悪役令嬢の宿敵 1
「それでは、わたくしは─────」
言葉をわざと切り、ドレスを少し持ち上げながらレイノルドお兄様へ近づく。
何が起きるのか目が離せない様子の海色の瞳を捕まえたまま、扇でトンと胸を突いた。
「邪魔者を排除させていただきますわ」
先日のマダム・テンツァーの怒りを圧縮したような微笑を真似てニコリとすれば、レイノルドお兄様は一拍遅れて「邪魔者だと?」と眉を吊り上げた。
「ふふ。もうそんな怒った顔をされても怖くありませんよ。だってレイノルドお兄様は迷子の泣き虫なんですもの」
わざと幼子に声をかけるようにしてみせれば、さらに表情に怒りが浮き出てきた。
「良い調子ですわ。帰国してからというもの、全然素直でないのですから。一度爆発して見せれば良いのよ。その方が“いつもの”レイノルドお兄様だわ」
「お前に何がわかる……!!」
地の底を這うような潜められた声が腹を震わせる。
あらあらと臆病なわんちゃんのお口に人差し指を乗せる。
とたんに唇は閉じられ、何が起きるのだと目が私の動きを伺っている。
1、2、3
ゆっくりと時間を数え、小首を傾げる。
「わからないわ。だって、わたくしはレイノルドお兄様ではないもの」
そんな、暗闇に突き放された子どものようなお顔をなさらないで?
「本心をおっしゃっていただかなければわかりませんよ? レイノルドお兄様のお望み通り、サーラ様は他人の手で幸せになりますが、悔しくありません? これが本当にレイノルドお兄様の望んでいた形なのですか?」
私の手を払い掴み上げたレイノルドお兄様は、あの狼のような瞳で襲い掛かりそうな怒りを抑えるように声を沈める。
「これ以外に何が出来た。俺はゆくゆくまた他国に行く可能性もある。そこにサーラを連れて行けると思うのか? 俺には役目があるんだ! 他国に婚姻という形で向かうという役目だ! それは他国の人間が王宮の内部に合法的に入り込めるということだ。そしていち早く争いの火種を消す。政略で他国に行くというのはこうして外から自国を守ることが出来るんだ。王宮の中でのうのうと紅茶を飲んでるお前らにはわからないだろうがな!!」
ギリギリと握られた手に力が込められるが、その痛みはレイノルドお兄様の心の痛みなのだと感じた。
「サーラは、最速、最短でリチャードの側室になるのが都合が良かったんだ。その判断に間違いはない。国は戦争せず宝島との交易が出来る、リチャードとローズがいれば宝島も侵されずに済む。誰も泣かずに済む」
レイノルドお兄様はわたくしを見ているようで、見ていない。
自分にそう言い聞かせているのだ。これだから迷子だと言っているのです。
ふぅ、とため息をつけば金の眉がピクリと上がる。
「はたしてそうでしょうか。レイノルドお兄様は少し、リチャード様とわたくしを信用しすぎではなくて?」
「は……?」
「あんな小さな島国、軍に侵攻させてしまった方が早いと判断されればすぐですわ。もちろん、うまみが少なければ他の国に差し上げて、美味しくなってから頂いても良いの」
そして、と
海の色をした瞳を覗き込む。
「我が侯爵家だって彼女をそのまま生かしておくのかどうか。だって中途半端な王女だなんて邪魔ですもの。仲良く王妃の座をかけて競い合うとでも?」
ニッコリと含みをもたせてみれば、最も良くない方向の想像をしたのかレイノルドお兄様は今まで見たこともない醜悪な悪魔でも見たかのように表情を凍らせた。
「ローズは、変わったな」
「そうでしょう。変わりましたの、わたくし」
レイノルドお兄様はわたくしのことを悪魔か魔物か何かかとおもっていらっしゃるようですが、それは違いますからね。
コホンとひとつ。
お気に入りの扇をパサリと広げ。
手は腰に。
靴は途中で脱げてしまいましたので少し存在感が心配ですが、そこは圧倒的オーラでカバーですわ!
それでは皆さま。ご準備はよろしくて?
幼い頃からわたくしの“宿敵”であるレイノルドお兄様の前に立ちふさがり、宣言するわ。
「だって、わたくし。史上最高の悪役令嬢を目指してますので!!」
「…………………………………………は?」
「ふっ。レイノルドお兄様は、悪役としてまだまだ、と言ったところですわね」
ふぁさり、と髪を後ろへ払う仕草もキマっているわ。
帰国してからというもの、レイノルドお兄様は何を企んでいるのかと思っていたら、やーっと全貌が見えましたわ。
さすがわたくしの“宿敵”ね。
悪役として良い働きだったわ。
敵ながら天晴、といったところでしょうか。
同じ志を持った仲間であるレイノルドお兄様に労わりの視線を向ければ、警戒心がありありと浮かんでいる視線が返ってきた。
その目は見覚えがあるわ。昔、レイノルドお兄様に意地悪をされた時に「ローズの言うことを1つ聞くなら許してあげるわ」と返した時と同じ目をしているわ。あの時はわんちゃん役を全力で演じることで許して差し上げたわね。懐かしいわ。
「かく言うわたくしも悪役に徹し、大好きだった方の幸せを願った時期がありました。でもね。今回、わたくしは同じ“悪役”として。レイノルドお兄様のやり方に異議があるわ」
「何が始まった」
ずいずいと近づけば、レイノルドお兄様は後ずさっていく。
しかし、後ろは噴水。もう逃げ場はありません。
「レイノルドお兄様は“悪役”としての仮面にのまれてしまったのね。演劇の世界ではこういうことを宿る、というのよね。本で読んだことがあるわ」
「演劇……?」
「ええ。役にのまれる役者は二流。一流の役者はね、役を“飼う”のよ」
もうあとには下がれなくなったレイノルドお兄様の身体をトン、と押せば
素直にドサリと噴水の縁に腰を下した。
常に私を物理的に見下ろし続けるレイノルドお兄様も、こうすればわたくしより小さくなりましてよ!
指で顎を持ち上げれば、月の光りに照らされ、私を仰ぎ見る瞳の色が、表情が、ありありとその姿を見せた。
「レイノルドお兄様も悪役なら悪役らしくなさい! 心に決めた方を悩ませ、一心に見つめ、立ちはだかる役目を他に任せてよろしいの?
わたくしは、視線も想いも一片たりとも分けられやしないわ。
百歩、いえ、百万歩譲って国を思う“公”の王太子殿下は尊重してさしあげても、“私”としてのリチャード様は髪の一筋だってあげないわ」
サーラ様の言う海の色の瞳が揺れる。
「わたくし、強欲なので」




