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信也の望み

 一方、大学に入学した信也は、楽しそうな若者たちを見つめながら、自分が忘れかけていた夢のことを考えていた。

 彼は、もともと、父親のいない家庭で、母親の兄である中田勇樹に心を寄せていた。勇樹も娘が3人いるものの、男の子を授かることができず、信也のことをとても大事に思っていた。

その日の困難なオペの話をしても、娘たちは気持ち悪いと言って、耳を傾けないが、この信也は目を輝かせて伯父の話を聞いた。

 子どもができたら、一緒に釣りに行くことを楽しみにしていた勇樹だったが、娘たちはその趣味には誰も付き合ってくれなかった。

 それでも、信也は喜んでその伯父に付き合った。

 伯母は母親である亜紀の親友ということもあったが、男子を授からなかった自分に責任を感じているようなところもあって、甥を息子のようにかわいがる夫に、決して嫉妬を感じるようなことはなかった。

 こうした意味においては、全てがうまく流れていたのかもしれない。


 そんな境遇の中で、伯父に心を寄せる信也は医者になりたいと思っていた。

 しかし、国語の苦手な彼に取って、国公立の医学部合格は至難の業で、私立は金銭面の問題からとても行くことができない。

 そんなことが、彼に現実を突き付けて来て、彼は母のように公務員にでもなろうかと考えるようになっていた。


 だが、青山義信の唯一の後継者という事実を目の当たりにした彼は、再び『医者になりたい』と強く思うようになっていた。

幸いなことに、

( 東栄大学には医学部がある、転学ができないのだろうか…… )

 そんな思いに覆い尽くされてしまった信也は、転学の条件について話を聞くために学生課の事務所を訪れたが、驚いた担当者は、直ぐに事務長に連絡を取り、彼はすぐに理事長室に案内された。


「中田君、私はお祖父様から全ての話を聞いています。だから、君の置かれている立場もわかるし、君の思いも尊重したい。はっきりと言って、転学は可能です。ただ、この話は大学と君との間で完結することができるほど容易(たやす)くはないと思いますよ」


「はい…… よくわかります」


「青山の跡取りをどうするのかということも含めて、まずお祖父様とよく話し合ってみることが大事だと思いますよ。今日の話は聞かなかったことにしておきますので、結論が出れば、また相談に来て下さい」


「はい、ありがとうございました」



 信也は、その足で秘書の山城梓に電話を入れた。

『お久しぶりです』


『何か、困りごとでもありますか?』


『ちょっと、相談に乗って欲しいことがありまして……』


『へえー、それは光栄ですね。明日のデートはキャンセルして、君のために開けておきますよ』


『えっ、恋人ができたんですか?』切なそうに尋ねる彼に


『冗談ですよ、よろしければホテルでも取りましょうか?』


『はっ、はい、お願いします』


『馬鹿っ、何を考えてんのよ』


『えっ、でも……』


『でもじゃないでしょ、明日の10時、あそこの【マロン】っていう店の前で待ってますから』


『あっ、はい、お願いします』一瞬、男になれるかもと思った彼はがっかりしたが、再び彼女に会えることがうれしかった。


 一方、隣で山城の電話を聞いていた第一秘書の長崎は、笑いながらその様子をうかがっていた。

「かなり気にいられたようね」


「そりゃ、田舎から都会に出て来て、私みたいな美女に優しくされたら、あのての子は、イチコロですよ」


「頼もしいわね、青山の若奥様にでもなる?」


「いえいえ、そこまでは…… でも、初体験はさせてやろうかって思っています」


「へえー、偉そうなことを言っているけど、あなただって、23にもなってまだなんでしょ、ウェッ、気持ち悪くなってきたわよ」


「長崎さんっ!」


「大丈夫よ、誰にも言わないから」


「かっー、私も早く、いい男に巡り会いたいです」


 長崎は山城のことを絶対的に信じていた。



 翌日、10時に待ち合わせた二人は静かなカフェに向った。


「山城さん、俺、今は経済学部なんです」


「ええ、知っているわよ。将来のことを考えると、それが良いと思うわよ」


「やはり、そう思いますよね」


「ちょ、ちょっと、変な話はしないでよ」


「えっ、わかりますか……」


「わかるわよ、何を考えているの……」


「実は、俺、医者になりたいんです」


「かっー、変な話はしないでって言ったでしょ」


 思いを聞いた山城は、悩んだ末に長崎に連絡を入れた。

『長崎さん、お休みの日に申し訳ないです。今、信也君と一緒なんですが、ちょっと、とんでもない相談を受けていまして…… 来ていただけないでしょうか』


『わかったわ』


 1時間後、山城は合流した長崎に信也の思いを説明した。


「青山を継ぎたくないということなの?」


「いえ、決してそう言うことではないんです。ただ、医者になりたいんです」


「そりゃ、信也君の人生なんだから、仕方ないと思うけど…… 」


「やはり、これは我がままなんでしょうか……」


「いや、決して我がままだとは思わないけど、社長の思いを考えるとねー……」


「そうですよね、お祖父さんは、俺が継いでくれるって思っているんでしょうね」


「そうね、基本的に世襲制って言うのは問題があると思うけど、逆にこれだけ大きくなると、世襲制を重視する方が、安定的なのよね」


「世襲制って言うのは、身内が繋いでいくということですか」


「そう、そう言うことなんだけど……」


「長崎さん、社長の思いを探ってみるしかないですね……」


「うーん、だけど信也君は、社長が継いでほしいって言えば、諦めるの?」


「その時は、諦めます。お祖父さんがそういう結論を出すのだったら、ただ、孫に継いで欲しいっていう個人的な思いだけではなくて、俺なんかにはわからない、もっと大きな問題があるんだと思うので……」


「信也君、わずかの間にすごいことを思うようになったのね、お姉さんはうれしいよ」


「やっ、山城さん、やはりお姉さんなんですか…… 」


「そりゃ、そうでしょっ、5歳も年上なんだから…… 君と話していると自分が年寄りみたいで悲しいよ」


「ちょっと、失礼ね……」


「あっ、すいません」


「まあ、いいわ、少しだけ時間をくれますか……」


「はっ、はい……」


「社長の思いを探ってみるから…… それからの結論でもいいですよね……」


「はい…… ありがとうございます」



 そして、翌週の月曜日、


「社長、信也さんのことなんですが、よろしいか?」


「何かあったの?」


「いえ、特には…… ただ、どのように思っていらっしゃるのか、伺っておきたくて……」


「今は、山城君が気にかけてくれているのかな?」


「はい、そうなんですが……」


「あの子が、山城君に魅かれているのが心配なのかな……」


「えっ、そうなんですか?」


「ははっはは、家で話すのは、彼女のことばかりだよ」


「社長、楽しんでいます?」


「そう言われれば、そうかもしれない。美人の年上の女性に、色々なことを気にかけてもらって、あの子も幸せを感じているんだろうなって思うと、私もうれしくなってね」


「なんとなくはわかりますが……」


「はははっははっ、若いって言うのはいいねー」


「社長……」


「あの子が何か、言っているのかな?」


「えっ」


「会社を継ぎたくないとか……」


「いえ、決してそんなことはないのですが……」


 長崎は、

( さすがにこの人は、すごい。信也君に思いをぶつけさせてみよう)と決心した。 


 山城から、長崎の思いを聞いた信也は、その夜、祖父に思いを話したのだが、


「そういうことだったのか…… 長崎君の様子がどうもおかしいから気になっていたんだよ」


「わがままを言ってすいません」


「そんなことはないよ、信也君には信也君の望む人生を歩んで欲しい。会社は残った者が責任を負っていけばいいんだよ。君に出会う前は、そう考えていたんだから、君に押し付けようとは思っていないよ」


「あっ、ありがとうございます」


「それにね、むしろ、君が会社を継ぎたいって言ったら、その方が大変なんだよ」


「えっ、どういうことなんですか?」


「ここまでの流れを変えて、君に色々なことを教えていかなければならなくなるからね、その方が何倍も大変だよ」


「そっ、そうなんですか…… それで…… 授業料が……」


「そんなことは心配しなくてもいいよ。全て、こちらで対応するから……」


「すいません……」


「何を言っているんだよ。もし信一が生きていたら、君はこの家で育って、当然のようにこの家の資産で生きて行くはずだった人間なんだ。そのスタートが遅れてしまったけど、ここから始めようよ」


「はい、ありがとうございます」



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