【閑話】商人の息子は未来を見る 1
ミハエル様は、指輪をパーンした人です。
ノアのお兄ちゃんです。
幸薄系美人顔です。パワー。
「わたくしのお父様はこの国の宰相。お兄様は王太子殿下の側近でゆくゆくは宰相となるの。そしてわたくしは未来の国母になるの」
───傲慢で
「お父様もお兄様も、リチャード様も。わたくしの”お願い”を叶えてくださるものだから。もっともっとと欲深くなってしまうの」
───貪欲で
「今はこのお父様の領地でしか遊べませんが、あともう少しで遊んでよい箱庭が広がるなんて……楽しみでしょう?」
───うっそりと笑んだアディール侯爵令嬢様は、台詞も相まって完全に”悪女”だった。
*
ガタゴト
ガタゴト
馬車の中。
この馬車が向かう先は王都の隣に接している、アディール侯爵領の教会である。
なぜ、王都で大店とはいえ商人の息子でしかない俺、デニス・ピオニールがアディール侯爵領の教会へ向かっているのか。
また、なぜこの揺れの少ない豪華な馬車に───我が国の国教長官ザーロモン侯爵家嫡男であり、王太子殿下の側近の一人であり、美貌のミハエル様と同席しているのか。
詳しく聞いてほしい……!
糸目な俺の瞳が向けられたことに気付いたのか、聖典の大天使のようなミハエル様が儚げな笑みを俺に向けた。
ミハエル様の肖像画は下級貴族には売れないだろう。
腕の良い絵師に依頼しなければこの美しさを筆に乗せきれないし、下手な絵師に依頼も出来ず価格が下がらない。
「デニスとは学園の卒業パーティー以来ですね。お変わりありませんか」
「はい。こうして再びおめもじ頂き……」
「ふふ。デニスはおもしろいね。こうしてローズ様に招かれた仲だ。親しくしよう」
「誠に有難く……」
「まあ、追々ね。これから時間もあることだし。あぁ、そうだお腹は減っていないかな? 先ほど休憩した時にリンゴをもらってね」
ミハエル様の懐から出てきたのは、先ほどの休憩所でミハエル様を天の使いと勘違いした老人から貢がれたものだ。
「いえ、私は大丈夫です。それに、ここにはナイフもありませんので」
あぁ、とたおやかに笑むミハエル様は繊細な美形だ。
だが、俺は知っている。
ミハエル様はこう見えて……
馬車の中。ガタゴトという音に紛れ、グシャリと音がした。
「───あぁ、割るつもりが潰してしまった」
無残にもつぶれたリンゴを見ながらミハエル様はコテリと顔を傾けた。
一拍。
突然の事態に反応が遅れたが、懐から取り出した布袋につぶれたリンゴを回収し、ハンカチを差し出す。
「その袋は……」
「はい。新商品の液体・匂いも漏れにくい保存袋でございます。お披露目できて光栄です」
それはとても便利だね、と微笑むミハエル様を見て。
この道中では、面倒くさがり・力任せなミハエル様の手となり足となり従者に徹しようと心に決めた。
*
目的地である教会に到着すれば、身なりの小綺麗な神官が出迎えた。
ミハエル様と神官は顔見知りなのか再会を喜んでいた。
別の馬車に乗っていたアディール侯爵令嬢も合流し、教会の迎賓室へと通される。
アディール侯爵令嬢の後ろには学園では見かけたことがない黒髪のご令嬢がいた。
目礼を交わしたが、紹介されないままなので挨拶はせず会話が始まってしまった。
ミハエル様も気にした様子はなく、令嬢はじっと会話に耳を傾けている。
黒髪のご令嬢は異国の風貌で、どこかで見かけたことがある特徴があった。
「アディール侯爵領は活気に溢れていますね」
「ミハエル様にそうおっしゃっていただけて安心しましたわ」
学園外でアディール侯爵令嬢にお会いするのは、前回の学園でのパーティー以来だ。
あの頃から今現在もアディール侯爵令嬢は噂の中心人物である。
アディール侯爵令嬢を称えるものや、王太子殿下との仲睦まじさを語る者たちばかりだが
やはり政敵と言われる派閥から流れてくる黒い噂は未だある。
前回の売国などは学園のパーティーでの演目でうやむやになったが、
最近はなんだったか。
確か、「奴隷売買」や「スラムの一掃」だったか。
稀代の悪女は労働奴隷を売り私腹を肥やしているだとか
流民を一掃……つまり、早い話が刑場へ送っている…‥というものだ。
他にもあったが、この二点だけは根も葉もないといえない点を商人たちが掴んでいる。
アディール侯爵令嬢に呼び出されたのは良いタイミングだった。
この噂の真相を確かめられるのだから。
それによって、ピオニール商会の方針が変わる。
商人は情報をいち早く掴むことが大事なのだから。
*
「……これは、本当に活気がありますね」
迎賓室を後にし、一行は教会に併設される孤児院へと向かった。
教会で清掃を行う神官たちが多いことには気づいていたが、孤児院もまた人が多かった。
孤児院は12歳までの身寄りのない子どもを保護する場だと思っていたが、
そこには明らかに成人している老若男女もいた。
奥の部屋には病人や寝たきりの老人もいるらしい。
「この町にいた流民をこちらの孤児院へ集めました」
アディール侯爵令嬢の代わりに侍女が発言した。
道理で王都を抜けてこの町に入ったあたりで、道の影に座り込むような流民を見かけなかったはずだ。
流民、と言われてもう一度視線を戻すが
身なりは清潔に保たれ、飢えた様子もなく大人は幼子の世話をし、神官が清掃や手習いを教えている。
流民と言えば商隊を襲ったり、盗みを働く者。
村単位で築かれる連帯から弾かれた世捨て人の印象があった。
しかしここにいる”流民”の目は穏やかで、集団で生活している。
「全く流民には見えません」
「皆さまお元気になられたようで、わたくしも驚きました。……デニス様、流民と呼ばれる者たちは元々、我が領民なのですよ」
領民だとハッキリ言ったアディール侯爵令嬢の言葉に、ミハエル様がコテリと顔を傾げ繊細で製造工数がかかりそうな絹糸のような青髪が肩から零れ落ちた。
「……”流民”は領民でも、国民でもないというのが我々貴族の見解だと思っておりましたが?」
ハッと黒髪の令嬢が息を呑んだ音が聞こえた。
それをアディール侯爵令嬢は視線をチラリと流しただけで、何も言わない。
「税収を納めることで国の民と認められるのです。我が国の民でも領民でもない者を保護する前に、現在税を納めている領民へ還元するのが先では」
ミハエル様は黒髪の令嬢に聞かせているのか、学園に通う水準の子女なら暗黙の了解として教え込まれる”教養”を語った。
ピンと張った緊張感の中。アディール侯爵令嬢は『待ってました』とばかりに頬を染め、声を跳ねさせた。
「ええ。わたくしもそう思うわ。だからお二人をお呼びしたの。
───わたくしの我が儘を、聞いてくださる?」




