悪役令嬢の婚約者の弟-レイノルド- 2
煌びやかな大広間に集まった貴族たちは今日も上っ面だけの会話を楽しんでいる。
下級貴族は上の顔色をうかがい、上級貴族は他の家の足をすくってやろうと目を光らせている。
それぞれ婚約者や夫がいるはずなのに機会があるならばと送られる秋波に、微笑みを返したり、あるいは気付かないふりをしてみたり。
隣に立つリーヴァ嬢が腕を軽く引いたタイミングにあわせ、バルコニーへ向かう。
「ありがとう。助かったよ」
「今日はことさら上機嫌な顔で固まっていますが、何か心配事でも? ああ、やはり妹姫のように可愛がられているローズ様のことが心配ですよね」
顔には出していないつもりだったが、気付かれてしまったようだ。別にローズのことを気にかけているわけではないけれど。
しかし、その問いかけには答えず笑顔を見せた。
「本日は王太子殿下のお戻りとあわせて何か発表があるとのことでしたが、どんなことでしょうか」
「……噂は耳にしているだろう?」
彼女は目を細め軽く笑み答えない。どうやら意趣返しされたようだ。
「やはり、リーヴァ嬢はいいな。婚約者候補が君でよかったよ」
「私もレイノルド殿下でよかったですよ。”お約束”を忘れていらっしゃらなければ。そばにいればローズ様のご活躍を間近で見せてくださるのですよね?」
俺の計画では沿岸部に領を持ち、海軍まで統率するプラージュ伯爵の協力は必須だった。伯爵の愛娘であるリーヴァ嬢と懇意にしておくために望みを叶えると約束をした。
リーヴァ嬢はこの見た目で観劇を鑑賞するのが趣味らしく、ローズはまるで物語の主人公のようだと褒めそやしていた。ならば、周囲を彩る脇役のように間近で見れば良いと言ってみせれば乗り気になったようだ。
リーヴァ嬢の中で俺は同じ”脇役仲間”とのことで、関心がなさそうなのが良い。
もちろん、と脇役仲間に返事をしたところでもう一人バルコニーへ足を踏み入れた人物がいた。
先ほどまで輪の中心でリチャードと踊っていた令嬢───ローズだ。
前回の夜会でも思ったが、なんだか取り澄ました顔が見知らぬ令嬢に見えて腹が立つ。
リーヴァ嬢は引き締めていた表情を緩ませ、まるで恋するかのように憧憬が籠った色でローズを見る。これが男だったならすぐリチャードに睨まれていただろう。
「ローズ様、先ほどのダンスお見事でした。その揺れる髪飾りの見事なこと。女性の装飾に疎い父も気付いていました」
「ふふ。嬉しいことを。あぁ、そうだわ。先ほど、プラージュ伯爵様がリーヴァ様を探していらっしゃったわ」
ローズの言葉を素直に受け取ったリーヴァ嬢は「これから忙しくなりますね」と、あっさりプラージュ伯の元へ向かってしまった。
「……よく来たね。理由をつけて部屋から出てこないかと思っていたよ」
「まさか。サーラ様の晴れ舞台ですもの」
体のいい人払いをしたローズは表情までどこか知らない令嬢のような顔を貼り付けている。
それが益々腹立たしい。
「ふーん。側室の披露目に出席するだなんて、さすがローズは立派に成長したね」
「今日はそういった発表ではないと聞いているわ」
俺の挑発にも乗らず、落ち着いた様子のローズに苛立ちがつのっていくのを感じていた。別にローズを傷つけようとしているわけではない。だけど、なんだか今日のローズは俺を置いて行きそうで、許せなかった。
「────先ほどの殿下とご婚約者様のダンス、素敵でしたわね。まるで一対の宝石のようで」
「────あら、でも本日は殿下のご側室様のお披露目なのでしょう?」
更に追い打ちをかけようとした時。会場の窓際に立っているのか、どこかのご令嬢の噂話を楽しむ声が聞こえてきた。自然と、二人で口を閉じた。
「噂でしょう。あのように睦まじいご様子で、しかもご婚約者様はアディール侯爵家ですわよ」
「ここだけの話、ご側室候補の方は他国の王族だとか」
「まさか。では」
王族、という噂まで漏れているとは。
メイドか近衛か。しかし、どこの国かまでは漏れていないことに安堵する。
「ええ。真に王族ならばご正妃の資格も……もしかしてご側室は婚約者交代のための布石なのではともっぱらの噂よ」
「このように大々的にお披露目され御子がご誕生あそばされれば、さすがのアディール侯爵も否とは言えませんものねぇ……おお怖い」
「御子だなんて気が早いわ」
「早くない、と見た方がいらっしゃるそうよ」
ピクリ、とローズが動く。
それを見て、苛立ちがストンと落ちていく。
「まぁ。なんてこと。碌なことをいうものではないわ────」
まだまだご令嬢方の噂話は続いているが、先ほどの話しでこちらは十分だ。
ローズは先ほどまでの余裕そうな表情を固まらせている。
「なにその顔。もしかして、知らなかったの?」
そう問えば、まさかとこちらを仰ぎ見る。
もちろん俺もその場面にいた。あの時。きっと、俺も今のローズのような顔をしたのだろう。
やはり俺一人ではないのだと、ローズも同じなのだと安堵する。
「リチャード様は、そんなこと」
ローズの震えた声をかき消すように大きな喝采がホールから聞こえた。
それに自然と視線が向く。カーテンの向こう側の煌びやかなホールでは、リチャードにエスコートされたサーラが出てきた。
神秘的な黒髪は天使の輪のように輝きを返し、白いドレスの上をサラサラと滑った。
そして、陛下がいる上座へ深くカテーシをするサーラは、もう俺が見ていた心細そうな様子ではなかった。
ぐわりと何かが沸き上がる。
二言三言何か声をかけられたサーラは、そのままホールの中ほどへと進みリチャードがダンスの相手をするために手を差し出した。
その手が重なる寸前、俺はローズに視線を流した。
ローズは泣いているだろうか。
期待していた紫色の瞳は今までにない色をしていることに驚く。つい不安になって、視線の前に立ちふさがる。
急に二人が見えなくなったローズは驚いたように目を見開いた。
「────逃げちゃおうか」
言うやいなや、ローズの手をひき駆け出す。
バルコニーから続く、庭園への階段をかけ降りた。




