悪役令嬢と王子様
「すぐに王座へなんて無理なことは明らかですが、こちらは交換留学として人員を送り込みますわ。そもそも反対派閥も他国と交流されようとしているのですから、ゆっくり染め上げて差し上げて?」
「それは、宝島に攻め込みやすいように?」
力を取り戻した狼のような瞳がこちらを静かに見返す。
「そんな物騒な。サーラ様にも同じことを問われましたが、宝島をよく知り統治されていた方々がいるというのによそ者が割って入れば、戦争が続いて民草は疲れてしまいますわ。それよりお互いに共存すればいいのよ。宝島の方々は発展のために領土を犯されたくない、わたくしたちは陸側を牽制する。仲良くしましょうとお誘いましたの。そうしたら、サーラ様たちはやる気でしたわよ」
せっかくサーラ様とも、サーラ様のお友達への根回しも済んでいるのだと教えてあげたのにレイノルドお兄様は苦々しい顔である。
「レイノルドお兄様なら皆さんもまとめあげ、宝島の方をたぶらかすのもお手の物でしょう。応援しますわ!」
応援しているというのに、さらに苦い薬を何倍も飲まされたような表情だわ。解せない。
そんなに一瞬でも仲間はずれにされたことが不服なのかしら。
最初に遠回りなやり方でわたくしを騙そうとしたのはレイノルドお兄様なのですからね!
苦笑い気味のリチャード様が労わるように「不満そうだな」と声をかければ、肩を拳で小突いた。
「……そりゃあね。ローズに助けられたなんて、一生弱みを握られたようなものじゃないか」
恥ずかしいのか照れたように小声になるレイノルドお兄様の様子に、思わずリチャード様と視線を合わせて笑ってしまう。まったく、素直でないのですから。
「さあ、愛しのサーラ様は皆様の前で宝島の素晴らしさをお披露目していらっしゃいますわよ。きっとおひとりで心細くしているはずだわ。王子様が助けに行かなくては!」
恋はスリル・ショック・サスペンス!
乙女の窮地を救う、これこそ恋の方程式よ。本で読んだわ!
入り混じる雑念に気付かれたのか、レイノルドお兄様は半目だわ。
”愛しのサーラ様”も”王子様”も本当のことですので。何も間違っていません。
「……本当に行っていいのか?」
「あぁ。好きな女は自分の手で守れ。それに外から守ってくれるんだろう? 期待しているよ」
今度はリチャード様が肩を小突いた。
それを受けたレイノルドお兄様は、眉を下げ、少しだけ口端を持ち上げた。
なんですか、この拳に乗せて本心をぶつけ合った後の爽やかな空気感。
拳をふるっていたのは私。本心を引き出したのはもちろん私である。
ご兄弟の仲が深まったのは良いことですが、圧倒的な存在感を放つ私のことも忘れないでくださいません?
少しだけ背伸びをするようにレイノルドお兄様の視界に入り、視線で「私に言うことはないのかしら?」と語り掛ければ、レイノルドお兄様は途端にムスッとした顔をしながらゆっくりと近づき「……可愛くない」と言い放った。
なんですって!? と反撃しようとした瞬間、ぶにゃりと鼻を摘ままれリチャード様に救出される。
「ふぎゃ!!」
「レイノルド!」
「はは! この借りは返すよ」
そう言い残して、昔から知っている笑顔で広間へと駆け足で戻って行った。
その後姿を見つめながら、息をつく。
「大丈夫でしょうか」
「大丈夫だよ。会場にはパトリックもいるし」
「お兄様がいるなら……大丈夫ですね」
達成感でいっぱいになりリチャード様を見上げれば、月明かりに照らされた弩級の美形がこちらを見ていた。
ひえええええ!!
先日、仲直りの一件では怒りでかろうじて原型をとどめ
先ほどまでは悪役と悪役の一騎打ちにと気合と高揚感で立っていられましたが、一件落着した今、どんな顔でリチャード様とお話しすればあばばばばば
リチャード様は、何かに気付いたようにふわりと顔を寄せる。
ひえええええ!なに!?まさか!?
ふわり、と身体が持ち上がる。そして安定した動きで噴水に置かれた。
あら???キスではなかったわ??あ、いえ、期待していたわけではないのよ??
「ローズ、靴を置いて来ていたでしょう。足を見せて」
リチャード様はおもむろに片膝をつくと私の足に触れた。
ひぇええっっっ!?!?
もしかして本当はレイノルドお兄様に腕を引かれ庭園まで走って来る時に転んで走馬灯を見ているのではなくて? これはわたくしの妄想、そうだったらいいなという世界線、こちらの月光に照らされる美麗な王子様は妖精王、つまりそういうこと……?
「いえいえいえ、いけません、そんなことを! モ、モネを呼びますので!」
「もう少しだけ二人でいたいんだ。ダメ?」
どういうことだかわからないが、リチャード様は少し弱ったように顔を傾げた。あざとすぎる。乙女の魂を糧に生き永らえる系の種族の妖精の長なのかもしれない。
「ダメ、ではありません。わたくしも、もう少し……」
ハッ。こ、これってもしかして!
夜会の夜、遠く聞こえる音楽、二人だけの空間。
────この条件が揃ったシチュエーションはまさに。
ローズ憧れのシチュエーション第二位【お姫様の瞳に映るのは自分だけでありたいと二人だけの庭園へ連れ出し、二人だけの空間でプロポーズ】ではなくて!?
連れ出したのはレイノルドお兄様ですけれど。
こちらの興奮具合を知ってか知らずかリチャード様は「そう」と呟いたきり。無言で置いてきた靴をはかせてくださっている。
もう過剰供給である。こちらはつい先日己の心の変化に気付いたばかり、つまり初心者なのだ。お手柔らかにして欲しいものである。
俯くリチャード様をちらりと見れば、キラリと金の髪が月の光りをかえした。
その光景の神秘的なこと。
つい魅入ってしまい、ふと気付けばリチャード様の髪に触れた後だった。
そして髪の隙間から空色の瞳がこちらを見ていた。
「あっ、すみません……っ!」
「ふふ。いいよ、好きなだけ触って。ローズから触れてくれることなんて珍しいから」
くすぐったそうに目を伏せるリチャード様を見ながら、この胸に浮かんだ気持ちは何か自問する。
幼い頃はリヒト様の髪にリボンをつけた思い出がある。
あれから色々なことがあり、リヒト様の髪に触れることは無くなり
環境も、心の置き場も、全てが様変わりした。
そして今、リチャード様の髪に触れ、今更気付く。
「……触れてはいけないと、思っていましたの」
「なぜ?」
ポロリと零れる。
「だって、想いが伝わってしまうかと、思って」
「想いって、どんな?」
自分を恥じるように手を引けば、逃がさないとばかりに手を握られる。
ビクリと身体が揺れ、いつの間にか私の視線がリチャード様に捕らわれていたことに気付く。
どこまでも見透かしてしまいそうな瞳が、私を見ていた。
「どんな……なんて。言えません。だって綺麗なものではないもの」
「そうなの?」
怖がる私の心まで慰めるように温かい手が私の頬に触れ、隠しておきたかった秘密が暴かれていく。
「だって、リチャード様の全てが欲しくてたまらないの。憧れているだけの頃の方がずっとわたくしは綺麗なままでしたわ。いつからか、望んでしまってから、わたくしは」
恐ろしくなって目をきつく閉じれば、頬に触れる手が揺れる。
「どうして泣いているの」
クスクスと聞こえるリチャード様の声はとても優しかった。
「怖いのです。こんな汚いわたくしは見られたくなくて。これでは嫌われてしまいます」
弱い部分を見られるのが恐ろしく、自分を守るように目を閉じた私の瞼に何かが優しく触れる。そのぬくもりが何か確かめようと自然と視界が晴れていく。
涙に濡れた視界の中、夜を照らす月光がリチャード様の髪を輝かせた。
あの時は太陽の光りだった。と、なぜか思い出の少年が頭に浮かぶ。
その人物は今はここにはいないのに、でも。
「『──ローズの髪は流れ星の軌跡のようだ。願いを思い描けば、なんだって叶えてしまえそうな力が湧いてくる気がする』」
「……え?」
それは、あの日の少年が口にした台詞だった。
私を励ましてくれた少年──リヒト様には共通の思い出を持っているという実感は無く、私の中、心の奥に大切に仕舞って勇気をもらっていた出来事の一幕だった。
あの言葉があったから、私は歩き続けられたのだ。
幼い頃の、大切な思い出に巻き戻ったかのような錯覚を覚える。
ポカンと何が起きたのか理解しようと頭を動かす。
おかしいとは思っていたの。照れているのだと思っていたの。今はまだその時ではないと。だから、”立派なお姫様”になれば────
そして、一つの可能性に思い至る。
リチャード様の金の髪がさらりと揺れた。
「忘れた? 王子様は、お姫様がどこにいても見つけ出す力があるんだよ」
「なぜ、まさか。だってわたくし、リヒト様だと」
あの時もまさかと言っていたね、と
あの頃より低くなった声が耳をくすぐる。
「迎えに来たのにお姫様は王子様のことがわからないらしい」
「いいえ、いいえ、だって」
自然に惹かれ合うように距離が縮まっていく。
それを待ちきれないとばかりに、掴み引き寄せた。
「ローズは宣言通り、立派なお姫様になったね」
もう月の光りも届かぬほど距離が縮まり
「お迎えに行くと言いましたのに────」
遠くの方から名を呼ぶ声がする。
この声は
「…………お兄様の声がしますわ」
「…………レイノルドと交代したんだな」
二人で顔を見合わせれば、なんともいえない空気が流れる。
そして小さく笑い始めてしまえば、もう戻れなかった。
「あの時は置いて行ってしまってごめんね」
何のことか聞き返そうとするが、兄の声がどんどんと近づいてくる。
リチャード様はもうおしまいとばかりに立ち上がり、先ほどまでの表情をしまっている。
なんだかそれがおもしろくなく、先ほど履かせて頂いた靴を再び脱ぎ立ち上がる。
「今度はわたくしが連れて行って差し上げますわ」
驚いたままのリチャード様の手を引き、王妃様の迷路へと足を進める。
「ローズ!?」
「はやくしないとお兄様に見つかってしまいますわ」
右へ左へと曲がれば、どこを歩いているのかわからなくなる。
だんだんおかしさが込み上げて来てクスクスと笑ってしまう。もう兄の声はそこまで来ているはずだ。見つからないように静かにしなければならないのに、高揚感でふわふわしてしまう。
リチャード様も同じなのか、仕方がないというように眉を少し下げて潜めて笑っている。
その表情を見て、たまらなくなり私の心は更に温かくなっていくのだ。
どちらともなく二人で身を低くし、見つからないように隠れてみる。
それがまるで幼い頃に遊んだ時のようで、なんだか不思議な心地である。
月の光の影になっているところは鼻先まで近づいても、うっすらとしか見えない。
あのコロンの香りが私を包み、たまらない気持ちが胸を締め付ける。
人の肌の熱を近くで感じ、ゆっくりと瞼を閉じた。
お兄様の鋭い勘によって見つかるまであと少し。
靴を履かずに歩き回ったことを騎士やモネに怒られるまでもう少し。
お部屋までリチャード様に運ばれ、過剰摂取により気を失うまで────
あと1話!ラストは明日!




