悪役令嬢の目撃
「きゃ、いらしたわローズ様よ。本日も素敵ね……!」
「あの噂は本当かしら」
「あなたお伺いしてみなさいよ」
「黒髪の聖女様が王太子殿下の側室になられるというお噂が本当ならば、わたくしもローズお姉さまの妹として後宮に入りたいわ」
令嬢方のさざめきを振り切るように学園の馬車止まりまで進み、重い重いため息を押し殺しながら馬車に乗り込む。
扉が閉まり、やっと作っていた顔を崩す。
これには名探偵ローズも頭を抱えるわ。
私が黒髪の聖女様──サーラ様──に目をかけ、どこに行くにも連れ歩いていたのは有名な話である。
皆に私の庇護下にあるのだと知らせるために行っていたのですもの、当然ですわ。
それに、サーラ様のことを聞かれたときは「妹のようなものですわ。あまりいじめないでくださいませね?」と答えていた。
サーラ様の素性や詳しいことを誤魔化すためだもの。嘘ではないわ。
それが何をどうしたのか、創作作家が介入したとしか思えない事実の改変がされ「ローズ様は今から後宮に迎える娘を選別・教育している」だとか「妹分として弁えた娘が望ましい」だとか、あまつさえ「王太子殿下とローズ様のご様子を傍で見れるならば」と浮足立っているご令嬢が出現しているではないか。
もちろん、その中には殊勝な態度を装いアディール侯爵家を追い落とそうとする家もいるのだろうけれど。
馬車の中にいたモネが労わるような表情を向けた。
サーラ様の教育兼秘書として貸し出していたモネも私の元に戻っている。
あれからサーラ様には避けられているのだ。
誤解を解こうにも、すっかり心を閉ざした様子で取り付く島もない。
──レイノルドお兄様の策略通り、わたくしはすっかり弟子の敬愛を裏切った悪役というわけね。
あれからサーラ様の側室候補の噂はまたたくまに王宮内外を駆け巡り、一旦我が国の貴族家に養子となり教育を施してから時期をみて入内という話にまで発展している。
レイノルドお兄様に対抗できそうなお兄様はリチャード様と一緒に王都を出ているし、お父様に至っては「ローズの天使のように愛らしい顔が曇るならば、こちらにも考えがある」だなんて暗黒宰相のようなお顔をされるものだから、くれぐれもリチャード様がお戻りになるまで勝手な行動はしないようにお願いするので大変だったわ。やれやれ。
王宮では「婚前からそのようなお話が出るなんてお労しい……」と、まるで腫れ物に触るような対応をされてしまっているし、学園ではなぜか「敬愛するローズ様の妹として後宮に置いてくださいませ」なんてキラキラとした念を送られてしまうし。はぁ。
精神的に疲労困憊な日々の中の最近の癒しといえば、わたくしのお部屋でいつもと変わらずお昼寝を貪るスコちゃんだわ。
スコちゃんのフワフワのお腹に顔を埋めて煩わしい現実を忘れるの。
「早くスコちゃんに会いたいわ……」
「ふふ。王宮で待っているのはスコッティだけではありませんよ」
ピクリとつい反応してしまう。
窓の外に向けていた視線を戻せば、まるでプレゼントを後ろ手に持っている誕生日の朝のようなモネの顔が待っていた。
「まさか……!」
「はい。またすぐ出られてしまうようですが一旦王宮に戻られるとのことですよ」
ローズ様の元気なお顔を見るために寄るようですよ、と聞き
沈んでいた心がギューッと握られたかのように苦しくなり、じわじわと嬉しさがあふれてくる。
──会いたかった、と言うかしら。
リチャード様も同じ気持ちだといいのだけれど。
はやく、はやく会いたくて
ついまだかまだかと外を見てしまう。
ソワソワと落ち着きがなくなった様子を、モネは「はしたないですよ」といつものように注意しながら微笑んでいる。
もしかしたら、最近の私の落ち込みようを心配していたのかもしれない。
戻られたら一番にわたくしのところに会いに来る、とおっしゃっていましたもの。もしかしたらリチャード様は帰りの知らせを聞いて迎えに来てくださるかもしれないわ。だってわたくしだったらそうするもの。お待たせしているかもしれないわ!
髪が乱れていないか気になってしまうわ!
手櫛で髪をいじる私をモネが更に笑みを深くして見ていた。
突然降ってくると噂の、女神が天界から響かせるハープの音色も最高潮に達した時。
馬車がもどかしいほどゆっくりと止まり、扉がコツコツとノックされた。
モネが最初に馬車から下り、次に白い手袋が見えた。
心臓が跳ねたところを抑え、
そして、ゆっくりと差し伸べる手を辿れば──
いつもの護衛騎士が爽やかな笑顔で「お疲れ様です」と言った。
白い歯が輝いているわ。
……今、天界から降りてくるハープの音色が音を外したのは聞き間違いではないわね。
護衛騎士は何も悪いことをしていないのは重々承知なのだけれど、冷たい目をしてしまうのもしょうがないわ。
侯爵家からついてきてくれた昔馴染みの黒髪の護衛は「今日はご機嫌ナナメですね? おやつの時間はまだですよ」などとニコニコしているが、子ども扱いはやめて頂戴。空腹で険しい顔をしているわけではないのよ!
ムスッと下車し、周囲を見回すがリチャード様の姿はない。
どこにいるのかしら?
*
制服のまま庭園にでも探しに行こうかしら……と足を向けようとするも、
なぜか、庭園の方から王宮で待っていたはずの侍女が走り寄って来て「お部屋に戻りましょう」としきりに言うではないか。
──圧倒的な悪役令嬢としての勘、とでもいうのかしら。あちらに見せたくない”何か”が、あるようね。ピーンと来たわ。
今の私はきっと飢えた虎のような瞳をしているでしょう。
ある意味で空腹だったのかもしれないわね。
だって、早くリチャード様に会わないと何かが爆発してしまいそうなのだもの。
それはスコちゃんで応急処置をしていたに過ぎなかったのよ。
部屋に戻りたがる侍女たちに、手に持っていた扇で口元を隠し、いつぞやのリチャード様にご指導いただいた"麗しの威圧笑み"を披露する。
相手に自分の主張を飲み込ませ黙らせたいときに使うというアレですわ。みなさまご記憶にございまして?
「──あちらに何があるのか気になるわ。案内してくださる?」
しっかり効果があったのか、息をのみ固まってしまった侍女たちの間をすり抜けようとした時。
「ローズじゃないか。もう戻ったの? 早いね」
ちょうど騎士団訓練場から戻ったのか簡素な訓練着のレイノルドお兄様が通りかかった。
公国へ向かわれる前までよく見ていた姿に一瞬冷静さを取り戻す。
「レイノルドお兄様……ごきげんよう。リチャード様はどちらにいらっしゃいますの?」
「あぁ、もうリチャードも戻ったのか。わざわざ王宮に寄るとは、忙しいね」
レイノルドお兄様もまだリチャード様に会っていないのね。
ふう、とため息を残して侍女たちが走ってきた方へズンズンと足を向ける。
「こっちにリチャードがいるの?」
「なぜついてくるのですか」
「俺もオニイサマに用事があるからね」
こっちにいるんだろう? と言いながら後をついてくる。
今はレイノルドお兄様にかまっているほど暇ではないので、ついてくるならば来てよくってよ。
私は優雅に見えつつ最速で歩いているというのに、レイノルドお兄様は長い足で余裕そうについてくるのがなんだかとても悔しいが、今はそれどころではないのだ!
王妃様の迷路の脇を迂回していると、空に羽ばたく白い鳥がいた。
白い鳥は旋回し、高いあの口笛の音と共に下降していく。
自然とそちらの方へと足が向いていく。
だんだん近づいていくが、なんだか心臓の音がうるさい。
やっと会えるというこぼれそうな期待と、嫌な予感がせめぎ合っていた。
そして。
女性の笑い声と、男性の囁く声が耳に届く。
そのどちらも、聞き覚えがあった。
ピタリ、と足が突然動かなくなる。
これ以上知ってしまえば、どうにかなってしまうという恐怖が増した。
もうずいぶん昔のことに感じる、前婚約者だったリヒト様が私以外と恋に落ちた場面を思い出す。
リヒト様の青い瞳に宿った、あの色を。熱を。リチャード様の瞳の中に見てしまえば。私は。
”悪役”どころか、本当の”悪”にでもなってしまいそうで。
ゆっくりと迷路を取り囲む木々の間から、覗いてみる。
先に白い鳥の羽が陽の光を跳ね返し、サーラ様の白いドレスの裾と私とは違う、黒髪が風に靡いたのを見た。
リチャード様がこちらを背にして立っていて、表情が見えないことに安堵してしまう。
私の後ろにいたはずのレイノルドお兄様も、じっと二人を見ている。
その横顔は、ストンと表情が抜け落ちていたように見えた。
羽ばたく音に弾かれるように、また視線を二人に戻す。
風で乱れてしまった黒髪にリチャード様の手が伸びた。
あぁ、まさか。
私の髪に触れたように、絡ませたあの手で。
そして少し屈むように、リチャード様の顔がサーラ様のそれに近づき。
腹の中が冷たくなるような感覚だった。
────後宮に妃が増えるということは、こういうことなのだ。




