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暗渠を泳ぐ竜  作者: 芹沢ハト
6/9

【 転転転 korobu 3 】


●第八次■■■■■■計画 途中経過報告


(一部抜粋)


○対象者■■■■(■■歳・女性)は、()()■年■月■■日・午前■時■■分、■■県■■市にある■■■山の麓にある■■鍾乳洞より進入。首筋と左手首および右足首内に埋設されたGPSのマイクロチップは■時間後に動作不良(原因不明)、追跡不可。一時消息不明となる。


○同対象者は四日後(同年■月■■日・午後■■時■■分)、発信機能が復帰したGPSと、■■県■■市内の実父が居住する自宅近辺のJR■■線■■駅周辺の顔認証システムにより捕捉。配置されていた構成員により保護。所轄警察署および消防署の協力のもと、同日中に同県内にある国立の医療施設に搬送。精密検査を施される。その後、同施設内にて隔離入院(経過観察中)。


○身体に目立った外傷はなし。自己申告による体調の不調はなし。捕捉時には体力の消耗が著しかったが、現在順調に回復中。


○感染症に関しては多角的に調査中。同対象者の血液を含む各種体液および細胞片を全国■箇所の研究機関に配布。


○意識は明瞭。記憶の一部に錯乱の兆候あり。ただし最重要キーワードである『■■』に関しての記憶は維持されている模様(経過観察中)。


○『■■』に関する風土および生息している未確認超生命体については、有識者による尋問にて現在確認作業中。


○未確認超生命体・仮称『ケルベロス』の体毛らしき繊維体を所持。


○同対象者が帯びていたスニーカーの靴底に施されていた特殊ポケット内にて、水分を含んだ土砂の回収に成功。サンプルは各研究機関にて……


…………。


机の隅にて、スマートフォンが着信に震えていた。


資料から目を離し、田宮三紀彦は届いたEメールを開いてみる。ある程度まで我慢して文章を追ったが、結局途中でスマートフォンを机上へと放り投げた。それはくるくると横すべりをし、軽やかな音を立てて床に転がり落ちた。


別にどうでもいい。ありえないほどの超精密機械ではあるが、しょせん私物ではない。例の『機関』から貸与されたものである。それも半年間隔で新規の端末に交換されてしまうという念の入れよう。SDカードのスロットはもちろん潰されていて、充電用端子の挿入口はそれ以外を認識せず、パソコン等への同期も拒むという徹底ぶり。


結局のところ、田宮はそこまで『機関』から信用されていないのである。あくまでも末端の構成員、ただの協力者でしかない。そういう事らしかった。


そもそもの関与の契機は約三年前、現在では製薬会社の役員に収まっている旧友より、久しぶりに飯でも食わないかと呼び出されたことから始まっている。


その場には見知らぬ顔の人物も同席しており、厚生労働省の職員だと紹介された。折り入って彼の相談に民俗学の専門家として意見を聞きたい。友人の本意はそこにあり、田宮は気軽に快諾した。


発端は実に無難で、地域に関する民族学的な意見を求められてであった。該当区域に地底、もしくは異世界、もしくは地獄に関する伝承はないだろうか……


その手の話は文部科学省の管轄のような気がしないでもなかったが、乗りかかった舟である。田宮も真摯に答え、何箇所かの渓谷や洞窟を推奨、また参考としていくつかの資料を後日郵送した。あるいは文科省へ口利きし、助成金の交付が見込めるのではないかと淡い期待を抱いていたからである。先方もそれを勘ぐらせる発言をこれみよがしに匂わせてきた。ゆえに田宮としては以降の面会にも応じて来たのである。しかし、いつしか話の毛色が段々と変遷していっていた。何やら奇妙な方向へねじれ出していく。


女子の学生に依頼したい仕事があるので、ぜひ紹介してもらえないだろうか。


ただし誰でも良い訳ではなく、その条件はそれなりに細かく多岐に渡っていた。一筋縄では行きそうに無い内容ではあったが、田宮はその話に惹かれた。斡旋料を支払うと先方は言うのである。理由はどうあれ金は欲しい。若い頃から勉学一筋だった反動なのか、田宮は高齢になってから賭け事の味をしめた。望んだ訳ではないが、結局のところ生涯独り身を貫いている立場からすれば収入は好きに使える。それでも進行形で博打に血道を上げている身としては、金はいくら有っても困らない。咽喉から何本も手が出るほど欲しい。学生に何の仕事をさせるのか、要の部分を言葉巧みにあやふやにしようとする役人の態度に一抹の不安が無かった訳ではないのだが、結局目先の金に目がくらんだ。


つまりは人手を必要としている要所へ、ふさわしい人材を仲介する。たったそれだけの事なのであり、またこれも社会貢献の一助であると自身を納得させ、小遣い銭欲しさに学生の内偵を開始した。


それなりに骨は折ったが、田宮は一人の女子学生を『機関』へと推薦、面接を経た後の採用となった。今から二年前のことである。


厚生労働省の役人には感謝され、あくまでも私的な気持ちですと、お車代名目の謝礼を頂戴した。それは充分すぎるほどに田宮の懐を潤し、また、よほどの好条件であったのか当の女子学生本人からも礼を言われた。


関係者全員が満足する結果。田宮はその事に心から安堵し、しばし賭け事に没頭した。金はひと月もせずに溶けて無くなったが、惜しいなどとは微塵も感じなかった。あぶく銭とはこんなものだろう。役人が別れ際に告げた「またお願いします」の発言を時折思い返したりはしたが、あれ以降まるで音沙汰が無い。そのこともまた、田宮から一連のことを曖昧へと色あせさせていった。事態の異常性に田宮が気付いたのは、それから半年以上を要した後のことである。


休学中であったはずの例の女子学生が、自主退学として処理されていることを偶然耳にした。事務局や親しい学生たちにも事情を探りはしたのだが、『個人の都合』以外、不自然なくらいに何も出てこない。


まさか、あの『機関』絡みの面倒ごとではないのか? 


考えすぎなのかもしれないが、何かが引っ掛かる。彼女の保護者への連絡も考えたが、それは『暗に自分が関わっている』と宣言するのと同義であり、親族への接触は控えるべしと判断、次に件の厚生労働省職員へ接触を試みた。


しかし、すでに彼は他の部署へ移動した後だった。転属先や現住所等はプライベートを盾に拒まれ、また名刺に記載されていたEメールアドレスもすでに不通であり、こちらもまたそれ以上の追跡を断念せざるを得なかった。


唯一、(くだん)の友人・鳩村にだけは連絡が取れた。なんのかんのと言いくるめて会う約束を取り付け、待ち合わせ場所で顔を合わせた瞬間に、心もとない窮状を訴えた。しかし、押し黙って聞いていた鳩村は開口一番、すべてを斬って捨てた。


「気にするな」


呆気にとられる田宮。知人の返事には感情の起伏が無ければ、そつも無かった。あくまでも冷静な口調で鳩村は続けた。


もうお前は金を受け取っている。後戻りはできない。一蓮托生。開き直れ。女子学生は無事である、多分、おそらく、きっと。つまりお前個人では確認できないだけ。それだけ。そう納得しろ。瑣末に足を取られるな。また違う役人から依頼が来る。必ず来る。お前はもう片棒をかついだ。魂を売った。協力者なのだ。だから協力しろ。それに備えろ。徹底しろ。専念しろ。


そして知己だとばかり思っていた人物は、田宮を突き放すように言い放った。


「もうお前は振り返れない。無駄だ。なにがあっても前に進むしかない。拒むのならば、お前自身が地獄行きだ」


次いで微笑んだ。露骨な蔑みを込めて。


「首を洗って覚悟しておけ、守銭奴教授」


ようやくそこで田宮は理解した。


現地に派遣する人手が必要なのだが、業務内容に難が有り過ぎるため公には募集をうたえない。またそれが発覚し、立場のある人間の都合が悪くなるのは好ましくない。公僕を使わず、民間人を積極的に採用しているのも恐らくそういうことだ。


それらを踏まえ、使い捨ての簡易窓口の席が用意された。うかつにも自分はそれにうっかり腰を掛けてしまったのである。どうやらそういう話のようだ。


つまりは最初からぞんざいに扱われており、事態が急変した際には可能な限りの責任を押し付けられ、あっさりと切って捨てられる。間違いなくそうなる。トカゲのシッポとして処理され、影腹を切ることを強要され、煮え湯だけをこんこんと飲まされる。


そういう役目を自分は快諾した。なるほど、鳩村に遠慮なく蔑視されるのも道理である。


ならば俺も金だけに執着しよう。もうそれだけでいい。それだけだ。学生のことなどどうでもいい。利用されるだけ利用されて、とことんいい様に使われて、それでケツに火が付いたのなら、その時に全力で逃げ出そう。それまでは稼がせてもらおう。


その決意が伝播したのか偶然なのかは知らないが、数日後には鳩村の発言通りに別の役人が接触してきた。ご丁寧なことに今度は国土交通省のニンゲンだった。どれだけの省庁が関わっているのか。しかも担当者が持ち回りとは。田宮は少し笑ってしまったのを憶えている。


用件は同じ。女子学生を紹介してほしい。報酬はもちろん支払うので、いかがかと。


田宮は質問をしてみた。なぜ女子限定なのか。役人ははきはきと答えた。


「かの現場にて求められているのは体力ではなく、あくまでも折れない心であり、剛性のメンタル。翻っての怯まない柔軟性。女性の方が耐性的に適しているのは統計上にて明白なのです」


ならばと質問を続ける。なぜSNSで募集を掛けないのか。これもまた役人は明瞭に答えてくれた。


「ネットを介すると予想以上に拡がり過ぎるからです。削除を試みても痕跡を無限に複製されてしまいます。機密に厄介ごとの上乗せは愚の骨頂かと。時代遅れかも知れませんけれど、とどのつまりが信頼できる人づてほど漏洩が最小限で済むのです」


次に田宮は条件を出した。前回の女子学生の安否は不問とするので、差しさわりのない程度で構わないから、概要を教えてくれませんか。


結局あなたたちは一体全体なにをしているのだ?


すると国交省の役人の顔から愛想笑いが潮のように引いた。鳩村と同じような感情の読めない眼差しで、彼は田宮を見返した。


すでに田宮教授は一枚噛んでおられています。つまり誰もが認める立派な協力者だということ。ならば差し支えない範囲でお答えしても良いでしょう。怠惰と倣岸だけが役人の仕事ではありませんし、隠蔽と改竄だけが役所の役目ではありません。市井の方々の日々の不満に耳を傾け、丁寧に応対する。これこそが公僕の責務だと自負していますので。


田宮はここでようやく『オルフェウス計画』の内容を知らされた。


現存する地獄の現地調査。


正気か? ふざけるな。ヒトを馬鹿にするのも大概にしろ……説明の途中、幾度もなく脳裏には否定と嘲笑が浮かんでは消えたが、それとまた同時に鳩村の言葉も追随して木霊していた。


『もう振り返れない』『無駄だ』『守銭奴』


そして、ようやく腑に落ちた言葉。


『お前も地獄行きだ』


……地獄とはそういう意味だったのか……馬鹿が。馬鹿ども。馬鹿げているが、まぁ、いい……


田宮は役人の依頼を再度了承した。


「ざっくりで構わないので、今度からは経過報告の開示をお願いできますか」


田宮の提案に役人は「専用のスマホを用意します」と即答した。


もちろん、無心を付け加えるのを忘れはしなかった。


「報酬には前回より色を付けてほしい。できますよね?」



その日の内に鳩村へ連絡を取った。同じ穴のムジナになったと。


予測はしていたが、スマートフォンの向こうから漏れて来たのは冷めた相槌だった。


「とっくの昔にそうだが、まあいい。良かったな」


「良くはない。だから知っていることを大概で全部教えろよ。結局どの省庁の主導なんだ?」


「内閣府の次官クラスが陣頭指揮を執っているという話だ。ま、真偽のほどもそれ以上の詳細も俺は知らん」と、鳩村は坦々と答えた。


「……正気か?」


呆れる田宮だったが、鳩村はどこかつまらなそうに返事をするのみだった。


「正気かそうじゃないかは問題ではない。彼らに必要なのは大義名分だ。いい事を教えてやろう。アルゴー計画は一次も二次も全滅だったそうだ。組織を作り変え、少人数での潜入に特化した三次以降でも相変らずの屍累々、すでに百人単位の同胞が奴らの餌になっている。もう後には引けない」


おぞましい余韻を含む事をさらり言う鳩村に、田宮は総毛立った。


「お前、ふざけるなよ。地獄が本当に存在しているみたいな言い方はよせ」


思わず荒い語尾となってしまったが、鳩村は至って冷静だった。


「おあいにくだが実在している。変な意地を張るのは時間の浪費に過ぎない。柔軟に受け入れろ。その方が遥かに楽になる」


「妄想だ。それ以外なにも無い」


田宮とすれば自身に活を入れるつもりでの発言だったが、鳩村に笑われるだけだった。


「利用価値ならいくらでもある。少しは頭を使えよ、教授。まずは核廃棄物の最終処分場だ。三人寄ればナントカの知恵のアレが頓挫し、プルサーマル事業が暗礁に乗り上げた今であっても核のゴミは増え続けている。候補地のあてすらも無いままにな。そこへ地獄という堅牢で莫大な空間が見つかった。自治体の顔色をうかがう必要もなければ、クソ高い交付金を用意しなくていい。もちろんジュウミンへの説明も理解も同意すら得る必要がない。いいこと尽くしだ。のみならず、場合によれば他国への原発の売り込みに『使用後核燃料のお引取り』という垂涎ものの超効果的なオプションを用意できる。安全性の担保をより強化した形で、世界に向けて国産の原発をアピールできるのだ。それだけじゃない、日々排出される産業廃棄物にしても、海洋プラスチック汚染問題にしてもそうだ。世界中どころか衛星軌道上にすらゴミが溢れる現代において、何をどれだけ捨てても誰からもどこからも文句を言われない、とっても素敵な夢のゴミ箱が見つかった。これが国際的なビジネスチャンスでなければ何なのだ? 役人どもが目の色を変えるのも納得だろうが。ちがうか?」


まくし立てられ、田宮は言葉を失う。それでも鳩村の饒舌は止まらなかった。


「大勢が従事し大金が動いている。原資はすべて血税だ。彼らは至って真面目に取り組んでいる。行政の無謬性(むびゅうせい)はいつだって常に鉄板だ。そうだろ?」


田宮は最後まで何も答えられなかった。


数日後に専用のスマートフォンが届けられ、上辺だけの中間報告が頂戴するようになった。その内容の無意味さ、非現実さに、田宮は誰もいない自身の教授室にて声を殺して笑うしかなかった……




そして今日、伊藤多恵の最新情報を得た。


一体どこまで本気なのだろうか、あの連中は。対象者■■■■とか、伊藤多恵を推薦した私に伏せてどうする? どうせ墨塗りにするならケルベロスの方だろうに。どういう意識で仕事をしているのやら……


奇妙な高揚は急速に冷め、同時にあの伊藤多恵のことを少し思い出していた。


絵に描いたような純朴。まるで世間ズレしていない箱入り娘。故に男関係も含め、初めてあてられた都市部の毒にすっかり浮き足立っていた田舎娘。つくづく哀れである。


しかし、気の毒に……とは思わない。田宮は改めてそれを意識した。


国益などどうでもいい。ちょうどいい小遣い稼ぎ、ただそれだけのために伊藤多恵を二人目の人柱として差し出した。それだけである。感傷など微塵としてない。


しかし伊藤多恵は帰って来たという。ケルベロスの体毛を手土産に。


血税の浪費、夢物語にすぎないと高をくくっていた計画が、なんと現実として成果を結実させたらしい。事実ならば戦慄すべき事態である。地獄は存在していたという事になる。


「……ふん……」


鼻で笑った。


揃いも揃って愚か者ばかり。そんなふざけた事があってたまるものか。世間知らずで軽率な小娘の虚言に、いい大人が振り回されているだけである。ケルベロスの毛だと? でっち上げに決まっている。馬鹿の上塗りでしかない。


今頃あの国交省の役人は欣喜雀躍しているのだろうか。自分が手配した調査員が成果を挙げたと。自分の手柄であると。ただの大馬鹿者である。


そこで田宮は、ふと考えを一歩進めてみる事を思いついた。もし奴らが底抜けの非常識の集まりならば、馬鹿のドミノ倒しはこれから加速する事になる。


ゴミ箱化以外の利用価値に彼らが色気を出しているのならば、次はなんだろう。ケルベロスのクローニング化だろうか。専門ではないので断言は難しいが、哺乳類の範疇ならば実用化は意外と容易なのではと思う。ゲノムの解析から苗床として培養が可能なDNAを犬などの既存種から用意すれば、ケルベロスの亜種は可能なのではないだろうか。量産の見込みがついたと仮定し、次に畜産的な利用価値を模索。


筆頭は医薬品の原材料か。かつては熊や鹿の肝臓等を重宝していたが、商業ベースに乗せるには輸入に依存するしかなかったところをワシントン条約によって断たれた。それに替わる生薬の素材として、未知の魅力があるのは確かだろう。何せ前代未聞の魔獣なのである。効果としての滋養強壮は計り知れない。のみならず、その立ち位置が素晴らしいではないか。動物愛護やら何やらと難癖を付けて来る連中を「彼らは好んで人を喰う最悪の危険生物である」うんぬんのコメントで一掃するのはなかなか爽快である。鳩村が関わっている理由はこの辺りにありそうな気がする。

 

次点として食用。美味ければいいが、それも後年の研究次第である。つまりはケルベロスのブロイラー化。胸が悪くなるような冗談ではあるが……と、歪んだ夢想もここでついえた。


どこまでも愚かな寓話。しかし、そういう風に浮かれた奴らがあの役人たちの背後にごっそりと控えているかもしれない。それが国の事業なのである。末世だ。


田宮は開け放たれていた窓辺へと移動した。地表四階の高い位置から、校門へと続く前庭がうかがえる。行き交う学生の群。伊藤多恵も半年前にはこの中にいた。つくづく浅はかな娘だと思う。つまらない男に引っ掛かったばかりに、人生を棒に振った。ケルベロスの体毛が偽物なら国家事業を欺いた国賊。百歩ゆずって本物であったとしても(失笑ものだが)、未開の地を往来したゆえの防疫上の観念から、安全を担保できるまでの強制隔離。身体を隅々まで切り刻まれてのモルモット扱い……は、さすがにないか。病んだ連中ばかりなのだろうが、そこまで詰んではいないだろう……と、思いたい。


どの道、しばらくは日の光を浴びることすら許されまい。息を潜めて闇の中。地の獄という闇を巡って、ようやく這い出て来たのに結局地表でも闇から出ることは許されない。よくぞ地の底まで潜って行ったものだと思う、虚か実かは知らないが。


何か弱みでも握られていたのか? 詳細はまるで不明だが、自業自得とまではいかなくとも、俺を非難する前にまずは己の脇の甘さを悔んでくれよ、お嬢さん……。


「……ま、俺もヒトの事は言えないがな……」


ぽつり、と、田宮が独り言をこぼした次の瞬間であった。


音が萎み出す。


外部から漏れ聞えていた生徒たちの歓声やら街の喧騒など、もろもろの音がさながら潮が引くように絶えてゆく。


次に陽光が翳る。


そしてじっくり周囲に闇がにじみ、闇へと暗転した。


いきなりの事で言葉が出ない。どうした? 停電か? 慌てて室内を見渡す。


薄闇の中、視界は不良だったが、しかし違和感はこれでもかと熾烈だった。事務机とソファーが見当たらず、書棚もキャビネットも気配がない。


動揺のまま腕を前に突き出す。


ありえない。壁と窓が掻き消えていた。


ちがう。そうではない。


室内がただ暗くなっただけではない。部屋そのものが無くなっている。いや、これも違う。


自分がさっきまで居た部屋とは、まるで異なる場所に移動してしまっている。


闇の中でしゃがむ。足許には砂利。よく見えないながらも手を伸ばす。周りを探る。


どうやら辺り一面に小石と砂粒が拡がっていた。その下は爪も立たない固い地面。そのような真っ暗な場所の只中に、田宮はぽつんとたった独りで立ち尽くしていた。


どういう現象なのだ、これは。夢か?……何が起こった……


スラックスのポケットに手を入れ、私物のスマートフォンを取り出した。画面をタッチして起動。ようやく灯ったささやかな明かりに安堵する間ももどかしく、通話のアイコンをタップしようとした、その時であった。


「無駄だ。圏外である」


何者かの声がした。太く、重い声質。誰かがいる。田宮はその方向へ視線を走らせた。


一面の闇。


しかし、その闇の中で闇が動いた。



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