悪役令嬢の恋心
「ローズ、会いたかったよ」
「……ごきげんよう、殿下。わたくし用事がありますので。御前を失礼します」
深くカテーシをしながらスルリと下がり距離をとる。
風のように素早く。
林のように静かに。
まるで訓練されたかのような身のこなしである。
ソソソと優雅な足取りでリチャード様が現れた廊下から離れ、一つ角を曲がる。刺すような視線がプツリと途絶えたことを感じ、息をつく。
まだよ。
まだ堪えるのよ、ローズ・アディール。
さて、こんなことをするのは何度目か。
何度もしているということは、同じ回数だけリチャード様はわたくしに会いに来てくださっているということである。
そして、同じ回数だけ私はリチャード様を避けているのである!!
……こんなことをしているのには理由があるので、最後まで聞いてほしい。
リチャード様が私よりもサーラ様を優先したことに激怒している訳ではない。
リチャード様がサーラ様に触れたことに嫉妬の炎を燃やしている訳ではない。
リチャード様を困らせてやれと、気を引こうとしている訳では決してない。
むしろ放っておいてほしいとすら思っている。
今は、今だけは、リチャード様とあわせる顔がないのだ。
だって。だって!
*
リチャード様とサーラ様の衝撃シーンを目撃してしまった、あの日。
サーラ様の言葉も、侍女の言葉も、久々の侯爵家の皆の歓迎の祝いも耳に入らないほど落ち込んでいた私はもちろん学園でも上の空だった。
ぼんやりと今は誰もいないスコちゃんとの逢瀬の場だった、裏庭にしゃがみ込む。
リチャード様は宝島を取り込むために、サーラ様との御子を布石にと考えていらっしゃるのかしら。
きっと私には想像も出来ない思惑があるのだわ。
私は国内貴族で国を安定させる力があっても、他国の姫のように国力を拡大させる力はない。
だから、仕方のないことである。
そう理解している自分と、それでも嫌だと思っている自分がいる。
「幸せを願っているのは嘘ではないのに、なぜ応援できないのかしら……」
「ふふふ。アディール嬢も恋のお悩みですか?」
ガサリと姿を現したのは、学園のミステリアスな未亡人マダム・テンツァー。その人だった。だからなぜ皆さまこのような裏庭に集まるのかしら???
「ローズ様のご様子が気になって、つい追いかけてしまいましたわ。ごめんなさいね」
ふふふ、と微笑むマダムの全ての愚かな罪も包み込んでフカフカに蒸してしまうような包容力に、ついつい頼りたくなるわ。
これが大人の魅力ってことなのかしら……!
「ご心配をおかけして申し訳ありません。少し、ままならないことがあって……」
「アディール嬢も色々とご事情がおありでしょう。これは世間話なのですが、実はわたくしも先日、愛しい方の服に見知らぬ色の髪がついていたことがありまして」
お耳をお借りできますか?と、マダムはゆったりと首を傾げた。
「まぁ……!」
ハッと震えながらマダムの方へ振り返る。
服に髪、つまり髪がついてしまうほど近くに親密な取引が……!
そういう描写の本を読んだことがあるわ。修羅場ね。
その本では、その出来事をきっかけに同じ髪色の女が狙われるサスペンスになっていましたが、マダムは大丈夫かしら。夜な夜な女の髪を狙う悪鬼になっていないかしら。つい手元を見てしまうわ。
違う意味でハラハラしてしまったが、マダムは遠くを見るように話を続ける。
「……許しを乞われましたが、許せませんでしたので」
ゴクリ、と喉が鳴る。
「おねだりをしましたのよ」
ふふふ、と赤い唇が艶っぽく弧を描く。
「……おねだり、ですか?」
「ええ。わたくしへの愛を示してみせて、と」
マダムのレースのグローブの上、豪華な緑の石が輝いた。
先日からとても目立っていた指輪にはこういった経緯があったのね!
しかし、マダムの話には少し首を傾げてしまうわ。
リチャード様に宝石やプレゼントでご機嫌をとられても、少しも納得できそうにないもの。
「わたくしは、それでも許せそうにありませんわ。マダムぐらい人生の酸いも甘いも嚙み分ける大人は違うのでしょうけれど……」
「ほほほ。わたくしも許したわけではありませんよ。わたくしの気分を害したのですから」
いつにない冷たい口調にヒヤリとするが、コロリと一転。
ここに男性教師陣がいれば一気に色めき立つであろう色っぽいため息が落とされた。
「わたくしは一度、死を分かつまでと愛を誓った夫と死別しております。当時はもう二度と心が動くことは無いのだろうと思いました。しかし、出会ってしまいました。人生とはままならないものですね」
ズキン、とリヒト様のことを思い出す。
「わたくしはその愚かな男を愛しているのですよ。他の女に触れた手を八つ裂きにしてやりたいと思うほどには。でも八つ裂きにしては私を抱きしめられませんからね。
それほど愛している方の隣を他の女に明け渡すなんて、とんでもない。二度も愛する方を失うなんて」
リヒト様に恋をしていた過去が脳裏に流れていく。
そうだ。あれほど幸せを願った方がいたからこそ、リチャード様に対する気持ちの名前がわからなかった。
だって、わたくし以外の方と幸せになる道を願うだなんて出来そうにない。
こんなに欲張りになってしまうなんて知らなかった。
そんな気持ちの名前を、知らなかったのだもの。
気付いてしまった名前に、呆然としてしまう。
「恋とは、愛とは、なんでしょうか」
あら、とマダムは顎に指を当て首を傾げた。
「そうですね。きっとそれは────────」
*
優雅に見える最速の速さでリチャード様との遭遇ポイントから離れた足が止まり、ふらりと身体が揺れ壁に激突しそうなところを護衛騎士が受け止める。
「ローズ様。しっかりしてください」
もはや護衛騎士も侍女も驚いた様子がない。
生ぬるい視線で見られている気がするが、こちらはそれどころではない。
昇天しそうなほど暴れまわる胸が痛くて、真っ赤になってしまう顔を隠すのに必死で、もう限界なのだ。角まで平静を保った私を褒めたい。
「まったく……好きすぎて避けるだなんて今更すぎやしませんか。あなた方はすでに婚約を結んでおられるのですよ」
「言わないでちょうだい……!」
リチャード様へのこの気持ちは、恋だったらしい。
気付いた時には愕然としたわ。この動悸・息切れ・不整脈は尊敬する師匠への敬愛だとばかり思っていたのだから、驚くのも無理はないわね。
まるで新大陸を発見したかのような衝撃に耐えられず、幼いころからの侍女であるモネにこっそりと打ち明ければ、リンゴから手を離せば地面に落ちると教えられたかのような表情で『はい?』と聞き直された。
なぜ驚かないのかしら。
これは衝撃で後ろに二度回ってもおかしくない情報よ!?
こうして暴れまわる恋心を自覚した私は、現在絶賛リチャード様に関連することが視界に入ると昇天してしまいそうになるのだ。
おかげで概念どころか本体がお戻りになっても、普段通りにお話し出来なくなっている。
本体のリチャード様には申し訳ないのですが、もう少しだけ時間をください。
今、リチャード様と対自しては本当に昇天してしまうかもしれませんので……!!




