悪役令嬢の奇縁 1
それからサーラ様と私は≪打倒レイノルドお兄様≫を掲げ、日々研鑽を積んでいった。
私がいくら悪役中の悪役であり、超絶怒涛の悪役だとしても
今回に限ってはレイノルドお兄様のハートを消す方では無く、盗むことが目的である。
勢いよく目標を掲げてもやることは地道に一歩づつ。
目標を持ったサーラ様はめきめきと所作を磨いていった。
言葉や習慣の違いで受け入れがたいこともあっただろうに、サーラ様には覚悟があった。わたくしのお勉強や関わっている”趣味”にも興味があるようで、名実ともに私の弟子のようである。
全て吸収してしまおうと輝く黒曜石のような瞳の中に宿る闘志…‥!
それに触発されて、私自身も今一度心の底からリチャード様の立派な右腕になると帯を締めなおしたのだ。
一生懸命なサーラ様を見て私にも変化があった。
リヒト様の婚約者であった頃とは違い、実家から離れ王宮で生活するようになり、一日中一挙手一投足を監視され評価される環境に緊張していたのだと気付いた。
王太子であるリチャード様に追いつきたい、認められたいと、そうでなければとどこか空回りしていたのかもしれない。
今の自分に出来ることから一歩づつ。目標に向かって足を動かせば、結果は後からついてくるものである。
これを教えてくださったのも、リチャード様だ。
もっと幼い、王子妃教育が始まった頃にも行き詰っては隠れて泣いていた。
隠れているというのになぜかリチャード様には見つかってしまうのだ。
──その宝物のような日々が今に繋がったのだわ。
また何日か留守にする前にと、会いに来てくださったリチャード様に感謝の目礼を捧げる。なぜそんなこちらを疑うような視線を。リチャード様の留守に悪さなんてするはずもございません。ええ。
「わたくし、リチャード様のおかげでまだまだ強くなれます……!」
「どこに向かっているのかな?」
「リチャード様の一番の弟子であるわたくしの弟子の座にサーラ様がつくとなると……つまり、彼女は自動的にリチャード様の弟子になるのでしょうか」
「まだその設定生きてたんだね」
「それはなんだか妬けてしまいますわ……っ。リチャード様の唯一(の弟子)はわたくしだけよ!」
「本当に、あともう少しなんだよなぁ」
「あぁ、でも、あんなにもやる気を見せられては黙ってはいられません。わたくし、全力でサーラ様を立派な淑女にしてみせますわ!」
「ローズが楽しそうで、何よりだよ」
レイノルドお兄様は首を綺麗にしてお待ちになっているがいいわ!
リチャード様はじっとりと何か言いたげな顔をして、私の髪に一つキスを落とした。
「戻ったら一番先にローズの元へ来るから、良い子にしているんだよ」
「もちろんですわ!」
気合十分にリチャード様を見送った。
そして、宣言通り私はどこに行くにもサーラ様を連れ歩いた。
わたくしの振る舞いを見せ学んでいただく意味もあるし、サーラ様は私の庇護下にあるのだと周囲に知らしめるためだ。
皆にわかるようにしておくだけで、避けられる諍いがあるからである。
これでサーラ様をいじめる者がいれば、アディール侯爵家を侮辱したも同様である。
ふっふっふ。順調ですわ。
そして、本日はサーラ様を連れて、王都に隣接するアディール侯爵領の町にやってきている。
以前から力をいれている施策について、ミハエル様とデニス様もお招きし、ご助力頂けるよう頼むためである。
それ自体は順調だったのよ。
*
「なんてこと……嘘よ。嘘だと言って……!」
震える手を抑えるように抱え込み、揺れた唇が声を震わせた。
サーラ様とデニス様は視線を落とし、ゆっくりと顔を左右に振った。
すがるような思いでミハエル様を見上げれば、常に慈愛に満ちていたはずのグレーの瞳が悲し気に揺れ、救えない命の前に神に祈るような表情で伏せられた。
「信じられないわ……まさか、まさか人魚は実在しないだなんて……ッ」
ううっと胸を押さえれば、ミハエル様の『かわいそうな迷える子羊』を見るような微笑みを向けられた。
その表情、わたくしがリチャード様に猫の絵をプレゼントした時に見たことがあるわ。なぜ。
だって、だって、乙女のときめきが……! 人魚が叶わぬ恋のために流した涙が宝石になったのよ……!?
「人魚の涙は海の貝が作るだなんて……しかもしかも、それが美味しいだなんて!」
キュンキュンしていた乙女心が壊れていくわ……美味しいのならむしろよかったのかしら。料理長にお願いしてみようかしら。
「もしかして、サーラ様はご存じでしたの?」
急に話を振られたサーラ様は、おずおずと周囲を見回し、コクリと頷いた。
発言を求めるような目を向けられたので、頷き促す。
「……私の国ではよく採れますので……むしろ、人魚という人と魚の……魔物? の、涙という逸話がついているとは思いもよりませんでした」
魔物の涙が乙女心……? となんとも不可解なものを見たような視線が刺さる。
ここには私の悲しみを理解してくださる乙女はいないのだわ。
近々、リーヴァ様とお会いしてこの悲しみを共有するしかないわ。
悲しみにくれる私をよそに、デニス様がギラギラした瞳で身をかがめた。
「アディール侯爵令嬢様……どうか、こちらのご令嬢へご挨拶申し上げる許可をくださいませんでしょうか」
「え、ええ」
圧が、圧がすごいわデニス様!
押されるようにサーラ様に視線を流し、頷く。
練習の成果を披露するのですよ。頑張ってサーラ様!
一応、私の連れであるサーラ様からデニス様に声をかける。
「私はサーラ、と申します。どうぞ今後とも……」
「サーラ様、とおっしゃるのですね。あぁ、なんて素晴らしい響きでしょうか。
私はデニスと申します。リベラティオ国で商いをしている家でございまして、何か必要なものがございましたらどうぞよしなに。
本題ですが、先ほど人魚の涙がよく採れるとのことでしたが、どちらの国でどの程度の生産量になりますか?」
「ええと」
圧が、勢いがすごいわデニス様……!
「定期的に採れますか?いえもう現地に赴いてもかまいませんでしょうか?!ああ、どうか私たちにご紹介くださいませんか」
「デニス様、そこまでにしてあげてくださいませ。怯えているわ」
「はは、デニスは本当におもしろいね」
あぁ、お恥ずかしい……と、デニス様は一歩下がり
今度はわたくしの方へ、いつもの人好きする表情を向けた。
「つい気が急いてしまいました。人魚の涙なる宝石の話は父や出入りの商人仲間から聞いております。白く輝く宝石はアディール侯爵令嬢様の婚姻式のドレスの装飾にも映えることでしょう。それまでに入手経路を確保したく……」
「まぁ……でも、人魚の涙は叶わぬ恋のために流した涙の結晶なのですよ」
わたくしからサーラ様を説得してほしいようですが、そうはいきません。
デニス様の勢いにおされていたサーラ様は何か思い出したようで、おずおずとデニス様に声をかけた。
「あの……私の国では、人魚の?魔物の?涙、は”真珠”と呼ばれています。船乗りや漁師が無事に海から待ち人の元に帰れるようにと、お守りになることが多いです。
あとは……身に付けることで人と人を引き寄せ合い、絆を結ぶとされています」
「それは素晴らしい」
デニス様の切れ長な目がギラリと光った。
なんですの……この勝利を確信した気配は……!
「アディール侯爵令嬢様は私にとても素晴らしい縁を繋いでくださいました。
それはここの孤児院の者もそうです。アディール侯爵令嬢様は人と人を繋ぐ女神の化身だと思いませんか、ミハエル様」
「あぁ、デニスは勉強熱心だね。確かに聖書にあるファタリテートという運命を繋ぐ女神は猫を使役しているし、銀髪だ。ぴったりだね」
「ええと」
「”人と人を繋ぎ運命を結ぶ”まさに! 女神ファタリテートたる、アディール侯爵令嬢様のためにあるようなものではありませんか!」
とある日のパーティー会場のように大きい手振りで私を口説き落とさんとし、人魚の涙の取引を誘ってくるわ!
あまりの圧に助けを求め、ミハエル様をチラリと見るがニッコリと微笑まれ返すだけだった。
この表情は見たことあるわ。幼い頃、レイノルドお兄様にそそのかされて囮になったお兄様がミハエル様に助けを求めた時に、たしかその微笑みで見守っていたわ。黙殺したとも言うわ……!
と、その時。
ビュウと一段強い風が吹いた。
乱れた髪を手櫛で抑えると、孤児院の裏手から子どもの騒ぐ声が聞こえた。
これ幸いとデニス様の包囲網から抜け出し、向かうと
干していた布が舞い上がり、背の高い木に止まってしまったようだった。
子どもたちが木に登ろうとしているが、細い枝の先にあり手が届かない状況である。
「あら……ケガをする前に誰か止めて差し上げて」
と、侍女に声をかけたところでサーラ様はおもむろに指笛を吹いた。
高い音につられ、皆の視線がサーラ様に集まる。
そしていつの間にか上空を旋回していた白い鳥がピュイーーーと鳴き声と共に下降を始めた。
すわ奇襲かと護衛騎士がわたくしの周りを取り囲み一瞬視界が途切れたが、騎士の隙間から鳥が布を掴みサーラ様の下へ降り立ったのが見えた。
──それはとても神秘的な光景で、神獣を従える女神を彷彿とさせる姿だった。
誰かの小さな呟きが耳に届く。
聖女だ、と。
シンと静まり返った場。
そして一拍。
次には子どもたちの喝采が響いた。




