第三話 転移
「名前は当人にとって、最も大切なひびきを持つ言葉であることを忘れない」
デール・カーネギー(著書:『人を動かす』)
しまった…空き家と思って入ったけど、管理人さんが居たのか…
「す、スミマセン!すぐ出ていきます!」
怒られる!…と思い、これでもか!というほど、ぎゅ~っ!っと目を閉じて、勢いよく振り返りながらそう謝ってみた。
しかし、相手の返事はない。
あれ?近くで話しかけられたような気がしたけど…?
恐る恐る目を開けてみるが、そこに人の姿は見えない。
聞き違い…ではないよな?
「その願い、」
足元で声がする。
…まさか…
「叶えてやろう、と言っているのだ」
目の前のネコが、そう喋っている。
「私がお前を、一流の人間に育ててやろう」
「…あ…ああ…」
恐怖とも驚きともつかない声が、口から勝手に漏れ出すのを聞いていた。だって…目の前のネコが、まっすぐこちらを見て、口をきいているのだ。
そんな優人の心を反映するかのように、先ほどまであんなに熱く地上を照らしていた光が無くなり、急にあたりが暗くなっていく。いつの間にか、夏空に良く映える巨大な入道雲が太陽を覆っていた。
「迎えが来た。いくぞ」
「え、ちょっと何を言って…」
ようやくのことでまともな単語が口から出たその刹那、空が一瞬光ったかと思うと、轟音が耳を占拠した。そして、優人の上空から一筋の雷光が真っ直ぐこちらに向かって落ちてくる…ように、優人の目に映った。
頬を風が撫でる感覚で、漂っていた意識が戻ってくる。
どうやら、夢を見ていたようだ。いつ眠ってしまったのだろう?
心地良い風が吹いている。僕はゆっくりと目を開く。
…太陽の光がまぶしい。一度開いた目を、反射的に閉じる。
横を向いて、もう一度目を開く。新鮮な緑が目に入る。
ふと、背中に冷たい石の感覚を覚えて、ようやく自分が横になっていた事に気づく。
手は…普通に動く。両手を使って体を起こす。足を延ばして座った姿勢になり、あらためて周りを見渡す。
ただ一面の広い草原。そして、足元には4メートル四方の石畳。その真ん中にひとり、僕は座っていた。
「なんなん、これ…」
こたえるものは居なかった。ただ、静かな風の音と、サワサワとそよぐ草の音が聞こえるだけだった。
…と、左手にある草が、カサカサと音を立てて揺れる。
反射的にそちらを見た。優人はサッと、片膝を立てた体制になり、音が鳴っている方を警戒した。現れたのは、あのネコだった。
「目が覚めたか?」
可愛い見た目から発せられたとは到底思えない、凛とした声でこちらに問いかけてくる。
四本足、白とやさしい金、茶の縞で構成されたふわふわの毛、モヒッとした口元。あらためてまじまじと観察してみたが、やはりどこからどう見ても、目の前で言葉を発しているのはネコである。
喋るネコなら、アニメで見たことがある。ただ、それはあくまでアニメの話だ。そして、動画でも見た事がある。しかしアレは、そう言っているように聞こえるだけで、実際には人間が都合よく解釈したにすぎないものだ。現実にネコが話しかけてくる様子は…違和感があるし、ちょっと気持ち悪い。
「あ、あのさ」
「なんだ?」
恐る恐る、問いかけてみる。こちらの話している事も、しっかり認識できるらしい。
いざ聞こうとすると、何から聞いて良いのかわからない。
なぜ話せるの?
なぜ本を集めていたの?
なぜあの家に一匹でいたの?
というか、ここはどこ?
さっきの稲妻って何?
たくさんの疑問が浮かんできた中で、真っ先に出た問いは…
「君さ、ネコやのになんで『迎えがきたニャ』とか『目が覚めたかニャ』とか、語尾に『ニャ』をつけへんの?」
「…なぜ、あえて語尾にそんな言葉を付ける必要があるのだ?」
アホッ!…俺のアホッッ!!なんでこんなこと聞いたんや?
いや、まあ聞きたかったけど、今このタイミングで聞く事ちゃうやろっ!
心の中で、激しく自分を責める優人。
このネコが言う事ももっともだ。ネコは鳴く時こそ「ニャー」というが、そもそも普通に喋る事が出来るのであれば、語尾のニャーなど邪魔なだけだろう。日本人が持っているイメージ、喋るネコに対する偏見、恐るべし。
聞いた自分がなんだか恥ずかしくなった。耳が赤くなっていくのを感じる。
「そ、そういう風にネコが喋っている小説を読んだ事があるんだよっ!」
「ほう、お前は小説を読むのか」
ネコは興味を持ったようだった。
「え‥ああ、読むけどそれが何か?」
「その割には、人付き合いに関して苦手意識を持っているようだな」
ネコに自分の人間性をバカにされた気がする。
「小説読んでたって、人付き合いがうまくなるワケちゃうやろ」
「その通りだ。しかし、他人の気持ちを推察する能力は、自分以外の誰かになり変わる事の出来る小説等を通して学ぶことが可能だ」
…ネコの癖に、随分と小難しい事を言うやつだ。
「ところで、お前の名前は何というのだ?」
こちらが言い返せずにいると、不意にネコがそう聞いてきた。
「名前?優人。高﨑優人」
「ユウトか。ふむ、良い名前ではないか」
「…え、ああ。ありがと」
思いもよらない返答に、思わずありがとうと返してしまう。心なしか、このネコも笑顔で言ってきた気がする。ネコの表情を読み取るなどという高等技術は持ち合わせていないが。
よし、こちらも聞き返してみよう。
「君はなんていう名前なん?」
「私か?私の事は…デールと呼ぶと良い」
デール…飼い主につけてもらった名前か??確かに、この青い瞳で『太郎』や『小次郎』という名前は似合いそうにないので、正解な気がする。
「デールか。お前の飼い主は?」
「飼い主などおらぬ。私はひとりだ」
そうか…悪い事を聞いてしまっただろうか。質問を変えよう。
「この場所は何なん?」
「次から次に、随分と聞くだけ聞いてくるのだな。この世界はアフクシス、と呼ばれている。地球に住んでいる者が言うところの『異世界』だ」
「異世界!?」
優人の中で、一気にテンションが上がった。
※ようやく異世界転移となりました!
3話にもわたってお待たせし、申し訳ありません(;^_^A