悪役令嬢の婚約者の弟-レイノルド- 3
「────逃げちゃおうか」
言うやいなや、ローズの手をひき駆け出す。
バルコニーから続く、庭園への階段をかけ降りた。
人々はホールの中心にいる二人に注目していて俺たちが庭園へ向かったことなんて気づいてもいない。
俺たちがどんな気持ちでこの場に立っているのか。どんな激情を抑えているのかなんて。知らないのだ。
光から逃げるように、庭園の闇へと隠れるように駆けた。
「ちょ、ちょっとレイノルドお兄様!? わたくし、あの場にいなければ」
「惨めな気分を飲み込んでまで? ああ、”管理者”としての役目を選ぶわけだ。心が決まったようで安心したよ」
それっきり黙ったローズの手を引っ張り、ひらけた広場の噴水までやってきた。
ローズは途中で靴が脱げてしまったのか、先ほどより小さく見えた。
その小ささがまるで幼い頃のローズに見えて、ついローズの肩に落ちた髪を一房指にかけてしまった。
リチャードはローズの髪を気に入って、幼い頃はこうしてくるくると触っていたが
いつからだったか、必要以上に触れなくなったんだ。
それは、リチャードが自分の役目を自覚したからにほかならない。
サーラとは違う白銀の髪を耳にかけ戻す。
「本当に……側室にだなんて、もうそれしかないのですか」
俯いたローズの表情は見えない。
きっと泣くのを堪えているんだろう。
「ああ、泣かないでローズ」
なぜだか場違いにも笑いを堪えたような声が出る。
ここにはローズしかいないのだから。もう体面を取り繕わなくても、割り当てられた役を演じなくてもいいんだ。わかっているのに、なぜだろう。
「泣いてなど……おりませんわ」
とっさにローズの手を引いてここまで来てしまった理由に、今思い当たる。
ローズに泣いてほしかったんだ。俺の代わりに。
「わたくしたちは、まだ婚姻しておりません。それなのに……これからなのに……」
バサリと鳥が女神像に止まる。サーラの鳥だ。
その羽音にも反応しないほど、ローズはうなだれている。
「予定が早まっただけだ。王族にはそれぞれ役割がある。そう、言ったよね?」
「はい……」
この言葉は誰のための言葉なのか。
「婚姻は政略だ。血で繋がりを、子をなし国と国の同盟を強化させる。国内貴族の出であるローズが、現在妃として内定しているのも政治的なものだ。情勢が変われば、ローズが側室になるのもありえる」
「はい」
ローズに言い聞かせているふりをして、本当は自分自身に言い聞かせていた。
俺はサーラを、サーラが大切にしているものを、守ろうと思ったんだ。
だから、ローズも協力してくれたっていいじゃないか。
「側室が一人増えようが、心は変わらないのだから。安心していいんだ」
そうだ。結局、リチャードはローズに惚れている。
心はローズのものなのだからいいじゃないか。
だから。
大人しく伏せていたローズの顔がゆっくりと持ち上がる。
涙でぐちゃぐちゃになっていると思った瞳は予想に反して、強くこちらを見ていた。
その様子に一瞬、たじろぐ。
「以前、レイノルドお兄様はわたくしに役目を選んでも良いとおっしゃいましたわね?」
コクリと頷き返す。
「後宮の管理者になって裏から政治を操る役目、そして国の駒になって外から国を守り支える役目、どちからかだと」
「あぁ、そうだ。ローズは後宮の管理者を選んだのだと思ったんだけど、他国の王子にでも良い人がいた?」
「そうですね。わたくしを宝石のように慈しみ大切にしてくださる王子様はいくらでもいるでしょう。ですから、決めましたわ」
素足で立ち上がったローズは先ほどのまま、普段より小さいはずなのに
異常なほどの存在感がそこにはあった。
「それでは、わたくしは─────」




