悪役令嬢の宿敵 3
「レイノルドお兄様ったら。乙女のピンチに駆け付けたいのはお察しいたしますが、もう少しお付き合いくださいな。お話の途中でしてよ」
「ふざけるな。答えろ」
「レイノルドは彼女を守りたかったんだね。でも、ローズの言う通り人に任せるのは良くないんじゃないかな?」
「リチャードまで……ッ、俺をからかっているのか!」
今度こそ、レイノルドお兄様は吠えた。
ビリリとした空気が肌を刺激するような気迫を感じる。
さすがは昔から、いつだって、何かと言っては! 私を意識して対抗してきた宿敵……そう、それこそが“好敵手”である!
幼い頃は共に切磋琢磨し、足を引っ張られ、罠にはめられ、それをやり返し、次こそは相手をあっと言わせるのだと燃えました。
しかし、帰国してからというもの、やり方が回りくどく、陰湿になっていて戸惑いましたわ。やはり、レイノルドお兄様はこうでなくては。
共に肩を並べ、切磋琢磨し、競い合う相手は強ければ強いほど良い。そうですわね、リチャードさ、ま…………?
「からかってなんていない、本気だ。もうゴチャゴチャとかき混ぜられるのはうんざりでね。俺は言ったよな。もう二度と、ローズを泣かせるなと」
やっとレイノルドお兄様の肩が温まってきたというのに、リチャード様は何故だか絶対零度のオーラを隠すことなく放出しているわ。ひえっ。
「リ、リチャード様、レイノルドお兄様は迷子の泣き虫なのですから優しくして差し上げてください! レイノルドお兄様は他に道があることに気付かず、誰にも助けを求められず、勝手に厳しく寂しい道に進んでは泣いていらっしゃるのですよ。おかわいそうに」
「だから、お前に何がわかると……!」
リチャード様とレイノルドお兄様がケンカしないように仲裁に入ったつもりだったけれど、更に怒らせてしまったわ。おかしいわ。
私の仲裁も空しく、二人は「“お前”と呼ぶのをやめろ」だの「嫉妬もそこまで来ると見苦しい」など何やら言い合いを始めてしまった。仲良しで何よりである。
しかし、お二人とも。それに、今は兄弟喧嘩の時間ではないのですよ! 一応、今は悪役対悪役の決戦の時。悪を以て悪を制す大仕事の締め括りの場面なのですから!
コホン、と気を取り直してリチャード様のフロックコートを少し引けば、リチャード様は優しい顔をこちらに向けた。キュィンッと内なる乙女が鳴きそうになるが、ここは抑えておかなければならない。手を握らないでくださいませんこと!?
リチャード様を振り切るように、キッとレイノルドお兄様を鋭い視線で牽制する。
すると、レイノルドお兄様は顔を手で覆うと重いため息をついた。
「いい加減にしてくれ。俺に仲睦まじい姿を見せたかっただけか? くだらない。リチャードもいい加減、立場を思い出せ。こんな茶番に付き合って積み重ねてきた信頼を崩すのか? ああもう逃げて悪かったよ、戻ろう」
「まさか。まだお話はこれからだわ。役者は揃ったようですので、本題に入りたいのだけれど。まず、そうですわね。ああでもどうしましょう、髪飾りは会場ですわ。レイノルドお兄様にはちゃんとお見せしたいのに」
何からお話しようかと迷っていると、レイノルドお兄様は苛立ったように「さっさとしろ」と言う。もう、気が短いのですから。王子というプレミアムな称号を持ってしても、女性を待てない殿方は好かれなくてよ。
「わかりました。お願いはまず結論から、と言いますものね」
口唇を引きゆがめ意味ありげなあざ笑いを浮かべ、向き直る。
「────レイノルドお兄様をリベラティオ国から“追放”しようと思うのだけれど……いかがかしら」
「はぁ?」
レイノルドお兄様の気の抜けた返事が静かな夜の庭園に落ちる。
やはり物事は説明の順序が大切よね。
それでは、なぜ追放という結論に至ったのかを今からお話しますのでもう少しお付き合いくださいね?
「レイノルドお兄様は“人魚の涙”という宝玉をご存じ? 気品あふれる光沢と神秘的な色の宝石なのですけれど。せっかくリチャード様が”人魚の涙”をあしらった見事な髪飾りを本日にあわせお贈りくださったのに、見てなかったなんてことはございませんよね?」
人魚の涙が海の白波のようにあしらわれた髪飾りは、ダンスに合わせ揺れる仕様で新しい物好きなお客様は目ざとく気付き、本日の話題の中心であった。
その髪飾りのあった場所にリチャード様が触れ、キスを落とした。
内なる乙女は大暴れだけれど、今のわたくしは悪役令嬢ですから。『これが私たちの普通です』という風に笑み返す。
「とても美しいのですよ。プラージュ伯領でも稀に海で採れるのだけれど、それではあの髪飾りを作るまでに何年かかるか……。
ですから、わたくし、もっと欲しくなってしまって。リチャード様におねだりしましたの」
うっとりとした表情でリチャード様の胸にコテリと顔を傾ける。
「宝島を」
ね? と、リチャード様を見上げれば、私の意図に気付いたのか蕩けるようなほほ笑みを私に向けた。それを受けながら、視線だけレイノルドお兄様へ流す。
「何、を……」
「あら、聞こえませんでした? わたくし、宝島が欲しくなってしまったの。だって、人魚の涙は、たとえ同じ海、同じ種の貝で育ったとしてもひとつとして同じものはできないそうなの。それを宝島は養殖という技術で安定して生産出来るそうよ。だから、宝島ごと手に入れて、宝石も、養殖技術も、宝飾品を加工した職人も、全てわたくしにくださいとリチャード様にお願いしましたの」
リチャード様は私の腰を引き寄せ、額に口付けを落とした。
「かわいい婚約者のお願いだからね。是非、叶えたいんだ。レイノルドも協力してくれるよね?」
「リチャード、ついに頭がおかしくなったのか?」
私を見つめる空色の瞳が温度を消し、海のように青い瞳を射貫く。
「いいや?俺はずっと正気だよ。リヒトも協力してくれたんだ。レイノルドも出来るよな?」
ぞくりとするような冷たさが背筋を撫でる。
そういえば、レイノルドお兄様はリヒト様の“最期”をご存じなのかしら。
“悪役”の仮面が抜け落ちたかのように、顔色を無くしたレイノルドお兄様は呆然と立っている。目は開いているのに、何も映していないかのような闇が見えた。
もう次の手も思いつかないのか、受け入れがたい現実を咀嚼するので手一杯なのか。
夢や目標までの道が潰え、真っ暗な闇に放り出されたかのように、茫然と立ち尽くしている。
すっかり絶望しているようですが、ここで折れてしまっては困るわ。レイノルドお兄様は私の、史上最高の悪役令嬢の永遠の”好敵手”であってほしいもの。
それではもったいぶらず教えてあげましょう。
「ふふ。ですから、レイノルドお兄様には宝島に行って欲しいの。サーラ様と一緒に」
「……は? サーラと?」
絶望の表情で今にも消えそうなお顔をしていらしたのに、サーラ様のお名前を聞いた瞬間に戻ってきたわね。やはり愛の力は偉大ね!
「ええ。それと庭師も行きたいというわね。あと気象庁、学者、政治補佐官は必ずですわね。かなりの大所帯になりますわ」
「いやいや、まてまて。どこからだ」
レイノルドお兄様は絶望している場合ではないと気付いたのか、頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜしゃがみ込んでしまった。
やれやれと見上げれば、リチャード様はおもしろそうに片眉を持ち上げた。
「リチャード様、親愛なるレイノルドお兄様や我が国の期待を乗せて旅立つのですから、船はとても立派なものにしましょう。サーラ様とレイノルドお兄様の門出を祝う祝砲もお願いしますわ」
「ああ、約束しよう。プラージュ伯も張り切っていたよ」
「なっ、プラージュ伯も、サーラも知っているのか!?」
そこまで話が通っていることに驚いたのか、髪を乱したレイノルドお兄様が呆気にとられた顔でこちらを見上げた。
ふっふっふ。ですから、サーラ様は言ったでしょう?「ごめんね」と。サーラ様も役者になれるわ。なんてったって、わたくしの弟子ですからね!
「レイノルドお兄様はサーラ様と宝島に返り咲き、王位継承権を主張してください」
「待て。かの国は女に王位継承権など無いから、俺がここまで」
まだ出番はこれからだというのに、すっかり乱れてしまった髪を整えてあげようと手を伸ばすが、するりとその手をリチャード様に捕まえられてしまう。
わかりました。触れませんから!
未だしゃがみこんだままのレイノルドお兄様と視線を合わせるように、腰を落とす。
「────女だから王になれぬ、というのが古いのです」
ギクリと少し怯んだ瞳を覗き込む。
「サーラ様しか王族が残っていないにも関わらず、今の今まで王権が移らなかったとサーラ様のお友達に伺いました。それは周囲の政局が対立していたからではなくて? 今のまま、どうせならサーラ様が王となった方が都合の良い方は必ずいるはずです。少なくとも半分は。そこをわたくしたちが加勢してさしあげようと思うの」
「まて。サーラの“お友達”? だから宝島の宝玉に、髪飾りか。いやいや、そうは言っても……」
混乱が収まらないのか、素直に頷かないところも、やっぱりレイノルドお兄様ですわね!
「ごちゃごちゃと意気地なしですわね。レイノルドお兄様はサーラ様に恋してらっしゃるのは聞きましたが、それは愛ではないの?」
「は、はぁ!? 同じ意味だろう! それに今は関係ない!」
「まったくもう。ご兄弟揃って分からず屋なのですから」
「その芝居がかったやれやれ顔をやめろ! 腹が立つ」
調子が戻ってきましたわね! 良い調子です。
残り時間も少なくなってきましたので、わたくしが、教えて差し上げましょう。
ちゃんとその真っ赤なお耳で、よーくお聞きくださいませ。
ふわりと立ち上がり、レイノルドお兄様を見下ろせば
すぐレイノルドお兄様も立ち上がった。
「恋と愛は大きく違うのですよ。愛する、とは決意であり、決断であり、約束なの」
扇でトンと胸を叩いても、もう揺るがなかった。
「その気持ちが愛だと自覚があるなら決断なさって? サーラ様の未来を己の手で守ると」
ふふ。やはり、“好敵手”はこうでなくては。




