4巻発売記念SS その1
時系列的にシーズン2の「役割」と「婚約者」の間。
王都から離れたリチャードが何をしていたかの回
「婚約者の兄は心配性4」
日が落ちると共にゆるりと活気づいていく通りを脇目もふらず進む。
酒と汗と化粧品の匂いがしたかと思えば、料理屋の匂いもする。それを流すのはぬるい潮風だ。
気候に合わない外套を羽織った俺たちを警戒した者が視線を合わさず道をあけていく。
想定していたより早く、目的の館を発見した。考えていたよりも立派な店構えに思わず外套の中から上を見上げる。
丁度入り口から顔を出した女が他の店より早く客を入れてしまおうと外へ出てきた。
「ようこそ、ここは港のーって、あら! レイじゃない! もう、全然来ないから忘れちゃうところだったわ」
女は型通りの挨拶を口にして、店前に立つ男の正体に気づくと親し気に体を寄せた。
腕をとられた男はそのまま女に何か囁くと、拗ねたように頬を膨らませていた女がパッと弾けるように笑った。
「ふふ! やだ、もう! でも、来てくれて嬉しい──まぁ、オトモダチもいらっしゃい」
何を言ったのか、女の機嫌は直ったらしい。後ろに立っていた俺に視線を流すと、店内へと案内された。
「”いつもの”でいいかしら」
「あぁ。楽しみだ」
そう言いながら歩く二人の後ろをついて歩く。
女に通されたのはその館の中でも高位らしき部屋だった。広い寝台に、五人用のテーブルに、五脚の椅子。
女はすぐ準備すると言い残し、部屋の扉を閉めた。
──また、五脚の椅子だ。
被っていた外套を外し、中に着込んでいた”裕福な商人”風の服の襟元を緩めた。貴族のお忍び感は出ているだろう。それにしても暑い。海沿いのこの町は日も落ちたというのに、まだ暑い。先ほどまで着ていた外套なんて正気の沙汰じゃない。しかし、いかにも”他の土地からやってきた身分を隠した人物”を装うには必要だったのだ。
隣の男は涼しい顔で外套を放ると、髪を掻き乱しながら粗野な動作で椅子にガタリと腰かけた。
その所作にはいつもの”正統派王子様”の影は微塵も無い。
「ここは”当たり”かな」
そう、ボソリと低い声が落とされ青い瞳が流された。
──これがローズのいう”流し目光線”か
薄暗い室内に、甘い香り、遠くの方で聞こえる話し声他。そんな艶っぽい場所で受ける流し目。それを受けたのは俺。それを発したのはお前。俺とお前しかいない空間。
勘弁してくれ、という気持ちをこめて顔の前で手を振る。
俺の頭の中のローズが心臓を撃ち抜かれたかのように「ウッ」と胸を押さえているが、お兄ちゃんは無傷だ。頭の中では目を光らせにじり寄る親友から、未だ蹲るローズを抱え逃げまどっている。
そのままお互い口を開かず、俺は親友と出入り口の扉の間に立つ。そして、扉がノックされた。
「どうぞ」
そう声をかければ入室して来たのは三人の、銀髪の女だった。見慣れた色よりも、やや深い人工的な色を靡かせた女たちは五人分の酒と食事を次々と並べていった。その後ろからこの館の女主人らしき年配の女と使用人が楽器を三丁と、笛を一本持ってきた。それらを確認し横目で親友を見やると、とてもいい顔で笑んでいた。どうやら”とてもご機嫌”になったらしい。勘弁してくれ。
「お待たせ、レイ……あら」
同じような色の髪の女の中でも、一際露出の高い女と目が合う。その女はやっぱり”猫のような目”をしていた。瞳の色と眉が濃い茶色のようで、そこだけは安心した。しかし隣の親友が発する冷気が止まらない。
俺を頭からつま先までジロジロと見た女の目は、なぜだか”ライバルを見る目”だった。
自慢じゃないが、女性からそんな目で見られたことは未だかつてない。はずだ。俺の何が気に障ったのだろうか。初めての視線に居心地が悪くなるが、いつもの表情で微笑み返す。
そういえば、ローズの可愛がっているスコッティという白猫(最初は灰色だったが)と初めて会った時にもこんな風に微笑んだと思う。俺は敵ではない。争う意思は無いのだと心を込めて口端を持ち上げる。猫には通じなかったが、人間には通じるだろうと希望を込めて。
俺の気持ちが通じたのか、猫のような目をした銀髪の女性は眉を下げながら縋るように親友の方へ向き直った。
「……レイったら、ついに男まで銀髪にしたの?」
その言葉を聞いて、更に笑みを深くした”レイ”は隣に座る俺の髪を一つまみして。
「──あぁ。やはりこの色が好きでね。たまらなく」
と、この場に相応しい艶っぽい声を出した。
*
≪勘弁してくれ。本当に。勘違いされた≫
≪はは。あの顔、おもしろかったな≫
あの銀髪の女は、濃茶の眉をこれでもかというぐらい寄せてチラチラとこちらを伺いながら出て行った。「やっぱり」という言葉を残して。やっぱりってなんだ。何を確信しているんだ。待て。
取り残された銀髪の女たちは頬を赤くしてオロオロと困りながら、楽器をかかげ何かを期待したように俺たちを見ていた。
自慢じゃないが! 女性からそんな見当違いな期待のこもった目で見られたことは未だかつてない!
残った女性たちは慣れた動作で、扉のほど近くに並び演奏を始めた。ここ、公国と我がリベラティオ国の国境付近の地域の曲なのだろう。海町に似合う、軽快な曲調だった。
≪あの猫目の女性はやっぱり、とか言ってたからな。以前からそう思われてたんだろ。”レイ”は≫
楽器を奏でさせ、聞き耳を立てても聞き取れないようにする──こういった娼館を隠れ蓑に待ち人と落ち合うときに貴族がよくやる手だ。レイノルドはここでも同じようなことを”いつも”していたらしい。
念のため、俺たちが使っているのは内陸側の国の言葉だ。ここ公国内の海側の地域では滅多に使われない言語だ。
≪──ここも、はずれだったな≫
早く帰りたい、と思わず大きくため息が出そうになる。
第三王子の死去により、公国へ婿入りする予定だった第二王子が帰国した。
公国の王位継承権第一位であり、第二王子レイノルドの婚約者であった王女様は現在十一歳。まだ暫く婚約期間が続く見通しであったことや、公国の現国王の第二妃が懐妊していたことなど……様々な事情があり、第二王子は帰国となった。
この度、第二妃が男児を出産したと連絡があり事態は余計ややこしくなる。
待望の男児に王位を譲るのか、当初の予定通り女王として即位することになるのか──リベラティオ国はどちらの派閥につくのか──それが今の重要課題だ。
通常なら男児誕生の祝いと挨拶には外交師団を出すのだが、レイノルドが帰国したということで今度はリチャードが国から出ることが可能になった。ついでとばかりに辺境伯からの訴状があった、ここ最近目立つようになったならず者の集団の話や、レイノルドが連れ帰った黒髪の女性──聖女だとか──の足取りを探っている。
公国に入れば、レイノルドはかなり”自由に”かつ”楽しく”過ごしていたらしく、最後の辺りは娼館を渡り歩いていた、だとか聞いた時にはリチャードに凍らされるかと思った。
いやいや、まさかいくらレイノルドでも王族の自覚は持っているだろう。いくらなんでも町の娼館で遊ぶほど馬鹿ではないと”もう一人の親友”を信じ、見に行ってみれば。判を押したように銀の髪の、猫のような目をした女が出てくる出てくる。嫌がらせか。俺と、リチャードに対する嫌がらせに違いない。そういえば、レイノルドはそういう男だった。きっと俺たちが探しに来ると思って用意していたに違いない。
頭の中で肩をすくめて軽い調子で謝る男に雷を落としていると、外から激しい笛の音が鳴った。そのすぐ後、部屋の外でガタガタと何人かが廊下を走った音がした。
この異様な事態にも関わらず女たちは気にせず演奏を続けていた。「あれはなんの音だったんだ」と聞けば端にいた女が答えた。
「あの笛は警備隊を集める音です。うちのお客様は警備隊が多いので、急いで向かったのかと……お騒がせしてごめんなさい」
「いや、いいんだ。こういうのは多いの?」
リチャードが、レイノルドの間延びしたような口調を真似した。さすが双子だ。よく特徴を掴んでいる。リチャードに声をかけられた三人は慌てたように頭を下げた。
「いえっ! ここ最近なんです。そりゃここは海に面しているから、地元の人間以外の方も多いんですけど……。ちょっと、ねえ?」
「そうなんです。なんだか最近……ねえ?」
その後は、もうすぐ警備隊がならず者たちを一網打尽にするから大丈夫なのだとアピールが始まってしまった。これ以上の収穫は見込めないと見切りをつけ、館を後にする。
最後に、部屋から出て行ってしまった猫目の”銀髪だった”女が追いかけてきたことは僥倖だった。
本当は黒髪だったらしい女は猫のように見せていた化粧が少し落ちていて、目元と鼻が赤くなっていた。あれから先ほどまで泣いていたらしい。レイノルドの顔をしたリチャードに「相手が来なかった」と預かっていたという手紙を押し付け、余韻たっぷりに見つめたかと思ったら、最後にギリリと俺を睨みつけ館へ戻って行った。いや、だから、俺はライバルではないからな! と、言い訳出来なかったことを除けば、ここは”当たり”だった。
9/16(土)に電子書籍4巻発売です~!
なので、SSその2を9/16に更新予定です。お付き合いください。




