悪役令嬢の暗礁 1
「わたくし、モジモジと手をこまねいている子猫ちゃんのお相手をしているほど暇ではないのだけれど」
「そ、そんなこと言わなっ、……おっしゃらないでください」
サーラ様はモジモジと日傘の柄をクルクルと回しながらモジモジしている。モジモジを二度使ってしまったわ。あ、三度でしたわね。
そう。私たちは数十分前から物陰に潜み(わたくし直伝のアンブッシュ、ですわ!)襲撃の機会を伺っている。
わかるわ。恋する乙女はなぜだか物陰から見つめてしまうのよね。古今東西共通の恋する乙女しぐさなのかしら。
今回ターゲットとなるレイノルドお兄様は今、私たちの視界前方でリーヴァ様と連れ立って王宮の庭園を仲睦まじ気に歩いている。
「険悪であればよかったとは思いませんでしたが、想像よりとても良い雰囲気ですね……。リーヴァ様は良い方ですし……」
サーラ様の横顔はなんとも切なげである。
わかるわ。二人の距離を物差しで測ったりするのよね。身に覚えがあるわ。
最初は私に向かって威勢よく噛み付いてきた黒猫ちゃんも、王宮内の立場などが見えてきたのかすっかり飼い猫ちゃんのような大人しさである。
最初にリーヴァ様のお人柄を知ってしまったからかもしれないわね。
うっすら涙の膜が浮かぶ表情を横目で見て、視線を前方へと戻す。
長身のリーヴァ様と並んでも見劣りしないレイノルドお兄様の立ち姿はとても絵になるわ。
リーヴァ様のスラリとした手はエスコートに合わせ、レイノルドお兄様の腕に乗せられている。
完成された舞台のように二人は和やかに笑顔を交わし、庭園を歩いている。
サーラ様が把握しているかは不明だが、レイノルドお兄様は帰国してからというもの、毎日毎日飽きもせず様々な貴族女性と楽しそうに歓談していたのを私は知っている。
それはそれは、とても親密そうな距離感で。
しかし、今日のレイノルドお兄様はとても気を許した表情をしていたのが意外だった。
リーヴァ様にしても前回はこの婚約話に乗り気ではなさそうだったのに、どのような心境の変化だろうか。
「あ、あんな蕩けるような笑顔を見せちゃって……! 私にはそんな顔をしたことないのに……っ」
「わたくしには親しい友人に向ける表情に見えるわ。恋焦がれるような灼けつく熱は感じません」
「ちょっと近すぎない? 抱擁してるわよね? もうあれは結婚よね?」
「リーヴァ様が転びそうになったところを支えただけですわね。絵になりますわ。絵師を呼べばよかったわ」
「ぁぁああっ、やだ、やめて! 髪に触れたわ!?」
「髪についた花びらを取っただけですわ。リーヴァ様にはもっと存在感のある花が似合いますわね」
「ちょっと待って『美しいあなたに花まで吸い寄せられるのか』って言ってるわよね!?」
「サーラ様は読唇術まで使えますの? 後で教えてくださいません?」
「ひぇ……『あなたの甘い香りに私まで誘われてしまう』って……! いやらしい!」
「サーラ様、あれはわざとですわ。完全にこちらに気づいているようでしてよ」
二人して顔を俯けて震えて笑っています。それはそうよね。こんなに騒げば聞こえてしまうわ!
あわあわと慌てるサーラ様は放っておいて物陰から姿を現せば、リーヴァ様はキラキラと輝く笑顔で迎えてくれた。
「ローズ様、サーラ様。本日もお会いできて光栄です」
「リーヴァ様。お邪魔して失礼したわ。わたくしたちはもうお暇いたしますので」
「いいえ。丁度、お時間ですから。また今度、ぜひお話しをお聞かせください」
そうしてリーヴァ様はアッサリと帰っていったが、ここにまだ不敵に笑むレイノルドお兄様が残っている。
それでは私たちも帰ろうと、ゆっくりと顔を見上げれば。
「──のぞき見とは良い趣味だね」
胡散臭いほどの微笑みが返ってきたわ。
念のために解説するが、この場合の”良い趣味”は「悪趣味」「はしたない」という意味である!
しかし、頭脳派で理性的な悪役令嬢であるわたくしローズ・アディール。
悪事が露見し見咎められようとも、
瞳には穏やかな知性を輝かせ、頬は幸せの薔薇色で染まり、唇からは慈愛の言葉が紡がれるのである。
レイノルドお兄様の鋭い視線を、ひらりと躱すように顔を傾け完璧な淑女の微笑みを装備!
「たまたまお見かけしただけですわ。美しい方との逢瀬をお邪魔してしまったようで失礼いたしました」
「あぁ、まさか兄の婚約者が”覗き”をしていたとは考えられない。
何か弟王子に言いたいことでもあったのではないかと思うんだ。そうだろう?」
なぁ、ローズ。
そう言いながらレイノルドお兄様の口端が持ち上がった。
淑女の微笑みがピシリと固まった気がするが、ここは是というしかない。
いくら嫌な予感の警報が鳴り響いていたとしても、だ。
出来ることならは遠慮したかったが、『王太子の婚約者が覗きをしていた』などと吹聴されても困る。
そして処刑台に上がる名悪役のように威風堂々と肩で風を切り、お招きにあずかったのだった。




