【11巻発売記念SS】宮廷画家と弟子
11巻発売しました!よろしくお願いいたします!
──苦節48年。
私は宮廷画家のピエトロ。中年の雇われンンッ、王室お抱え画家である。画家界で言えば勝ち組と言えるだろう。そう、成功者ピエトロと呼んでほしい。
そんな成功者の私だが、もちろん最初からこのステージにいたわけではない。スポットライトは強めに頼む。
ンンッ、アー、ヨシ。
老人は昔語りが長くなるというが、まあ聞いてほしい。座りなさい。
まだ駆け出しの頃。
師匠の元へ下働きとして芸術の道に飛び込み、雨の日も雪の日も修行に明け暮れた。
私を大きく導いた師匠は変わった人だった。
芸術に長ずる者は感性が一般とかけ離れているものなのかもしれない。
天気が悪いから気分ではないだの、お腹が空いて機嫌が悪いだの、前髪が決まらないから会いたくないだのという師匠に振り回される日々を過ごした。
念のために言っておくが、私は師匠の前髪を見に来ているわけではない。
天気や空腹や前髪なんぞ、絵を描くことに何も関係ないだろうがと怒鳴りたくなった。
俺は早く師匠の技を盗んでパトロン掴んで独り立ちして、成功者の俺に相応しい初々しい妻の前髪を気にする男になるんだ。だから早く出てきて描いて描いて描きまくってくれ!
だが私は成功者ピエトロだ。
硬くした握りこぶしの代わりに、前髪を気にする師匠の部屋に帽子を置いてみた。
それが正解だったのか、帽子を被った師匠がもじもじと部屋から出てきて『何か言うことはないか』と私に向かって言ったのだ。期待たっぷりに。
まずは帽子をありがとうだろう、と出かけたがきっと違う。
私はその表情を見たことがあった。
あれは昔の恋人との初デートの朝。出会いがしらから頬を染めて少しむすくれた表情をしていた恋人は、珍しく髪を綺麗にねじって結っていた。その時の表情に酷似していた。
あの時は『機嫌が悪そうだな。腹でも減っているのか』と声をかけて大事故になった。今ならなんて言ってほしいのか学習している。
「その帽子姿も素敵ですね。顔色が映えて見えます」
さすが中年男性である師匠は『そうか』と一言呟いてアトリエへ向かった。『バカ!』と怒鳴られなかったということは正解だったのかもしれない。
それから師匠はたびたび『今日はなにが違うかわかるか』だのと聞いてくるようになった。
だが、中年男に昨日も今日も変化はない。そんな期待した目で見るな。指をもじもじさせるんじゃない。
私はこの罠に心覚えがあった。恋人が突然『ねえ、何が変わったかわかる?』と定期的に興味関心をもって周囲を観察しているかテストするのだ。知っているぞ。
正直毎回何も変わっていないように見えるのだが、明後日なことを言ったり、黙っていると尾を踏まれた獅子のごとく怒り始めるのだ。回避不可な罠を仕掛けてくるのはやめてくれ。
過去のトラウマから訓練された勘が働き、師匠の視線や仕草から何を気にしているのかを推理し言い当てる。正答率は8割だったが、奇しくもこれも観察眼を養う訓練となっていたのだった。
何が芸に昇華するかわからないものだ。
それから、やれあの石をすり潰せ、やれ隣の家の豚の毛が良い筆になりそうだ、グッとビビビと来るモデル(背が高く野性味を一さじ加えた騎士をご所望らしい)など無理難題をこなし、栄えある王室お抱え絵師の末席へと名を連ねることが出来たのだ。
あの面倒な師匠の扱いに慣れたからか、傲慢な貴族に振り回されるのは風の囁き程度にしか感じない。何事も無駄ではないのだ。聞いているのか?
ま、こうして人生の折り返し地点まで来たが、芸術の道としてはまだまだ新入り。
まだまだしぶとくンンッ健康な、師匠の背中を追い続ける日々だ。
ハイここで場面転換。
背景はそっちの大判の宮殿の方、そうそう。
────そして今日もまた。
勝ち組の私は師匠の背中を追い……というか、代打で。幼い王子たちへ教鞭をふるいにやってきた。
本日の天気はやや曇り。師匠は朝から「頭痛が痛い」とベッドから出てこなかった。これだから芸術家肌は。
幼い王子たちと聞いていたが、どうやらご学友たちも一緒に授業を受けるらしい。手当は人数分出るのだろうか。
いやいや、ここで顔を売って各貴族家に呼ばれれば倍も倍。ここは優しく丁寧に。
「えー本日はクロッキーを行ってみましょう。クロッキーとは速写と言い、対象を素早く描画することが大切です。 主に動物や人体など動きのあるものを、素早く捉える訓練として──」
「やった。もう花を描くのに飽きてたんだよな」
いの一番にヤル気を見せたのは、確か第二王子のレイノルド殿下だ。
「動物……王宮にも猫ちゃんはいるかしら」
銀髪の令嬢は、たしか第三王子のリヒト殿下の婚約者アディール侯爵令嬢と書類にあった。
「バカだな。猫なんて寝てばっかりでつまらないだろ。やっぱり素早さでいったら馬だな」
「レイノルド、素早さが要るのはこちら側だよ。ローズ、『バカ』は自己紹介だから気にしないようにね」
優しい顔で弟王子に毒を吐き、侯爵令嬢のフォローに入ったのが王太子のリチャード殿下だ。ロイヤルな兄弟喧嘩はよそでやってほしいナ。おじさん、困っちゃうナ。
「今までモデルは動かないものばっかりだったから、動き続ける馬は確かに難易度の高い課題だね。素早い被写体を素早く描きとめる、か」
真面目に話を聞いていたアディール侯爵家の嫡男、パトリック様が話を戻した。
なぜか馬を描きに行くことになっているが、許可取ってませんので行きませんよ。
貴族はすぐ規模を大きくしちゃうんだから。
もちろん、ローズ様の案の猫も却下である。
脱線した空気を戻そうとコホンと咳ばらいを加えると、しばらく考え込んでいたローズ様がハッと顔を上げた。
「馬と一緒に走って速写……!? レイノルドお兄様、すごい……!」
「リチャードもパトリックもローズもうるさいな!」
室内は一気に賑やかな空気になった。
……これだからガキは、ンンッっといけない。いけない。
ここにいるのは大切な金づる、ンンッっといけないいけない。
そう。芸術の道を舗装してくださる、大切な大切な、ご協力者様たちなのだから。
気合を入れ直し、表情筋を持ち上げた。
今日は普段より大人数が集まっている。
王子たちに、有力貴族家のご子息ご令嬢まで。
今日の成果物は家に持ち帰って、偉大なる先生は宮廷画家のピエトロだと親御さんに伝えてほしい。師匠ではなく、私、ピエトロですからね。
ごほん。
この好き勝手話し出すロイヤルなお子様たちの様子を観察して理解した。
「では、今日のモデルはローズ様にいたしましょう」
注目を浴びたローズ嬢は恥じらった表情だが、素直に前に出て花瓶に生けてあった花を持つとピシリと立った。
慣れている。さすが貴族の子ども。幼い頃から画家に描かれることが日常のそれである。表情管理もさすがだ。
私なんて、未だに自分が描かれるとなると妙に緊張してしまって正面直立で構えてしまうのに。
きっとアディール侯爵家には、生後まもなくから、右手を発見した様子、寝返りをした様子、座った、立った、歩いた……何枚も何枚も描かれているのだろう。
クッ……! うなる財力が羨ましい!
「ローズ様は動いても大丈夫ですからね。クロッキーとはそういうものですから」
そう声をかければ、アディール嬢の表情は自然な笑顔へほにゃりと溶けた。
そのような表情もできるのか、とまじまじと観察してしまうが今日は指導するためにいるのだ。いけない、いけない。
ローズ様は最近習ったというバレエダンスを披露することにしたようだ。
身体の向きや髪、服の動きも加わって描きごたえがあるだろう。
先ほどまでうるさいほどだったガキどもンンッ、お子様たちは真剣にペンを走らせている。
こういう時に師匠は「下手」「才能ない」「寝てた?」など、歯に衣着せぬ言葉を選びがちなので指導は私の方が上手い自信がある。
こういうのは褒めて、上げて、盛り上げるのが鉄則だ。
どうせ全員、画家を目指しているわけでもない。教養のために習うだけなのだから。せいぜい気分よく過ごせればいいのだ。
「リチャード殿下は……さすがお上手ですね。写実的で、ええ、写実的で」
さすが王太子殿下は技術はある。
だが、なんというか、見たままを描くものだから写実的で不気味なのだ。
現実の人間に似せようとすればするほど、なんだか不気味になる現象が起きている。夜に見てはいけない系のものだ。
「レイノルド殿下は……なんというか、悲壮感というか人の念がよく描かれていますね」
第二王子も技術はあるが、更に恐怖と怨念が加筆されている。
まさかレイノルド殿下には、ローズ様のバレエダンスが井戸から這い上がって花を持って追いかけて来る系に見えているのだろうか。どうか表現法だと言ってくれ。
パトリック様は知識はあるようだが、技術が伴っていない。あなたの妹は直線だけで構成されていない。
トーマス様はかなりローズ様を愛らしく表現されている。これ三等身になっていないか?
ミハエル様は人体の構造を深く理解しているようで、躍動感を上手く表現されている。バレエだというのに何かの武術に見えるのは気のせいだろうか。
ベン様、ノア様は早々に飽きてしまったのか別のことに夢中になっていた。
そこで少し離れたところに座っていた第三王子のリヒト殿下の後ろにまわる。
今日もやる気のなかった師匠は、リヒト殿下のことだけは気にしていた。
別に嫉妬ではない。
なぜ師匠が気にしていたのか、知る必要があったのだ。
私が背後に回ったことなど一瞥もせず、リヒト殿下は手を動かし続けている。
キャンバスにはもうすでにローズ様が何回も描かれていた。
端から視線を流せば不思議と絵の中の少女はクルリと回って踊るように見えた。
これは。
胸にチリッと何かがかする。
もちろん、技術力で言えば成功者ピエトロの足元にも及ばない。まだ幼子のお絵描きだ。
だが、確かに同じ道を辿られている気配を感じたのだ。
「──リヒト殿下の描くローズ様は楽しそうに踊っていらっしゃいますね。音楽まで聞こえそうです」
私の声にビクリと反応した殿下は集中力が切れたのか、手を降ろしオドオドとした視線をこちらに向けた。
「あの、ここからじゃ遠いから、表情は想像で書き足したんだ……」
兄たちとは違って自信の無さそうな表情に、なんだか毒気を抜かれ勤めて穏やかな声色をつくった。
「ええ。見たままを描くのも大切ですが、対象物の内面を描くのも必須技能です」
「そっか」
必須技能とはもちろん芸術を志す者の、だ。王族のではない。
だが何が役に立つかわからないからな。
「他にも”必須技能”は、あるの?」
「もちろんございますよ。恋人のちょっとした変化に目ざとく気づくことです」
「なにそれ」
おっと失言だ。
だが、私には今までの人生で培われた”失言を失言だと認めない能力”があった。主に恋人の名前を呼び間違えた時に『ああすまない、将来のぼくたちの子どもの名前を考えてたんだ』と誤魔化す時に発揮される。
「とても大切な能力ですよ。なんてったって、絵描きが一生で一番描くのは自分の恋人ですからね」
「なぜ? この世には色んなものがあるのに」
大真面目な顔で言い切ったのに、返って来たのは無垢な正論だった。
嘘では無いのだ。売り物になるかならないかは置いておいて、恋人を描く画家は多い。
「……よく見るから描きやすいのか。はたまた、描き残したいのか。描くためには、よく見なければなりませんからね。心の目で」
キャンバスの中のローズ様は、あの一瞬だけ見せた、ほにゃりと溶けた表情から挑戦的な猫のようにしなる瞳など様々な表情を見せていた。
婚約者の前ではこのような表情を見せるのだろう。
そして、リヒト殿下にはそれを表現し描き残す技術と感覚がある。
間違いなく、彼には画家の素質があった。
惜しむべくは彼の王族としての立場には不要な素質だったことだ。
まあ人生は長い。何が役に立つかわからないからな。
余計なことだとは思いつつ、リヒト殿下への指導には熱を入れてしまった。
リヒト殿下は理解したのかしていないのか、嚙み下すようにじっと思考を巡らせていた。
その横顔を見て、後進を見る師匠の気持ちが少しわかったような気がしたものだった。
「悪役令嬢の勘違」で憑りつかれたように筆をふるっていた画家はピエトロです。




