第三十九話 恐怖と共感
「シンシン刑務所に入っている犯罪者で、自分を悪い人間だと思っている者は少ない。あなたや私と同じ、普通の人間と同じだと思っている。だから、自分のしたことを正当化し、言い訳をする」
ルイス・ローズ(シンシン刑務所、所長)
傾きかけていた太陽が時々刻々と色を変え、王都を朱に染めていく。優人とアイが激戦を繰り広げている最中、人通りの少ない道を、逃げるように走る人影があった。
「はぁっ、はぁっ…」
その人物。元防衛大臣のターイルは、息の続く限り駆けていた。日ごろ運動をしていない彼にとって、これほど苦しい事は無かったが、体力を気にしている場合ではない。捕まれば自分の命は無いだろう。それは、これまで咎人を裁いてきた彼自身が最も良く理解していた。そしてこれが、自分に訪れた最後のチャンスだという事も。
突然起こった冒険者協会本部の爆発。その爆風が王城の廊下から吹き込み、ターイルと護送していた兵士を直撃した。至近距離で起こった爆発の勢いをまともに受けた彼らは、一堂に壁まで吹き飛ばされ、全身を叩き付けられた。何が起こったのか、理解できないまま起き上がったターイルは、自分を護送していた兵士達が気絶しているのを見た。そのあとの事は、よく覚えていない。気が付けば、彼は逃げるようにその場から走り出していた。しかし、まだ城を出てからそれほど遠くまで逃げられていない場所で、彼の体力は尽きた。
「はぁっ…くそっ!」
なぜ自分のようなエリートが、このような目に合わなければならないのか。国庫に納められている金なら、腐るほどあるではないか。自分が使ったのは、そのうちごく微々たるものだ。国政に関与している自分を一般市民と同じ、いや、それ以上に責任追及するのは、お門違いというものである。
それにしても、三神にせよ、定食屋の主人にせよ、忌々しい事この上ない。あいつらのせいで…。これしきの事で…。思い出すのも忌々しかった。怒りのあまり、ターイルは思わず声を出していた。
「こんな終わり方…あっていい筈がない!」
「だったら、俺が助けてやろうか?」
まさか。自分の言葉に返事する者が居ようなど、予想だにしていなかったターイル。ぎょっと驚いて振り向くと、建物の間にある狭い路地に1人の男が立っていた。チェック柄のジャケットに、口にくわえた葉巻。目深にかぶった帽子のせいで、その顔を見る事は出来ないが、どこか危険なにおいのする男が、こちらを向いている。背筋に冷たいものを感じたターイルだが、自分を鼓舞して奮い立たせ、その人物に向き直って大声で喚いた。
「き、貴様!私が誰か、知っての無礼か!」
「ああ。あんた、ターイルだろ」
平然と答えてみせた男に、ターイルは今度こそ戦慄した。そんなターイルを気にする様子もなく、男はこちらに向かって数歩進み出た。それに合わせ、帽子で隠れていた男の目が見える。自信、驕り、強気、それらの意思が、男の目に刻まれている。ターイルは、そのように感じた。かつて見たことのない瞳だった。こいつは大物だ。何人もの人に出会い、そう確信するに足る経験をこれまで自分はしてきている。
「ヘマをやらかして、逃げてるんだってな」
「ど、どうしてそれを!」
「俺はそれなりに顔が広くてな。さっきあった裁判の事を、知り合いから聞かせてもらったんだ」
「お前…まさかカポネか?」
ずっと心の奥で繰り返されていた疑問を口にした。男は返事をする代わりに、ニヤリと笑ってみせた。
カポネ。噂には聞いたことがある。この町のならず者たちを従え、非合法の活動を行う組織アウトフィットを束ねるボス。目的達成の為に手段を択ばない非情の男。そして、一部の者達が畏敬の念を込めて呼ぶその名。『魔王』。
「ああ、ご名答さ。だが、俺が誰か知ったところで、あんたに何も得は無い。しかし俺はあんたに興味がある。あんたは今、この危機を脱せるような力が欲しいんじゃねえのか?」
「そ、その通りだ…」
「まぁ人生色々ある。今回の事はあんたにとって不運だった。そんなあんたに、俺からプレゼントがあるんだ。あんたのようなエリートがこいつを使えば、確実に強くなれるっていう代物さ」
そう言ってカポネは、おもむろにジャケットのポケットに手を入れ、その物体をゆっくりと取り出した。夕日に照らされたそれは、ガラスで出来た手の平に乗るほどの小瓶であった。しかしその中には、夕日の朱に翳して尚、光を通すことのない漆黒の液体が詰められていた。その禍々しさに、思わず息を吞むターイル。
「そんな怪しげな物、だれが飲むか!」
「これが暗黒大陸で手に入れた、遺物…と、聞いてもか?」
その言葉に、ターイルの思考が止まった。
「あんたも知ってる通り、この世界では人間性がそのまま力になる。こいつは、その力を最大限引き出す薬だ」
「その薬の力が本当なら…なぜおまえは私を助けようとするのだ?」
その質問に、カポネがこれまでにない表情を見せる。それは、相手を憐れむ表情のように、ターイルの目には映った。
「あんたとしては不本意かもしれないが、実は俺はあんたに同情しちまったんだよ。俺はな、あのミード王が嫌いなんだ。自分は碌な能力も持っていないくせに、ただ生まれが王族というだけで、地位に甘んじているようなボンクラの事をな。そんな王に代わって、この国を支えてきたのは、あんた達官僚だ。違うか?」
驚きだった。まさか、カポネがそのような考えで自分達の事を見ていたとは。身内にはターイルに媚を売る者は多いが、王の事を悪く言うような者もいない。どこに内通者の耳があるか分からないからだ。王を貶めてまで、ターイルの事を労ってくれる者は少ない。まさかこんな時に、自分の理解者に出会うとは。初めて会ったばかりの男の言葉に、ターイルは胸の奥に熱いものを感じた。
「残念ながら、俺はあんたの努力の全てを今この瞬間に知ることはできねぇ。だが、今回のようなちっぽけな不正を咎められて、あんたの苦労が無に帰すってのは…これまで王家に尽くしてきたあんたにとって、あんまりだと思わねぇか?」
そうだ。目の前の男が言う通りだ。私は、悪い事などしていない。なぜたった数回の献金や、小さな判決を歪めただけで、このような目に合うのか。これまで王に、国に、あれだけ尽くしてやったではないか。その私が些末事で咎められるのはおかしい。
「(しかし、あの薬はあまりに…)」
ターイルの逡巡を見て取ったカポネは、ここぞとばかりに付け加えた。
「だから、俺はあんたを助けたい。間もなくあんたは手配され、捕まって死刑になっちまう。かといって、戦闘経験も無いあんたが魔物共のうろつく平野に逃げるのは、奴らの餌になりにいくようなもんさ。だから、あんたが助かるには、こいつを飲むしかないんだよ」
自然な流れで男が差し出した小瓶を、ターイルは無意識に受け取っていた。瓶の中で、宇宙のような闇が蠢いている。その様子は、正に異様であった。
「それを飲むかどうか、決めるのはあんただ。ただ俺は…尊敬する男には、生きていて欲しいと願ってる」
「…これを飲めば、本当に助かるんだろうな?」
「ああ。仮にも俺は組織のトップだ。その俺が保証しよう」
カポネの言葉に意を決したように、ターイルが小瓶を口元に運ぶ。そしてそのまま、漆黒の液体を一気に飲み干した。想像以上に不味い。まるで腐った水を飲んでいるようだ。その様子を見て、カポネが満足そうな顔をした。
「の、飲んだぞ!さあ、私を助けてくれ」
カポネは何も言わず、ただこちらを見ている。次の瞬間、ターイルは自分の中で血液が沸騰するような感覚に捕らわれた。そして同時に、これまでにない力が自分に宿るのを感じた。湧き上がる力に歓喜したのも束の間。彼の意識は、永遠に戻る事のない虚空の彼方へと追いやられていった。
「くくく、ターイル。どうやら生きていられたようだな。ようこそ、狂気の世界へ」
「…」
【用語等解説】
フィア・アピール…カポネがターイルに対して取ったアプローチ。セールスの世界で、購買喚起の為に用いられる事がある。「○○しないと、こんな悪い事が起こる」というのが、その謳い文句。今起こっているような「マスクを買っておかないと、このあと買えなくなって困る」といった、人々の心理は、こうしたところから起こっているのですね☆
くれぐれも、悪用する相手に屈してしまわないように(^^♪
【お知らせ☆彡】
この物語の紹介ページを設けさせていただきました(*^▽^*)
簡単ではありますが、登場人物の振り返りや、スキル、世界地図や登場人物のイラストなどなど(絵師様、絶賛募集中です!)、物語進行にあわせて更新できれば…と考えています☆彡
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