一
一
ある日の夕暮れ、俺たちはとある家の座敷に集まり、宴会を開いていた。
そこに集まっていた奴らは、男女問わず様々な服装をしていた。
工場作業員が着るような薄汚い作業服を身にまとい、その両手には少しただれたような跡がある男。
妙に厚化粧をした顔に、どういうわけかチャイナ服を着込んだ女。
作業服を身にまとっているが、その作業服は前の男とは違って真っ白で傷や汚れがない男。
その他にも、多種様々なスーツを着込んだOLやビジネスマン、私服で来ている奴もおり、大体四〇人くらいが襖を取っ払った大部屋に集まっていた。
宴会はスーツを着た小柄な男の「カンパ〜イ」という威勢の良い号令によって始まり、始まって半時間もすれば、適度に酔いが回りプライベートな話も出るようになった。
引っ越した話、自分家の犬が死んだ話、付き合っていた彼女に振られた話、バイクで無茶をして左腕を折った話、などなど様々な話題が料理と酒が並べられた机上を飛び交う。
そんな時、俺の前に座っていた白い作業服を着た男、俺はこいつを『白作業服』と呼ぶことにした、が俺の隣の男にこう話しかけた、「おい、あの話をしてやれよ」と。
「またか」と話しかけられた男は呟いた。その男と白作業服は胸元に同じロゴが入った作業服を着ていた。
「あの話だけは勘弁してくれ、せっかくの酒がまずくなる」と白作業服と同じ作業服を着た男。
「まずくなったら良いじゃねえか、その話を俺たちが良い酒の肴にしてやるから」と白作業服。
「それ、俺に何の利益もねえじゃねえか」と話を振られた男が怒気を含んだ声を放った。
すると、「あの話?」と怒気を放った男の、左隣にいたおしとやかそうな女性が訝しげに聞いてきた。
「ああ、あの話だ。面白い話だぞ〜〜」と白作業服が答えた。「話してやれよ。お前、あの話をまだ部署内にしか話してないんだろ、あのオメデタイ、は・な・し」
「ホザけ」と怒った男。「あの話を知っているのは部署の中だけで十分だ」と、話したくないという気持ちを遠回しに伝え続ける。
「なになに〜、何の話〜〜?」と妙に騒いでいる彼らに近づいてきたのは、チャイナドレスを纏った女性だった、俺はこのエセチャイナ野郎を『チャイナドレス』と呼ぶことにした。
「お前には関係のない話だ、エセチャイナ野郎」とうんざりした様子の男が言った。
「酷〜い」とチャイナドレ。
「何だ、面白そうな話か」とタンクトップを着た大柄な体格の男、俺はこの男に『タンクトップ』とあだ名を付けた、がそう言いながら焼酎の入った一升瓶を持って現れた。
「お前にも関係のない話だよ」と言い寄られている男が言った。
「何だよ、連れねえことを言うなよ。マブダチだろ〜」とタンクトップは渋る。
「いつマブダチになったんだ……」と話題の中心にいる男はそう漏らした。
その時になって俺は背後に気配を感じて辺りを見渡すと、もうその大部屋で飲んでいた奴らのほとんどが俺たちが座っているテーブルに集まってきており、みんな見下ろすようにして問い詰められている男に注目していた。
当の本人は少し遅れてそれに気づくと周りを見渡し、「お前ら暇だな、おい」と小さく罵った。
「だって、お前だもの、なあ」と、誰かが言った。他の奴らも首を上下に揺らし、全員が、その話聞きたい、と目で訴えている。
「なっ? こんなに話を聞きたがっている奴らがいるんだ、話してやれよ」と一番初めに白作業服が再度要求する。
対して、渦中の男は腕組みをし、下を向きながら「う〜〜ん」と唸る。
「なあ、頼む。話してくれたら、何でも頼んでやるからさ〜」と白作業服。
その言葉を聞いた、話すのを渋っていた男は「……よ〜〜〜し、わかった」と言って立ち上がる。男は白作業服を指差し、「今、この場で一升瓶の『渇祭』を買ってくれるのなら、話してやっても良いぞ」と半ばヤケクソ気味に言い放った。
白作業服は「『渇祭』だと!!」と驚きの声を上げ、周囲もまたざわめき始める。
だが、その中で「……『渇祭』って何?」と素頓狂な声で誰かが言った、『渇祭』を要求した男の左隣に座るおしとやかそうな女性だった。
先程叫んだ男は「ああ……」と思わず感嘆詞が出る。「『渇祭』っていうのは有名な日本酒でね、一升瓶一つで、一万円弱するんだ」
それを聞いた女性は、うっそ、と声を漏らし、彼女の右隣の男に、何てものを要求しとんねん、と責めるように目で訴えた。
酒を要求した男は突然の威圧に尻込みしつつ、白作業服に向き直ると「別にお前一人で払え、と言ってるんじゃない。ここで割り勘してお前が代表して払えば良い」と言った。「良いじゃないか、ここにいる四十人ぐらいで割り勘すれば大体二五〇円くらいで済むだろう。『渇祭』自体も通販サイトで購入して、送り先を俺の家にしてくれれば良い」
すると、周りが「う〜ん」とうなり始める。
「別に良いだろう、二五〇円くらい。そこらのセミナーや小説、漫画や映画なんかよりずっと安いぞ」と周りを唸らせている男が言った。
すると、男を囲む聴衆から、
「どうしよう」「二五〇円か」「これを安いととるか、高いととるか」「う〜〜ん」
とそんな声が聞こえてきた。聴衆は聴衆で各々が各々の理由で悩んでいるようだ。
そんな中「わかった」と白作業服。「『渇祭』は俺が全額負担して買ってやる、それで全部丸くおさまるだろう?」
すると、
「さっすが〜」「よっ、太っ腹」「大金持ち」
と白作業服を、テーブルを囲む面々が褒めちぎる。
「よし、言ったな」と皆に二五〇円を払うことを要求した男は嬉しそうは白作業服の近くに小走りで移動し、スマートフォンを出すよう要求する。
白作業服は小走りで近寄ってきた男の指示に従ってスマートフォンを操作し、数分後男は「よっっしゃ」と両手を高々と掲げながら嬉しそうに叫んだ。
対して、『渇祭』を買わされた男は頭を抱えて沈黙している。
そんな様子を横目に「じゃあ、話してもらおうか」とタンクトップは頬杖をつきながら言った。
その途端、さっきまで嬉しそうにしていた男は一瞬が止まり、「……本当に話さなきゃダメか?」としおらしく発言した。
「そりゃね、あいつに高い酒買わせたんだから」とチャイナドレス。
すると、周りを騒がせた男は、ふ〜〜、とため息をつく。
男は俺の隣に座りなおすと、ジョッキいっぱいに注がれた麦酒を呷り、喉仏が上下に蠢かせた。
そしてビールをジョッキの半分ほど飲み干すと、神妙な面持ちになりながら「お前らはオオイヌノフグリを知っているか」という文言から語り始めた。
以後、俺はこの男を『語り手』と呼ぶことにしよう。
***
――春先に咲く青い花だ、といってもぴんと来る奴はすごく少ないだろうな。
その花は日本全国どこでも見ることができ、誰もが一度は見たことがあるはずだ。だが、それを大人は気にも留めないだろう、なぜなら、オオイヌノフグリを大抵の人は「雑草」というのだから。
しかも、花自体は非常に小さいがために、目につきにくくもある。だからかな、小学生の頃は身長が低い分目につきやすかったが、成長し背が高くなればなる程目につきづらくなり、最近では俺もめっきり見かけることがなくなってしまった。
だが、決して絶滅したわけではない。それが視界に入らなくなったから、見かけなくなっただけであろう、ごくごく自然なことだ。
さて、俺がその花、オオイヌノフグリを知ったのは俺が小学生のときだった。
俺が住んでいた地域は、場所によっては閑静な住宅地である場所もあったが、俺が小学生のときに使っていた約二キロメートルの通学路では田んぼや土手をよく見かけた。その田んぼや土手は通年雑草で覆われていたがために登下校中はよく緑を目にしていた。
その緑は季節が変わるたびに異なる色を見せてくれた。
夏は、四季の中でも最も青々とした緑を。
秋は、枯れ草で少し黒々しくなった緑を。
冬は、霜に覆われて白っぽくなった緑を。
それぞれの緑にそれぞれの味があって、どれもが違った「顔」を醸し出していた。
そんな中でも、とりわけ春の緑はとりわけ彩色だった。なんていったって、青々とした緑の上にタンポポをはじめとした色とりどりの色の花が咲くんだ、それはそれは綺麗だったさ。
その色鮮やかな花の中に、青い花を見かけていた、それこそがオオイヌノフグリだった。当
最初、俺は雑草にはあまり興味が無く、オオイヌノフグリだけでなくタンポポといった比較的目立つ花でも「ああ、咲いてるな」程度にしか思っていなかった。
オオイヌノフグリを気に留めるようになったのは、その花の名前を知ってからだ。
その名前を知ったのは、植物図鑑や理科の教科書といったよく植物の名前が書いてありそうな図鑑や本だったり、教育テレビなどのテレビ番組だったり、そんなありきたりなものじゃなかった、小学校の国語の教科書だったんだ。
国語の教科書でオオイヌノフグリがどのような形で載っていたかはよく覚えていない。が、それは写真付きで載っていて、それを見てあの青い花の名前を知ったことを覚えている。
だが、国語の教科書をはじめとして、教科書にはいろんな花の名前が書かれている。なのに、なぜか「オオイヌノフグリ」だけが俺の記憶の中に留まり続けている。
その理由はわからない。
一番身近な花だったからかも知れないし、それが、あまり名前が知られていない花だったからかも知れないし、考えれば考えるほどその理由はわからなくなる。
***
「ちょっと待って」
話を止めたのはチャイナドレスだった。
「面白い話、ってそれ?
全然面白そうに聞こえないんだけど」
すると、語り手は「うるさいな」と呟いた。「これから話す物語のヒロインはそんな女の子、花に例えるならオオイヌノフグリがぴったりだと思ったからだ、それ以上の理由はない」
「それにしては前振りが長すぎない?」とチャイナドレスは怪しいとでも言うかのように尋ねると、怪しまれている語り手は「馬鹿野郎、これから面白くなるんだろうが、黙って聞いてろ」と怒り気味に言った。
「あっ、言っとくがオオイヌノフグリの名前の由来を抜きにしてだからな。
あれは花の由来としては最低だ。
調べたかったら調べれば良い、だが、できればこの話が終わってからにしてくれ。
間違いなく気分を害するからな。
良いな、忠告はしたぞ」
そこまで言うと、話の熱が上がっている男は聴衆に同意を求めるようにして、辺りを見渡し、話を聞いている奴らは、皆一様に首を縦に振った。
「では、本題にいこう」と語り手は、タバコを片手に語り始めた。
***
【彼女】は、さっきも言ったが、オオイヌノフグリのような女の子だった。
道端にさりげなく咲く、とても小さく可憐な青い花。
そんなオオイヌノフグリと、雰囲気が【彼女】はよく似ていた。
教室の隅でささやかに咲く小さな花、目立たないけれど、堅実に且つ懸命に咲く一輪のオオイヌノフグリ、そんな感じだった。オオイヌノフグリ自体は群生するため一輪だけで咲くそれはなかなか無いけれど、それは、今は隅に置いておいてくれ。
図書室の隅でささやかに読書を行うような、そんな女の子だった。彼女自身そこまで文学少女ではなかったけれど、雰囲気はまさにそれだった。
同時に、彼女自身も周りのリーダーになるような人ではなく、ただ静かに場の流れに身を任せるような目立たない女の子でもあった。
彼女の身長は、それほど高くなく、女子の平均身長ほどしかない僕と背の高さはそれほど変わらなかった。
――なんだ?
何か言いたいことがあるようだな、そこのチャイナ服。
――これはもしかしてラブストーリーじゃないか、って?
そうだぞ〜。お前達が今まさに聞いているのは、お前らの大好物であろうラブストーリーで間違いない。しかも、これは俺が実際に経験しものだ。
――コラ、そこ。キャーキャー騒ぐんじゃない、話しづらくなる。
――はぁ?
堅物にも春があったのか、って?
そりゃそうだ、よほどの変人でもない限りは、人には誰にだって春を楽しむことがあるだろう。
だが、過剰に期待してもらっても困るんだよ、これは失敗した方のだからな。
わかったら、静かになる!!
ほら、いい子だから!!!
――よし、静かになったな。
……お前らが勘違いしないように、一応断っておく。
ある時期まで、【彼女】は決して本命ではなかった、ただの同級生だった。
その時の本命は別にいたのだ。
【彼女】を同級生として知ってはいたが決して異性として、恋愛対象としてではなかった、……はずだ。
その頃は友達の友達のような存在だったのだ。
少なくとも、あの時までは。
……今から思い返せば出会った頃から、あの時、すなわち「本当の本命」と自分で認定するまで彼女から近づいてきたことはあまりなかった。
そう、自分は自分で彼女に近づき、ついには恋愛感情を生んでしまった。
全て、自分で、してきたことを通して。
同時に、そのしてきたことに対しての彼女の反応を見るのが、すごく楽しかった。
学校外で彼女と会って話すことはなかったが、それでも、彼女と学校から帰るわずかな時間が非常に幸せであった。
……いけない、今思い返してみたら、無意識な内に惚気に走ってしまっていたことが判明してしまった。すなわち、これが恋に落ちる感覚である、と言うことか、勉強になった。
いや、この感覚に取り憑かれたのはこれが初めてではないことは、俺自身、よく知っている。
そうだ。恋、というのは気づかない内に落ちるものであり、気付いた時には、『本気』になっているのもその魔力だ。
そして、それがあんなことになるとは、全くわからなかった。
……一先ず、俺のことを話しておこう。
――なに、そんなことよく知ってる、って?
お前らと関わったのは精々一年程度だろうが、しかも十年前。
そんな短い間に俺の全てを知ったってのか、ええ?
わかったら黙ってきけ、お前ら。
……俺は幼い頃から、あまり他者とつるまない性格をしていた。
小学生時代、自由時間になっても友達と語り合ったり、遊びに行ったりしなかった。ただ教室の隅で細々と、図書館で借りてきた児童用の教育漫画ばかり読んでいた。
家に帰っても、一人でゲームと勉強しかしていなかった。といっても、ガリ勉っていうわけではない、むしろ大半の小学生と同じように勉強は嫌いだった。
小学生の俺にとって、勉強というものは親から理由もなく、「やれ」と命令されるわけのわからないものだった。
全く理由もなかったわけではなく、親はきちんと理由を話してくれたがそれはその時の俺にとってあまりにも抽象的すぎた、……それが理解できないわけではなかったが。
さらに親譲りの捻くれた性格とその太った体格から、よくいじめの対象になり惨めな学校生活を送っていた。
しかし、学校が嫌な場所ではなかった、……好きでもなかったと思うが。
その時はただ親に言われるがまま、義務感のような何かに背中を押されてそこに行っていたような気がする。それに、……「いじめ」られたとしても親に言えば一ヶ月後には先生の対応によって解決していた。それ故、毎年のように「いじめ」られていたとしても、いずれは解決していたため、そのルーティーンに慣れきってしまっていた。
では、俺の友達事情はどうなっていたかと言えば、一年ごとに『仲が良い人』がリセットされていたように感じる。というか、自分でも誰と自分が仲良しなのかわからなくなっていた。
それは、自分から友達を作ろうとしなかった自分の姿勢の表れでもあるし、その友達関係に慣れきってしまったことの弊害であろう。
事実、小学校六年間を通して仲が良い友達は一人もいなかったし、俺に話しかけにくる同級生は一人もいなかった。……いたかも知れないが、俺自身は思い当たらない。
そうして、俺は小学校というものに大して思い入れもないまま、小学校を卒業した。
それと同時に、中学校もまた同じように過ごしていくと思っていた。
中学で部活に入るまでは、な。