第10章 龍一の過去(其の五月の女神)
次の日の朝方……
天神流の稽古を終え、布団に入るが、龍一は眠れなかった。
彼は迷っていた。瑠奈に告白をするべきか、それとも、あきらめるべきか……
結局彼は、一睡も出来なかった。
そして店に出ると、そこには、南と一人の女性が、龍一を待っていた。
「南、俺に合わせたい人って、その人かい?」
「そう、バイト先で友達になったの」
「麻奈美といいます」
「どうも、龍一です」
麻奈美は、髪を青く染めているが、すごくおとなしい感じの女性だった。
南は、中学を卒業してから、カラオケ屋でアルバイトしている。麻奈美とは、そこで知り合ったみたいだ。
麻奈美は、南の二つ上で、龍一とは四つ上になる。
「麻奈美は、バンドやっているの。だけど、ヴォーカルが辞めちゃって、最初は、瑠奈さんに頼んだのだけど、忙しいからって断られたの、それで、あんたを紹介使用と思って……」
「バンドか……俺にヴォーカルなんて出来るかな!?」
「龍一さん、お顔もいいし、いいお声をしていますよ」
龍一の顔が、赤くなった。
どうやら龍一は、初めて会った麻奈美に、ときめいてしまったようだ。
「(いかん、いかん……俺は、ルナさん一筋なんだ)」
「リュウ、やってみたら?」
「ルナさん……」
瑠奈はすぐに分かった。龍一が麻奈美に好意を持った事を……
「分かりました。やってみます。それで、バンド名はなんていうんですか?」
「アリスといいます」
麻奈美は、アリスのギターでもあり、リーダーでもある。
アリスというバンド名をつけたのも麻奈美だ。彼女は、ルイス・キャロル原作の、不思議の国のアリスが大好きだ。
不思議の国のアリスは、白いうさぎを追って、アリスが不思議の世界に迷い込んでしまうというお話だ。
麻奈美は、自分達で不思議な世界を創り、観客にアリスとなってもらい、不思議な世界を体験してもらう。
それが、彼女の作ろうとしている音楽の世界だ。
「アリスか……いいね。俺も、あの話は大好き」
その時、三人のお客が入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
龍一がまた、元気に接客しようとした。
「やっと、来たみたいですね」
「麻奈美さんの知り合いですか?」
「皆、こちらが、アリスの新しいヴォーカリスト、神威龍一さんよ」
この三人は、アリスのメンバー達だった。
ギターのセイジ、ベースのユータ、ドラムのカミヤ……
「麻奈美ちゃん、こいつ中坊じゃないですか!?こんなヤツと一緒にやるんですか?」
「な、何だと!」
セイジの言葉に、龍一は切れそうになった。
「金髪に女顔……こいつ、修羅とかいって、調子こいているヤツだろ!?」
カミヤも、挑発的な態度であった。
「上等だ!コラー!」
しばらく黙っていた、麻奈美であったが、
「お前らはここに、喧嘩しに来たのか?」
麻奈美の一声で、メンバー達が黙り込んだ。
「ごめんなさいね。龍一さん」
「は、はあ、麻奈美さんは、元ヤンですか?」
「そんな昔の事は、忘れました」
「と、とにかく、ヨロシク」
こうして龍一は、アリスの二代目ヴォーカリストとなった。
その日の夜……
「リュウ、麻奈美ちゃんの事が気になるのでしょう!?」
「そ、そんな事……」
「彼女、彼氏がいないみたいよ」
「そ、そうなんですか(やはりルナさんは、俺の事なんか……)」
三日後……
南と麻奈美が、店にやって来た。
「麻奈美さん!いらっしゃいませ!」
「龍一、私もいるんだけど」
「あっ、南、いらっしゃい」
「ちょっと、麻奈美の時と態度が違うじゃない!」
「そうか〜、麻奈美さん、ご注文は?」
「コーヒーを、お願いします」
「私は、コーラとハムサンド!」
「はい、はい」
しばらくして、龍一がコーヒーと、コーラと、ハムサンドを持ってきた。
「ちょうど、俺も今から昼休憩なんだ」
そう言って、龍一は、南の隣に座った。
「何で、私の隣に座るのよ?」
「麻奈美さんの隣だと、緊張するし、喋りづらいじゃない」
龍一はそう言って、麻奈美と話始めた。
「麻奈美さんは、ファンタジーものが好きなんですよね?」
「はい」
「俺、ヘリー・コッター好きなんですよ。本も全部読んだし、映画もDVDで観ました」
「私も大好きです。でも映画の方は、一番新しいのだけ観ていないです」
「炎のビスケットですか!?今度、貸してあげますよ」
しばらく黙って、ハムサンドを食べていた南だったが、
「ねェ、龍一」
そう呼びかけるが、龍一は、麻奈美との話に夢中で聞こえていない。
「でも、一作目の話が、俺は一番好き、へリーがヘリコプターに乗っていたら、魔法の世界に迷い込んじゃうんだよね」
再び、南が呼びかける。
「龍一!」
「何だよ!?」
ようやく、南の呼び声に気づいた。
南は、龍一を連れて、店の外に出た。
「あんた、どういうつもり?」
「何が!?」
「あんた、瑠奈さんと、麻奈美と、二股かけるつもり?」
「南、俺とルナさんは、付き合っているわけじゃない」
「だってアンタ、瑠奈さんのことが……」
「所詮、無理なんだよ。ルナさんは、今でも武さんのことが……」
「そ、そうよね。だから、北斗も……」
「北斗さんが、何だよ!?」
「な、何でもない……麻奈美と、うまくいくといいね」
「……」
「私、邪魔みたいだし、帰るわ」
「南……」
「じゃあね!」
「あっ、コーラとサンドイッチ代!」
「いい人、紹介してあげたんだから、アンタのおごりに、決まっているでしょ!」
そう言って、南は帰っていった。
「たく、ああいうヤツは、絶対長生きするな」
だが南は、子供を助けるため、十八という若さで、この世を去ってしまう……
龍一は、再び店の中に入っていった。
「南、帰っちゃった」
「そうですか。では、私もそろそろ」
「リュウ、送っていてあげな」
「はい!」
しばらく、龍一と麻奈美は、話ながら歩いていた。
龍一は心の中で、告白をしようと決めた。
そして、龍一が立ち止まった。
「俺、麻奈美さんのことが……その……好きです!」
「……私、正直な人が好きなのです」
「……」
しばらく沈黙が続いた。
そして……
「俺は、本気でマナミの事が好きだ!それは嘘じゃない。けど、それ以上にルナさんのことが好きだ!俺は最近、夢を持った。最強の格闘家……それが、俺の夢……」
「そうでうすか。では、音楽をやっている暇なんてありませんね……ヴォーカルは、また新しく探します」
「ゴメン……けど……一度だけ、俺をステージに上げさせてくれ!」
「はい!」
「じゃあ俺、店に戻るから」
「龍一さん、あなたの気持ち、すごく嬉しかったわ。この言葉は嘘ではありません」
「ああ、じゃ、また」
麻奈美を途中まで送って、龍一は店に戻った。
「おかえり、どうだった?」
「自分の気持ちを、彼女に伝えました。けど、俺には、本当に好きな人がいるから……」
「そう……」
龍一はいつか、自分の気持ちを瑠奈に伝えようと、そう心に決め、再び仕事に戻った。
数週間後……
この日、龍一が、初めてステージに上がる。
この日のために、龍一は、天神流の稽古を休み、歌の練習に励んだ。
「ルナさん、絶対来てくださいよ。特に最後の曲は、俺が詩を書いたんだから」
「ちゃんと行くわよ」
そして、アリスのライブが始まった。
ライブハウスには、瑠奈だけでなく、トオル、南、静、ミツオ、そしてプレシャスのメンバー達も観に来た。
「ようこそ、アリスの不思議な世界へ……」
龍一は、王子様のカッコウを、麻奈美は、お姫様のカッコウを、セイジは、ピエロ、ユータは、魔女、カミヤは、天使のカッコウをして現れた。
「今宵は、このカムイが、皆様を案内させていただきます」
龍一らしくないセリフだが、彼は今、喧嘩屋修羅ではない。カムイ王子だ。
だから、修羅の名を使わずに、苗字の神威を使ったのだろう。
この、ライブハウスで瑠奈達以外に、彼らの演奏を、本気で聴いている人が何人いるかは、分からない。
だが、龍一が歌っているのは、瑠奈に聴いてもらうため、そのために、ステージに上がったのだから……
そして、次が最後の曲……詩は龍一が書いたという曲だ。
「最後に、この曲を聴いてください……月の女神!」
龍一が、瑠奈のために書いた詩だ。
この時、瑠奈はどのような気持ちで、この曲を聴いていたのだろう
曲が終わり、龍一が最後に、
「オ・ルヴォワール」
そう言って、ステージを降りた。フランス語で、さようならという意味だ。
龍一は別に、フランス語が話せるわけではない。たまたま、知っていた言葉を言っただけである。
しかし、師匠の瑠奈は、フランス語、英語、更に、中国語まで話せる。
裏の世界で生きるために、彼女はいろいろな国の言葉を学んだのであろう。
そしてライブが終わり、龍一は、麻奈美や他のメンバー達と朝まで飲み明かした。
店に戻った龍一だが、飲みすぎたため、二日酔いとなった。
彼は以外と酒が弱い。といっても、彼は未成年だ。タバコと一緒で、未成年の飲酒は法律で認められていない。
この日、龍一はお休みで、昼過ぎまで眠っていた。
目が覚め、顔を洗い、瑠奈にあいさつをしに、店に出てきた龍一……
「おはようございます!」
「もう、昼過ぎよ」
「き、昨日のライブ、どうでした?」
「良かったわよ。あんた格闘家より、ミュージシャン目指したら!?」
「がんばって、最強の格闘家になります!ちょっと、散歩してきます」
そう言って、彼は散歩しに出かけた。
龍一が、散歩をしていると、公園で、高校生カップルが、三人のヤンキーに絡まれていた。
「こんなヤツより、俺達と遊ぼうぜ」
その時、
「お前らとは、俺が遊んでやるよ!?」
龍一が現れた。
「ああ!?(き、金髪に女顔……修羅……)」
「お、俺達……よ、用事がありますから、失礼します!」
三人は、そう言って、公園から去っていった。
「ありがとうございます」
高校生カップルが、龍一にお礼をいった。
「ああ……なあ、あんた達、高校生だろ!?」
「はい」
「高校って、楽しいか?」
「俺は、楽しいと思っています。高校に行ったから、彼女とも出会えたし……」
「そうか……」
龍一も、来年は三年生だ。この時から、彼は高校に行く事を決意する。
彼は途中で、参考書を買うため本屋に立ち寄った。
その時彼は、父親が書いている本を手に取る。読書家の彼だが、今まで父親の本だけは読んだことがない。彼は夢中で本を読み始めた。
龍一が店に帰ってきたのは、夕方過ぎだった。
「ルナさん!俺、明日から、学校に行きます!」
「ど、どうしたの……急に……」
「俺、高校に行くことに決めました!」
彼は、遅れたぶんを取り戻すため、猛勉強をし始めた。
そして龍一は、舞達と同じ桜木高校に入学した。
ふと、目を開け、
「……あんな頃もあったんだな……」
そう、龍一はつぶやいた。
そして、龍一が阿の山にこもる日がやって来た。舞達は気を利かせて、わざと見送りにこなかった。
「ルナさん、行ってきます!」
「いってらっしゃい」
龍一を抱きしめ、瑠奈が優しくキスをした。龍一にとって、あの時の夜以来のキスだ。
そして龍一は、店を出て阿の山に向かった。
最強の格闘家になるという、夢に向かって……