第三十二話 同郷のよしみ
「見返りを求めず、無差別に親切なことをして下さい。いつの日か誰かがあなたに同じことをしてくれるかもしれないのだから」
ダイアナ・フランセス(イギリス王室、ウェールズ公妃)
振り返ると、そこに見慣れない男性が立っていた。薄い紫を帯びた、ふわりとした髪。生き生きとした瞳、身長はおそらく優人より5センチ以上は高いだろう。ファッション雑誌から出てきたかのような、モデルのような体系をしている。男は、優人の事をまっすぐ見て喋りだした。
「初めまして。先ほどの堂に入った謝罪、見事だったよ。俺の名前は三神。王都通信社の者だ」
「ミカミさん?王都通信社…」
その名前を聞いた優人は、表情を引き締めた。離れた位置に座っていたデールも、三神に気付かれないように、さりげなく彼の後ろに回り込み、その様子を注意深く観察しはじめた。
「まあ待ってほしい、俺にはフォルク亭を攻撃しようという意思など、さらさらない」
優人の表情を見て察したのだろうか、三神は自分からそう切り出した。しかしこの言葉は、優人にとってにわかには信じ難かった。こちらを油断させているだけかもしれない。尚も警戒を解こうとしない優人を見て、三神が笑いかけた。
「ふふ、そんなに敵意むき出しでいると、相手まで敵対してくるよ?同郷のよしみだ。仲良くやらないかい?」
「えっ、同郷って…」
優人には、三神の言っている言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「君は日本人だろう?俺も日本人だから、君とは同郷じゃないかと思ってね」
「どうして僕が日本人って事を!」
自分の出身を見抜かれて目を丸くしている優人に、三神は笑いながら答えた。
「簡単な事だよ。この世界には、瞳も髪も黒という民族はいない。であれば、転移者、アジア圏の人間だろう」
そう言いながら、優人に向けて歩を進める三神。優人は自分が緊張するのを感じた。
「アジア人は黒髪黒目ばかりだが、先ほどの兵士とのやりとりで見せた謝罪。あれで君の国籍が判明した。あれほど丁寧に頭を下げられる民族は、我々日本人だけなのだよ」
そうなのか。日本で暮らしていた優人には謝罪の方法は、頭を下げる以外に思い浮かばなかったのだ。しかし、その行為は世界に出れば、自分が日本人であることの証明になっていたのか。
だが、そう言った三神本人は、瞳こそ黒いものの、髪は青と紫の間を取ったような色をしている。日本人ではなく、どちらかというとアフクシスの住人に見える。
「あの…でも、ミカミさんの髪は黒じゃないですよね」
「髪かい?これは染めているんだよ。この世界で、黒目、黒髪は転移者である事の証明のようなものさ。転移者であることを理由に、剣も魔法も心得のない俺に冒険者を目指せと言われても困るからね」
三神はそう言って、左手で自分の髪を撫でた。確かに、優人はこの世界に賢者としての素質を有してやってきた。その為か、魔法を使うことが出来たのだが、転移によって何も得られなかった三神は、さぞ苦労した事だろう。
ここにきてようやく優人の中に余裕が出てきた。そして、三神という名前、どういった漢字を書くのかが気になったので聞いてみる事にした。
「ところで、ミカミさんは、三に上で三上ですか?それとも三に神で三神ですか?」
「後者だね。上と書く三上と、よく間違えられるよ」
三神はそんなことが気になるのか、と言いたげな顔をした。
「確かに、上と書く三上さんは多いですよね。名前に『神』の漢字が入っているのは、かっこよくて羨ましいです」
「ああ、ありがとう…なるほど。君はなかなか勉強しているようだね」
優人は何を言われたのか分からなかった。その様子を見て、三神は続けた。
「何気ない事だが、相手の名前を大事にするのは良い事だと思う。特にこの世界では、そうした人間力が試されているからね。そういう君はなんという名前なんだい」
「高崎です。でも、この世界では『優人』と名前で呼ばれる事が多いです」
「なるほど。確かに、そちらの方がこの世界では呼びやすいね」
三神はゆっくりとうなずいた。
「では、俺も君の事をユウトと呼ばせてもらおう。さて、本題なのだがユウト…君はこの世界に転移してきて、俺と同じような境遇であのフォルク亭で働くことになったのかい?」
「いえ、お手伝いといいますか、今は臨時の従業員です。旅の最中、食事の為にたまたま入ったフォルク亭で、マスターが困っていたので自分に何かできないか、友人と相談して決めたんです」
それを聞いた三神は、意外そうな顔をした。
「ユウトはフォルク亭に、何の借りもないんだろう?マスターから何かしてもらえるから、この試食会を開催したのかい?」
「いえ、お恥ずかしいお話ですが、ただ単にフォルク亭の料理が美味しかったんです。この味が続いてほしいなと思って、手伝ってます」
三神は、考え込むようなそぶりを見せたまま、何も言わなかった。何かまずい事を言ってしまったのかと思った優人は、少し不安になった。その表情から何を考えているのか、優人には三神の内面を伺い知る事が出来なかった。
「見返りは…求めないのか」
三神がぼそりとそう言ったちょうどその時、どこからか鐘が鳴り響いた。それを聞いた三神は、ハッとした表情を浮かべる。
「おっと…長話をしてしまったようだ。今日はいい話を聞かせてもらった。昼休みが終わってしまうから、俺はオフィスに戻るとするよ」
「あ、はい。ご期待に沿えないような話になってしまったようで、すみません」
「いやいや、貴重な話を聞かせてくれてありがとう。じゃあユウト、また会おう」
三神はそう言って踵を返し、颯爽と歩み去った。その後ろ姿を見て、優人は緊張の糸が切れたように、ふうっと大きなため息をついた。先ほどまでのやり取りを労うように、デールが足元にすり寄ってくる。優人はしゃがんでデールの頭を撫でながら、小さな声で話しかけた。
「あ~、疲れたぁぁ…さっきの衛兵とのやり取りの方が、ずっと楽やったわ」
「うむ。ご苦労だったねユウト。あの三神と名乗った男、かなりのやり手だと思うぞ」
デールも自分と同感だったらしい。どうせなら、デールが話してくれればよかったのに、と優人は思った。ところで、三神は何歳くらいだろうか。少なくとも自分よりは年上だろう。凄腕のビジネスマンという感じだ。
「三神さん、転移してきたけど剣も魔法も、才能に恵まれへんかってんな。あれで、他の能力まで持ってたらと思うと、恐ろしいわ」
「ふふ、案外何か持っていたりしてな。彼が隠しているだけかもしれない。しかし、特別な能力を持っていなかったからこそ、彼は自分の仕事に集中出来ているのかもしれないぞ」
なるほど、と思う優人であった。
振り返ってみると、試食会の列はまもなく終わりを迎えようとするところであった。片付けを手伝わなければならないだろう。優人とデールは、ロインの元へと戻っていった。
【用語等解説】
相手に敬意を払う…三神の名前について、三上か三神か、優人は質問した。些細な事ではあるが、初対面の場では特に名前に関して関心を寄せると、後に良好な人間関係を築きやすい。
【詳細と活用方法】(人間関係ナビ☆彡)
http://for-supervisor.com/human-relationship/7skill-4/




