第二十三話 それは突然に
「唯一の真の英知とは、自分が無知であることを知ることにある」
ソクラテス(思想家・哲学者 『無知の知』)
ふと目を開けた優人は、自分が誰かと対峙している事に驚いた。美しい金色に、ウェーブがかった髪、デールと同じような空を映したような青い瞳。自分たち日本人と比較すると長身の、見た事のない外国人がそこに立っていた。恐らく女性…なのだろうが、中性的な顔立ちなので、性別は判別できない。
相手に見とれていた事に気付いて、ハッと我に返る。周りを見渡すと、シンプルな机と椅子が置かれた以外、家具らしいものも見当たらない洋室に、優人は居た。外は晴れ間がのぞき、開け放たれた窓から吹き込む風が、レースのカーテンを優しく撫でるように、揺らしている。
ここに来た状況がイマイチ飲み込めないが、こうしていつまでも部屋の様子を観察している訳にはいかない。そう思った優人は、目の前の人物に何か話しかけなければならないと思い、切り出した。
「あの、すみません。僕、気がついたらここにいて…。すぐに出ていきます」
「いいえ、ユウトよ。私があなたを呼んだのです。少し、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
澄んだ声だ。知らぬことと言え、勝手に他人の部屋に入ってしまった事をまず詫びようとした優人は、目の前の人物が自分の名前を知っている事に、逆に驚かされてしまう。優人は緊張しながらも、相手の丁寧な質問に対して、こくりと頷いていた。その様子を見た外国人も、笑顔で小さく頷いた。
「まずは、お礼を言わせてください。このアフクシスに来てくれて、ありがとうございます」
「え?は、はい」
いきなりお礼を言われても、何のことだかピンとこない。相手が頭を垂れる洗礼されたその所作に、思わずこちらも慌ててぺこりと頭を下げてしまう。
「えっと、どうして僕の名前を知っているんですか?」
「この世界に転移していらっしゃる方は少ないのです。そのような方に、興味が無いハズはありませんから。あなたがこちらに来てから、どうなさるのか、見守らせていただきました」
笑顔でそのように応えた相手は、柔らかな雰囲気そのままに自分の名を名乗った。
「私は…ソマリスと申します。ここアフクシスで、冒険者の誕生と成長を見守っている者です」
優人は思い出していた。冒険者カードを作る時に、アンナさんからそのような名前を聞いた気がする。たしか、アンナさんはソマリスの事を神様だと言っていた。神様といえば絶対権力者である。もっと偉そうにしていると思ったら、随分と慇懃である。その事が逆に優人を戸惑わせた。
「あの、僕の記憶が正しければ、ソマリスさんは神様ですよね?」
「この世界の人々はそのように呼んでいるようですが、私たちにはそのような意識はありません。長らくここアフクシスの世界に居ますが、この世界の管理を任されているだけであって、絶対的な神のような存在ではありません」
ソマリスは、神ではないらしい。だが、この世界の中枢を担う人物である事は間違いなさそうだ。優人はそう解釈した。
「さて、私のことはさておき。本題に移りたいのですが…」
ソマリスは、あらたまって話しだした。
「先程まであなたが戦っていた相手は、末端ではありますが、魔王の手の者です」
その言葉で、優人は自分が置かれていた状況を思い出した。あれは…夢ではなかったのだ。そうか、自分は戦いに敗れて…死んでしまったのか。アイを助けられなかった事が不甲斐なく、負けたことが純粋に悔しかった。
「大丈夫、あなたはまだ死んではいません」
「え?」
自分はきっと間の抜けた表情をしていただろう。それくらい、ソマリスが言っている事が信じられなかった。優人は、先の戦いでついた傷を思い出すように、恐る恐る全身を見回した。しかし、それらしい傷は1つとして見当たらなかった。
これは…全快している?いや、むしろ先ほどより体調は良いくらいだ。アンジェロに蹴られた腹部が、相当痛かったのを覚えている。人生で初めて血も吐いた。あれほどの怪我なら、万が一助かったとしても、何ヶ月か寝たきりの生活になりそうなものだ。となると、今見ているこれは、夢か何かだろうか。
「いえ、夢でもありません。傷は、私が治させていただきました」
心を読み取ったかのように、ソマリスが優人の考えを否定する。やはりあるのか、回復魔法。気を失っている間に起こった事だから、回復する工程は見られなかったが、実際に傷が治っているのは、すごい事のように感じる。
「ユウト、あなたは賢者になりたいと強く願っていましたね?」
「あ…、はい」
愚者の称号を思い出すと同時に、冒険者カードに書かれたその文字が嫌で、カードを折ってしまおうとした、自分の軽率な行動が脳裏をよぎって気まずくなる。
「そんなあなたにお伝えしたいことがあります。…あなたは、賢者として覚醒する条件を満たしました」
「え?なんで?死にそうになると、賢者になれるのですか?」
思わず聞き返してしまう。それほどにソマリスの言っている事の意味が理解できなかった。
「何度も否定してしまうようで申し訳ありませんが、そうではありません。あなたが覚醒する段階に至ったのは、『賢者が賢者足りうる唯一の真理』に気付いたからです」
表情に出ていたのだろうか。心の中で思った事を読まれたようである。
「唯一の真理…って、なんですか?」
「自分は無知である、という知覚です」
「ん…?失礼かもしれませんが、それって簡単な事じゃないんですか?」
ただ単に自分は知らないと思うだけで良いのであれば、簡単な事だ。
「はい、一見すると。しかし、ただ無知である事を思うだけではありません」
ソマリスは続ける。
「ある一定の物事を学べば、人はその事について自信を持つようになります。そして、その自信は、人から今以上の知識を得ようとする為の謙虚さを失わせます。同時に、多くの人はその事実に気付くことができません。素直さと謙虚さ。この2つと自信は、相反する事柄ですから、知っている事に対して、今のままで十分であるという気持ちを抱くのも、無理からぬ事なのです」
「あの…仰っていることが難しくて、僕には理解できないのですが…」
優人は思ったままの事を口に出して言った。そんな優人に対し、ソマリスは笑顔で話しかける。
「失礼しました。要約しますと『自分は知らない、という事を知っている』これが出来る人が、希少なのです。そして、あなたはつい先程、この真理に辿り着いたのです」
もしかして『自分の行動が自分の周りの人を作っていく』という考えに気付いた事が、そうなのだろうか。ソマリスの話は続く。
「その気持ちが、あなたを際限無く成長させ、あなたに関わる周囲の人をも幸せにする結果をもたらします」
「あの…僕は、自分がそんな大層な事を出来る人間だとは思っていないのですが…」
思ったままの不安を口にした。
「問題ありません。ユウト、あなた自身が素直で謙虚な人であり続ける事が、賢者として大切な事なのです。それだけ、ご理解いただければ結果は自ずとついてきます」
なるほど。わかったような、分からないような。とりあえず、何事も謙虚に学ぼうとする姿勢が大事なのだろう。そして学んだ後も、その事で驕らないこと。その上で更に学ぼうとする事が大事なのだろうなと、漠然と感じた。優人が理解した様子を見て、ソマリスは頷いてみせた。
「この世界は、意思や人間力が力となる世界。一見すると、正の力と負の力は釣り合いが取れるように思われます。しかし悲しい事ですが、憎悪や嫉妬、怠惰や傲慢といった負の感情が有している力は、あまりに強大です。それらは、愛情や慈しみといった正の力の比ではありません。そして、この世界における負の力がもたらす多くの悲しみは、魔王の力になります。この力はやがて、あなた達が住まう世界をも巻き込んでいくことになるでしょう」
ソマリスは、そこまで言うとややうつむいた。似たような話はデールからも聞いたことがあるが、言っていることがあまりに現実離れしていて優人には信じられなかった。ソマリスは更に続ける。
「しかし、希望はあります。今以上に成長したいという思い。人を助けたいという思い。そして、無知の知。これらの正しい思いが人々の間に浸透した時、人は初めて負の感情に打ち勝つことが出来るのです」
ソマリスが手を伸ばし、優人の肩に触れる。その手は、母が、父が、我が子の肩に手を置くように優しく、そしてなにより自分なら出来るという自身を持たせてくれるものだった。
「ユウト、これらに転移者という条件が加わったあなたは、賢者として覚醒する権利を持ています。あなたには悲しみの連鎖を終わらせ、この世界に住まう人々を幸福に導く力があります」
「ちょっと待って下さい!僕にはそんな力はないです…」
優人はソマリスの言葉に戸惑った。この世界なんて…スケールが大きすぎる。
「大丈夫。自分を信じなさい。私はいつもあなたとともにあります」
ソマリスはユウトの肩に置いていた手を、優人の正面に差し出した。優人は自信なく手を出す。その手をとったソマリスは、力強く握り返した。温かく、それでいて「頑張れよ!」という意思を持って握られた手の力を感じた優人は、本当に自分なら出来るような、そんな勇気を与えてもらった気になる。
「さあ、その為にまずは、あなたの大切な人を救わなければ」
優人はハッとした。そうだ、アイ。まだ間に合うだろうか。何のために賢者になるのか。賢者になって何をするのか。ゲーノモスが言っていた言葉を思い返していた。
「それでアイを助けられるなら…お願いします!」
賢者の力は、人を助ける為のものだ。ソマリスの話から、優人はそう確信した。
「はい。あなたならば、この力を正しく使ってくれることでしょう」
そう言って優人の両肩に手を置くソマリス。これまでにない力が自分の体に漲るのを、優人は感じた。目の前の光景が段々と光を帯び、淡く消えるように薄れていく。
「それでは賢者ユウトよ、またどこかで会いましょう」
まだ話したいことはある。しかし、優人が言葉を口にしようとしたその瞬間、目の前が白く輝き、その光は弾けるように消えた。
目の前の風景は突如として立ち消え、フォディナの光景が飛び込んできた。先ほど自分が負けてから、どれくらいの時間が経ったのだろう。上空にはいまだ暗雲が立ち込め、雨は降り続いている。
フォディナに戻ったのだ。周囲を見渡すと、既にアンジェロ達は居なくなっていた。先ほどと違うのは、自分の傷が癒えている事だろうか。いや。自分の中に、これまで存在しなかった力がある。優人は、その力の1つを確かめようと思って目を瞑る。
魔素。この世界に漂うそれら1つ1つ、目に見えない空気の粒子のような存在が、手に取るように分かる。建物の中などの外壁で覆われた空間を除いて、フォディナ全体の様子が、目に見えるようだった。そういえば、以前デールは丘の向こうにいるジャイアントボアの存在を教えてくれた。恐らく自分も、それを感知する事が出来るようになったのだろう。とても不思議な感覚だった。
そして優人は目を開け、村の中で唯一動いている、3つの気配に向けて歩み出した。
この村にいる村人の始末。それが今回自分たちに与えられた任務だった。少々時間をくったが、無事に俺達の仕事も終わりだ。あとは撤収して、鉱山の採掘を担当する班に交代するだけ。村の奴らが眠らせていた鉱山。中に何があるかは分からないが、ボス直々の指令だ。相当なものが眠っているのだろう。結果は出した。これで喜んでもらえるし、組織も繁栄する事だろう。そして何より…
俺は思わずニヤリとした。俺ら兄弟の株もあがるってもんだ。今回の任務の成功報酬は、俺達兄弟の幹部昇格だ。もう、こうした下積みのような仕事とはおさらばである。
「(それにしても…クソっ)」
先程の戦いで負った火傷に雨があたり、ヒリヒリと痛んだ。
自分は魔法使いだと言い張っていたあのガキ…。ああいう調子に乗ったやつは、潰しておくに限る。同じ魔法使いのよしみだ。こっちは、少しは敬意を払って相手をしてやったというのに、反則技を使ってきやがった。あれじゃあ魔法使いじゃなくて曲芸師じゃねえか。しかし、所詮は素人のそれ。戦闘経験も魔力も一級である俺と比較するのもおこがましい。
上空に居座った雨雲は厚く、天気の回復は望めそうにない。この調子では、痛みとの付き合いは長引きそうである。俺は苛ついた。
「畜生。はやく止みやがれ、このクソ雨がっ」
「おいアンジェロ、雷に悪態をついてどうするんだ」
「わかった、さてはあのガキにイライラしてるんだろう」
ウォータでずぶ濡れになった俺を、サムとマイクが茶化す。それに対して、俺は不満を隠さず、チッと舌打ちをした。確かに一瞬とはいえ、あのガキに反撃を許したのは事実だ。自分が油断したことを後悔する。あのガキの攻撃さえ受けなければ…クソっ、傷が痛てぇ。
腹の虫が収まらない。やはり、戻ってとどめを刺しておくか?ガキをなぶり殺した後、走って2人に合流すれば、特に問題はないだろう。そう思い、何気なく後ろを振り返った俺は、そこに人が立っているのを見つけて、一瞬心臓が止まりそうになった。だが、立っているのが先程倒したばかりのガキだと分かると、ほっとした。それと同時に、ガキの所まで戻る手間が省けた事を幸運だと思った。自分の顔がニヤつくのが分かる。
「なんだお前?まだ生きてたのか??」
俺の呼びかけに、気絶した女と荷物を担いで前を歩いていたマイクとサムも振り返る。2人はそこに立っているガキを見て、怪訝そうな顔をする。俺はガキに近寄り、腕を回して肩を組む。そして、斜め下からガキの顔を覗き込むようにして、話しかけた。
「大人しく寝てたら良いのになぁ。お前、よっぽど苦しんで死にたいんだな」
このガキ…俺の方を見ようとしやがらない。俺を無視するとは良い度胸じゃねえか。それとも俺が怖くて直視できないのか?いずれにせよ、目上に対する礼儀は、よくわからせてやらなきゃならないだろう。
「だがな、あいにく俺はそんなに暇じゃない。お前が早く死にたがってる事は、よーく分かった。そのためにわざわざ俺らを追いかけてくるんだからな」
相変わらず、ガキの反応はない。コイツ、まさか痛みで頭がおかしくなっちまったんじゃないか。ああそうだ。コイツが助けようとしていた連れの女をどうするか、今後の事を忘れずに伝えておかなきゃならんだろう。
「そうそう。お前のツレの事なら心配しなくていい。俺たちがしっかりした娼婦に育ててや…」
その時、ガキの後方ででボンッという破裂音がして、煙が舞った。右腕が痺れたような感覚を覚える。
何が起こったか分からないが、俺は慌てて目の前の小僧から距離をとる。右腕がズキズキと痛む。自分の身を確認する為、目の前に右手を持ってこようとした俺は、それが叶わない事に驚愕した。手だけではない。右腕そのものが、付け根あたりから無くなっていたのだ。
「ぎぃ、ぎやあぁぁぁ!」
自分の口から獣のような声が出た。その状況を視認した途端。俺の身を、引き裂くような凄まじい痛みが襲いかかってきた。俺は痛みに耐えられず、その場で膝をつく。俺の腕…どこだ、どこに行った!俺が騒いでいる事に動じることもなく、ガキが声をかけてくる。
「その汚い手で、触らんといてもらえるか?」
「ア、アンジェロ!大丈夫か!」
俺の元へ近づこうと、女と荷物を放り出してマイクとサムが駆け出した。しかし、奴らは俺のもとへ来ることが出来なかった。突如として、2人の足元から四方を囲むように壁が出現し、その行く手を阻んだのが見えた。
「これは…」
「バリアウォールだ!…くそ、この壁、滅茶苦茶かてぇぞ!」
マイクが自慢の徒手で、サムはズボンに隠し持っていた鉄パイプを取り出して、それぞれ壁を叩いているのが分かった。しかし、どうやら壁は崩れる気配がない。マイクの剛腕で崩せないだと…馬鹿も休み休みに言え。アイツは素手で厚い鉄板でも曲げられるんだぞ?
ガキは2人の動きを封じたことを確認すると、俺に視線を向けてきた。コイツ…なんて冷たい目をしてやがるんだ…さっきまでの自信のない顔をしたガキじゃねぇ!
苦しんで地面をのたうちながら、俺はここにきてようやく、目の前のガキが先程までとは別人である事に気付いた。そして、あの破裂音は自分の腕が爆ぜた音だったのか、と。更に、目の前のガキの怪我が治っている事や、このバリアウォールが自分の作るものよりずっと強力な壁だという事にも…。俺は焦りを感じた。
「この…クソガキがぁぁ!俺の腕に何しやがった!!」
「なにって、ただの魔法やで」
「なんだと、これのどこが魔法なんだ!?」
さっきの爆発が魔法だと?そんな魔法、聞いた事なんてないぞ。そもそも、魔法を使う素振りだってなかったじゃないか…でたらめを言いやがって。このガキ、さては爆弾を隠してやがったな…くそ。
「空気中に漂う魔素を魔法で炎や石に変えて圧縮して、爆発させただけや。僕より格上のお前やったら、簡単にできるんちゃうか?」
「お前…なに訳のわからない事を言ってやがる!」
魔法は、手に集中して放つ。ただそれだけだ。そして、良くも悪くも、それは使うヤツの人間性次第で威力が変化する。空気中に魔素があるのは確かだが、それはあくまで魔法を使う為の媒体であって、何かに変換するといった概念を持ったものではない。
奴の話は「そのあたりにある空気で、爆弾を作った」と言っているようなものだ。魔素を炎や石に変換したという事自体、意味が分からない。ましてや、腕でアイツの肩を掴んでから顔を覗き込むまでに数秒しかかかっていない。たったそれだけの間に、手も触れず、自分の周囲にある魔素を2種類の属性に変換しただと?寝言をいうのも大概にしろ。
「なんや、魔法使いのくせして、そんなことも分からへんのか」
このガキ、言わせておけば…!俺の堪忍袋の緒が切れた。膝をついたままの姿勢から左手に意識を集中し、ボケっと突っ立っているガキの顔めがけて火炎放射を放つ。ガキは避ける様子も見せず、正面からその炎を浴びた。やった、ざまあみやがれ。
「あーっはっは!油断しているからこうな…」
火炎放射を続けながら、俺は目の前の異変に気付いた。燃えないのだ。石壁さえ溶かす俺の炎が、目の前の人間ひとりを燃やせずにいる。嘘だ…嘘だ嘘だ!
俺の手から炎が消滅し、目の前にガキの顔が現れる。その顔は綺麗なままだった。俺のファイア…当たっただろ?お前は焼け焦げたハズだろ…?
「どうなるって?」
先ほどと変わらない涼しい顔で、ガキが質問してくる。マジだ…コイツ、本当に何か得体の知れない魔法を使ってやがる。
「あ、あぁ…」
自分のものではないような、引きつった声が喉から漏れる。地面についた左手が震えているのが分かった。俺は…恐怖しているのか?そんな俺に構うことなく、あろう事か、ガキはフフッと笑いながら言いやがった。
「挑発したら、絶対仕掛けてくるってわかってたから」
「こ、この…化け物め!」
俺は、ありったけの勇気を振り絞ってそう言い、腰に隠し持っていたナイフを取り出し、ガキにつきだそうとした。その刹那、俺は自分の足元が凄まじい熱をもっている事に気が付き、下を見た。地面が赤い光を放っている。おもわず、ナイフに伸びた手が止まる。
「これは…」
直感的にヤバイと感じた俺は、立ち上がってその場から飛び退こうとした。しかし、立ち上がった瞬間、足元の土がドロリと溶ける。俺はそのぬかるみに足を取られて体制を崩してしまった。いや、問題はそこじゃなかった。その地面は、一瞬で俺の足を焼き、骨までを溶かした。俺の足はズブズブと、赤く光る土の中に沈んでいく。
「ぐおぁあああ!ああ、あひ!」
「マグマ。見た事ないのか?」
ガキが何かを口にしたが、もう俺の耳には届いていなかった。まるで悪魔が口を開けたような、赤黒い炎が俺の足を焼き、溶かしていく。突如として出現した赤く光る沼から必死に脱出しようと、俺は前方へ倒れ込み、左手で必死に地面を掴んで前進した。そこにガキ…いや、化け物の足が見えた。俺は恐る恐る顔をあげる。
目の前にヤツの手が伸びていた。その手の先に強力な魔力が集中しているのがわかる。俺の眼前に突きつけられたそれは、今にも爆発せんとばかりに輝いている。
「アンジェロ、これで終わりだ」
「い、いやだ…やめてくれぇぇぇ!」
眼前にかざされた手の先から光が溢れ、俺の体を包んでいく…そして、俺の意識はそこで途絶えた。
気を失ったアンジェロを前にして、優人は構えていた手を下ろした。自分には、人を殺す勇気などない。得たばかりの力に任せて、こいつを倒すことは簡単だろう。しかし、それはアンジェロ達がやっている暴力と何ら変わりないと思った。
前方の壁の上から、サム、そしてマイクが、姿を現した。優人の作り出したバリアウォールを、ようやくの事で登りきり、脱出する事に成功した賊達は、燃えたぎるマグマの池と、手足を失ったアンジェロの存在に気付いた。その一角だけが、さながら地獄のような様相を呈している。そして、アンジェロの前に佇む少年。否、場を冷静に観察するかのような、死神のような空気を放つ存在をみた2人は、どちらともなく声を上げた。
「ひ…あのガキ、悪魔だ!」
優人は2人の事をキッと睨みつけ、言い放った。
「僕の事は何とでも言ってもらって構わへん。せやけど…お前たちがやった事はそれ以上やって事を忘れるな」
そう優人が言うと、土壁が突然砂となって、その上にいた賊達を、地面に叩き落とした。そして、まだ落下の痛みで起き上がれないでいる2人の足元がぬかるみ、その体を呑み込みはじめた。
「うお!なんだこりゃ!」
「申し訳ないが、お前たちの顔はもう見たくない。そこに沈んでてくれへんか?」
「てめえ、こんな事してカポネ様が黙っていると思うなよ!」
吠えながら、必死に体を起こして沼から脱出しようと試みる2人。しかしぬかるみは深く、捉えた賊達を逃さなかった。優人は何も言わず、表情も変えず、ただ黙って2人が沈んでいく様子を眺めていた。顔まで呑まれそうになった段階で、賊達は焦り始めた。たまらずサムが優人に助けを求める。
「まて…、助けてくれ!」
その言葉を聞いた優人の表情が辛そうに歪む。
「随分と勝手なことを言うんだな。お前たちは、フォディナの人たちがそう懇願した時に助けたのか?村のみんなのように、最期に痛い思いをさせなかっただけでも、ありがたく思ってくれ」
「そんな…」
助けてくれるとでも思っていたのか、ひきつった表情を浮かべながら、賊の体はそのままずぶずぶと、底なし沼のようになった地面に消えていく。胸まで飲み込まれた2人は、自分たちの身に降り掛かった災厄に、恐怖のあまりの失神した。そのまま、完全に顔まで飲み込まれるかに思われた瞬間、一瞬にして底なし沼は元のぬかるんだ地面へと戻った。優人が最後の最後で、止めたのである。
雨は、既に止んでいた。火ももう消えている。ただただ、遠くの方で雷がゴロゴロと鳴る音が聞こえるばかりである。それまでの争いなど全く無かったかのように、フォディナは静かであった。しかし、失われたものは戻らない。優人は賢者になった自分にも、そのような力がない事を理解していた。
優人は、賊を無視して倒れたアイのもとに歩いた。そして、地面に膝をつき、彼女がまだ息をしている事を確かめて安心する。それと同時に、やり場のない感情が襲い掛かってきた。
「こんなことしても…」
雨にかき消されるほどの声で、優人がポツリとつぶやいた。
「アイは笑ってくれへんやろな」
地面に膝をついたまま、下を向いて涙を流す優人。
「もっと早く、この力が手に入っていたら…」
ハンスを、そしてフォディナを救えなかった事に対する、後悔の念がつのる。優人はしばらくのあいだ、そうして静かに泣いていた。どれくらいか時間が経った後、聞き覚えのある声が、優人に届いた。
「ユウト…高崎優人よ」
解説等ありません☆
長文になってしまいました 汗




