【閑話】商人の息子は未来を見る 2
「───我が儘、とは」
金策の依頼だったかと少し警戒したが、次に語られた内容は
想像を超える、”我が儘”だった。
そういえば、アディール侯爵令嬢は突拍子もないことを巻き起こすお方だったと思い出した。
王太子殿下が学園に在籍されていた時はローズ様のご様子を大層気にされていたが、なるほど。
これは目を離していれば大変なことになる。
本日のことも久しぶりにアディール侯爵令嬢の兄へご報告という名のご挨拶へ伺おうと決めた。
「なぜ流民たちが家や土地を手放し、生まれ育った村から離れ、盗みを働いたりするのだかご存じ?」
アディール侯爵令嬢は黒髪の令嬢に問う。
急に話しかけられて驚いたのか、一瞬目を見開き、やや考え、頭を振った。
「流民たち全員が生まれ落ちた瞬間から流民だったわけではありません。
ケガや病気で体を壊し仕事を無くし、家族を失い、人との繋がりを失い、流れ着いたものたちです」
王都の裏手にいるスラムの住人を思い出す。
親や夫、家族を失った女子供。
身体を壊し働けなくなった男たち。
「快楽や残忍な理由で悪行を繰り返す者がいないわけではないでしょう。しかし、ほとんどの流民は生きるためだったのだと思います」
今を生きるのに必死で法を犯してしまう者。
「他の教会でも炊き出しなどは行っておりますが」
ミハエル様の凛とした声が意識をこの場に戻した。
現状、王都では確かに炊き出しなどを行って流民の犯罪率を下げる取り組みがある。
それでも流民は生活を改めないし、人から盗むばかりなのだ。
アディール侯爵令嬢より流民を見かける機会が多い俺としては、流民なんて根無し草を信用できないのはしょうがないだろう。
そう自分の中に在る差別意識を納得させようとした。が、それをアディール侯爵令嬢は一蹴した。
「存じ上げております。無意味とは申しませんが、炊き出しで一瞬一時の飢えをしのげても、明日はどうなるかわかりません。未来が見えないと人は疲弊するのです」
黒髪の令嬢の肩がビクリと揺れた。
「まずは衣食住を保証すると流民をここに集め、明日を、未来を保証しました。この領地を治める貴族として」
───なるほど。それで『スラムの一掃』となったのか。
「ここに集めて何を……」
戸惑ったようにアディール侯爵令嬢へ視線を向ければ、学園でも使っているお気に入りであろう上質な扇の影でニッコリと笑んだことがわかった。
「もちろん。労働ですわ」
───なるほど。これで『労働奴隷』となるわけだ。
捻じ曲げられた噂を丸ごと信じていたわけではないが、蓋を開けてみれば。
「ケガや病気で体を壊しても収入を得る仕組みを作ればよいと思うの。一時の食事よりも生きるすべを、道を用意したいわ」
「そんな、簡単におっしゃいますが、この人数の衣食住を賄う資金はどこから調達するのですか」
「もちろんわたくしたちが定期的に寄付していた資金はこれからも使うけれど、周辺から物品と知恵をご協力頂いているの」
物品と知恵を、ご協力……?
貴族は『高貴たるものの義務』があることは知っている。
財産・権力・地位を持つものはそれ相応の社会的責任や義務を負うのだ。
寄付や貴族令嬢がよく婚家へアピールするための神殿や孤児院などへの慰問である奉仕活動なんかが例に挙げられる。
それを平民にも課しているというのだろうか?
俺の疑問を置いてきぼりにしたまま、アディール侯爵令嬢は話を続ける。
「とりあえず、孤児院に集めている大人や子供たちには、近隣の職人たちに労働力として貸し出しているわ。
最初の対価は賃金ではなく、畑の肥やし方ですとか、動物の捌き方、季節の手仕事など生活の知恵ね。
職人たちには使えそうな子がいたら正式に雇用できることを念頭に置いて見てほしいと伝えているの」
意外と短時間だけ、短期間だけ人出が欲しい時ってあるのよ、とアディール侯爵令嬢はキラキラと瞳を輝かせた。
「公共事業で短期の労働にもすぐ人員を確保できるようになるし、家業を持たないことが逆に強みになるわ」
あっけにとられる。
「もちろん、ここに住むからには孤児院の管理や孤児たちの世話などここで生活する上でのことは協力して運営して頂くのです。
人と関わって、同じ建物の中にいると、大きな家族のようで繋がりが生まれるわ」
外に向けられる視線を追えば、裏庭で片腕のない老人が何かを教え、子どもたちが畑に何かを植えている。
それを腹の大きい女性が安心した顔で眺めている。
ここは小さな村になったのだと思った。
「人は人と繋がることで、この世に魂が留まると聖書にあります。孤独には悪魔が囁くとも。こうして居場所が出来ることで救われる心もあるでしょう」
「ええ」
ミハエル様も同じく外を眺めていた。
穏やかに微笑む姿が、心の底から安心を感じていると言っていた。
面倒くさがりで力任せなところがあるミハエル様も、アディール侯爵令嬢のことを心配されていたのかもしれない。
「生活する中で、孤児も、流民も等しく一定の基準を納めれば領主が身元保証人になります。
今まで各領地の教会などのほとんどは貴族の慰問や寄付で運営されていました。この施策をゆくゆくは国の”福祉”事業にしたいと考えています」
そこで、とアディール侯爵令嬢の意志の強い視線が流される。
「デニス様には次の地区の商人や農民など、”お仕事”の斡旋・紹介にご協力頂きたいわ。単発商品の生産にもうってつけよ。しかも、ゆくゆくは国の事業となる話に最初から関われるのは大きな利ではなくて?」
「ミハエル様には教会側の選定員の確保を。出来れば読み書きと計算を教えられる”協力者”をお願いしたいのです。もうそろそろ、こうして自由に平民街を出入りできる機会も減っていくと思われますので、わたくしが見て回らなくても継続した明日を約束できるように人を置きたいのです。」
わたくしのかわいい子たちがいじめられてはかなわないですから、と付け加えられた。
アディール侯爵令嬢に言われる前に仕事の斡旋や紹介で、どのように利益を確保するかもうとっくに計算し始めていた自分に気付き驚く。
「こちらの件、すでに宰相殿……アディール侯爵様はご存じでしょうか?」
「もちろんですわ。お父様とお兄様には一緒に考えて頂いたもの。わたくしが一人で頭を悩ませるより、早い段階で事業や政策に関わることなど得意な方にお任せした方が良いですから」
「同意します」
「ミハエル様にそう言って頂けて心強いですわ」
ミハエル様の同意は面倒なことは得意な者にやらせようって思考ではないですかね????
確かに、この国の宰相殿やアディール様は本件の得意分野だろう。
……国単位で動かしている方なのだから。
そして、商人や労働者側は俺に
教会側の教育者や保護官の人員の調整をミハエル様へ
”得意な方にお任せした方が良いですから”か
俺はともかく、ミハエル様を使おうだなんて、なんて豪胆なお方だろうか。
面倒だと思うどころか既にやる気になっている俺は、どうやら使われる側の人間らしい。
確かに、その方が性にあっている。
使われるなら、大きいことに使われたい。
「ゆくゆくは各領主が正しく”福祉”が機能しているか監視し、国は領主の動きを監視する仕組みが出来ればいいと考えます」
「そして神に仕える神官が下から平民、貴族や領主を監視する、と」
ミハエル様は爽やかな口調でなんとも不穏なことを口にした。
ギョッとしてアディール公爵令嬢を見るが、ニッコリと笑い返して何も答えない。
恐ろしいが、貴族のことは貴族でやってもらおう。
ごほん、と咳払いをし
話題を転換する。
「この仕組みが各領地へ広がると?」
もちろん、これは覚悟への問いだ。
俺の表情を見たアディール侯爵令嬢は、からかうような目をした後、顎をツンと軽く上げた。
「わたくしのお父様はこの国の宰相。お兄様は王太子殿下の側近でゆくゆくは宰相となるの。そしてわたくしは未来の国母になるの。
皆がわたくしをお手本としてドレスの形、アクセサリー、お茶の種類だって追随するようになるわ。もちろん、こういった取り組みも」
芝居がかった仕草が、あのパーティー会場を思い起こさせる。
「壮大な夢ですね」
「お父様もお兄様も、リチャード様も。わたくしの”お願い”を叶えてくださるものだから。もっともっとと欲深くなってしまうの」
アディール侯爵令嬢の語る設計図には希望の光がある。
一寸先も見えなかった民に明日を見せた彼女は、俺たちにも未来を見せてくれた。
アディール侯爵令嬢の良い噂を聞きつけた批判家がいう「王太子妃になるための箔付け」や「人気とり」など
そんな次元ではない。
「まずは手始めに、わたくしの箱庭で様子を見ているの。
今はこのお父様の領地でしか遊べませんが、あともう少しで遊んで良い箱庭が広がるなんて……楽しみでしょう?」
そう、艶っぽく笑む”稀代の悪女”の瞳から目が離せなかった。




