悪役令嬢の婚約者-リチャード- 4
隣国方面の領地に挨拶をしながらの旅程は、誰の目から見ても大成功だっただろう。
隣国に入ってからも、もちろん隣国の王城内でも完璧な「王子様」を演じることが出来た自信がある。
完璧に仕上げてきた「王子様」の仮面を自国の使節団も、隣国の王侯貴族も快く受け入れてくれた。
そう。顔も合わせたこともなかった”婚約者”も、その仮面が気に入ったようだった。
初めて会った姫は隣国特有の燃えるような赤毛に不思議な緑の瞳の綺麗な顔立ちの姫だった。
絵姿よりも実物の方が良いこともあるのか、と貼り付けた笑顔の中でぼんやりと考えていた。
そう考えていたのは姫も同じだったらしく「絵姿より素敵」だの「会いに来てくれて嬉しい」のだと熱心に何度も言われ、ローズより二つほど年上だが同じような年頃の姫が俺のことをそう評するならば間違いないだろうと男女の機微に疎かった俺は今回の「王子様業」の成功を確信した。
姫の初対面での思い出はそれぐらいで、今回のこの隣国訪問の機会には、どちらかというと姫のいとこにあたる公爵家の嫡男バーナードと親しくなった。
姫と親交を深めるためにと庭園に出てみれば、バーナードが突然降って来たのだ。木の上で待ち伏せていたらしい。そして衝撃の登場の初対面で「お前の顔は胡散臭い」だの「俺のいとこを泣かせたら黙っていない」だのなんだのと喧嘩を売られたのがきっかけだったが、この隣国にいた期間はほとんど姫とバーナードと三人で過ごした。
姫もバーナードがいると緊張しないようで、これ幸いと次回からの国境沿いでの会談の際もバーナードも同行するように約束を取り付けた。
*
仕事を成し遂げ大手を振って帰国した俺は、すぐさまローズの顔を見にアディール侯爵邸へ向かった。
そこには、あのフワフワの銀の髪を覆って隠すようにスカーフを巻いたローズがいた。
ローズは夜の闇のような紺地の布に小鳥やら花に隠れた猫などの凝った刺繍がほどこされたスカーフを巻いており、まるで絵本から出てきた妖精のように可愛らしかった。
ついでにアディール侯爵邸内にいる女性たちはそろって頭にスカーフを巻いていたり、男性たちは首に巻いたり胸ポケットから覗かせていたり、帰ってきたというのに邸内には異国のような雰囲気があった。
なんでも、隣国に発つ前に起きた事件の後から頑なに髪を隠すようになったそうだった。
最初は髪にインクをつけようとしたり、あまつさえ切ろうとしたためスカーフで髪を覆ったところ落ち着きを取り戻したそうだ。
しかし今度は若い女性に好まれるような明るい色では無く、濃い色のスカーフで無ければだめだと譲らないため少しでも気分が明るくなるようにとアディール家総出でローズのお眼鏡に叶う刺繍を施したそうだ。ちょっとした腕比べ会にまで発展し、白熱したとローズの侍女となった乳母の娘は言った。
そしてローズが心細くならぬようにと自然と皆思い思いに刺繍入りのスカーフを巻いたり身に着けることで、ローズは調子を取り戻してきたところらしい。
確かに、俺の姿を認めいつものように駆け寄る笑顔にもう曇りはなかった。
ローズに笑顔が戻って嬉しい反面、笑顔に戻したのが自分では無かったことと、そばにいれなかったことにムシャクシャしてしまう。
ピョコピョコと俺の周りではしゃぐローズのスカーフの刺繍を撫でながら、「ローズは猫が好きなのかな?」と聞けばハッとした顔で手を引かれた。
俺たちの後から着いて来ようとするパトリックやレイノルドに「お兄様たちはダメ! リチャードお兄様だけトクベツなの!」とローズは頬を膨らませ怒ったので、俺の機嫌はすぐに回復した。
アディール侯爵邸の庭園の庭木と庭木の間でキョロキョロと辺りを見回し、草をかき分け、石までひっくり返そうとしたりするローズの謎の行動を観察し、最終的に隠れるように身を屈めたローズに習い膝を折る。そしてやっと「ひみつのおはなし」とやらを聞いた。
皆で隠れんぼ中にこの場所で猫を見かけ、追いかけて触ってみたらとてもフワフワで柔らかかったこと。
フワフワした猫に触れ撫でるとたまらなく幸せな気分になったので、これは皆にも見せなければと連れ帰ろうとしたが、侍女にダメだときつく止められてしまったこと。
そのあと、母君のくしゃみが止まらなくて魂が飛んで行ってしまうのではないかと怖かったこと。
庭に猫がいると知られてしまえば猫狩りが行われるかもしれないので、父や兄には内緒だということ。
事情を知るモネという侍女が猫を連れては来れないが”内緒”で猫の刺繍をつけてくれたこと。
「だからね、いつもカッコよくがんばっているリチャードお兄様に見せたかったのっ。かわいらしくて、やわらかくって、なんだかわたくしまでふにゃりと白パンのように柔らかくなるのっ。それでね、きっと、リチャードお兄様もふにゃりとなるわ。ふふ。それを見たらきっとわたくしももっとふにゃりとなるわ」
だから、一緒に見たかったのだと。
だから、会いに来てくれて嬉しいのだと。
耳元でこそこそと囁かれる「ひみつのおはなし」はこそばゆく、なんだかとても胸がむず痒かった。
*
貴族が嗜みとしてする刺繍とは本来家紋やイニシャルなど各家伝統の図を嫁入りや花嫁修業で習い受け継ぐものだった。しかし、ローズのこの一件で花や鳥や動物などをデフォルメ──意識的に変形させたものが考案され、これが人伝に広まりアディール侯爵領発の新刺繍図案をまとめた本が発売されたり、ローズの後を追うように貴族令嬢の間で刺繍入りのスカーフを髪飾りに使用することが流行した。
そんな風に季節が移ろいでもローズは頑なに髪を隠したままだった。
絵本に流れ落ちる銀の髪を見られないのは残念だが、無理にスカーフを外させるようなローズが嫌がることはしたくなかった。
その日も皆で集まり隠れんぼをしていた。
何度か鬼の動きに合わせ場所を変え、今度は木の上にでも隠れるかと物色していると、目の端にきらりと光るものがあった。久しぶりの光に引き寄せられるように覗いて見れば、輝いていたのはやはりスカーフから零れるローズの髪だった。
この遊びでも、それ以外でも、ローズを一番先に見つけるのは俺だった。
目で追ってしまっているのか、目が勝手に追っているのか、なぜだかどこにいるのかわかってしまうのだ。誰よりも先に。
その久々に見たローズの髪は記憶よりも長く背中に流れ、それ自体が発光しているかのように幻想的だった。特別な思い出だからそう記憶しているだけかもしれないが、事実そう見えたのだ。
俺に気付いたローズはスカーフを握りしめて、目に涙を溜めながら何かに耐えるように口を震わせた。
小さく聞こえた「見ないで」という言葉は聞こえなかったふりをして、零れてしまいそうな涙に手を伸ばし近付くとビクリと小さな体を揺らし、見てくれるなと言うように今度は顔をスカーフで隠してしまった。
その様子を見て俺は自分が情けなくなった。
どこが調子を戻したというのだろうか。
今もローズは傷つき怯えているじゃないか。
なぜ気付かなかったのだろうか。
ローズの傷に気付かなかった自分の愚かさが伝わってしまうのではないかと、触れるのが恐ろしかった。
でも。
ローズの背に流れる髪にそっと触れる。触れた瞬間、雷鳴を聞いた子供のように体を揺らし、小さな手がさらに強く握りこまれた。
一筋持ち上げ、僅かに引く。その感触に何をするのだと怯えたような瞳がこちらを見た。その視線を受けながら、持ち上げた髪にキスを落とした。
髪へキスをする意味は思い慕う事──乳母の娘によると”心惹かれ近くにいたいと思うこと”とのことだった──その気持ちが伝わるように。二度目は驚き目を丸くさせたローズの菫色の瞳を見つめながら。
「────綺麗だ」
その瞳は「何が起きた」とか「なぜ」だとか、とにかく驚いているように見えた。なぜだなんて。自分の行動の「なぜ」で振り返ってしまえば急に恥ずかしさが込み上がってくる。
でも、吸い込まれそうなほど綺麗に瞬く瞳から目が離せなかった。
「──ローズの髪は流れ星の軌跡のようだ。願いを思い描けば、なんだって叶えてしまえそうな力が湧いてくる気がする」
ついそんな言い訳めいた告白をしてしまう。流れ星がどうのなんて、言うつもりは無かったのに。
「なんでも……? でも、」
涙の膜がはった瞳から次々とポロポロと涙が溢れては溢れてくる。
「そうだよ。だから泣かないで」
「で、でもこわいの。この髪だと、ローズは、なれないから」
ギュッと瞳をつぶり耐えるローズの涙に手を伸ばす。
慰めるように落ちてくる涙を指で受け止める。
「……ぼくはローズの“王子様”なんだ」
王子様という単語にキョトンと更に丸くなった目を覗き込んで、どうしたら泣き止むか頭を巡らせた。
「だ、だから、王子様は運命の人……つまり、お姫様がわかるんだよ」
まだピンと来ていないのか、ローズはコテリと頭を傾げた。
「ほら、絵本でもそうだったよね? 王子様はお姫様を見つけ出す力があるんだ」
ローズにプレゼントした絵本には確かにそういった描写があった。
それを引き合いにだせば、ピンと来たのかハッと目を開き、「まさか」と呟くと今度はキラキラとした熱い視線がこちらに向いた。
どうやら信じたらしい。今日もローズは素直だ。
涙が止まったようでホッと安堵の息を吐く。
じりじりと王子様を自称するという恥ずかしさが込み上げてくるが、まだ話は終わっていない。
国をまたぎ訓練した王子力の見せ所だ。耐えろリチャード。
コホン、とひとつ。
「ローズはぼくのお姫様なんだよ」
「やっぱり……!」
順調だ。
しかも嘘ではない。王子力をかき集めているが、ローズがとても、柔らかくて、かわいくて、おもしろくて……皆から愛されるお姫様だと俺は確かに知っている。レイノルドや他のやつの言葉で傷つき泣くローズをこれ以上見たくはなかった。
「王子様がローズをお迎えに来てくれたの?」
「それは、まだなんだ」
「やっぱり……」
先ほどまでのワクワク顔から一転、また泣きだしそうになる。
「今はまだだけど、これから大人になって、ぼくももっと立派な王子様になってお姫さまを迎えに来るよ」
「ほんとうに?」
「ああ、だから泣き止んで」
ギュッとスカーフを握りしめ、涙をぬぐう。
その仕草が力強く見え、急いで止める。赤くなっては大変だ。
一応、かくれんぼ中のローズはそんなことを忘れてしまったのか
すわっと勢いよく立ち上がった。
「では、ローズもこれからもっと立派なお姫様になって、立派になった王子様をお迎えに行くわ!」
まだ涙が止まらないのか、ボロボロと顔を濡らしながら得意げな顔を作って宣言するローズにあっけにとられ、ポカーンと見上げてしまう。
お姫さまも迎えに来る、なんてそんな話だったか? と一瞬考え
おもしろくて吹き出してしまう。やっぱりローズはおもしろい。
決め台詞を言うために急に立ち上がって足がしびれたのか、ヨロヨロ転げ俺の上に倒れてきたローズを抱き留めるが、まだ笑いが止まらない。
立派なお姫さまに抜かれないように、俺も頑張らなくては。
なんだかたまらない気持ちになって、思わずローズにキスをした。
自分の中では城にいる犬にキスをする感覚だったのだが、キョトリとこちらを見るローズのくりくりとした紫の瞳を見て現状を思い出す。
────今、俺は何をした。
どうしようもなく恥ずかしくなってパッとローズを立たせる。
きっと隠せないほど顔が赤くなっている。
もしかしたら耳まで。
こんなところはローズに見せたくない。
「かっこいい」「素敵」な王子様には見えないと焦り、伝えたいことも霧散し、近づいてきた鬼の声に弾かれるように一目散にローズを置いて走って逃げてしまった。
──その時ローズの手を引いて逃げればよかったと死んでしまいそうなほど後悔したのは、ぽーっと呆けるローズが木の根に足を取られ派手に転んだところを、助け起こしたリヒトと先ほどの俺とを間違えて記憶したとわかったからだ。




