18日寺
山奥の深い深い場所に。
寺籠りのできる場所があった。
そこは、カウンセリングの"療法"として。
用いられる事も度々あるのだとか、、
山には木々が沢山あり、
寺の関係者が開拓したであろう、
道を維持しようとした跡があった。
少し前まで誰かが居たであろう痕跡が。
生々しいくらいに、残っていた。
まるで、"夜逃げ"したかの様にくっきりと。
木々の形は見たことのないぐらい、うねり。
それは、生きているかの様に、
道の端へと積み重ねられていた。
道には大きな蜘蛛の巣があり、
先を塞ぐ様に巣を張っていた。
私がこの場所を聞いたのは。
この出逢いがあったのは、、
"ある場所"を調べていた時だった。
ある特定の場所や土地の。
歴史や文化と言ったモノに
私は興味があり、そそられた。
これは、その中のひとつだが、
昔の風習か何かで、そこでは、
『生きたまま埋められてしまう』
と言ったおぞましい過去があった。
それを忘れない様に、
観光や、名所のひとつとして、
或いは、『供養』として。
そのままの状態で。道に、
展示されている場所があった。
『見つめ会う男女の2人』
土の中で男女らしき2人が、
重なる様に見つめあっている。
『子供に嘆く母親』
子供を大切に支えて居るが、
表情は何処か嘆いている様だ。
そして、有名な、
『逃げられない民』
大きな身体に、何本もの腕が伸び、
高い場所から、覗く様にして作られている。
例えるのが失礼だが、
『がしゃ髑髏』
の。腕が沢山あるバージョン。
とでも言えるのだろうか、。
骨は全て本物で、欠けたモノは、
違うもので補われていた。
これだけ。何故か意図的に創られていた。
当然。と、言わんばかりに物議を交わしている。
だが、注目を浴びる事自体に。
それらの意味や意図があるのかも知れない。
過去の過ちを繰り返さない様。
祖先の事を知ることは、
私達が今生きている上で、
知っていて当たり前の事。
だと思う。
彼等。彼女等が居なければ、
今の私達は存在せず、
過去に起きた悲劇を起こしたのも。
私達。"人間"なのだから。
ただ批判するだけで、哀れにも
繰り返していまうよりはマシだ。
人間は馬鹿だから何度でも繰り返す。
そうして学ぶのだ。
独特の雰囲気と世界に。
ただの錆びた橋も。
何だかそれみたいに見えた。
少し歩くと、大きなショッピングモールもあり。
生活面では、苦労しなさそうだった。
意外にそう言った場所は、
私達の身近に存在しているモノだ。
ある程度調べが終わり、
思うままに歩いて居ると、
「こっちゃ、誰かを救うために来たのによ!」
と。誰かが大声で愚痴っている。
何事かと見れば、若そうなあんちゃんが、
消防車の窓を開けて愚痴を溢していた。
傍には介護施設。隣にはクリニック。
誤報だろうか、、。
「またね、」
ふと、通りすがりの年配の方が呟いた。
「どうゆうことですか?」
私はたまらなく、自然に返した。
女性「いやね、、。
歩きながら。話ししょうか、、」
薄い紫の着物を着た上品な方。
周りを気にするかの様にして、教えてくれた。
女性「ここら一帯は、昔から、、
あまり、"良い場所"では、無かったの。
下を掘れば沢山骨が出てきてね。
『生き埋めの土の塊』もあるでしょ?
そう言ったモノから、あまり。
"良くないモノ"が、居るのよ、、。
それでね。
あのクリニックでは、ちょくちょく。
誰も呼んでも無いのに、
消防車が音を鳴らして来るのよ。」
そう、言うと、女性は止まった。
女性「じゃあね、、」
いつの間にか家に着いていた。
「すいません。家まで着いてきてしまって、、」
女性「いいのよ。でわ。」
「ありがとうございました。」
玄関に吊るしてある日本人形が、気持ち悪く。
扉の奥に見えた大きな置物に、少し寒気がした。
私は後日お礼を兼ねて伺ったが。
彼女は居なかった。。
いや。
家すら無かったのだ。
外に居た近所の方に話を聞いたら、
前からずっと。更地だったそうだ。
道を間違えたか。
なんて事も考えなくは無かったが、
たまに、"そうゆう事"に遭遇したりもする。
この世は出逢いと別れの繰り返しなのだから、
別に深くは考えなかった。
渡すハズの手土産をその方に渡すと、
この18日寺の事を教えてくれた。
こうして、今に至る。
なんでも、この寺には出るらしい。
武士が、女の人の首を落とし、
女の人は自分の赤子を探しているだとか。
それがこの間。
展示されていたモノに繋がっていたことを、
ここで知ったのであった。
住職曰く、ここでこうしているのは、
沢山の御霊を供養する為であり、又、
事実を忘れない様にする為だとも言っていた。
「人は、何かがあった場所では、住みたがらない。
そうして、どんどん人が減って行く。
すると、人の手入れのされていない場所は淀み。
そう言ったモノの住み処となってしまう、、
まあ。雑草が生えている場所を私達は綺麗にし。
そこに綺麗な花を植えて育てているだけですよ。」
そう。最後には濁し、綺麗に話を終わらせた。
元々その場所が良くないとかはあるが、
人が入る事でエネルギーが循環し、
それらも妥協する事もあるのだと。
私は勝手に解釈した。
当然。また、逆も然り、なのだ。
書類に記載して、私はこれから18日を過ごす。
寺で何があったか。
私が体験した話は。
気が向いたらする事にしようか。