悪役令嬢の婚約者-リチャード- 2
「──なんだ、リチャード」
厳めしい「国王」の顔から、自分の方を見て表情を緩めいつもの”父”の顔になったことを確認して近づいた。大切な話があるのだと、いつも以上に真剣な顔で申し出てみれば父もまた真剣な顔で答えてくれた。
乳母も母もレイノルドもリヒトもいない、父と二人だけの秘密会議はなんだかとてもわくわくした。
天気の良い庭園を父と二人で歩きつつ、自分の考えを述べる。
いつもなら父に抱き上げられ目線を同じにしてもらってから話すのだが、今日は男と男の秘密会議だ。
抱き上げられそうになったが、それを拒否し仁王立ちで立つ。背の高い父の顔を見上げるのは、壁を見上げるようで少し怖かった覚えがある。
結果から先に言うと、”会ったこともない自分の婚約者”をローズに変えることは出来なかった。
それは「外交問題」になるからだという答えだった。大人が決めたことを子供の我儘で変えることは出来なかった。しかし、この結果に腐らなかったのには理由がある。
この秘密会議で活路を見出したからだ。
「こればかりは時の運だからな。──なあ、リチャードはそれ以前になさねばならぬことがあると思わないか」
父はローズと違って硬くジャリジャリした顎を撫でながら、そう言った。
「うむ。リチャードはまだ幼いが、長兄……レイノルドの兄だろう」
父が言葉を選びながら何かを伝えようとしている。それを神妙な顔で聞く。
レイノルドは双子の”弟”だ。同じ時に産まれ、同じ顔をしているが、産まれたばかりの時はレイノルドの方が体が小さく、俺が”兄”となったのだと聞いたことがある。間違いなく、自分は兄である。
「父はまだ良いと思うんだがな。あー、話は聞いているぞ。幼いうちは健康であれば良しと大目に見ていたが……あー、なんだ。このまま不真面目でアホなだけの男には、ほら、ローズちゃんも惚れないのではないかな」
「ほれ……?」
惚れる、という単語にピンと来なかった俺の視線に合わせるように、父が膝を折って噛み砕いた言葉で説明してくれた。
「婚約者がどうのという前に、リチャードが大人になった時にローズちゃんも大好きでいてくれるような男でないと、な?」
「ローズはぼくのこと大好きですよ!」
それでも父の本当に伝えたいことを汲めなかったアホな俺は胸を張ってそう答えた。また父はジャリジャリと音が聞こえてきそうな顎を撫でながら眉を下げた。
「──甘いですよ。リッチー」
いつから近くにいたのか、乳母の娘が生垣の影からガサリと音を出して体中に緑のトゲトゲした葉をつけながら出てきた。この年上の乳母の娘だけは、なぜか俺のことを”リッチー”と呼んだ。弟のレイノルドは”レイ”だ。
そして、俺以外は存在に気付いていたのか父も少し離れている護衛も驚かなかった。ヘビを見つけた時のように体が跳ねたのは自分だけだったのが悔しい。
「幼い頃の”好き”と年頃になってからの”好き”は違うのですよ」
この娘、なんの根拠があるのか自信満々であった。
まだピンと来ていない顔をしていたことが伝わってしまったのか、娘は”やれやれ”といった顔でわざとらしく顔をゆっくりと左右に振った。緑のトゲトゲは、まだついたままだ。
「リッチーの”ローズ様を婚約者にしたい”という気持ちも”妹がほしい”とかそこに近いでしょうが……まあ、今の論点はそこではありません」
意味がよくわからないが、何か馬鹿にされたような気がして得意げな顔をする娘に言い返そうと口を開いた瞬間。
娘が風を切る勢いで俺に指を指した。ビシィッ! と聞こえたような気がする。
「リッチーやレイは悪戯ばかりして母さんたちや護衛たちからわざと逃げたり、先生たちとの約束も守らないでしょう。お食事のマナーもまるでなっていませんし、人の話を聞かないのもいただけません。王子様でなかったら何度か手と足を出しているほど”悪ガキ”です」
すでに何度か手や足を出された気もするが、父の前で痛いところを指摘され思わず目を逸らしてしまう。
「──そんなことを続ければ、ライバルたちに追い抜かされますよ」
その何度か手や足を出された時の比ではないほどの迫力で凄む娘の迫力に圧倒され、うっと一歩右足が下がる。
「もちろん現在ローズ様と婚約を結ばれているリヒト様や、弟のレイ、ご友人であるパトリック様、トーマス様、ミハエル様……他にも公爵家、侯爵家の坊ちゃん方……、忘れちゃいけませんね。他国の王子も全員まとめてライバルです」
生まれながらに自分が一番であり、それはこれからも揺らがないのだと思っていた自信がグラグラと揺れる。頭の良さではパトリックに負けそうな気がしているし、力強さではトーマスに勝てた試しがないし、ミハエルほど大人や子供たちから信用されている気もしない。レイノルドだって昔はよく風邪を引いたり寝ていることが多かったのに、最近は全く寝込んでいない。仮にも”弟”だというのに自分と並んだのだ。
「──知識は世界を見る解像度が上がり、力は守りたい者を守り、人に耳を傾け慮る心があるところに人は集まるのです。王子とは、王族とは、国王とは。ライバルたちと肩を並べる存在ではありません」
頭に浮かんだライバルたちの存在を思い浮かべ、父の顔を見上げる。
「そればかりか、ローズ様に贈るお花の名前一つ言えない王子様なんて。どこに惚れる要素があるんですか」
ぐっ、とまた何かが刺さり膝を土につけそうになる。満身創痍だ。
何を根拠に自信を持っていたのか、指摘されて振り返ってみれば恥ずかしくて顔から火が出てしまいそうだった。
産まれてこの方、全てが”当たり前”だった。
乳母や護衛をからかっても、教師との約束を守らなくても、たとえ叱られたとしても謝ればすぐ許されたし、何をしなくても褒められた。何も困ったことがないし、周りは自分のために動くのが当たり前で、当然のことだった。王族に産まれた自分は大人になれば自然と父のような厳めしい”国王”になって、周りには変わらずみんな揃っていて。そうなんとなく思っていた。
もしかしたら、このままでは
「──リッチー。ローズ様に「そんなことも知らないんですか?ダサ」「私のことを守れないの?弱」「センス無さすぎ。プッ」と言われるか」
今は可愛く拙い言葉で「りちゃーどおにいさま」と飛びついてくれるローズが。目の前で実演する娘と同じぐらいに成長したローズを想像する。信じたくない。無理だ。胸が潰れそう。
「──ローズ様に「かっこいい」「素敵」「大好き」と言われるか」
これはすぐ想像できた。胸が戻った。かわいい。
「──選んでください」
衝撃的だった。
自分で婚約者は選べないと知り、何もせず早速腐りそうだった自分が。この瞬間には「ローズにかっこいいと言われる自分になるのだ」と立ち上がっている。
そうだ、立ち止まっている暇はない。ライバルたちより”カッコよくて”もっと”素敵”な大人になったら、自分で婚約者だのなんだのを決められるようになるかもしれない。その時にローズが俺のことを”大好き”なままだったら、ローズを婚約者にできるかもしれない。
大人が決めた”婚約者”なのだから、自分が同じく大人になれば自分で決められるのだと解釈したと思っていない父や乳母の娘は、心を決めた俺の顔を見て安心するように表情を緩めた。
「ははは。これは”小さな先生”の言う通りだな。──もし時の運が巡ってきた時に、ローズちゃんの心を奪って離さないほどの強い男になっていなくてはね」
父がぶわりと立ち上がり、目の前にまた壁が出来た。その壁のような父の大きな手が俺の頭をくしゃくしゃにかき混ぜた。ついでに視界が揺れた。父の頭の撫で方は雑で、強いのだ。俺の頭が持っていかれそうなほど、強い。
今、思い返して見ればこれはやる気のない俺の目の前にローズをぶら下げて、やる気を出させようと乳母の娘がわざと煽ったのだ。この時点では誰も、俺のこの決意を信じてはいなかった。




