第四十三話 人はなぜ過ちを犯すか
「周囲の人間に関心を持たない人間は、本人も人生で非常に苦労するし、周囲の人をも大きく傷つける。人類が侵す過ちのすべては、そうした人間から生まれる」
アルフレッド・アドラー(心理学者・精神科医)
メリナからもらった2本目の小瓶の中身を飲み干し、MPを回復させる。冒険者カードを取り出した優人は、ほんの一瞬だけそれを確認すると、小瓶を足元に置き、改めて5階へと急いだ。カードではHP:132/160、MP:240/240となっていた。少しだけ、能力値が上がったようだ。冒険者協会の内部は少々入り組んでおり、会長室のある5階に戻るまでは、まだもう少し時間が掛かる。
「なぁデール、5階に張り巡らされたあの蔦みたいなやつは一体何なん?」
通路を駆けながら、優人は自分と並走するネコに話しかけた。優人の魔素探知は、植物の根のような太さの蔦が、5階の至る所に張り巡らされているのを捕捉していた。それは先程冒険者協会を出るまでは、間違いなく存在していなかったものだ。
「あれがカポネの能力だ。恐らく魔法の一種なのだろうが、詳しい事は分からない。奴は蔦を自由に操る事が出来る能力を持っている」
「蔦って、植物のこと?」
「ああ。しかし、私が知っている限り、奴の能力が及ぶ範囲は、大部屋1つ分くらいだ。今のように5階フロア全体を覆うものではなかった…明らかに、以前より能力が上がっている」
「でもさ、植物くらいファイアで何とかなるんちゃうかな?さっき戦ったマクガーンの方が、よっぽど厄介な気がするんやけど」
優人は機械のように正確に自分を追跡し、攻撃してくるマクガーンを思い出していた。
「カポネとマクガーンの強さは、単純には比較し難い。マクガーンは、その高い技術と力で相手を圧倒するタイプだが、カポネは相手の行動を妨害する補助を得意としている。奴が20人以上の敵を相手に、広範囲に展開した蔦で足を封じ、殲滅したという記録もある。優人にはアイギスがあるから、相手の攻撃は恐らく問題にならないだろう。しかし、油断は禁物だよ」
「そうなんや。ところで、相手を殲滅って言ってもどうやって?蔦やと、相手を縛るか、鞭みたいに打つくらいが関の山じゃないん?」
「ちょっと残酷な攻撃なのだが、相手の体を締め上げて引き千切ったり、棘の生えた茨を相手の口に突き入れて…」
「待った…。想像しそうになったから、ストップ!それはちょっとじゃなく、かなりえげつないと思うで」
その説明を聞いた優人は、大広間に居るアイやメリナ、負傷者の事が一層心配になった。魔素探知では、閉じた扉の向こう側で起こっている事までは分からない。5階に向けて足を早めながら、とにかく皆が無事である事を祈った。
「ユウト、気をつけるんだ。ここからは、もう奴のテリトリーになる」
階段を上って5階へと足を踏み入れた優人は、先ほどと様相が一変している事に改めて驚かされた。フロアは全体が蔦で覆われ、古い洋館のようになっている。明かりとして用いられているオイルランプも、その多くが火を落とされており、窓の月明かりしか差し込まない暗い通路は、ほとんど先を見通せない。魔素探知が使えなかったら、恐らく引き返していただろう。
優人とデールは、蔦に触れないように気を付けつつ、慎重に通路を進み、大広間の前へと辿り着いた。周囲の壁同様、大広間の扉にも蔦が絡みついており、簡単には開きそうにない。優人は蔦を燃やしてしまおうと考えたが、敵に居場所を教えてしまう危険がある為、デールがそれを止めた。仕方なく、周囲の警戒を怠らずに扉に向けてアイの名前を呼び掛ける。ややあって返事が聞こえ、アイ達の無事を確認できた優人は心からホッとした。
「ユウト、ここは大丈夫よ!メリナさんが魔法で蔦の侵入を防いでくれてるの」
メリナさんの魔法というのは、結界のようなものだろうか。デールの説明によると、光魔法に属する魔法で、魔素を多く含むものを遠ざける効果があるらしい。カポネは蔦を魔素で操っているらしく、この方法で部屋を守る事は理に適っているのだそうだ。
優人は部屋に居る人たちの避難を提案したが、デールの意見は逆だった。曰く、この暗闇の中、怪我人を含めた大勢の人が、カポネに発見されず避難するのは難しい。一旦の安全が確保されているのであれば、このまま部屋に留まってもらう方が良いとの事だ。これには優人も納得した。
「アイ、こっちは明かりが消えてて、魔素探知が無いと全然見えへん。この状態でみんなが避難するのは、逆に危ないと思う。悪いけど、そのまま部屋でみんなを守っててもらえるか」
「わかった…ユウトもデールちゃんも、気を付けてね」
アイは自分が手伝えないことに歯がゆさを覚えている事だろうが、優人としては安全が確保されるのであれば、アイには大部屋に居てもらいたかった。その間に、自分達が諸悪の根源を叩いた方がよさそうである。
「ユウト、この様子だと恐らく奴は会長室だろう」
デールがそう言うのは、他の部屋の戸は開け放たれ、中に誰もいない事が分かっているからだろう。2人は一路会長室へと向かい、扉の前に立った。まるで「ここに入れ」と言わんばかりに、この扉だけが蔦で覆われていない綺麗な状態を保っている。優人はデールと目を合わせてお互いに頷き、会長室のドアを一気に引き開けた。そして、中の光景を見て立ち尽くした。
面積にして学校の教室1つ分よりも小さいその部屋は、壁一面が漆黒の蔦で覆われていた。以前入った時とはまるで違う光景に、思わず息をのむ優人。魔素探知を使っても、部屋の全貌を見渡す事は叶わなかった。天井から垂れた蔦が、カーテンのように部屋の至る所を遮蔽しているからだ。
幸いにも、入口付近は蔦に浸食されていない。デールに続き、優人も慎重に部屋へと足を踏み入れた。よく見れば、蔦は意思を持った生物のようにゆっくりと動いている。それは植物の成長を高速再生しているような、異様な光景だった。
「蔦がこんなに…まさかこれ全部、カポネって奴の魔法じゃないよな?」
「残念ながら、そのまさかだ」
デールから返事があると思っていた優人は、それとは異なる低い声に息を吞んだ。咄嗟にデールの方に落としていた視線をそちらに向けると、右奥にあった木のように太い蔦がカーテンのように左右に開き、その場に不似合いな格好をした男が姿を現した。ジャケットに帽子、男はどこかこの世界の人間ではない雰囲気を醸し出していた。隣に居るデールが、一気に警戒を露わにする。この男がアウトフィットのボス、カポネで間違い無いだろう。
「デールか…久しぶりだな。今更ここに何をしに来たんだ?」
「分かっているだろう。冒険者協会を返してもらいに来た。カポネ、残ったのはお前だけだ。大人しく降参しろ!」
そのような返答など、既に予想していたかのように、カポネは慌てる様子も無く話を続けた。
「おかしなことを言う奴だ。俺がここで何をしていたか、マクガーンから聞かなかったのか?お前の方こそ立場をわきまえな」
カポネがそう言うが早いか、部屋の隅で緩慢に蠢いていた蔦が、鞭のように素早くしなり、あっという間に2メートル以上離れていた優人の足首に巻き付く。身を躱す暇も無く捕らえられた優人は、そのまま蔦に足を引かれ、天井近くまで吊り上げられた。蔦の攻撃はデールにも及んだが、彼はその場を素早く移動し、かろうじてその攻撃から逃れた。
「うわっ!」
「ユウト!」
「こいつのおかげで、俺は誰にも気付かれることなく、悠々と外から5階へ侵入って訳さ」
優人の意思とは別に、体が逆さ宙吊りにされる。あらかじめデールからカポネの能力の事は聞いていたが、蔦が緩慢に動くのを見ていた為、完全に油断してしまっていた。今にして思えば『見ていた』のではなく『見せられていた』のだろう。蔦は頑丈なロープのようであり、切れたり緩んだりする様子は無い。全体重がかかっている為か、蔦の巻き付いた左足首はかなり痛む。
「(なんだ…この能力は!)」
「口ほどにもねぇ。こいつの何に注意しろって言うんだ。ライルの方がよっぽど厄介じゃねぇか」
アイギスは反応しなかった。蔦の行動は『敵の攻撃を迎撃する』というアイギスの発動法則に、当てはまらないのだろうか。どうやって抜け出すか思慮している優人の手を固定するように、天井に生えた蔦が伸びて、その両手を固定した。3点吊りになった事で足への負担は減ったが、今度は手の自由が無くなってしまった。カポネが優人を見据え「くくっ…」と低く笑う。この状況が心底おかしいといった様子である。
「な、何がおかしいんだ!」
「お前がサムの言っていた小僧だな。フォディナでは、うちの奴らが随分と世話になったらしいな」
フォディナで戦ったアンジェロやマイクの事、それにグラペブロから逃げ出したというサムの事を思い出す。
「やっぱりお前がフォディナの人たちを…!」
優人が怒りの目を向けると、カポネは目を閉じて首を横に振って見せた。
「ありゃ手違いだ。フォディナの連中には申し訳なかったと思ってるよ」
「手違い?じゃあ、お前は何をしようとしてたんだ」
「質問か?…まぁ1つくらい答えてやろう。お前らは何も知らなかっただろうが、あの村の鉱山には、手つかずの鉄鉱石が大量に残っている。俺が欲しかったのは、それであって村の連中の命じゃない」
確かに、村の近くに炭鉱があるのは優人も見かけた。しかし、既に廃坑になっていたように記憶している。これまで黙って2人の会話を聞いていたデールが口を開いた。
「カポネよ、王都に居て闇社会の王にまで成り上がっているお前に、そもそも鉄など必要ないではないか。なぜわざわざ廃坑しているフォディナまで行って、それを欲したのだ?」
「戦争だよ」
「なに?」
ただ一言で答えたカポネに、デールが驚いた様子で聞き返す。
「鉄は王都で使うんじゃねぇ。王都から他国へ侵攻するのに、武器が必要になるんだよ」
「戦を起こしてまで手に入れる必要のある物とはなんだ?お前は、望めばおおよその物が手に入る地位にあるだろう?」
何かに気付いたように、しかしカポネは面倒そうに答えた。
「物じゃねぇんだよ。いつまでも、この狭い王都に留まるのは性に合わねぇんだ。それに、俺には俺の仕事がある…お前らと違ってな」
カポネの話を聞きながら、優人は沸々と怒りが湧き上がってくるのを感じていた。カポネの言う仕事がどのようなものか知らないが、そのような身勝手で、誤って命を絶たれる事になってしまったフォディナの人々の事など、まったく関心が無いかのような彼の様子に。
それに、フォディナの人々が望んでいたのは、平和な暮らしだった。もう村は無くなってしまったが、その村から採掘される鉄が戦争に使われるというのは、フォディナの人たちの思いを踏みにじられている気がしてならなかったのだ。
「そんな事…絶対にさせへんで!」
優人はそう言うと、四肢の自由を奪う蔦に向けてアースボムを放った。重低音とともに小爆発が連続し、優人の手足に巻き付いている蔦が、カポネの見ている前で弾け飛んだ。両手を封じられていても、この魔法であれば、対象を正確に攻撃する事が出来る。カポネにも一発お見舞いしてやりたい所なのだが、このアースボムには優人の半径1メートル程度の至近距離でしか使えないという制約がついている。
「ほぅ…こりゃ中々の威力だな」
高威力の魔法を目の当たりにしたアウトフィットの首領は、少年に対する評価を改めていた。
【用語等解説】
一貫性の原理…ここでの使われ方は、ひとつ相手の依頼を受けてしまうと、その後続く同様の案件も受けてしまうといったもの。過去に紹介した『返報性の原理』等とともに、名著『影響力の武器』で詳しく解説されている。優人の質問に1つだけ答えようとしたカポネだが、気付けばその後の質問にも答えている。彼自身、デールとの会話の途中でそのことに気付いたが、今更後に引けず、そのすべてに答えていた。
また、この一貫性の原理を利用した営業テクニックの1つに、初めに相手が承諾しやすい条件を出して承認してもらい、その後で少しの不利な条件を加えるローボールテクニックがある。
…と、解説が堅苦しくなってしまいました(^▽^;)




