第三十話 ジャーナリズムの世界
「お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ」
ナポレオン・ボナパルト(フランス皇帝)
大理石で造られた部屋の中に、壺、絵画、絨毯…など、調度品が配置されている。見た目にも華やかな王城の一室に、男は通された。
「(…相変わらず、悪趣味な部屋だ)」
その男、王都通信社取締役の三神は、あらためてそのような感想を抱いた。件の人物との面会は、いつもこの部屋で行われていた。にもかかわらず、三神はこの部屋に来るたびに、王城および王家、この城にのさばる官僚たちに不快な思いをするのだった。ここにいる者たちと自分は、住む世界が違うのだろう。権威を見せつけるようなこの雰囲気には、どうしても馴染めないでいた。
ガチャリ、と高級感のある木製ドアが音を立てた。その音がスイッチになったように、三神は自身の思いを隠し、部屋に入ってきた人物に向けて恭しく一礼した。
「ターイル様、本日もお時間をありがとうございます」
ターイルと呼ばれた身なりの良い男は、片手をあげて「よい」と返事をしてから、部屋の中央に置かれたテーブルまで進み、席についた。その姿を確認して会釈した三神は、自らも席についた。
「まずは、お礼を申し上げます。先週末刊行させていただいた弊社紙面のターイル様のインタビュー記事、王都内で大変好評を得ております。当日の紙面は各販売店で売り切れ続出でして…既に次の企画も進めさせていただいております」
ターイルは、満足そうな表情を浮かべた。
「はは、あの時は緊張して月並みな事しか述べられなかったがね。よほど、王都通信さんの書き方が良かったのだろう」
「いえいえ、とんでもない事で御座います。ターイル様の民意に沿った政策、その目的に多くの都民が感銘を受けているのは間違いありません」
三神はかぶりをふって、ターイルの言葉を大袈裟に否定した。そう言われたターイルは、今度は笑い声をあげた。
「はっはっ。いやいや、ミカミ殿は本当に世辞がうまい」
「決してそのような事は御座いません。ターイル様のような方こそ、王都の中枢を担われるのに相応しい御方であると、多くの者が声にしております」
「いやいや、王都の中枢など私には勿体無い言葉だよ」
ターイルが自身を否定するが、まんざらでもないといった様子である。その時ドアをノックする音が聞こえ、ターイルの許可に合わせて使用人が入ってきた。どうやら、紅茶を運んで来たようだ。2人の前に1杯目の紅茶が注がれ、それに併せて茶菓子が用意された。使用人は一礼すると、部屋を後にした。
「おっと、これは私とした事が…弊社のトトラスより、ターイル様に先のインタビューの御礼の品を預かっております」
目の前に置かれた茶菓子を見た三神は、さも思い出したようにカバンから小包を取り出した。
「社長のトトラス殿から?それはそれは…」
そう言ったターイルの瞳の奥が光ったのを、三神は見逃さなかった。
「はい、こちら手土産の菓子折りに御座います。ターイル様には普段からよく計らっていただいておりますゆえ…どうかお納めくださいとのことです」
「ほう、中身を拝見してもよろしいかな?」
菓子折りを受け取ったターイルは、丁寧に包み紙を開け、そこから洋菓子の箱を取り出す。ズシリと重さのあるその箱を開いて、中に入ったゴールドの詰め合わせを確認したターイルは、満足そうにうなずいた。
「これは…前回より随分と多いではないか。5万ゴールドはあるな」
「前回…で、御座いますか??」
とんと検討がつかないといった三神の様子に、ターイルは慌てた様子で、咳ばらいをした。
「いや、失礼した。貴殿が前回の事を知らないのであれば、先ほどの私の言葉は聞かなかった事にしておいてくれ。まぁ、今回のインタビューも任せておきなさい。併せて、私からは他の官僚にも、王都通信社以外のインタビューは受けないよう、伝えておこう」
「そ、それは誠でしょうか!ターイル様、ありがとうございます」
「はは、貴社と私との間だからこそだ。サービスとして、受け取っておいてくれたまえ」
恩を着せるような物言いをするターイルに頭を下げながら、三神は相手から見えない位置で、不敵な笑みを浮かべた。
「それと話は変わるが…あの定食屋を非難する記事、書き続けてくれているだろうね」
定食屋…?ああ、フォルク亭の事か。予期していなかった質問が来た事を意外に思いながら、三神は答えた。
「はい。弊社代表のトトラスが手配している案件で御座いますね。あちらはターイル様のご指示でしたか」
「ああ。私からトトラス殿に依頼させてもらったのだ」
この記事については、急な記事差し替えをしてまで、トトラスが推し進めるよう指示してきた案件である。その理由をトトラスが語らなかった為、記事を作成する側のトップである三神としても気になっていたのだ。正直、自分はあのフォルク亭に対して悪い印象は持っていない。なぜいち飲食店を、ここまで追い込むような記事を書き連ねるのか。
「私の方でトトラスより指示を受け、そのようにしておりますが…こちら、何かターイル様の方で気になることが御座いましたでしょうか?」
「いや、飲食店街を監視していた衛兵から報告があってね。件の店で、何やら『試食会』なるものをやっているらしいのだ。今更何を始めることがあるのやら…」
三神は怪訝な顔をした。試食会?スーパーの試食コーナーではないのだから、そのような取り組みがうまくいくのだろうか。確かに王都に居て、そのような販促を行っている飲食店を見たことは無いが…
「左様でございましたか。あの飲食店は風前の灯と聞いておりましたが。本当に今更で御座いますね」
「うむ、今日も同じことをやる可能性が高いと報告を受けている。念のため、衛兵には同じことをするようであれば、代表者を捕らえるように指示しているのだが…」
ここまで徹底しているとは…フォルク亭を潰すことで、何かターイルにメリットでもあるのだろうか。
「左様で御座いましたか。ところで、なぜターイル様はそちらの定食屋を抑えようとなさっているのですか?」
「ふふ、ミカミ殿。世の中には興味本位で聞かぬ方が良いこともあるよ」
しまった、少々知りたいという私情を挟みすぎたか。
「これは…大変失礼致しました」
「いやいや、この質問は貴殿のジャーナリストとしての本分だろう。私は責めたりしないよ」
「寛大なお心遣い…痛み入ります」
その後、ターイルに丁重に謝罪した三神は、次回インタビュー記事の取材日を確定した後に、応接室を出た。王城の外部通用口に続く廊下を、彼は無表情に歩く。そのままの足で王都通信社に戻った彼は、今日のターイルとの面会について、社長であるトトラスに報告した。その様子を聞いて自誌の発展を確信したトトラスは、喜びを隠さなかった。
報告を終え、自身の席に戻った三神は、カバンの中に手を入れると、手のひらサイズの端末を取り出した。付属のイヤホンを耳につけ、その再生ボタンを押す。流れてくる音声を聞いた彼は、こみ上げてくる笑いを堪えなければならなかった。
「(ターイル、わきの甘い官僚だ。ボイスレコーダーの存在を知らないとは…。公職にある者がこの程度のレベルとは、この世界は本当に甘いな)」
ボイスレコーダーには、先ほどの対話がしっかりと録音されていた。ターイルが「前回より多い」と言っていた賄賂の件、三神としてはターイルの前では知らぬふりをしたが、これは実は彼がトトラスに発案させて贈らせたものだった。
三神は賄賂を自分が提案するのではなく、トトラスが発案させるように仕向けた。官僚への賄賂を、自分がこの世界の通信社の中で初めて考えたアイデアだと勘違いしたトトラスが、自信たっぷりに「これはうまくいく」と言っていたのを、彼は冷めた目で眺めていた。
三神 徹。年齢は今年で30歳になる。都内の大学を卒業した後、某大手新聞社で働いていた三神が、ふとした事からアフクシスに転移して、かれこれ5年が経とうとしていた。デールのような転移仲介者との出会いもなく、優人と違って魔法の才にも恵まれなかった彼を待っていたのは、苦難の連続だった。魔物に追われ、野盗から逃れ、命からがら王都に辿り着いた。そんな経験してからというもの、彼は王都から外に出ようなどとは、露ほども考えなくなっていた。
そして、彼はここ王都で運命ともいえる新聞に出会う。それが、王都新聞であった。王都で初めてこの世界の新聞を目にした彼は、この世界のジャーナリズムに、とてつもないビジネスチャンスが眠っている事に気が付いた。
当時の『王都新聞』は、新聞とは名ばかりの低クオリティの読み物だった。低クオリティと決めつけた、その理由は簡単である。ページ内の情報がてんでばらばらなだけでなく、文章そのものも素人が作ったそれと遜色ない。文字のサイズや色合いもセンスに欠け、とてもではないが大衆が魅力的に感じる要素など有していなかったのだ。王都に新聞を購読する者が少なかったのも、当然の結果と言えるだろう。
しかし彼は、これをチャンスと捉えた。王都通信社に直接「入社したい!」と志願した彼は、当時の人事部長から「試しに新聞のトップ面を作ってみろ」と言われ、その場で部長の度肝を抜くような大作を作り上げた。実は、大作といっても、日本で発行されている新聞のフォーマットをコピーしただけの代物である。これが人事部長の報告を経て社長のトトラスの耳に入り、三神はめでたく王都通信社に入社する事ができた。
入社後の彼の活躍は際立っていた。一面をはじめとして、経済、事件などをカテゴリー別に分け、読者の立場に立った読みやすい記事を作り上げた。三神の紙面改革は徹底されていた。天気、コラム、生活の知恵から、果ては4コマ漫画の掲載位置さえも、日本の新聞のそれに準じるように、王都新聞を作り変えたのだ。
ここまでして3年。ようやく、王都新聞を支持する都民が増えた。購読者が増える喜びは、三神に更なるやる気を与えた。彼は大手企業に営業に出向いて許可を得て、その企業の商品広告を作り、無料で王都新聞に掲載した。それを見た他社から「うちの商品も是非載せてほしい」というオファーが入るようになるのも、時間の問題だった。三神のこの取り組みにより、王都通信社は新聞や雑誌の販売益だけでなく、広告でも収益を上げられるようになったのだった。
これほどに際立った活躍をした彼が、社内で重宝される存在になった事は言うまでもない。もともと社員10名だった王都通信社も、この5年で150名の社員を抱えるまでに成長した。そして、彼には取締役の地位が与えられたのだった。しかし彼は、現在の自分の立ち位置に満足していなかった。
その理由は、社長のトトラスにあった。父親から王都通信社を継いだ2代目、典型的なボンボンである彼の経営方針に、三神は辟易していたのだ。三神が紙面の改革に5年もの月日を要した理由は、トトラスが改革に対して毎度口を出した事にある。
会社の収益を私的流用して高級家具や別荘を購入して旅行三昧。それだけならまだしも、三神の改革に対して、やれ「それでは上手くいかない」「データは取ったのか」「失敗したらどうするんだ」などの口出しをしてきた。それはもう妨害といっても過言ではなかった。その都度、三神は検証として狭い範囲の住民に対しテスト記事を作成し、読んでもらったうえで、現在の記事とテスト記事、どちらが良いかといったデータを取らなければならなかった。
現実世界での成功事例を知っている三神にとって、それは二度手間以外の何物でもない。王都通信社は創業一家によるワンマン経営だし、慎重に進めたい気持ちもあるから仕方ないのかもしれない。それに拾ってもらった恩義もある。しかし、三神が取締役となった今も、いちいちトトラスの許可を得るのに多くの時間を要している現状がある。これでは王都通信社内の本質的な改革は進まない、と三神は考えていたのだ。
そんな時、三神が思いついたのは、トトラスの失脚、または弱みを握る事であった。独裁政権に終止符を打ち、民主化を図ることが目的だ。そんな事とは露知らないトトラスに、今回三神が起案させたのは、古典的な闇献金だった。この方法がジャーナリズムの世界に広まっていなかった事は、転移者であるミカミにとって僥倖だったといえる。
ボイスレコーダーもそうだ。たまたま転移の時に持ってきたボイスレコーダーと電池の予備が役に立つときがやってきた。こうして作戦は実を結び、トトラスを失脚させるのに十分すぎる証拠が、彼の手に収まった。
さて、問題はこの証拠となる音声をどうするか、である。音声を直接トトラスに聞かせ、単純に彼を脅す為の材料として使うか。はたまた、最近台頭してきた競合他社にボイスレコーダーを渡してしまい、そこから都民へ発信してもらう。引き換えに、自分もそちらの競合他社のしかるべき立ち位置に転身できるよう手配してもらうか。いずれにせよ、官僚であるターイルも、ただでは済まないだろう。彼はこのジョーカーの使い道に悩んだ。
「(これは…悩ましいな。しかし、俺は俺に正直でありたい)」
渡す相手によっては、このスクープはもみ消されてしまう心配もある。まだ使い道を決める段階ではないだろう。そう考えた三神はボイスレコーダーをシャツの胸ポケットにしまい、立ち上がった。
「さあ、折角の機会だ。昼飯がてら、話題となっている試食会とやらを拝見しようではないか」
誰ともなしにそう発した彼は、自分に向けて頭を下げる何人かの部下の前を通り抜け、颯爽とオフィスを歩み出て行った。
【用語等解説】
ありそうで、特にありません♪先輩転移者、三神さん登場!優人の味方となるか、敵となるか。随分と悩みましたが…(^^)
※1か月近くの無配信、申し訳ございませんでした!私事ですが、社内の人事異動で3月1日から単身赴任する運びとなり、バタバタしておりました(;’∀’) しかしこれで、人間関係ニャビ☆彡を書きたい放題…に、なるかもしれません♪




