【 転転 korobu 2 】
「伏せているカードが……私の方にも有るとしたら……」
薄闇の中で彼女が言う。戸惑いのままに。
「わたしが、もし、後ろを振り返らなかったら……そのまま地表に出てしまったのなら……」
そして、続く言葉をためらっている。そのか細い背中を小さく震わせながら。
俺は黙って彼女の決心を待つしかなかった。
沈黙はふた呼吸ほどだったか。
彼女は言葉を搾り出した。
「……すぐに飛んで来て、あなたのブレスで私を焼いてほしい。灰にしてほしい……できるでしょ? ドラゴン……」
必ず振り返る。ハデスが施した呪式を破るなど、ニンゲン風情に可能な事ではない。しかし、彼女はそれをまるで疑っていない。本心から懇願しているのが明白であった。
振り返らずに登り坂を踏破できる自信があって、その事に相当な根拠がある。
俺にはまるで解せない。まるで振り返らない練習でも積んで来たかのような言い草である。
一体全体、何を言っているのだ……いや、それ以前になぜそんな不可解なことを俺に頼む?……どうして、俺が君を灰にしなければならないのか……
先刻よりまったくもって判らないこと、困惑することばかりだ。苛立たしいほどに。
だからこそ、俺は彼女に対してはっきりと答えた。これだけは迷わなかった。
「小生はそなたと約束した。ハデスにとって有益な情報をもたらしてくれれば家へ帰すと。約束は必ず守る」
うつむき加減だった彼女の背筋が、ぴくりと反応した。そんなに俺の返答は予想外だったか? 彼女の内面に渦巻いているのが驚愕なのか哀切なのか、もちろん俺にはわかりはしないが、それでも言わずにはおけなかった。
「そなたを灰になどしない」
訪れたのは静寂。
そして漏れ聞えてきたのは嗚咽だった。
背中越しではあってもはっきりとわかった。彼女は涕泣している。
「……どうしてこんなことに……私、どうしたら……ヒデちゃん……わたし……ごめん……」
誰に何を詫びているのかは知れないが、贖罪の涙であることだけは疑いようがない。
この、まるで散々な有様は一体全体どうしたことなのだろうか。
俺と彼女は、何を、どう誤ってしまったのか。
君の泣き声だけが静かに流れる闇の空間にて、俺は身じろぎひとつ出来ないでいた。