第六話 相手の立場に立って考える
「成功の秘訣というものがあるとしたら、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を見ることのできる能力である」
ヘンリー・フォード(自動車王。フォード・モーター創設者)
噴水に腰掛けながら、2人は冒険者登録所が開店するのを待っていた。
考えてみれば、この世界に到着してから歩き通しだ。ワクワクが疲れを上回っているのか、それほど疲労感は無かった。普段通学以外で歩く事なんてないのに、と、優人自身が自分の体力を意外に感じた。もしかして、これも転移による効果なのだろうか?
社会勉強、という事でデールとグラペブロの町を回ってみたが、どうやら100年や200年前の、西洋の国々と似たような街並みをしていた。町の中にはレンガ作りの建物が多い。金属やコンクリートは使われておらず、木を加工して立てるような木造住宅の技術も、まだこの時代には発展していないようである。
この町の中で特に目を引くのは、東西を大きく貫く一本道だ。それぞれ王都と国境の方に繋がっているらしく、その一本道に沿うように、アーケード街のように武器屋や酒場、お目当ての冒険者登録所等が軒を連ねている。優人が最初入ってきたところは、町の南に位置する場所で、人の出入りの少ない場所だということも分かった。
散策、といっても小一時間程だろうか。町の中で主要とみられる場所を見て回るのに、そう時間はかからなかった。最初に話しかけた女性の時と同じように、2、3人の町の人と思われる人たちに、気になる事も聞かせてもらう事ができた。そうして見聞きしてきた中で、気付いた事が2つある。
1つは現在、優人にお金を稼ぐ術が無い事だ。宿や武器、服はお金が無ければ当然買えない。この世界では素材や装備を集め、冒険者登録所に持っていけば、換金してくれることまでは分かった。しかし、道で拾えるような換金素材にどれだけの価値があるのだろうか。現実世界でも、道端の石ころを買ってくれる人などいないから、それなりに珍しいものでなければ買い取ってくれないだろう。
もう1つの問題は、ここにきて、少々小腹が空いてきたという事だ。どちらかというと、こちらの方が致命的である。冒険者になったところで、給料やバイト代はあるのだろうか。あるとしても、すぐに出るものなのだろうか。現実世界で毎日3食食べていた優人には、今日1日であっても、何も食べられないのは苦行以外の何物でもない。
今は元気に動けているが、これから先を考えると、後者の問題は早々に解決しなければならないだろう。
他にも、風呂やトイレ、歯磨きの他にも、服の洗濯はどうするんだ??
異世界転移…ゲームの世界と違って、思った以上に苦労が多いな。
ふぅ、とため息をつきながら、丁寧に前脚を毛づくろいしているデールを眺めた。と、教会に設置された鐘が鳴った。その鐘を合図に、通り沿いにある武器屋や宿屋の入口に『OPEN』という文字の看板が出される。冒険者登録所も、ドアが開けられたようだ。
時計でもあるのだろうか?何を基準にして鳴るのだろう。
冒険者登録所の場所を教えてくれた女性と話した時にはすっかり忘れていたが、この世界では日本語が普通に通じた。また、言葉だけでなく平仮名や片仮名、漢字といったものから、数字、ローマ字、和製英語といったものまで日本で使われているものと同じである。
デールに聞いたところ、アフクシスの世界は現実世界と密接な関係がある為、このような仕組みになっているとの事。どういう関係があるのか不明瞭な部分は多いが、会話に不便がない事は、優人に大きな安心感をもたらした。
「さて、冒険者登録所が空いたみたいやな。デール、いこか!」
「そうだな、行くとしようか」
優人の後ろを歩くようについてくるデール。
この町の冒険者登録所は、それほど大きくないように思えた。特に目立った装飾を施している訳ではなく、周りの建物とそれほどそん色ない作りになっている。もっと大きな施設かと思ったのだが…どちらかというと本店は別にあり、ここは出張所のひとつ、といった風体である。
扉をくぐると、中は清潔感のある作りになっている。正面にカウンター、左右に待合の為か、テーブルや椅子が置かれているが、この時間は優人たちのほかに来客は無いようだ。カウンターの向こうには、ここの担当者なのか、お姉さんが書類の整理をしている。
優人の姿に気づいたお姉さんは、微笑みながらこちらに会釈してきた。茶色の髪をポニーテールに結んだ、かけている眼鏡のよく似合う、いかにも賢く、それでいて優しそうなお姉さんである。
『冒険者』という言葉の響きから、もっと大柄でゴツイ、男の受付が「おうっ、お前が冒険者になりたいってやつか!」…と、声を掛けてくると思っていた優人は、そのイメージを大きく改めなければならなかった。
「こんにちは、あの…冒険者になりたいのですが」
「はい、冒険者登録をご希望いただき、ありがとうございます」
…あれ?なんか歓迎されてる??
対応まで親切なところが、ちょっと嬉しかった。
「それでは、こちらの書類にお名前等をお願いします」
「あ、はい」
お姉さんに進められるまま、鳥の羽根で作られたペンにインクをつけて、書類を書き始める。名前や性別、年齢を書いたは良いものの、現在の住所の欄で筆が止まる。
…どうする?とりあえず、現実世界の住所を書いてみるか?大阪府東大阪市小若江…いや、おかしいだろうな。
「あの!住所の欄、今は特に決まった住居が無いのですが…」
「あら、でしたら未記入で問題御座いません」
お姉さんは笑顔でそう言う。あれ?不審がられない…冒険者になる人の住所が無いのは普通の事なのか?と、思いつつ、記入が完了した用紙をお姉さんに手渡す。手渡した用紙を机の上にある箱に入れながら、お姉さんが先ほどの笑顔の理由を言ってきた。
「失礼ですが、地球から転移されてきた方ですよね?」
「え!?は、はいそうです!」
なぜわかったのだろう?てか、転移ってそんなにメジャーなの!?
「合っていましたか。珍しい服をお召しでしたので、そうかと思いましたわ。このアフクシスの世界には時々、ユウト様のような転移者の方がお見えになるんです」
「ああ、服が。そういう事でしたか」
自分と同じような境遇の人が居る事にホッとしつつ、逆に、それほど珍しい存在でもないのかと思うとガッカリした。
「時々、と申しましても、1年に1度あるかないかといった程度ですよ」
そうなんですか、と答えながら1つ気になる事が出来た。
「あの、その転移者の人たちは今、どうしてるんですか?」
「現在もアフクシスで活動されている方もいらっしゃれば、既に地球に帰られた方もいらっしゃいますわ。」
お姉さんは、少し間をあけてから顔を曇らせて続けた。
「そして、これは転移者というよりも冒険者としての宿命では御座いますが…転移された方の中にも、冒険者になった事によって、魔王によって討たれた方もいらっしゃいます。」
「え?それってどういう…」
お姉さんは、どう答えて良いか思案している様子であった。
「魔王にとって、冒険者は敵、という事だ」
男の声が割って入ったかと思うと、机の上にぴょんっとデールが飛び乗った。
これまで静かにしていたのに、なんでこのタイミング!?
「デールさま!」
お姉さんが驚いた顔でデールを見る。
「アンナ、挨拶もせずに申し訳なかった」
「いえ、私こそデールさまに気づいておらず、申し訳御座いません。アフクシスに戻られていたのですね」
…んー、どうやら2人は知り合いらしい。そういえばデールは冒険者登録してるとか言ってたな。冒険者登録所のお姉さんがデールの事を知っているのも当然か。というか、お姉さんの名前、アンナだったんだな。
それにしても、なぜ『さま』付けなんだ?
デールって、もしかしてすごいヤツなのか??
「えーっと、ねぇデール、冒険者が魔王の敵ってどういう事?」
とりあえず、なんで冒険者が魔王に狙われるのか聞いてみる。
デールは答える。
「冒険者登録を行った者は、倒した魔物の数に応じて報酬を得る事が出来る。魔物を倒す事そのものも危険ではあるが、魔物を倒されるのは、魔王にとって都合の悪い事なのだよ」
魔王の力によって生み出されたものを、総称して魔物というそうである。つまり、魔王からすれば、魔物を倒すことを仕事とする冒険者は自分自身の敵となる。敵であれば、始末してしまう方が良い。
つまり、いつ魔王の手の者から命を狙われてもおかしくない。そうした命の危険がついて回るのが、冒険者なのだ。
そうした理由から、アフクシスでは冒険者に志願する人は、そう多くないという事だった。この世界では、魔王の恐怖におびえる現状があっても、冒険者にならなければ、命まで失う可能性は低い。危険を冒してまで冒険者になろうとせず、通常の生活を送る人が圧倒的大多数を占めているらしい。
逆に、転移してきた人は、この世界に執着を持たないので、冒険者になる事が多い。現実世界でうまく行かなかった者が、異世界で冒険者になって一旗あげてやろう、という野心をもって就く事も多いようだ。転移によって特別な能力を得られる事もあるので、冒険者という選択肢は、僕ら転移者にとってうってつけなのだろう。
しかしそれにしても…
「自分たちの世界を自分たちで守ろうとしないのか…」
この世界の人たちは、なんて情けない根性をしているのだ、と、優人は思った。恐ろしい力を持つ魔王を倒そうという気などさらさら無かった優人であるが、自分の身も自分で守ろうとしない、この世界の住人の勇気の無さには呆れてしまう。
「家族があり、友人や恋人がいる。そのような環境で育ってきた者たちにとっては、多少不便があろうとも、今の生活が大切なのだ。その暮らしを捨てて冒険者になろうとする者は、当然少なくなる。責められる道義は無いだろう」
なるほど、デールの言う事も分かる。だが…
「やけどさ、魔王を倒さないと危ないんやろ?自分達の生活を守る為に、冒険者になる人が、もっと多くてもええやん」
「確かに、ユウトの言う通りかもしれんな。ところでひとつ、聞かせてもらいたいことがある」
デールが穏やかな顔でこちら見つめ、質問を投げかけてくる。
なんの質問だ?と思いながらうなずく優人。
「現在、地球上には自分の私利私欲で国家を運営する独裁者が居るよな?」
「ん?ああ、日本の近所の『北』のつく国なんかの事?」
よくニュースに出てくる国を挙げた。
「うむ。ユウトは、あの国の独裁者の事をどう考えているのだ?」
「んー、身勝手だなぁ…って思う。あの国に住んでいる人はかわいそうやなぁって」
思っている感想を述べた。
「なるほど。それでは、ユウトはその身勝手な独裁者を倒して、平和をもたらそうとは思わないのかな?」
「いや、やらへんでしょ。自分の国の事ちゃうし、それに僕にそんな力ないし」
「そうか」
デールはそこまで言うと、微笑みながら問いかけてきた。
「それを『この国の人たちが魔王を倒そうとしない事』に、置き換えて考えてみるとどうなるだろう」
「え…?」
「独裁者を魔王に。自分をこの国の人に。置き換えて考えると良い」
少し考えてみた。一方は、日本から少し離れた場所にいる、自分に殆ど害を及ぼさない脅威。もう一方は、グラシアスの町から離れた場所にいる、普通の人々に殆ど命の危険を及ぼさない脅威。
「うーん…たしかに…なるほど」
現実世界で自分が独裁者に立ち向かわないのと、アフクシスの人が魔王に立ち向かわないのが同じ事だ、という事が何となく分かってくる。優人は、この世界に住む人たちが魔王を倒そうとしない事を、責められなくなっていた。
「ごめんデール、僕が間違えてたみたいやわ」
「そうか?ユウトの言っていた事が合っているかもしれんぞ?」
「いや、僕が間違えてる。申し訳なかった」
「なにもユウトが謝る事ではなかろう。そうやって素直に謝れるのは素晴らしい事だがな」
間違えて気恥ずかしかったが、デールに素直なところを褒められたことで、何となく帳消しになった気がして気が楽になった。
「デールさまのYesBut話法…直接伺えるとは、光栄ですわ」
「アンナ、褒めても何も出んよ。それよりも、私の技術をよく観察しているのは素晴らしい事だ」
じっと僕らのやりとりを聞いていたお姉さんが、久しぶりに話に入ってきた。
2人の会話についていけない優人は、困って聞いてみた。
「YesBut話法?」
「失礼しました、こちらの話です…さて、先ほど冒険者協会に送った申請が許可されて帰ってきております。こちらの登録証をご覧ください」
お姉さんが机の上に1枚のカードを用意した。先ほどの登録用紙を元に作ったのか?
それにしても、なんだか話題を変えられてしまった気が…まぁいいか。
3人は、そのカードに表示された情報をのぞき込んだ。
【用語等解説】
相手の立場に立って考える…同じ物事でも、見る人の立場によって違う物事に感じられる。
【詳細と活用方法】(人間関係ナビ☆彡)
http://for-supervisor.com/human-relationship/7skill-6/




