悪役令嬢の勘違 2
挨拶も一通り済み、席次表ごとにテーブルにつく。
わたくしのテーブルは全てご令嬢で、別のテーブルに座るご令息にチラチラと視線を送りながら何やら楽しそうである。
先ほどの挨拶の場でなかなか手を離さず領地自慢をしていた令息である。令嬢たちはウキウキとした様子で「まぁ。あんな焦がれた視線でローズ様を見つめていらっしゃるわ。お可愛らしいこと」などと言っている。なんとしてでもこの機会に特産品を売り込んでこいと親から言明されているに違いない。
私はというと先日から保護している黒猫ちゃん───サーラ様のことで頭がいっぱいだった。
サーラ様はまだ謎に包まれた部分が多い。
一体、どこから来たのか。
能力とはどんな力なのか。
サーラ様の珍しい風貌はレイノルドお兄様が留学されていた土地の方とは異なる。言葉も何種類かのアクセントが混ざっていて、どこの国から来たのかはまだ推測出来ない。うーむ。謎は深まるばかりですわ。
「──この白い苺は次から次へと食べたくなってしまいそうになるわ。まるで禁断の実ね」
「──まぁ! 禁断の実、とは創造神話で世界で最初に神から生まれた男女が食べてしまったアレですわね!」
「──禁断の実とは甘い苺のことだったの?!」
「──いえ、それは解釈によりますわ。林檎だったり苺だったり葡萄だったり、毒のある木の実……まぁ、食べ物では無く何かの比喩だったという説を私は推しますわ。だいたい神話や昔話は語り継がれるうちに少しづつ改変されていって……」
「──創造神話、といえばやはり話題の最新演劇! 皆さまご存じ?」
レイノルドお兄様はサーラ様を聖女として国に留まらせ、何をしようとしているのかしら。
聖女、せいじょ、セイジョ……
「──今話題の"聖女物語"ですわ!」
突然耳に入って来た聖女という言葉にピクリと耳が反応した。
それはまさに今考えていた事柄ですわ!
顔色を変えないようにしながらも、耳を研ぎ澄まし聞き漏らさないように真剣に聞く体勢をとる。
「なんと聖女とは、魔法で召喚された異界の娘だったのです」
まぁ……!と誰かが合いの手をいれた。
「その異界の娘のもつ奇跡の力で困難に立ち向かい、悪を浄化する旅の道中で愛を育むのですわ」
「まぁ! お相手はどなたになりますの!?」
「王子様、護衛騎士、聖職者などなど豪華絢爛、美麗な男性から雄々しい方まで旅の仲間の内、どなたか……もしくは全て……っ」
「全て、なんてありえますの!? まぁあ!」
「日によって最後に誰が選ばれるのかお話しが変わるそうですのよ」
令息たちが座るテーブルの方を見ていたはずの令嬢たちまで頭を寄せ合っている。
ゴクリ。と誰かの喉が鳴った。
「……その異界の娘は産まれた世界には戻れないのかしら?」
「そこなのですわ!! 父母や友がいる元の世界に戻るのか! 愛する人だけが頼りの異界の地に残るのか! そこが演目の山場なのですわ」
同じテーブルにいる令嬢たちは真剣にどちらを選ぶか考え始めている。
異界に飛ばされたり、召喚されたり、魔法などお伽噺でしか無いが、令嬢たちは政略結婚で仕来りも言葉も異なる国へ嫁ぐ場合もある。それを"異界"と例えるのなら、思うところもあるのだろう。
「悩ましいですわぁ。男性側……異界の娘を召喚した側から見ると、愛しい人と今生の別れになろうが娘の幸せを願い異界に戻すか、自分の欲のために異界の娘にとって辛く厳しい世界である自分の元に縛り付けるのか……」
「相手に捧げる愛か、己を満たす愛か、ですわね!」
「愛とは相手の幸せを願うもので無くて?」
「いいえ、そんな綺麗ごとを! 欲しいものは欲しいという情熱こそが愛なのですわ!」
きゃいきゃいと興奮する令嬢たちは瞳を爛々と輝かせ「ローズ様はどう思われますか?」と手に汗握って答えを待っている。
「──わたくしは……」
その瞬間。ふわっと香ってきた爽やかな香りに、一瞬あのキラキラと煌いたテラスでのひと時を思い出した。
「おもしろそうな話をしているね」
急に耳元に注ぎ込まれた美麗な声に驚き振り返れば、こちらを覗き込む優しい空色の瞳と目があった。サラリと流れる金の髪が日の光にキラリと輝く。
「リチャード様……!」
「遅くなってすまないね」
流れるように頬に軽くキスを落とされ、何事も無かったかのように通常の距離まで離れるリチャード様。
叫び取り乱さなかった私を褒めてほしい。
お客様の前ですので『これが私たちの普通です』という風にニコッと笑み返したけれど。
私の心の中では天使さんたちが東の国の祭事に用いる”太鼓”と呼ばれる楽器を乱れ打ちしているわ……! フルコンボだドン。天使さんたら多才ね!
先日の『リチャード様の分からず屋事変』からリチャード様は折に触れて、私の心臓を確実に止めに来ている。
私のしたいようにします! と宣言し、お部屋を飛び出した後。
リチャード様から正式に『ローズのしたいことを見守る』と謝罪があった。
勝利を確信したのもつかの間。
なぜだか、その後からリチャード様のスキンシップがレベルアップしたのだ。
抗議しても「婚約者だからね」と微笑まれるだけなのだ。
ほ、ほんとうに世の中の婚約者同士はこのようなことを……?皆さん、ずいぶんと強靭なハートなのね。おそれいったわ。
動揺を隠しながらスイッと視線をご令嬢たちの方に戻すと、皆頬を染め瞳を輝かせている。
それは先ほどの演劇を語っていた時と同じ種類の視線である。
そんな瞳で見ないでちょうだい……!!
令嬢たちの謎の期待の籠った視線に耐えられず、そっと他のテーブルに視線を流す。
なぜだか少し離れたテーブルにいる令息たちはまるで『魔王の宝に触れた者は処されることを見せつけられた脇役』のように、忠誠を誓う姿勢で固まっている。どうした。
もしかしていくら婚約者といえども人前で頬にキスなどしないものなのでは……?
疑いの眼差しをリチャード様に向けると、遠くの方に顔を向けていた鋭い空色の瞳をチラリと戻し、それはそれは綺麗な笑顔を返された。後ろに花が見えた。満開だ。
弩級の麗し光線を直視してしまった私の網膜は、きっと甚大なダメージを受けたに違いない。
会場にいた令嬢たちは大騒ぎだ。
「すぐ戻らなければならないのだけれど、ローズに白の贈り物を渡したくて」
差し出されたのは一本の白薔薇だ。花弁がフリルのように細かく波打ち、一層華やかに咲き誇っている。花弁の先が日の光を浴びると、うっすらと水色にも見える。
なんて美しいのでしょうか……!!
「とても嬉しいですわ……どうしましょう。リチャード様にも白の贈り物を……」
清らかな瑞々しい花弁や香りに魅了され薔薇から目を離せず、うわ言のような音量になってしまったけれど、しっかりとリチャード様には聞こえていたようだ。
「私への白の贈り物はローズだよ。……ローズからキスを贈ってくれるのかな?」
いつの間にか顔を寄せていたリチャード様に耳元でそう囁かれてしまった。
固まってしまった私の表情を見て満足したのか、口端だけニヤリと上げて私の白っぽい銀の髪へキスを落とした。
そして「楽しんで」と言い残し、リチャード様は令嬢たちと私の心を乱すだけ乱して早々に去って行った。
本当にお忙しいようですわね……
「ローズ様っ! 白薔薇一本ですわ! きゃー!! 殿下からの愛が眩しいですわ!」
リチャード様から頂いた白薔薇は、摘みたてなのか私の手の中で瑞々しく華やかな香りを纏っている。
白薔薇の花言葉は尊敬や約束、という意味がある。
しかし、一本の白薔薇を男性から女性へ贈るとなるとまた意味が変わり……
一本の白薔薇の意味は、『あなたしかいない』になる。
なんだか、愛の告白をされたような気分になって頬に熱が集まってしまう。
「殿下はきっと花言葉をご存じですわ! そうに決まっています! 政略では無く、愛が結ぶ結婚……はぁ。良いわ……」
「愛し合う男女は見ているだけで幸せになりますわ……」
ドキドキと乱れる脈と、なんだか胸の辺りがギュインギュインしてしまっているが浮かれてはいけない。
令嬢たちがうっとりしているところに申し訳ないが、私とリチャード様は政略も政略のド政略なのだ。
しかし、リチャード様と婚約が結び直された時に流れた『政略結婚に翻弄され幼い頃から想い合っていた二人の運命がついに結ばれた』という噂が令嬢たちの心を掴んだのか、私とリチャード様は相思相愛! 愛で結ばれた! 愛し合う男女! と思われているらしい。
わざわざ否定するようなことでは無いし、王太子殿下と婚約者が仲良しだと国民も安心するようなので、そのままにしているけれど……
リチャード様の演出は……確かに私も、もしかしたらお心を寄せて頂いているのでは……と、勘違いしてしまいそうになる。
*
王太子殿下からもらった白薔薇を熱っぽい瞳で見つめながら、キスを受けた頬を隠すように手を当てるローズの様子をニヤニヤと眺める令嬢たち。
頬がゆるみそうになるのをキリッとこらえる給仕のため側に立っていたメイドたち、護衛騎士たち。
わかっているだろうな?と視線を送られた冷や汗が止まらない令息たち。
憑りつかれたように筆を振るう、庭園の端で今回の白の会の様子を描くように命じられていた画家。
王太子の婚約者が主催した白の日のお茶会に参加した者たちから、二人の仲睦まじい様子が漏れ伝わり『政略結婚に翻弄され幼い頃から想い合っていた二人の運命がついに結ばれた』という噂に『本物を見ると尊さで寿命が延びる』『甘酸っぱい空気だった』『近寄りすぎると消される。物理的に』という尾ひれが増えた。
その日の絵画は複製に複製が重ねられ、幸せな噂話と共に国内に広がることとなる───




