第8話(本編最終話) 老人と離れる
3か月ほどかけて、仕事場は復旧された。壊れた機器は撤去したが、それらから取り出した、まだ使えそうな部品は残されて作業部屋に置かれたので、部屋の景色にも、あまり変わり映えはなかった。
事務室の方も、デスクは新しいものになったが、これ見よがしなスペースを開けて隅っこに4つ置かれている状態には、変わりはない。入口のドアから、もっとも離れた隅に。
あれだけ燃えて崩れた部屋だが、何事も無かったかのように、以前通りの日々が、その中で始まった。
3か月間、再開できなかったことで、たまりにたまっていた仕事だったが、私とヤンベン老人がフル稼働すれば、3日ですべてが片付いてしまった。そしてまた、ヒマヒマな日々に、我々は置かれることになった。
「とうとう正式に、私がこの仕事場を引きついで、私をメインの担当者として、ここの仕事が続けられることに、決定しましたよ。ついさっき、新政権から、辞令を受け取りました。」
この言葉を告げた時の、誇らしく清々しい気分は、全人生を通じて初めて味わうものだった。閑職と軽く見たこともあった仕事だが、この瞬間の私には、何物にも代えがたい名誉に感じられていたのだ。
「そうか、そうか。とうとう弟子に、先を越される時が、来てしまったか。これからは、お若いのが主担当で、わしは補佐ということだな。世代交代だな。やれやれ。」
この言葉を告げるヤンベン老人の顔も、心からのうれしさで、溢れていた。悔しいとか、妬ましいとか、そんな感情は微塵もないらしい。長年君臨しつづけた縄張りを、乗っ取られるわけでもあるのだが、ヤンベン老人に、そんなわだかまりなど全くないらしい。
自分の後を継いでくれる者が、正式に決定したことが、ほんとにうれしくて仕方ない様子だった。
そしてその3日後、私に、べつの職場への異動が、新政権によって命じられた。
朝令暮改も二転三転も、これまで何度も経験させられ、なれているはずのものだったが、今回の異動は、あまりに節操がなかった。
ヤンベン老人に別れを告げ、人工惑星を離れていくシャトルのなかの私は、堪えがたい寂寥感に襲われていた。
苦労して覚えた仕事を、これからバリバリとこなしていくのだと意欲を高めた私の気持ち。長年勤めあげた仕事場を、引き継いでくれるものが決定したと喜んだヤンベン老人の気持ち。新政権において、今回の決定に関与した人々は、それらについて、どれくらい知っていて、どう考えているのだろう。
せめて一度くらい、古びてほこりをかぶった検査機器を、その目で見て欲しいと思った。ヤンベン老人の思い出話を、一回くらいは聞いてから、決めて欲しいとも思った。
ほこりまみれの作業室や、がらんとした事務室に、かつての活発だった作業者の影を思いうかべられる者にこそ、私の処遇を決める権利はあるはずだ、とも感じた。
後々、いろんなツテを使って調べたところでは、今回の異動は、1回の会議の場において、なんとなく決まったことのようだった。
会議が始まる直前まで、だれも私の処遇について、明確な意見は持っていなかった。会議での話し合いの、偶発的にできあがった流れのなかで、政権内の多くの権力者への斟酌や忖度があれこれと織りこまれた末に、なんとなく、こんな決定に至ったのだそうだ。
決定に関与した誰も、検査機器にまつわる苦労譚も、ヤンベン老人の思い入れの強さも、想像すらできる立場になかったらしい。末端の作業者の苦労の日々や、かけがえのない思い出より、どこかの権力者の機嫌をとることの方が大切な者たちが、我々の運命の決定者だったわけだ。
ヤンベン老人の仕事場から、10光年以上離れた場所で、私の新たな生活が始まった。
1年ほどした頃、ヤンベン老人の仕事場も、別の場所に移設されることが決まったと聞かされた。
私たちのいた人工惑星で生産されたものは、今後すべて、新政権に収められることとなったらしい。それでも皇帝への献上品を廃止する、という決定は下せない新政権が、別の場所で生産されたものを献上するという間に合せの手段を、苦肉の策として打ちだした。それに伴って、ヤンベン老人の仕事場も、移設を余儀なくされたという。
「検査機器が、輸送に耐えられるかどうかも分からん。新たな場所に、正常に据え付けができるかどうかも、あやしい。これから、どうなってしまうのか、全く分からん。ちゃんと検査業務が続けていけるのかどうか、不安で仕方がない。機器については何も知らん連中が、拙速な思いつきで決めたことに、なんでこんなに振りまわされなければならないのか。」
ヤンベン老人が送って来てくれたメッセージには、やりきれない心情が吐露されていた。一度は私に託してしまえると思った業務に関して、こんな厄介な難題まで、背負わなくてはならなくなったのだから、その気苦労は計り知れない。
だが、私には、何もできなかった。10光年もの彼方から、行く末を見守るしかなかった。
更に3か月が過ぎたころ、ヤンベン老人から、またメッセージが届いた。
「なんとか新たな場所で、全部の検査機器を、正常に作動させることができるようになった。業務はすべて、差し障りなく継続できそうだ。ここにくるまで、散々苦労した。何十回も設定を切りかえたり、据え付けをやり直したりして、1か月以上かけてようやく、正常に作動させられた検査機器が、いくつもあった。多くの人に面倒をかけ、協力をもらい、助言も受けた。やはり、これだけの数の機器を、別の場所に移設するというのは、並大抵のことではなかった。」
やれやれ、と肩を撫でおろすヤンベン老人の姿が、目の裏にうかんでくるような、メッセージだった。思い出話も、大幅に追加されたことだろう。次に誰かが仕事を教わるとしたら、今回の移設にまつわる苦労譚も、何時間にもわたって聞かされることになるだろう。
そんな想像を巡らしながらも、とりあえずヤンベン老人が、長年やってきた仕事をこれからも続けて行けるようになったことを、私は心から喜んだ。
後継者が決まるのか、老人はいつ引退を迎えられるのか、などの問題は山積しているが、まずはめでたし、といったところだと思ったのだった。
それから3か月後、皇帝献上品の検査業務は、完全に廃止されることが、新政権によって決定された。
ヤンベン老人からは、移設完了の報告以降は、音沙汰がない。どうなったのか、どこでどんな気持ちでいるのか、気になり続けてはいたが、私も新たな仕事にかまけてしまって、その件は、放置してしまっていた。
新政権の決定には、当時には、はらわたが煮えくりかえる想いだった。せめて移設前に、廃止の決定はできなかったのか。どれだけ、無駄な努力をさせれば、気が済むのだろうか。
それに、この廃止の決定も、1回の会議でなんとなく決まったということも、漏れ伝わっていた。
皇族の儀式を廃止するリスクを、皆が意識しながら、問題が起きた場合の責任の所在を明確にすることもなく、どんな事態が起こり得るか検討することもなく、誰が発案し、誰が賛成したのかもうやむやの状態で、誰一人として、廃止しても大丈夫だと思っているわけでもないのに、廃止の決定が、あっさりと下ってしまったという。
憤りは、一時は熱く私の胸を焦がしたものだったが、やはり、のどもと過ぎれば熱さは忘れるもので、忙しい日々は、熱い憤りをも置き去りにしてしまうのだった。
それでも時々は、ふと、ヤンベン老人の仕事場について、思い出すことがあった。そんな時には、サンプルのセッティングの仕方など、具体的な作業の中身まで、思い返してみようとつとめるのだが、ほとんどを思い出せなかった。
そのことに、私は、ゾッとしたものだった。
あれだけ苦労して覚え、忘れては覚え直すのを繰り返し、もう忘れることなどあり得ないとまで、思えるくらいになったこともあったのに、私は、忘れてしまったのだ。
どれだけの苦労が詰まっているのか、知っているのに、散々聞かされた思い出話から、ヤンベン老人の思い入れの強さも、身に染みて分かっているのに、かつての作業者たちを、会ったこともないにもかかわらず、目の前に思い浮かべられるようにまでなっていたのに、それでも、押し寄せてくる忙しさや、流れていく時間の中で、記憶というのは、こぼれ落ちてしまうものだった。
取り残されていた検査機器は、もはや完全に、不要のものとなってしまった。廃棄されたのか、放置されているのかも、私は知らない。
私にまで忘れられてしまえば、あの検査機器たちは、救いようもないほど憐れな存在になってしまう。そうと分かってはいるのだが、それでも私は、忘れてしまう。
ヤンベン老人と、かつてあの部屋をにぎわせた人々の想いも、私は、裏切ってしまっていた。
あれからもさらに、数年を経てしまった今、ヤンベン老人の仕事場に関して、私には、思い出す機会も、まれになってしまっているし、思い出すことのできるものは、ほとんどなくなってしまっている。ヤンベン老人の顔も、上手く思い描けない。
大まかな形をイメージできる検査機器も、だいたいの流れを思い出せる作業も、一つもない。最初にあの部屋に踏みこんだ時の景色が、やけにはっきりと、目の裏に焼き付いているだけだ。
他のことは、ほんとうに、全くといっていいほど、記憶に残っていない。
そして、そのことに私は、ゾッとずら、しなくなっている。
今回の投稿は、ここまでです。本編もここで、終了します。
次回の投稿は、 2020/9/12 です。このシリーズの他の作品と同様に、お約束のエピローグであり、ここでこの小説は完結します。お忘れなきよう、エピローグにも目を通してやって頂きたいです。
会議におけるなんとなくの決定に翻弄されてしまった、主人公とヤンベン老人ですが、似たような経験をお持ちの読者様も、おられるのではないでしょうか?組織に属している人ならば、それが国であれ企業であれ、こういう事態はいつでもあり得そうです。太平洋戦争の開戦ですら、会議(閣議?)の場でなんとなく決定されたなんて話も、聞いたような・・・。
会議で多くの意見を集めれば、より正しい判断ができるという考えも、疑ってみた方が良いのかも・・・。