悪役令嬢の役割 2
「──レイノルド、斬られたくなければ今すぐ離れろ」
地の底から這うような低い声が、落ちた。
その声にハッと正気を取り戻す。
危なかったわ! 悪魔の囁きは心が弱っている隙に入り込むのよ!
ふぅ、と軽いため息が耳元で聞こえ、ゆっくりと拘束の手が緩みすかさず逃れる。
旅装ではあるものの、隙なく整えられた様子のリチャード様が厳しい顔をしてずんずんと近づいて来てくるわ。
つい唇に移ったであろうサーラ様の紅を探して──
「言い訳は不要」
と、睨んだのだ。
私が。
リチャード様を。
ピタリと止まったリチャード様は怒りの顔をひっこめ、状況が掴めないとでも言いたげな顔をしている。
この期に及んで白を切ろうとでもいうのかしら!? 白々しい! 現行犯なのですから、真っ黒よ!
後ろから追ってきたのか、サーラ様が気まずそうな顔を覗かせた。
そうよ、こちらもよ! まさかサーラ様に寝首を搔かれるとは思いませんでしたわ。
初対面は最悪でも次第に仲を深めるなんて物語の定石。王道ですわ。
王道とは何度味わっても良いから王道、なのですわ。
だがしかし! 婚約者が私でない人と良い仲になるなんて1度で十分なのよ!
「ずいぶんとお楽しみだったようですわね」
「あっ、……ふふ。そうですね」
リチャード様の方をチラリと見て微笑むサーラ様。
そして、照れたようにサーラ様に視線を流すリチャード様。
怒りの炎でメラメラと燃え盛る嫌味を直球の豪速球で投げたつもりだというのに、親密な仲であるといわんばかりのオーラでジュワッと浄化されてしまったわ!?
なんてことなの……これこそまさに悪役令嬢が辿る物語ではなくて……?
これが悪役令嬢に課せられた強制力だとでもいうのでしょうか……!
「そんなことより、二人はこんなところで何をしてるんだ」
「そんなことより!?」
私の反応に驚いたのか、リチャード様がとぼけた顔で見返してくる。
婚約者がイチャイチャしたところを目の前で! この距離で見せられたというのに、そんなことですって!?
またプルプルと震えてしまうわ! 武者震いでね!
「ひ、ひどいわ……! リチャード様の浮気者!」
「「え?」」
ま、またイチャイチャしているわ! 反応までそろえることないじゃない。息も相性もピッタリ、ということなの!?
「さすがお二人は息がピッタリですわね……!? さすが想いを通わせた仲は違うと、そういう……!」
「ローズ、もう勘弁して」
静かに俯いて震えていたレイノルドお兄様は我慢ならぬとばかりにゲラゲラ笑いだしたが、それどころではない。
笑いごとではないのですよ!!
「ローズ、何か勘違いしているよ。レイノルドに何か意地悪でも言われたの? あいつは引っ掻き回して楽しんでるだけだから気にしなくていい。とにかく俺にはローズしかいないし、いらないのだから。信じて」
でたわ! 浮気者の常套句『勘違いじゃないか?』『君だけ』『信じてほしい』先ほど聞いたやつね。予習済みよ!
リチャード様はぐいぐい近づいてくるが、フシャー! と威嚇すれば足を止めた。
「信じられません。だって、わたくしリチャード様とサーラ様と違って口づけを交わしたこともないですし」
「いつも邪魔が入るからね」
「それに! 一度だって、愛を……うぅっ、囁かれたことなんてないですもの……」
「「「え?」」」
なんですの今度は三人で息を合わせて!
「いや、愛、というか、いつも伝えてはいただろう。隠していないのだから」
「いいえ」
きっぱりと否定すれば沈黙が落ちた。なんですの。時間が止まったようだわ。
「嘘だろ……」
「ローズ様、それはさすがに……」
な、なんなの。リチャード様は最大の攻撃を受けたかのように立ち尽くしているし、レイノルドお兄様やサーラ様は想像を超える珍獣を見たかののような顔である。そのような顔をされる覚えはないわ。
「だ、だって! わたくし、リチャード様から愛しているだとか、ローズのことで頭がいっぱいだとか、夢でも会いたいだとか言われたことありませんもの!」
「ローズの考える”愛の囁き”のハードルが高すぎない? リチャードは舞台俳優なの?」
「所詮わたくしは政略相手ですし? ほんのちょっと、ちょっとだけ、もしかしたらリチャード様にお心を寄せて頂いているのかもなんて思ってしまって……!」
「よかったねリチャード、ちょっとは届いてたよ。ちょっとは」
「リチャード様を幸せにしたいですし、公私ともに支え右腕になるという目標に偽りはないのですが、ほ、本当は色々なところに一緒にデートに行きたい気持ちもあり、いつかまとめてお時間がとれるようにお仕事のお手伝いが出来ればと、頑張って……、それに出立される時に『戻ったら一番に会いに来る』とおっしゃったのに……」
「家族のそういうイチャイチャしてるくだり聞きたくなかったよ」
「サーラ様に”先に”口づけしているんだもの……そんなのってないわ……!」
ブハッ!!!と、レイノルドお兄様が笑いながら地面に膝をついたが、それどころではない。あと、いちいち一言が多いですわ!
リチャード様は両手で顔を隠してしまったし、サーラ様は半目である。そのような顔をされる覚えはないわ。
「わ、わかった。ローズの気持ちはわかったから。レイノルドの前ではやめてくれ。俺の伝え方が婉曲すぎたのかもしれない。やり直すから、少しだけ待って」
赤い顔を背け、リチャード様が何とか取り繕うとするが
こんなところで取ってつけたような愛を囁かれても信じられるわけがないわ!
「ええ。待って待って待ち飽きたので、実家に帰らせていただきますわ。今度は”一番先に会いに”来なくても結構です。侯爵家でリチャード様を幸せにするプランを練り直しますわ……」
「ローズ!?」
「ハハッ! これは予想以上だな。時間切れだ。パトリックがもうそこまで迎えに来てる」
レイノルドお兄様は笑い終わったのか、膝を払って立ち上がった。
「ローズ、さっきのこと覚悟が決まったら答えを教えて」
そう言いながら甘い甘い顔をして微笑みかけてきたレイノルドお兄様からフンッと顔を逸らし、私の心の柔らかい部分に深く深く刺さってしまった、”役目”という棘からも目を逸らした。




