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彼の恋(仮)  作者: 塩津湖
3/6



三(高校生一年生時代)

「……話を続ける前に、少しだけお前らに問いたい。

 結局のところ、「好き」とはどういう感情なのだろうか、……断っておくが『恋愛』的な意味でだからな」

 語り手は呷ったジョッキをテーブルに置くと、そう問いた。彼は、酒に酔いながらも、目は真剣そのものだった。

 テーブルを囲む聴衆たちは、「好き、か」「考えたこともなかったなあ」などと近くの友と語り合っていた。

「俺は、そうだなあ」と先陣を切って発言したのは、タンクトップだった。「その人を大事にしたい、って思う気持ちだろうなあ」

 その答えに対して、議長気取りの男は「無難だな」と言った。

「他には?」

「その人を愛したい、って気持ちじゃない?」

「そのまんますぎ、却下」

「ひど〜い」

「その人を独り占めしたい、って気持ち」

「それは言えるな、他」

「その人と一緒になりたい、って気持ち」

「よく言われるな」

「その人を、全てを犠牲にしてでも欲しい、と思う気持ちじゃねえか」

「過激だな」

「その人と離れていると切なくて胸が張り裂けそうになる、気持ち」

「恋愛小説や漫画でよくあるわ、そういうセリフ」

 ……。

 「オッケーだ、もういい」と「好き」の意味を聞いた男は、そこで議論を締め切らせた。

 「なによ、良いところだったのに」「もっと言わせろ」と、思いの外盛り上がった「『好き』とは何だ議論」の突然の打ち切りに一部の聴衆からブーイングの嵐が巻き起こる。

「……静かにならねえ(ない)と、話を続けねえ(ない)ぞ、……?」

 議論を打ち切らせた男は、笑顔で、だが、怒りを持って、静かにそう言った。その途端に、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った。……ちなみに、「話を続けねえぞ」と言った男によって静かになったのではない、その男とテーブルを挟んで反対側にいる男の睨みによって騒いでいた一部の聴衆が静まり返ったのだ。

「……よし、静かになったな」とそのことに気づいていない男は言い、徐に一服すると「では、続きを話そう」と口を開いた。

 さっきの質問を聞いたのは、俺がその「好き」という意味はかなり広義、……つまり、かなり広い意味があると思っているからだ。

 「恋愛的」な意味以外にも、「寿司が好き」という食べ物の好き嫌いだとか、「〇〇ちゃんが好き」という気が合う友達が誰とか、そういうものでも「好き」という言葉は使う。

 「恋愛的」な意味でも俺は、その熱量は違うと思っている。【彼女】と“かつての本命”との同じ恋愛的な「好き」の違いで体感したからな。

 ――それは、恋愛的な「好き」ではないんじゃないか、って?

 俺も最初はそう思ったさ。

 だが、俺はこうも思う、親友に対する「好き」と、情熱的でない恋愛的な「好き」は酷似していると。どちらも、遠くに離れてしまうときに離れたくない、と思うだろう?

 それと同じだ。

 ……これに対する反論は認めない。これを反論されてしまったら、……この恋は、完全に俺の勘違い、となってしまう。その可能性だけは避けたい。

 ――えっ、……ああ、そうかもしれないな。

 さて、話を戻そうか。

 ここまで聞いた奴は分かっていると思うが、俺が中学生の時、【彼女】とは何も無かった。

 【彼女】と俺が関係を持ち始めたのは、同じ高校に入学してからだ。中学生の頃は“本命”がいたからな。

 だが、“本命の女の子”と学校が分かれてしまって、毎日会えない喪失感こそなかったが、ある意味冷静にはなった、と言えよう。

 で、【彼女】と再会したのは、入学式を終えてから二日たった頃くらい、……だったかな。少なくとも、まだ電車通学になれてなかった時だ。

 俺の高校は、俺の家の最寄り駅から快速電車で二駅、各駅停車で三駅ほど先の駅で降りて、そこからバスに乗った先にある。最寄り駅から高校までの道は平坦で歩きやすいんだけど、距離がある、真面目に歩いたら半時間はかかってしまう。だから、ほとんどの電車通学の生徒は高校までの直行バスがあるから、それに乗って高校に向かうんだ。

 だから、時間さえ合えば【彼女】に会うことができるんだ。

 だが、俺は高校に入学するまで電車はあまり乗っていなかったんだ。慣れてなさすぎて、自動改札機にカードをかざすだけでも緊張していたよ。俺はその時 ICアイシー定期券を買ったにも関わらずICカード自体にはお金はチャージされていないことを気にしてた。まだその時は、ICカードをかざした途端に「ICカードにチャージされていません」って言われて自動改札機のドアがピシャッと閉まらないか、っていうことを本当マジで心配したさ。

 といっても、入学してから一週間もすればそんなこと気にしなくなってたけどな。

 で、その日も、緊張しながら改札をくぐって、ホームに滑り込んできた快速電車の一番後ろの車両に乗り込んだんだ。

 ――どうして、わざわざ一番後ろの車両に乗り込んでいたか、って?

 そんなもん、「少しでも歩くため」だよ、それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない、運動不足を少しでも解消したい、っていう自分のエゴだ。本当にそれだけだ。

 ……電車に乗って十分後、高校の最寄り駅に着いた。

 電車の扉が開くなり、その電車の乗客の約半分が降車した、その電車は高校の最寄り駅の次の駅が終点だったからだ。ホームにはその広さの割に多くの乗客が降り立ったために、人でごった返す。

 おまけに、その駅は客の動線がうまくできていなかった。二階の改札とは別に、IC専用改札機が一台だけ置かれている別の改札がホームのすぐ近くにあり、そちらの方が駅の外に出るには早かった。そのため、そこから出ようとする客の列でホームが狭くなってしまっていた。

 混雑の波にのまれながらもやっとの想いで、駅のコンコースへ出たとき、改札を通ろうとする人波の中に俺の高校の制服を着た見覚えのある背中を見かけた。

 【彼女】だ、直感的にそう思った。

 ――どうして【彼女】だとわかったのか、って?

 なんでだろうな、自分でもわからない。

 状況を補足すると、俺はこの時まだ、【彼女】の制服姿は見たことがなかった。同時に、高校入学前の春休みの間でも彼女とは一回も会っていない。

 ……心当たりがあるとすれば、俺はどういうわけか風貌をよく覚えてる時がある、【彼女】がその最たる例だろう。大概、服装は違っていてもその体のラインや髪型、頭の形はなかなか変わらない。だからだろう、服装が違っていても見分けることはできる。メガネの有無で顔の印象が大幅に変わることもあるが、【彼女】はしない方だったし、そもそもこの時は後ろ姿なのであって顔は関係ない。

 それに、……おそらく、この時の一番の決め手はカバンだろう。

 俺たちが通っていた中学校と高校はどちらもカバンに指定は無いに等しかった。規則として生徒手帳に記述があったのは「中学生、もしくは高校生らしいカバンであること」と「形状はスクールバッグやエナメルバッグ、リュックサック等」とだけ。……俺が知る限り、これに該当しないバッグというと、ビジネスバッグやランドセルくらいしか思い当たらない。

 そのため、生徒が持っているカバンは千差万別だ。俺の記憶だと同じバッグを持っていたのは一学年で二、三人程度、なかなか被らないと言って等しい。

 そんな中で【彼女】だと直感的に思った女の子は、【彼女】が中学校で背負っていたものと同じリュックサックを背負っており、かつ、その女の子の髪型は見たことのある、綺麗な黒髪の長い一つ結びだった。

 そのたった二つの条件だけでも、これらの条件が偶然合致する全く別の女の子は、なかなかいない。

 おそらくそれだけだ、あの女の子を【彼女】だと思ったのは。

 その時の俺は、そう思い込むと考えるよりも先に地面を蹴る力が強くなり、歩く速度が上がった。人混みの中を、綺麗に人を避けつつ彼女に近づき、改札を出た時にはもう【彼女】に手が届きそうだった。

 俺は、【彼女】の肩に手を伸ばそうとした、が、一瞬躊躇した。もし、人違いだったらどうしようと思ったからだ。手を伸ばそうとした時はまだ俺の前の女性の顔は見ていなかった、人違いの可能性が未だに捨てきれなかったのだ。もし【彼女】ではない場合、ちょっとだけ面倒臭い事になる、そんな予感がした。

 だが、こういう時に怖気付いては右にも左にもいけない、そう思った俺は勇気を振りしぼって彼女の肩を叩いた。すると、目の前の女性がその一つ結びの髪を翻しながら振り向き、俺と目があった。

 【彼女】だった、正真正銘【彼女】だった。

 良かった、間違ってなかった、そう俺は心の中で喜んだ。


***


「おぉ〜〜、良かったじゃん」と真っ白な作業服の男が言った、白作業服とは別の。

 すると、男は、「でっ、彼女とはその後どうなったんだ?」と言いながら、麦酒ビールの小瓶を持って語り手と俺の間に無理やり割って入り、語り手の方と肩を組んだのだ。距離が近くなった白い作業服の男の口からは、尋常ないアルコール臭が漂っており、俺は思わず鼻を塞いでしまう。

「まあ、そう焦るなよ。順を追って話していくからよ」と酒がやっと回り始めたのか、酒臭い男に肩を組まれた男は機嫌よくしたり顔で返事をした。……さっきまでの不機嫌そうな調子は何処へやら、だ。

 機嫌の良い男は徐に麦酒ビールの入ったジョッキを取ろうとすると、その隣の女性がその飲み口に、サッと手を乗せる。

「ダメだよ、もう五杯目でしょ。これ以上は体に響くわよ」とその女性は言った。

 それに対して、「良いじゃねえか」と言ったのは彼女が酒を止めた男、ではなく、テーブルを挟んで向かいに座る作業服の男だった。「花の金曜日なんだ、今日くらい飲ませてやれ」

「でも、……」と渋る女性に男は「頼むよ」と、目と言葉で訴えかける。「そいつはな半年くらいずっと禁酒を貫いてきたんだ。今日、久しぶりに集まる俺たちと、再会の喜びを分かち合うためにな」

「だから頼む、飲ませてやってくれ」と、恋話を語る男に呑ませてやりたい男は、そう言って頭を下げる。

「……わかった」と引き下がった女は、飲み口を塞いでいた手をどけた。頭を下げた男は「ありがとう」と礼を言う。

 対して、論点の中心になった男は女性の手が退けられると、掴んだジョッキを自分の袂に置いただけで、それに口を付けなかった。

 どうしたんだ……、とそれを見た全員が思うと、男は左の胸ポケットからタバコを一本取り出し、火をつけた。

 その瞬間、タバコに火をつけた男の後頭部に平手打ちが飛んできた。その衝撃で、テーブルに並べられた料理の上に顔が突っ込むまではいかなかったが、男の体は大きく前に傾いた。

「バカヤロウ」と先ほど酒の案件で引き下がった女が急に立ち上がり、そんな怒声を轟かせた、平手打ちをしたのも彼女だった。

「酒が止められたから代わりにタバコ吸おう、っつう(っていう)魂胆か知らん(ない)けどな、私との約束は守ろうか、おっさん……?」と鬼の形相となった女が、怒気が思いっきり詰まった言葉を、平手打ちを喰らわせた男に投げる。「タバコも体に悪い、ってこと知ってるよね、というかタバコの方が健康に良くないよね。だから、タバコは一日一本って決めたよね?飲み会や(だ)からって、そこらへん忘れてへんやろなあ、このお馬鹿さん……?」

 普段大人しそうな女の豹変ぶりに、周囲の男どもをはじめ全員が凍りつく、とりわけ、ターゲットの一番近くにいた俺とアルコール臭の男が一番とばっちりを受けた。

 ちなみに、「馬鹿」という言葉は東京方面では、言われてもあまり響かないそうだが、関西圏では冗談ではすまない。それこそ、本気の罵りの言葉だ。

 そんな、誰もが小便(しょんべん)をちびりそうになるようなこの状況で、怒られた当人はというと、しばらくした後に起き上がると「そりゃ、すまんかった。忘れとったわ」と一言。

 ……その言葉には反省も何もない、まるで鬼のような怒りを当人は何処吹く風と捉えたように聞こえた。

 それに対して、「んな(そんな)軽い謝罪で反省したと真に受ける馬鹿がどこにいるんだ(おんねん)、このクソ野郎!」と、もはや鬼と同化したかのような女性の怒りは収まるところを知らないようだった。

「ごめん、って次から気をつけるさかい(から)、許してくれや」と、まるで怒られているようには見えない涼しい顔をした男。

「いんや(いやだ)、許さへん。このまま冥土まで持っててやる」と鬼。

「じゃあ、この話が終わらないまま、この飲み会を終わらす気か?」と涼しい男。

「ぐぬぬ、……それは困るわ」と鬼が言った。

「……わかった、この話は持ち越しにしたる(してやる)。だが、忘れたわけじゃないからな。首を洗って待ってろ、この大馬鹿野郎」

「おう、首を切られる準備をしとくわ。カミソリでも持ってな」と、「大馬鹿野郎」と罵られた男は言った、はっきり言ってその彼の冗談が冗談っぽく聞こえなかった。

「さて、お見苦しいところを見せてしまった。心からお詫びするよ」と鬼を軽くあしらった男は男を囲む聴衆を見渡しながら言った。「じゃあ、話の続きといこう」


***


 どこまで話したっけな……。

 ――【彼女】と駅で再会したところ?

 ……ああっ、そうだった。高校生になってから初めて【彼女】に会ったところだったな。

 【彼女】とした高校生初めての会話は、入学後すぐにあった実力テストだったように思う。

 ――えっ、具体的に?

 んなもん(そんなもん)、覚えてるわけないじゃないか。

 ……いや、……そうだな。

 確か、この話は俺が「この前のテストどうだった?」と問いかけて始まったように感じる。

 それに対して【彼女】は「いやあ、まあまあだよ」と言った、と思う。

「ほとんど解けたよな」

「うん、そんなに難しくなかった」

「そっか、よかった」

 と、こんな言葉の往来があったと思う、……多分だ、多分。

 実際はどうだかわからん、俺はそんなに記憶力が良い方ではないのだからな。

 ――他のこと?

 そうだな、……【彼女】以外に同じ高校に入学したやつは誰かいるか、ということも訊いたようにも思うなあ。

 多分、彼女はこう言った。

「私とあなた以外にはいなかったなあ、……あっ、でも私と塾に通っていた子はいたよ」

 俺は「ヘェ〜」とだけ言った、……興味なさそうには言ってねえ(ない)からな。

 俺にとってその情報はかなり重要だったんだ。

 ……あっ、それで思い出した、こんなことも話したんだ。

 彼女がこんなこと言ったんだ。

「クラスのさ、初日からの団結感すごくなかった?」

 多分、彼女が言いたかったのは、入学式の時、初めてクラス全員が揃ったにも関わらず、既にグループができていたことだろう。

 それは俺も同じだった。

 初めてクラスに入った瞬間の雰囲気を見て、俺はどこか異質なものを感じたのだ。クラスメートの半分は緊張した面持ちで自分の席に座っているのに対し、残り半分は既に机から飛び出し、数人の友達グループを作って楽しそうに話し込んでいるのだ。

 おかしいとは思っていたさ、さっき会ったばかりなのにこんなにも仲良くなれるものなのか、と。その謎は、この後にあったクラス内のレクリエーションではっきりとわかった。

 そのレクリエーションの初っ端、自己紹介で司会になった人物は言った。

「じゃあ、まず『コウニュウセイ』と『チュウニュウセイ』に別れようか」

 ……『コウニュウセイ』?

 コウニュウセイ、とは何だ、一番初めにその言葉を聞いた時頭が混乱した。

 俺が混乱しているその最中でも、司会は御構い無しに自己紹介を進行させる。

 司会は言った。

「『コウニュウセイ』は教室の窓側に、『チュウニュウセイ』は教室の廊下側に集まって」

 すると、クラスメートは二手に分かれ始めた。

 俺は、未だその『コウニュウセイ』と『チュウニュウセイ』の意味が分からず、窓側が比較的男の子が多かったために窓側に移動してしまった。

 クラスメートが綺麗に二分すると、『チュウニュウセイ』側から自己紹介が始まった。

 その時、思い出した、俺が入学したのは中高一貫校であったと。

 それと同時に、こんな脳内変換が始まる。

 コウニュウセイ、こうにゅうせい、……購入生?

 いや、違うな、こうにゅうせい、……高、にゅう、生。

 高入生、そういうことか、と。

 つまり、入学生の約半分が付属中学校から直接上がってきた奴らなのであり、『コウニュウセイ(高入生)』というのは、高校から俺たちの高校に入ってきた生徒、『チュウニュウセイ(中入生)』というのは付属中学校から入ってきた生徒、のことを言うのだ。

 これで、ここまでの謎が解明した。

 つまり、クラスメートの半分は中学から一緒の奴らもいて、クラスの一部は高校に入る前からの知り合いだったのだ。

 ちなみに、俺は入学した高校は中高一貫校であることは知っていた、知っていたはずだった。だが、それを失念していたのは、中入生と高入生は別々のクラスに分けるものと思っていたからだ、まさか同じクラスに混ぜ込むとは全く考えていなかったんだ。

 ……で、何の話だったかな……。

 ――ああ、そうだった、【彼女】との初めての会話だったな。

 大分話が逸れてしまった、申し訳ない。

 その時の【彼女】との会話はそれだけだ。

 まだ授業も始まっていなかったし、バスの待ち時間と乗車中だけだったから、話していたのは実質十分くらいだ。そんなに話していないよ。それに、高校では【彼女】とはクラスが同じにならなかったから、彼女とクラスの中で話すこともなかったんだ。

 それからは、俺と【彼女】は登校時や下校時に見かけると言葉を交わすようになった。話しかけるときはいつも俺からで、俺は【彼女】を見かける度に大概は、声をかけていた。こう、【彼女】の名前を呼びながら、肩を叩いてな。

 「大概」というのは、【彼女】が友達と一緒にいるときがあったからだ。

 例えば、下校中、バス停に向かった俺はバスを待つ【彼女】を見かけたときがあった。俺は【彼女】の元に行こうとした、ところが【彼女】は俺たちの高校の制服を着た女の子数人と談笑しているところだった。さすがに俺もその中に一人で突っ込む勇気はなかった。その時の俺はおとなしくバスを待つ人の中に紛れ、そのまま何事もなく帰宅したさ。

 もう一つ理由がある、俺は四人以上のグループでお喋りをしていると、どういうわけか発言できなくなる癖がある。その時、【彼女】が談笑していたのは【彼女】を抜いても四人くらい、間違いなくあの中に俺が飛び込んでも、「やあ」と挨拶して、それだけで終わってしまうと思ったさ。

 だが、【彼女】が友達と談笑していても声をかけるときはあったさ。

 それは、まだ高校入学してから一ヶ月も過ぎていない頃、いつもと同じように高校の最寄り駅で【彼女】を見かけ、声をかけたときだった。そのとき、【彼女】が一人の〈女の子〉と談笑していたのだ。

 俺はそのことに気づかず、「よっ」といつも通りに【彼女】の名前を呼びかけた時には既に遅かった。

 声をかけた時、【彼女】の方はいつも通り、あなたか、とほぼノーリアクションだったのに対し、〈女の子〉の方は見知らぬ俺に驚いていた。

「その子は誰?」と俺は【彼女】に訊いた。

「中学校の時、一緒の塾だった子」と【彼女】は答えた。

「へえ〜」と俺は相槌を返し、【彼女】の隣の〈女の子〉に目を落とす。

 その〈女の子〉は【彼女】や俺と、同じか少し低いくらいの身長だった。髪型は茶色がかった黒色のショートヘア、まん丸に近い楕円形の顔。【彼女】が黒子一つない綺麗な薄橙色の顔だったのに対し、その〈女の子〉は両頬にそばかすやニキビ跡が目立っている。

 その風貌は世間的な目線では綺麗とは言えなかったが、俺はその〈女の子〉は可愛らしいと思っていた。

 ――別に恋愛的な目線じゃない。

 ただ単純に、だよ。女優さんとか女性アイドルを見て、可愛いと思うのと同じだ、……女子がよく言う、『〇〇くんの字、小学生みたいで可愛い』とか『〇〇さんが悲鳴をあげる時、急に女子みたいな声になるの可愛い』とかはよくわからないけど。

 〈女の子〉は俺の目を見ると、「誰?」と【彼女】に訊いた。

 【彼女】はその〈女の子〉に、自分の名前と、【彼女】と同じ中学校に通っていたことを明かした。

 俺は、その流れに合わせて、初めまして、と言った。

「うちらと同じ中学校じゃないよね」と俺は訊くと、「小学校は【彼女】と同じだったんだけど、中学校は私立の方に行ってたんだ」と〈女の子〉は答えた。

 〈女の子〉に中学校の名前を聞くと、県内では比較的名の知れた中高一貫校だった。

 俺は「ああ、あの北のほうにある学校だっけ?」と反応すると、〈女の子〉は「そうそう合ってる」と固そうな笑顔で返してくれた。

「〈女の子〉は【彼女】と同じクラスなのか?」と俺は気になってそう訊くと、【彼女】は「違う」と言った。

「私と〈彼女〉は同じ駅から電車に乗ってるんだけど、そこで偶然同じ電車に乗ってたんだ。私たち塾が一緒だから、久し振りだね〜、っていう感じで仲良くなっちゃった」

 そうして、俺はその〈女の子〉とも仲良くなった。

 それからは【彼女】が複数人と歩いていても、その〈女の子〉と一緒に歩いているときだけ声を掛けた。【彼女】たちとの会話はいつだって楽しかった。

 ――そうだな、【彼女】とはいろんな話をした。

 例えば、部活の話だ。何の部活に入るのか聞くことから始まり、「最近どう?」と部活の調子を聞くこともあったりしたなあ。

 ――嬉しかったこと?

 そうだな、……すごい小さなことなんだけど、【彼女】と一緒に登校している時、高校へのバスから降りるときに彼女が待っていてくれた時があったなあ。

 ――おいおい、馬鹿にしちゃあいけねえ。

確かにちっせえ(小さい)ことだ。

小さいことだけれども、そんときの俺にとっちゃ、とんでもなくうれしかったことなんだぞ。

 ――何故かって?

 そんなもん理由はひとつよ、俺は【彼女】とぎんりぎりまで話したかったからよ、それこそ教室のド真ん前までな。

 ――ストーカーかよ、ってそんなツッコミはいらないぞ。ストーカーはもう少し悪質だからな、ってそんなことはどうでも良いんだよ。

俺は純粋に、『友達』として喋りたかったんだ。そのために、言い方が悪くなるが、【彼女】を逃がさないためにいつもバスは俺が先に降り、邪魔にならない場所で【彼女】を待ったんだ。

だが、その日は俺の位置が悪くてな、どうしても【彼女】が先に降りる構図になってしまった。

バスが停留所で止まった後、流れに任せて【彼女】が先にバスを降りた。俺は【彼女】にバス停で待っていてくれないかな、と淡い期待を持ちながら、座席に座っていた連中を待ちながら【彼女】から四,五人遅れて俺が降りた。

すると、降りた先には、【彼女】がバス停の隅で待っていてくれた。

とても小さな事だ、確かに小さな事だ。

【彼女】に言わせれば、「いつも待っていてくれるから」と、友達として当然のこととして待っていてくれたのかもしれない。

だがそれでも、とても嬉しかったんだ、俺のこと意識されているような気がしてな。 

 ――独り善がりだ、と。

 そうだ、その通りだ。これは独り善がりであり、ただのエゴだ。

 同時に、おそらくこの思想は、ストーカーと似通ったところがあると思い当たらないこともない。

 実際、この時から数年後の話だが、運転適性テストで言われた俺の特徴として感情的に、かつ、衝動的に行動する傾向があると言われてしまった、……思い当たる節が無いわけじゃなかったがな。

 ちなみに、【彼女】の後をこっそり尾行したりなどはしたことないからな。

 ――【彼女】から嫌われていなかったのか、って?

 ・・・・・、どうだろうな、それはわからない。

 気になることがあったとすれば、登下校中に【彼女】から話しかけられたことが一度も無かったことだ。

 【彼女】自身、繰り返しになるが、自己主張はあまりしない方だ。自分よりも他者を優先する方だろう。だから、本当は話しかけられること自体も嫌だったかもしれないけれど、……どうなんだろう。

 俺自身、【彼女】のそうしたあまり主張しないところに甘えていた気がしなくもない。

 だが、……彼女は言いたいことがあるときはきちんと面と向かって主張してくれたと思うんだけどな〜……。

 そうだ、これは言われたな、声をかけるときに肩を叩くのだけはやめてほしい、って。

 さすがに、それだけは嫌だったらしく、はっきりと主張してくれた。

 ――えっ、肩を叩いていた理由?

 それは、……俺が声で呼んだところで反応してくれない恐れがあったからだ。俺自身、どのくらいの声を出せば相手に聞こえるかわからないときがある。その最たる例が駅などの比較的うるさいときだ。

 呼んだ、と思っていても実際は声が小さくて聞こえていなかったりするし、逆に大きすぎると、怒ってる、と勘違いさせてしまうから……。

 それに俺は昔、人見知りしてて声が小さかった。今でも極度に緊張すると、声が無意識に小さくなってしまう。だから、声よりも手が先に出る癖が昔からあるんだ。

 【彼女】に声をかける時も肩を叩いていたのは、その癖が出ていただけなんだ。

 ……大丈夫、【彼女】に指摘されてからは、声をかける時に肩を叩いていないさ。

 そんなこんなで、俺と【彼女】は『仲の良い友達』になれたと思う。中学校までの【彼女】と俺との関係よりかなり進展した、と言える。

 だが、……この時点ではまだ【彼女】のことを異性として「好き」とは思っていない。まだ、人として、友達として「好き」だと思っていた。

 同時に、俺たちが『恋人』になることはなかった。

 ――なぜならなかったのか、って?

 色々事情があるんだよ。このときはまだそんなことになるとは思っていなかったけどな。

 それも順を追って話すよ。

 一先ず、高校一年生時代はこんなもんだろう。


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