていれば、百合がこのような災難に遭うことはなかったのではないか。そんなことを考えもしたが、
「志緒理さんは何も悪くないよ」
と、聞き取りを行った担任は言う。
「でも、江渡先生」
「まあまあ」
江渡は志緒理の言葉を遮ると、自分の席を立って志緒里の脇に来る。そうして志緒里の背中に手を当ててから、にこにこと笑みを浮かべる。見た目は、ごく普通のオジサンだが、彼は多くの大人にありがちな、子供を見下す態度は無く、志緒里も含めて多くの児童に慕われていた。
「君には他の約束があったし、そもそも必ず行くと言ったわけじゃないんだから。それで、約束を破ったなんてのは言い過ぎだよ。そもそも百合さんだって、本当に裏山に行ったかどうかわからないんだしね?」
もちろん、それは志緒理が気に病まないようにと、彼が慮って発した言葉だろう。少しばかり引っかかるものは感じながらも、それでも信頼できる先生の言うことなのだからと、志緒理は納得してしまうのだった。
志緒里は、五年生になった。
テレビでは時折、未だに見つからない百合の話題が取り上げられることもあった。コメンテイターたちは、彼女が事件当日にはすでに県外へ連れ去られたのだと無責任に主張し、警察の初動の不備を糾弾する。とは言え、彼らが提示する根拠は薄弱な状況証拠ばかりで、事件をさらなる混沌へ導こうとしているようにしか見えなかった。
それは当然であろうと、志緒理は子供ながらに思う。結局のところ、ワイドショーの類は騒ぐネタが欲しいだけで、事件が解決してしまえばそれが失われるから、可能であれば永遠に未解決でいて欲しいと願っているにほかならないのである。
「志緒理ちゃーん!」
それは、夏休みまで、あと二週間ほどに迫った日の、二校時目と三校時目の間の中休み。同じクラスの女子が、志緒里の席に駆け寄ってくる。
彼女は來山由緒。見た目はお人形さんのように可愛らしいのだが、実はいろいろ残念な女子である。
「なに?」
いささか面食らって、志緒理はたずねる。由緒とは、さほど親しくしていた覚えはない。せいぜい教室で挨拶する程度だ。とは言え、こうやって話しかけられたからには、面倒そうな素振りを見せるわけにはいかなかった。
「ゲラゲラのゲラ子さんって、知ってる?」
と、由緒。
志緒里は一瞬、ぽかんとなった。
「ゲラ子さん?」
思わず聞き返す。しかし頭の中では、何かにつけてすぐに大笑いする女の子の姿が、くっきりと浮かんでいた。
「うん。突然部屋のドアを開けて、中を覗いてから『いない』って言うオバケなんだって」
オバケと聞いて、志緒里の頭の中の百合には、大きくバツ印が付けられた。まだたくさんの人が、姿を消した彼女のことを探し続けている。つまり、彼女にはまだ生きている可能性があるわけで、生きている人間が化けて出ることはないのだ。
「ぜんぜん、ゲラゲラの要素ないじゃない」
志緒里がツッコむと、由緒は首を傾げる。
「あれ?」
すると、由緒の背後から、彼女の頭にチョップをくれる男子がいた。
「話は最後まで聞け」
彼は箭神圭介。容姿は十人前だが、運動神経と気立ての良さで、女子人気は高い。
「悪かったな、藤田。アホの子が言うことだから、忘れていいぞ」
圭介は志緒里を姓で呼んで、言った。もちろん男子にとって、大して親しくもない女子を名前呼びする行為が、なかなかにハードルの高いことは志緒里も承知している。
「アホとはなんだ、アホとは!」
由緒は頭をさすりながら抗議する。
「中途半端に聞いた話を、『みんなに教えなきゃ!』って他人に触れ回るやつは、まあアホとしか言いようがないだろうな」
由緒はぐうの音も出ない様子だった。
「それで、ゲラゲラの要素は?」
志緒里は気になってたずねた。
「大して面白い話じゃないぞ?」
と、圭介は前置きする。
「でも、中途半端だと気になるし」
「まあ、ふつうはそうだよな」
志緒里と圭介は、二人そろって由緒に目を向けた。
「な、なんだよ?」
由緒は、二人の目力に押された様子で、半歩後ずさった。
「ううん、なんでもない」
志緒里は首を振って言ってから、圭介に続きを促した。
実際、大した話ではなかった。
ゲラ子さんとは、前触れもなく突然現れ、部屋の中をのぞいた後、「いない」と言うなりゲラゲラ笑い出す女の子の幽霊とのことだ。不気味と言うことを除けば、まったく無害なオバケである。
この手の話は大抵の場合、遭遇した人物が呪われたり、殺されると言ったオチが待っている。しかしゲラ子さんは、被害者に対して危害を加えようとはしない。怪談としては、いささか弱いものがある。
「あんまり、怖くないね」
志緒理は素直な感想を述べる。
「まあ、怪談じゃないからな」
圭介は苦笑いを浮かべる。
「怪談じゃない?」
志緒理が聞き返すと、圭介は真顔でうなずいた。
「一組の友だちに聞いた。そいつには三年生の妹がいるんだけど、その子がゲラ子さんに会ったらしい。自分は笑い声を聞いたって話だ」
「実話ってこと?」
「つまらない嘘を言うヤツじゃないからな。たぶん、本当の話だろう」
作り話は、聞き手が納得するように作られているものである。裏を返せば都合のつかない話は、実話である場合が多い。もちろん、この話の場合、幽霊なるものが現実にいると言う前提を、必要とするが。
「他にも見た人はいるの?」
志緒里はたずねる。
すると、圭介はうなずいた。
「低学年の間で、かなり広まってるんだ。何人かに話を聞いてみたけど、彼女たちは本当にゲラ子さんを見ていると思う」
「わざわざ調べたの?」
圭介は再びうなずく。
「なんで?」
「幽霊に興味があるんだ」
圭介はあいまいに答えた。
「ぼくも!」
由緒が手をあげる。
「と言うから、調査を手伝ってもらおうと思って話をしたら、このありさまだ」
圭介はため息を落とす。
「大変ね」
志緒理は同情をこめて言った。
「そう思うんなら、手伝ってくれないか?」
圭介はすがるような目で訴える。
なんの得にもならないのに、ずいぶんと熱心ではないか。
少し迷ったが、志緒里はすぐに答えを決めた。かねてから、圭介とは親しくしたいと思っていたのだ。
「なにをすればいい?」