悪役令嬢の婚約者-リチャード- 3
「──王子様とお姫様は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
「もう一度! もう一度よんでっ」
絵本の世界に本当に入ってしまうのではないか、というほど前のめりで覗き込んでいたローズが勢いよく振り返った。その拍子にローズのふわふわした銀の髪の毛が顔にかかる。ローズは髪の毛まで柔らかい。
その髪をローズの小さな耳にかけ戻し、ではあと一回だけねと言いながら絵本の表紙をまた開いた。
また気付くと絵本に向かって前のめりになるものだから、また髪が耳から滑るようにこぼれて絵本に流れ落ちる。黒に近い紺色の夜空の絵が描かれたページに入るたび、その絵の上に乗るローズの銀の髪が流れ星の軌跡ようだなと内心気に入っていた。
流れ星がどうとかは、ローズに絵本を読み聞かせ過ぎて影響されたのかもしれない。レイノルドの前で口にしようものなら、使用人たちにまで言いふらされそうだ。
あの日から俺はローズに「かっこいい!」「素敵」「大好き」と言われるような男になるため、出来ることからコツコツとやり直した。
まず乳母や護衛たち、身近にいる者の言葉に耳を傾けるようになった。なぜそんなことをしなくてはならないのだと思うこともあったけれど、そう聞いてみれば全て意味のあることだった。
俺やレイノルドのために研究や家族との時間を割いていた教師たちにも、敬意を持って接した。そうすると教師たちも俺たちが理解しやすいように工夫を凝らしていることがわかった。もし自分がローズに教えるならどのように説明するだろうかと意識しながら授業を受ければ教師の教えの理解が深まった。
意識を変えれば視点も変わる。わかることが増えれば苦手なものも減るようで、今では毎日が新鮮で楽しくやっている。
もちろん目標は変わらない。今日もローズの好きな絵本を読み聞かせることで「リチャードお兄様ったらこんなにスラスラ読めるの!? ステキ!」と言わせる計画を遂行中だ。
まず好きな絵本を知るため会うたび(一応名目はパトリックと遊びに、だ)多種多様な絵本を見せた。最近の傾向は王子様とお姫様が題材の絵本であることがわかり、早速ローズにプレゼントを贈ることが出来た。
自分の贈りたいものではなく、相手の好むものを調べ贈るのがプレゼントであるという乳母の娘の話を聞いていてよかった。それを知らなかった過去の自分なら強そうな番犬を贈っていたかもしれない。
ローズはそれをいたく気に入ったようで、とてもうっとりとした様子で絵本を眺めているし、抱えて歩いているところを見かけるまでになった。
たまに一人でクルクル回っているのは、たぶんその絵本の舞踏会の場面を真似しているのだと思う。
本当にローズはおもしろい。
そういえばリヒトも俺たちと一緒に遊ぶようになった。そのうち、トーマスやミハエルの弟と仲良くなったらしく楽しそうにやっている。
遊べるようになったらリヒトのことも苦手では無くなった。勉強と同じだ。知らないから苦手に思っていたのだ。ローズのことに関してはリヒトには残念なことになるが、弟としてのリヒトは純粋に可愛いところもある。ローズほどじゃないが。
ローズは女の子の友人とは人形遊びなどをして、俺たちが来るとリヒトより勇ましくどこまでも追いかけて混ざってくるものだから、本当にローズは柔らかくて可愛くておもしろい存在だった。
ローズとリヒトは遊ぶうちにお互い仲良くなった……というか、ローズはリヒトのことを自分の弟のように守る存在として接している。レイノルドが年下組をからかうたびにローズが止めに入るのだ。
その時の口調がパトリックに言わせると「リチャードそっくり」とのことだったので、それが見たくて毎回止めに入るのが遅れてしまう。
ローズから見た俺はそう見えるのかと、つい眺めてしまうのだ。
*
その日も大人に連れられた、いつもの子どもたちが集まって王城の一角と庭でそれぞれ遊んでいたはずだった。
キラキラと輝くティアラをつけて絵本のお姫様のようになりたいというローズの願いを叶えるには、本物を見ておく(隙あらば借りる)必要があると考えた俺とパトリックで一緒に宝物庫に忍び込む計画を立てていた時だった。
なんやかんやローズたちに対し兄貴風を吹かせたいレイノルドも、この計画に誘うかと探してみれば庭の方からローズの泣き声が聞こえてきた。
パトリックと先を競うように庭に駆け出てみれば、いつか俺がローズにプレゼントした絵本が落ちていて、その前でローズは身も世もなく泣いていたのだった。
俺たちが来たことに気付いたローズは、あの菫色の宝石が零れて落ちてしまいそうなほど涙ポロポロと流しながら思わずといった様子でこちらに走り寄ろうとして、ピタリと止まる。
怯えるように、日の光を受けて白く輝く髪を握りしめて口をへの字に曲げた。
そして俺のところではなく、後から走り寄って来た俺の乳母の娘に泣きついた。訳を聞こうと近づけばイヤイヤと俺から隠れようとするローズに触れるのが恐ろしくなる。
この不安と怒りと焦りをぶつけるように、ローズの周りで棒立ちしていた少年たちと、自分と同じ顔をしたレイノルドを睨む。
レイノルドはローズがこんなに泣くとは思っていなかったというような戸惑った表情だったが、リヒトたちはもう俯き静かに泣いていた。なぜお前たちまで泣いているのか。泣いて許されると思っているのか。
ローズの前では優しい”リチャードお兄様”でいたいという気持ちと、今すぐ怒鳴って怒りのままぶつけてしまいたい気持ちが頭を沸騰させる。
乳母の娘が泣き止まないローズをどこかに連れていくのを見送り、落ちていた絵本を拾う。
パタパタと土や草を叩き落としながら、レイノルドたちからボソボソと出てくる小さな証言を努めて静かに聞いた。
聞いているうちにグラグラと沸騰していた頭が落ち着いてきた。怒りに任せて怒鳴り散らしたところで、感情をそのまま出した方は気が晴れるかもしれないが、相手に「怖い」と思われてしまえば心の蓋が閉じ”叱られた理由”が頭に入らないのだとミハエルの父である教会長が言っていた。
怒ると叱るは違うのだと。
トーマスの父である騎士団長に叱られると体に叩き込まれるような物理的な恐怖感があるのだが、ミハエルの父である教会長は「怒ってはいませんよ」という顔で理詰めに──叱る、のだ。
それぞれトーマスやミハエルまで集まったことを横目で確認し、証言を最後までしっかり聞いた。
そして、徹底的に詰めた。ミハエルの父に習い、冷静に”叱った”つもりだ。二度とローズに同じことをしないように。
*
その出来事のすぐ後。隣国の婚約者の元へ顔を出すことになった。
あれから顔を合わせていないローズのことが心配で隣国に行きたくないとこぼせば、また乳母の娘が「甘いですよ。リッチー」とやれやれ顔で言った。
「すぐ近くにいる王子様がいくらカッコよくて魅力的でも、近すぎるとわからないものなんですよ」
幼馴染モノはそこがまた良いのですがね、とウンウン頷いているが何の話をしているのだろうか。
それにしてもこの娘。なんの根拠があるのか今日も男女の機微について自信満々である。
「いいですか、リッチー。好きな子に自分の良いところや、すごいところを自ら話して聞かせるなんて、かっこ悪いと思いませんか? なんだか小物臭がしますよね? でも、好きな子には良いところを見てほしいですよね?」
なんだか圧が強いが、おおむね同意である。
「人は誰しも、他人から”偶然聞いた話”を信じやすいものなんです。今回はそれを利用するチャンス、だと思いませんか」
娘の目がギラリと光った。気がする。
そして、またあの不出来な弟子を見るような顔で「いいですか、リッチー」と今回の計画とやらが発表された。
「隣国でリッチーが素敵でカッコ良い王子様業をします。それを見た隣国の王侯貴族は”リチャード殿下は大変聡明である”と思い、そして同行した使節団の貴族たちは認識を改めるでしょう”我が国のリチャード王子は何処に出しても恥ずかしくない、未来輝く王子である”と」
そう褒め称えられる場面を想像する。
うん。悪くない……!
「賢いリッチーはわかりますね。帰国した使節団はどこを通って戻って来るのか。そして帰国後すぐに集まる場所はどこなのか」
あの日から心を入れ替え勉学に勤しむ俺はハッと気付いた。まさか、そういうことなのか……!
娘と視線が合い、大きく頷き返される。
「そうです。隣国からの帰り道にはいくつかの領地で休みます。きっとアディール侯爵領も経由しますね。そして使節団の文官たちや、護衛騎士たち、他にも同行した使用人たちが、アディール侯爵家の城や様々な場所でそれぞれもてなしを受けるでしょう。そして口々にリッチーの噂をします。それを聞いた者は王国の将来は安泰だと思うでしょう。そうやって各領では”スゴイぞリッチー””さすがだリッチー”の話題で持ちきりです。それはこの城に戻ってからも続きます。回り回って偶然噂を耳にしたローズ様はリッチーのことを、きっとこう言うでしょう」
──俺の脳内では銀色の睫毛の中から、あの潤んだ菫色の瞳がこちらを見上げて言った。『さすが私の王子様』と。
脳内再生余裕である。
そうと決まれば、隣国のことについてもう少し詳しく講師に聞いてみようと立ち上がると、ついでとばかりに乳母の娘は言った。
「そういえば、私。今度からローズ様の侍女としてアディール侯爵様の下でお世話になることになりました」
先日の一件からローズ様に気に入ってもらえたようで、とニコニコいつも以上に機嫌が良さそうな娘は俺の不満そうな表情を察したのか「リッチーが頑張っている間のローズ様の様子など、気になるでしょう?」とわかっている、といった顔で頷いた。
ということは密偵だな、と微笑めば暫く固まった後。「そこはアディール侯爵様に要相談で……」と返事があった。
一般的に密偵することを密偵先に相談することなんて無いし、そんなもの許されるはずもないのだが、なぜだかこのローズのことに関しては侯爵から許可が出た。アディール侯爵も”ローズニンジン作戦”に加担していたのかもしれないと今なら思う。
こうして俺は隣国へと出立した。
大人たちと乳母の娘に乗せられてしまったと気づいたのは、隣国で婚約者の姫と顔を合わせてからだ。
幼馴染は最強の当て馬ルート……!




