悪役令嬢の婚約者-リチャード- 8
追加エピ
「────この鳥は、手に不思議な痣がある男の元へ案内出来るかな?」
こちらを見上げた聖女は警戒するようにじりじりと下がっていく。
初めて対面した日の余裕そうな様子はどこへ行ったのやら。
あの日の迷路でのローズの様子を思い出し、早く全てを終わらせ会いに行かなければと過る。
まあ、しかしローズを出迎え驚かそうとした途中、聖女を見かけたのは都合が良かった。寂しくさせてしまった愛する婚約者のために土産が必要だから。
「実は東領の港街で毒物を配る男を捕らえてね。その男はあまり言葉が通じず、困っていたんだ。特徴は手や身体に不思議な模様がある」
そのためには、ローズが気に入って世話を焼いている聖女にご協力願おうじゃないか。
「リベラティオ国にはない文化だが、砂漠の民の一部では肌に模様を描く魔除けの習慣があるという。それとは違い、”何をしても”落ちる気配も無く、痣のように肌に刻まれているようだったそうだよ。聖女様はご存じかな?」
言葉の裏に隠された可能性に気付いたのか、黒髪の聖女は怒りを孕んだ瞳を隠すこともしない。どうやら彼女にとって関りの深い者だったようだ。
労力を割いた甲斐が報われそうで、自然と笑みが浮かんでしまう。
「その男をどうするのですか」
「侵略者の可能性があり、言葉が通じない怪しい者を開放するわけがない。だが、港の者の証言ではまだ他にも同じように痣のある男たちが港に留まっているそうだ。誰かを探しているのか、待っているのか」
鳥の羽音の中、聖女が息を飲んだ音が小さく聞こえた。
「そこで、もう少し話が通じる者を呼べるのではと考えている。この鳥も、その男へ通じているんじゃないか?」
その場に沈黙が落ちる。あともう少しかかるなら返事を待たずローズを迎えに行こうと、俯いたままの聖女から視線を流した時。
「────私を連れて行ってくれませんか」
意志の強い声が届いた。さすがローズの弟子だ、と愉快に感じている自分に気付く。
「彼らは悪さなんてしません。彼らは私が戻って来るのではないかと気にかけて留まっているんです。私が戻れば一人残らず彼らは港から去ります……っ、ですから」
「それは困るな。お気に入りの猫が家出してしまえばローズが寂しがってしまう」
ふふ、と笑んで見せれば黒い眉が訝しげに歪む。
「不在の間、私の婚約者は君と楽しく過ごしていたと聞いているよ。これでも感謝しているんだ。お礼に”聖女の願い”を叶えても良いと思うぐらいには」
言葉の真意がわからなかったのか、キョトリとした様子の聖女を安心させるようにレイノルドの軽く明るい口調を真似る。
「私は心が狭いから、他国の王配になる予定だった弟は帰国早々に何かを企んでいる様子で、婚約者は”最近飼い始めた猫”に夢中な現状はおもしろくないんだ。だから私もそろそろ参加しようかと思ってね。君たちの企みに」
肩をすくめれば鳥が肩にとまった。それを手に移し、背を撫でれば生き物の温かさを感じた。ミハエルから報告があった通り、とても人に慣れた様子だ。
「それで泣く人はいませんか」
「それが最善だね」
警戒していからせていた肩がストンと落ち、困ったような顔になる。
「ここの人は皆優しいのですね」
「そう感じるなら、君の”保護者”が優しいんだよ。私たちではない」
「はい。それはもう」
すぐ気が抜けたように笑う聖女は、確かに国内の貴族とは違いおおらかな国で育ったのだと感じさせる。ローズが面倒を見る必要はないと思っていたが、これは一人で王宮を歩かせるわけにはいかないな。
ひとしきり笑い終わった彼女は「企みは企みのまま終わってしまったかもしれません」と肩を落とした。
「実は最近お世話になっている方は面倒見がよく、色んな世界があるのだと教えてくださったのです。どんなつもりでも、過ごした時間に嘘はないのに。それなのに疑ってしまって、素直に謝れず避けてしまっていて……」
静かに俯いた彼女は、勢いよくパンッ!!と両手で自分の頬を叩いた。
その音に大人しかった鳥たちが舞い上がる。
周囲に風が起き、黒髪と白いドレスがふわりと揺れた。
「私も恩返ししたいと思っていたところです。”師匠”に習って、私も前進あるのみです」
叩いたせいで赤くなった頬のまま、晴れた表情でこちらを見返す彼女の中にローズが確かにいるようで、少し誇らしい気持ちになった。
*
「先ほどのご質問ですが、男の元へ案内することは可能です。この子が飛べば」
彼女が手をゆるりと持ち上げれば、鳥はそちらへ飛び移った。
「笛を吹けばいいのだったか」
「まぁ……探られていましたか」
それには答えず微笑みを返す。
もちろん、ミハエルはその目的もあってローズの領地へわざわざ向かったのだ。
ミハエルはいつもの調子で最初は「面倒なのでせめて王宮で完結しませんか」と愁いを帯びた顔で物悲しそうにしていたが、ローズに押されしぶしぶアディール侯爵領へと向かったが、予想に反し充実した時間を過ごせたようだった。”働き者”を見つけたらしい。
「私は口笛で呼べますが、あぁそうだ。幼い頃につかっていた笛ですが、こちらがまだ使えるかと……あら」
「紐が絡まっているようだ」
首にかかっていた紐の先には木製の小さな笛がついていた。
それを渡そうとしているようだが、紐に髪とドレスの装飾が絡んでいるのか苦戦していた。
そろそろローズが戻る予定だと気が急いでいたこともあり、近づき首元を覗き込んだ。紐を外すだけだ。手先は器用な方だと思う。あの学園での舞踏会でローズに首飾りをつける時は、ただ少し緊張してしまっただけで。
「この笛があれば、離れた場所にいても連絡がとれると」
誰を思い浮かべているのか伝わってしまったのか、小さな笑い声が隣から聞こえてくる。
「本当にお二人は……ふふ。楽しいお話しを聞かせていただいたので、お礼に一つローズ様のお話しを。
いつだったか、白猫に金の刺繍糸を乗せて『もっとキリッとしたお顔をしてみなさい』なんて遊んでいらして。誰の真似をさせようとしていたのか。きっと少しでもお会いできる時間があればお喜びになりますね」
私から聞いたことは言わないでください、なんて言っているが
見られていたと教えてあげた方が可愛い様子が見れるだろうと思う。
最近のローズを見ていると、やっとローズの関心がこちらに向いてきたと感じる。
あとは言質がとれれば、もう少し安心できるんだが。
なんて。
話題の中心人物に、この光景を見られ誤解された上に。
あんなことを言われるとは思わなかったが────
*
ローズと離れている時間が長すぎて、ついつい思い出に浸ってしまった。
コツコツ、とバルコニー側から小さな音が鳴り、思い出から今に戻って来る。
ずいぶん長いため息をついたパトリックは、重い腰を上げて音が鳴った方へとゆっくりと足を向けた。
海風を受けてゆらゆらと揺れる様子が海のようにも見える、
公国伝統のサラリとしたカーテンを少しだけ持ち上げれば白い鳥が跳ねるように室内に入って来る。
その鳥の後方からゆらりと動く人影が窓枠に足をかける。
その瞬間。
護衛で控えていた騎士が一閃振り下ろす。
しかし窓枠に立つ男は黒く小さな棒のようなもので剣筋を受け流し、騎士に襲い掛かる。
それを止めたのが窓の影に控えていたトーマスの剣だった。
急所を狙う剣に気付いたのか、男は隙間なく模様が描かれた手を上げると「わかった」とだけ言った。
こちらの言葉で。
パトリックは男の手や腕をしげしげと眺め、満足したのか男の武器を受け取り検分している。
「やっと話が通じる男が現れたか。これで帰れるな。手紙にあったものは持ってきたのか?」
「オジョウサマは、あー……生きてるか。見るまでダメだ」
初対面時の彼女よりは言語に明るくないものの、意思疎通は出来るらしい。
「君たちのお姫様は元気にやっているよ。その品を求めている女性が大切に保護しているからね」
*
馬車を使わず馬を駆け戻れば、夜間になってしまった。
ローズは一時、宣言通り侯爵家に戻った様子だったが落ち着いたのか既に王宮の部屋に戻っていると報告があった。
出立前に可愛らしく”ヤキモチ”を焼いていたローズを思い出し頬が緩む。
なんだあれは。可愛すぎるだろう。
さすがに夜に会いに行くわけにもいかず、ローズの私室となった部屋のテラスを見上げれば月明かりに照らされた妖精が見え隠れしている。いや、会いたい気持ちがはやりすぎて妖精に見えただけであれはローズだ。
こんな夜中にテラスに出るなんて危険じゃないかと警告したくなる気持ちと、もしかしたら自分と同じ気持ちなのかと期待する心が交錯する。
月明かりに照らされた銀の髪は幻想的で、疲労がそう見せているのか本当に妖精のように儚く見えた。
しかし、普段ならその妖精はこちらを確認すると表情を緩ませ顔を出してくるはずだったが。
妖精は無表情でこちらをじっと見ている。
冷やりとするような瞳で、じっと、こちらを、見ている。
視線が合っていることに気付いていない訳ではないだろう。しっかりと目が合っているのだから。
おや? と手を振ろうが表情は変わらない。
そればかりかスイッと視線を横に流し、部屋に戻って行った。
今までにないローズの様子にピシリと体が固まる。
────ローズは怒っている……のか?




