第3話 老人と励む
布地のなかの各原子の配置や配列にはじまり、すべての繊維の分子構造や立体形状や、すべての繊維束の密度などまでが、一度のビーム照射で計測された。
「うむ」
モニターを睨んでいたヤンベン老人が、満足気にうなずく。「品質に問題は、ないようだ。献上可能の評価をそえて、輸送部門にデーターを送るか。」
「これだけですか。これなら、比較的はやく、作業をおぼえられるかな・・」
「いやいや、お若いの、甘く見てはならんぞ。」
腰に手をあてて忠告した老人は、なぜかとても楽しそうだ。「計測のあとには、内部の洗浄もせねばならんし、ビーム照射源の再チェックも、せねばならん。それに、布地のセッティング作業も、見ているときに思うほど、簡単ではないのだぞ。一度自分で、やってみるといい。」
その言葉通り、私は布地のセットに、何度も失敗をかさねた。
「あ・・ああ、また、破いてしまった。破れてしまった布地は、もう計測には、使えないのですね。」
「うむ。まあ、サンプルはまだまだあるし、それはすでに評価済みのサンプルだから、何度失敗しても問題は無い。何回でもやり直せばいいが、納期に間に合うように、検査を済ませられるようにならなくてはな。」
「かつての忙しかった時代なら、こんなにモタモタしていたら、まったく戦力にならなかったのでしょうね。」
「そうさ。わしも、ここに来たばかりのころは、丸一日これを練習させられたものさ。わしが直ぐにでも戦力にならないと、仕事が追いつかんように、なってしまう状況だったからな。」
懐かしそうに眼が泳いだかと思うと、思い出話の洪水が始まった。「あの頃の新入りはな、まずこれの練習をな、一人前にできるようになるまで、何日も、朝から晩までやらされてな、それをクリアするとだな、次にな、あっちのな・・・・」
当時の新入りの、最初の10日間くらいのスケジュールを、たっぷり1時間ほどかけて、ヤンベン老人は語りとおした。
適当に相槌はうちながらも、私は、その大半を聞き流した。とてもじゃないが、すべてをちゃんと聞くほどのスタミナは、私には無い。
だが、不思議なことに、話の内容は頭に入ってこなくても、うれしそうに語るヤンベン老人の顔を見ていると、閑散とした作業室内に往時の活況が、うっすらと浮かんでくるような気がした。
言葉の内容にではなく、老人の話ぶりに、私のなかの何かが、共鳴しているかのようだった。
作業室を行きかう、見知らぬ人々の、うっすらとうかび上がった影に、なぜか懐かしさすら感じる。その人たちはもう、ここにはいない。そして私には、顔を合わせる機会さえもない。そう思うと、寂しくもなってくる。
老人の話と、目の前の検査機器の、どちらが、その人々の影をうかびあがらせる主な原因であるかも、私には、判断がつかなかった。
結局私は、その日の残った時間すべてを、布地のセッティング作業の練習に費やした。だが、それでも、習得はできなかった。
すこし気落ちした私の心に、老人の声は、とてもやさしくひびいた。
「気にするな、お若いの。ジョイント部分がバカになっているから、余計にむずかしくなっておるのだ、あははは。昔は、もっと簡単だったのだ。パーツを交換できればいいのだが、古い型のものだから、もうそれが手にはいらんのだ。」
「こっちの使わない方の機器から、移植してこられないのですか?」
私は、ほこりをかぶってずらりと並ぶ、同じ種類の検査機器を指さした。
「まあ、できるにはできるが、完全に使えなくなったわけではないし、わしは問題なく使えるからな。限りあるパーツをあえて消費しよう、とは思わなかったのさ。じゃが、お若いのがどうしても交換してほしければ、そうしても構わんが。」
「いえ、私のためだけにそんな・・。練習して、なんとかできるようにします。」
それから3日ほどの練習を経て、私はやっと、布地のセッティングを習得した。だが、その検査機器を使いこなすには、老人の言っていた内部洗浄やデバイスのチェックを含め、いくつもの作業を習得する必要があった。10日やそこらでは、覚えきれるものではなさそうだった。
それに、検査機器はこれだけではなく、他に何十種類もその部屋にはあった。皇帝一族が色々な儀式に使う、衣装、装身具、宇宙服といったたぐいのものから、食料、アルコール飲料などまで、様々なものの品質をこの部屋では検査しているのだ。
それらは、頻度の高いものは、毎日1回くらいの割合で実施されるのだが、低いものでは、数か月に1回とか、年に1回あるかないかとか、そんな頻度でしか実施されない。
あるていど簡単な作業ではあっても、1年もやらなければ忘れてしまうようなものはたくさんあるから、それらの作業の全てを完全に受けつぐというのは、壮絶に困難な課題なのだと、私は徐々に思い知らされていった。
「ああ、しまった。また失敗だ。」
「おや、それは、20日前にはできた作業なのにな。」
ここにきて、数か月がすぎたころのことだ。
新たな作業を覚えるのに四苦八苦している一方で、一度覚えた作業も、しばらくやらない間に忘れてしまう、ということの繰り返しになっていた。
ある作業を特訓している間は、すでに覚えた他の作業は、全くやらなくなってしまう。そうなると、せっかく覚えた作業も忘れてしまって、元の木阿弥となった。ここの全ての作業を習得するなど、一体いつになるのやら、目途すらたたない状態だった。
「本当に、これらの作業の全てが、これからも必要になるのですか?」
私の質問は、悲鳴に近いひびきがあったかもしれない。
「さあ、分からん。どの儀式を残し、どの儀式をやめるのか。新政権も決めかねているようだからな。経費の観点からしても、全部を残すというわけにはいかぬだろうし、かといって、どれをやめたら、どんな影響がでるかなども、予測しきれるものではないであろうし、なんとも・・・」
「では、今私が苦労して覚えている作業の中には、今後まったく必要が無くなるかもしれないものも、あるわけですね。」
「あるだろうな。というか、半分くらいは、必要なくなるだろうな。新政権が方針を決めてくれない限り、どれとは言えぬのだが・・・」
「半分以上は、近いうちに必要が無くなるけれど、どれが必要無くなるかは分からないから、私は全部を習得しておかなくては、ならないわけですね。」
めまいがしそうだった。
数か月たっても、まだ2割も習得できておらず、一度取得できたもののなかからも、忘れてしまうものが出てきている状態なのだ。全てを習得できる日など、来る気がしない。
それなのに、その内の半分以上は、今後やらなくて良くなるかもしれない作業なのだ。新政権がさっさと方針を決めてくれさえすれば、味わわなくてもよかったはずの無駄な苦労でも、あるわけだ。がんばる気力のなえること、はなはだしかった。
「昔はこれらの作業を、50人以上で手分けしてやったのだ。新入りも、これらのなかの1割くらいの作業を、1年くらいかけて習得したものだったし、中堅クラスだって、3割くらいの作業しか習得しておらんやつがほとんどだった。わしだって、すべてをできるようになったのは、十年以上経ってからだ。いきなり一人で全部を覚えようなんて、そもそも無茶な話なのだ。だからお若いの、あまり気にせず、のんびりやりなされ、あはははは・・・」
ヤンベン老人は、とにかくやさしかった。
「私は、いつまでに、これらをマスターすればいいのでしょうか?」
「さあなぁ。わしが健在のあいだは、マスターできなくても、問題はないと思うが。」
見たところ元気そうなヤンベン老人だが、そうは言っても高齢ではあるのだから、いつ何時、何が起こるか分からない。明日、ぱたりと倒れてしまうかもしれない。その一方で、あと10年くらいは、ピンピンしていそうにも見える。
いつまでに習得しなければいけないのかも、よく分からない状態のまま、すべてを習得するのにどれくらいかかるのかの目途もたたない作業の山を前に、私は、途方に暮れる思いだった。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は、 20208/8 です。
はるか未来の宇宙を描いているはずなのに、出てくる機器が古臭い印象だな、と思われている読者様も、おられるかも知れません。未来だからと言って、科学技術が前進しているとは限らず、モノによっては、後退している場合だってあり得る、というのがこのシリーズのコンセプトの一つです。
本作品では「宇宙系人類」について、あまり詳しく説明しませんでしたが、このシリーズの本作以外の作品を読了下さった読者様はご承知の如く、「地球」で勃発した全面核戦争から逃れて宇宙を放浪した人々の末裔が「宇宙系人類」なので、放浪中に、科学技術や政治体制などが、後退してしまっている場合が多いのです。
数百人から千人くらいの規模で、長らく宇宙を放浪していれば、維持されない科学技術が出てきたり、強権的で独裁的な政治体制に移行してしまったり、ということが起きても不思議ではない、という作者の考えが物語の底流にあるわけです。
だから、ヤンベン老人たちのくらす世界が、皇帝や新政権に支配された独裁政治のもとで、古臭い機器を扱っていたりするのも、当然なのです。
こういうことを、後書きでクドクド説明しなくても伝わるような文章を書けてこそ、一人前の小説家なのでしょう。そうなれるように、精進していきます。