悪役令嬢の宿敵 2
前半ローズ視点
後半パトリック(ローズの兄)視点
レイノルドお兄様は思い出したようにクツクツと笑いはじめ、ズワリと立ち上がった。
「黙って聞いて居れば。ローズ、これは遊びじゃないんだよ。そんな大口叩いてただの貴族の娘でしかないローズに何が出来るの?」
先ほどまで私が支配していた空気がレイノルドお兄様にじわじわと塗り替えられてくる感覚があった。
これまでにない本気の怒りが瞳に浮かんでいる。
今にも喉笛に嚙みつかんばかりの鋭い視線が私に注がれていた。
一瞬でも気が逸れれば均衡が崩れてしまいそうな空気を破ったのは、やはり。
「────できるさ」
普段より、非常に。とても。ますます。
”上機嫌”な魔王様の声が落ちた。
先ほどまで腑抜けた宿敵の真の姿を炙り出し、頂上決戦へともつれ込もうとしていた場面だったと思いましたが、なぜここに魔王様が降臨されたのかしら????
声のする方へ、ソロリと振り向けば
魔王リチャード様は笑っていない目でこちらを、見ていた。
ひぇぇ…………っっっ!!!
無実ですわ! まだ乱闘も何もしていないわ! ちょっと宣戦布告といいますか、とにかくまだこれからですわ!
リチャード様の指が私の髪飾りに触れた。
「こんな夜の庭園に二人でいるなんて妬いちゃうな。ローズがバルコニーにいないものだから心配したよ」
本当にその目は心配の目でしょうか……?
冷や汗が吹き出そうですが、リチャード様がここにいらっしゃるということは会場では王太子殿下が不在ということでは?
「ハッ、リチャード様、会場は大丈夫ですの? あちらはあちらで”計画”があるのですから!」
リチャード様は噴水に止まっていた鳥に”計画に必要な物”を持たせ、ふわりと飛び立たせた。
それを視線で追い、とりあえず計画は進行中であることを察する。
「………………パトリックに任せてきたから大丈夫だよ」
間が長いわ。なんの間ですの。
しかし、お兄様なら大丈夫ですよね。ええ、大丈夫ですとも! お兄様がんばって!
「計画……? お前、サーラに何をするつもりだ」
ギリギリと歯軋りが聞こえてきそうなほど凄んでいるレイノルドお兄様にはマダム・テンツァーの『ミステリアスな未亡人の曖昧微笑』で答えて差し上げることにするわ。
私のYESでもNOでもない答えに最悪の展開を想像したのか、瞳を更に鋭くし私の方へと手を伸ばす。
しかし、その手は私に届く前にリチャード様に止められた。
「レイノルドお兄様ったら、ご安心なさって。ぜーんぶ、まとめて使って差し上げますので」
*
────時はしばし巻き戻る。
異国の風貌の聖女にあわせたテンポの穏やかな曲が終わり、ダンスが終わった。
アディール侯爵家と派閥を同じくする家からは儀礼的な拍手が、その反対からは様々な思惑を孕んだ視線と期待の籠った拍手が鳴り響く。
ある者は眉をひそめ、またある者は先ほどまで王太子とダンスを踊っていたはずの婚約者の姿を探すかのように視線を彷徨わせている。
聖女が会場に入ってきたと同時にニヤリと顔を歪め、俺に向かって不躾な視線を隠さなかった赤毛の男は口笛まで吹いている。ぜひ後で感想を聞こうと頭に書き留めた。
リチャードが片手を上げ、拍手を止める。
「────本日は皆に知らせたいことがある」
よく通る声に会場中が注目する。
「こちらにいる女性の噂は皆、耳にしているだろう」
背を押された聖女は集まる貴族に向かい、堂々と異国風の挨拶をした。
「その噂の中には、真実と嘘が入り混じっている。なので、今回は彼女を紹介したい。皆、歓迎してくれるだろうか」
ザワリ、と揺れた。
噂を耳にしている者たちが多いのが見て取れる。
今、貴族たちの頭の中には何が浮かんでいるだろうか。
異国風の女性と並び立つ王太子と、その後ろに立つ婚約者である侯爵令嬢の兄でもある俺にも様々な視線が向けられている。
「まず、彼女は宝島の王女であることは間違いない」
リチャードの声が、会場に広がり空気が一瞬止まる。
そして、次の瞬間には蜂の巣をつついたように騒ぎ始めた。
いたるところで宝島についての知識が飛び交っている。
どこかで『魔物が住む海に囲まれた島の』なんて声が聞こえたが、ローズと気が合いそうだ。
もちろん、魔物なんて実際にはいない。複雑に流れる潮の影響でそういったおとぎ話が残っているに過ぎない。
その自然の利によって過去どの国も攻め入ることが出来なかったという海を、自由に行き来する技術を持った集団の長である男を王宮まで連れ帰ることが出来たのは僥倖だ。
警戒心の強い男を王宮に匿われている聖女と再会させたのは帰って来てすぐの頃だ。
王宮の一室に人払いをして集まったつもりだったが、誰が漏らしたのか。
しかも、それに尾ひれ背びれが追加され……
まぁ、今日でやっとそれも終わる。あんな不愉快な噂を甘んじて受けた甲斐が、確かにあった。
「────そして、宝島の王女を我が国に留めておくことは無いと、最初に伝えておこう。王女の名誉に関わる聞くに絶えない噂は正式に否定せねばね」
騒めきが更に膨れ上がった。
その中から、男が一人。前へと歩み出てきた。
「殿下! しかし、聖女様は奇跡の力をお持ちです。宝島だけでは無く、聖女様ご自身ともリベラティオ国は”友好関係”を築けるのでは?」
この男は暗に”噂通り”国内に留めておくようにと言いたいのだ。
リチャードは深く頷き、男の肩に触れる。
「素晴らしい意見をありがとう。その通り、”我々”は王女と協力と信頼で”友好関係”を結び、共に発展を目指すこととなった。皆にはその協力と、信頼と、また王女の持つ奇跡の力の証人となって欲しい」
男はきょとりとした表情で固まった。
どうやらリチャードの言葉の意味がわからないほど愚鈍ではないらしい。その理解がもう少し早ければ、余計なことを口にせず済んだのにな。
「この国は広い。端の領地から王都まで早馬を使用しても、幾日もかかるだろう。領地に残してきた妻子の様子が気になる者もいるだろう。遠く離れても心が通じるなんてことがあったら、それは奇跡ではないだろうか」
リチャードが合図を送れば、会場の窓が一斉に開かれる。
その音に驚いた貴族たちが一斉に振り向き、何が起きるのかと声を沈めた。
シン……と、静寂が訪れる。
期待に反して何も起きないことに不安が広がったのか、ヒソヒソと囁く声が伝染していく。
貴族たちは窓と、王太子と、玉座に腰掛ける王へと視線を流していく。
国王陛下はただ静かに行く末を見守っていた。
そこに小さな羽音が近づいてくる。
白い鳥だ。
器用に窓から一直線に会場へ入り、迷わず聖女の手に吸い込まれるように下りていく。
その神秘的な姿に人々は目を奪われた。
聖女は鳥から受け取った品をリチャードへ恭しく受け渡す。
想定していた品ではないことに、俺とリチャードはピクリと小さく反応してしまう。
「まぁ! そちらのブローチは、王妃様の迷路に隠したものですわ!」
人々の中から、夫人の声が飛び出してくる。
その声を受けた聖女は控えめに笑み、鳥に話しかける。
「この素敵なブローチを、あちらのご夫人へお渡しして」
鳥は聖女の言葉がわかるのか、バサリと飛び立つと緩やかに旋回し向かっていく。
鳥が飛んで来るという状況に驚きの声が上がる。しかし、ご夫人の白い肩に鳥がとまっては鋭い爪でケガをしてしまうかもしれない。
驚きふらついた夫人を受け止めたのが、騎士団員である。
鳥は騎士団員の腕にとまり、ブローチを差し出す。
その鳥の愛らしい姿と、騎士団員の爽やかな笑顔に周囲のご夫人方から黄色い悲鳴が上がった。
……俺は鳥が主役なのだから、それだけで良いと言ったんだが
デニスの言う通り『鳥が似合う爽やかな風貌の騎士団員』を選んで正解だったな。商人は魅せ方を知っている。
会場の至るところに騎士団員が配置されたことを確認し、リチャードが再び口を開く。
「聖女が使役している鳥たちが、”王妃の迷路”に隠された宝物を探してきてくれたようだ」
次々と飛んでくる白い鳥に、大騒ぎの貴族たち。
皆、頭上を飛び交う鳥を見ることで忙しく、もうこちらを見ていない。
リチャードの貼り付けた笑顔の中、目が笑っていないことに気付いた者は
この中にいるだろうか。
その原因はまさしく。
一番最初はローズの髪飾りがリチャードの元へ届く計画になっていたはずなのに、定位置のバルコニーにいるはずのローズがいなかったことだ。
リチャードと視線がバチリとぶつかれば、ニヤリとあの黒い笑顔が返ってきた。
嫌な予感がする。
「王女殿。あとはパトリックが引き継ぐから手筈通りに。私はローズを捕まえに行かなければ」
「おい! こんな時に」
「逆に抜けるなら今しかないだろ。任せたよ」
喧騒に紛れリチャードは庭園の闇の中へ向かって行ってしまった。
気まずさから国王夫妻と宰相である父の方へ視線を投げれば、何が楽しいのかニコニコと笑っている。見ていたなら止めてくださいよ。
「大変ですね」
「大変なのはこれからですよ」
ついには聖女に気遣われてしまった。
ため息もそこそこに、この場をなんとかしなければならないと気合を入れる。
待ってろローズ! お兄ちゃんが助けに行くからな!
さて、騎士団・軍部関係者にはこの鳥を軍用化すれば新しい武器になることは説明済みだ。
聡い貴族の中には興味深く見ている者もいる。
それからややあって、ローズの髪飾り────白く淡く輝きを返す、真珠という宝島の宝石があしらわれている────が俺の元に届き、ローズの無事を察した。
どうやらリチャードはローズを見つけたらしい。
俺も早く向かわなくては。
まずはこの会場に集まっている証人たちを、今回の”計画”にお誘いしなければならない。




