第二十話 それぞれの存在意義
ロックフェラーにとって自己の重要感を満たす方法は、中国の貧民の為に病院を建てる資金を寄付することであった。
ところがデリンジャーという男は、自己の重要感を満たすために、泥棒や銀行やぶり、ついには殺人犯になってしまった。
デール・カーネギー(作家・講師 著書『人を動かす』)
白雲が地上に降りかかったかのように、フォディナの村に煙が立ち込めている。田畑は墨を落したような色に焼け、あたりには焦げたにおいがただようばかりである。周囲に焼く物が無くなった事で収まりつつある炎が、この世から消えていく事を口惜しそうに、チロチロと蛇の舌のように動いていた。
村の至るところから、油の匂いがする。放たれた火が燃え広がりやすいよう、何者かが持ち込んだのであろう。その事実が、この襲撃自体場当たり的なものではなく、計画されて行われたものであることを示唆していた。
どのような力が加わったのか、石造りの民家は壁だけでなく、外から見ても分かるくらい内部まで人が住める状態ではない程に破壊されている。じいちゃんばあちゃんたちが集まって楽しく談笑していた井戸も、もはや原型を留めていない。
手を、時間を、費用を、惜しみなく掛ければ、これら破壊された建造物を元に戻す事は可能だろう。しかしそれでも、フォディナの村そのものが、昨日までの姿に還る事は、もう二度と無い。
その事は、村の至る所で倒れている人々が証明していた。ある者は刃物で斬られた痛みを残しているかのような苦悶の表情で、またある者は半身を失った驚きの表情のまま、そして中には表情を浮かべる事さえ許されない、頭部の無い状態で、物言わぬ屍と成り果てている。血の臭いは濃く、遺体の損壊は目に慣れない。それらが相まって、優人は吐き気を抑えられず、建物の陰で嘔吐してしまう。
昨日まで仲良く皆で過ごしていた村人たちがこのような姿になっているのは、平和な国である日本に住んでいる優人には、想像も及ばない出来事だった。とてもではないが、自分は遺体に近づいて触れる事など出来ない。そうした思いを抱くのも、地獄絵図のような現実を目の当たりにする事のない世界に住む優人には、無理からぬことである。
しかし、それとは逆に、アイは1人1人、見かけた村人の名前を呼び、その体に触れ、死を確かめていった。そして、村人たちの瞳を閉じさせ、体を横たえさせ、手を組ませて、その魂が無事に天に召されるように小さく祈っていた。
そうやって、この世ならざる景色となったフォディナで、アイと優人はハンスを探して歩く。ふと隣を行く少女を見ると、これまでに見た事のないような、焦燥を顔に映している。村の皆とは家族同然に過ごした彼女である。受けた衝撃は、優人の比ではないだろう。優人は、その横顔を見ているのが辛くて目を背けた。そしてただ黙々と、ハンスを探す事に注力した。
村の中心からやや南へと進み、左右10軒ほどの民家が軒を連ねる場所に到着した時、2人の懸命な努力は実を結んだ。
「じいちゃん、じいちゃん!」
アイがハンスを見つけ、駆け寄った。そして、ハッとしたように深刻な表情になりながらも、雨で冷え切った手をハンスの胸に当て、その鼓動を確かめる。
「じいちゃん…生きてる!」
アイの顔に、少しの希望が戻る。そしてアイは、再びハンスに呼びかけた。その声に応えるように、ハンスはうっすらと目を開け、アイを認めると驚きの表情を浮かべた。そして、小さく震える声で話し出した。
「…アイか。来てしまった、のか。無事か?奴等に見つからなかったか?」
先にハンスの元に駆け寄ったアイを追いかけるようにやってきた優人は、ハンスが意識を保っている様子を見て安堵した。しかし、その側までやってきてから、息をのむ事になる。
ハンスの右足は、既に無くなっていた。大腿部から流れるおびただしい量の血が、周辺に血だまりを作っている。それだけでなく、左胸に深々と突き刺さったナイフが、次第に荒くなっていく呼吸に合わせて、上下している。
「奴らって、こんなことをした奴ら??村に戻った時には、もう誰も居なかったよ?」
「ああ。例の、村の鉱山を買い取りたい、といっていた、連中だ。私が、王都へ救援を、依頼して…いれば…」
ハンスが目を閉じ、歯を食いしばる。それは傷が痛むからか、それとも、自身の行動を後悔しているからか。
「じいちゃん、もういいから…喋らないで体を休めて。すぐ、助けを呼んでくるから…」
祖父の苦痛な姿を見るに堪えかね、アイが涙を流す。恐らく、もう間に合わない。少女はその事を理解しているのであろう。優人はただ、2人のやりとりを見守るしかなかった。
「アイ、お前の名前は、」
息も絶え絶えになりながら、なおもハンスがアイに話しかける。
「アイレ、リーベル、は、『自由な風』」
血がつくのも構わず、握った祖父の手に力を込めるアイ。そんな話は、また今度でいい。また今度でいいのだ。
「なにものにも、縛られるな。私達の事も、だ。復讐など考えては、いけない…」
「じいちゃん、分かったから…もう分かったから!」
そう呼びかけるアイの声は、悲鳴にも似ていた。
「お前に出会えてから、私は、幸せだった。戦う事しか、なかった、私に。人のあたたかさを、与えてくれたのは、アイ、お前だ…。ありがとう…ありが、と…」
そこまで言い遺すと、ハンスはこと切れた。その表情は、自分の娘のこれからを案じる、父親の顔そのものであった。
「こんなのあんまりだよ…あんまりだよ、、、」
アイの声は、まだそこかしこでパチパチと燻っている火の音と、勢いを強めつつある雨の音に阻まれて、かき消される。祖父の胸に顔を伏せるようにして、子供のように泣いている姿を目の当たりにて、優人にはアイに掛ける言葉が見つからなかった。
雨は、アイの悲しみを汲み取ったように、しとしとと、降り続いた。
「なんだお前らは?この村の住人か?」
静かな時を打ち破るように、突然聞こえてきたドスの聞いた声に、優人は咄嗟に振り返った。そこには3人の男たちが立って、ニヤニヤと下卑た笑みをたたえながら、こちらを見ていた。その手に持ったナイフや金棒、人相や振る舞いは、見るからに悪党である。普段の生活で見かけたら、絶対に関わり合いたくない人たちだ。
「まだガキが隠れていやがったのか。ジジイがくたばったか、確認に戻って良かったぜ…」
「村のみんなを、こんな目に合わせたのは、あなた達なの?」
いつの間にか優人の隣に立っていたアイが、凛とした声で賊たちに問うた。その瞳にもう涙はなく、かわりに燃えるような、怒りの表情があるだけだった。
「あー、どうだったかな?というか、そんなことを聞いてどうする。もし俺たちがやったって言ったら、どうしようっていうんだ?」
賊の1人が歩み出ながら、そのようにとぼけてみせる。アイは賊のその言葉に怯むどころか、きちんと話そうとしない様子に、怒りをあらわにした。
「ちゃんと答えなさいよっ!」
「うっさいガキだな。そのじいさんだったら、俺らでやったよ。じいさんの癖して、結構手強かったから、3人がかりでやっと…」
賊が話し終わらないうちに、アイが飛び出した。優人が「あっ」と思ったときには、アイは既にリュックを片手に、賊達の目の前にいた。速い。両者の間にあった10メートルほどの距離を、あっという間に詰めてしまった。そしてアイは走りざま、横なぎにリュックを振る。3人の先頭に進み出て話をしていた賊は、その渾身の攻撃を、金棒を両手に持って受け止めた。
しかし、完全に防いだと思われたアイの攻撃は、賊の予想の上を行った。賊の持った金棒はリュックがぶつかった場所でガキンっ、という音を立てて、飴細工のようにぐにゃりと曲がってしまう。これには賊も驚いた表情をして、バックステップでアイから距離をとった。そして、手に持った金棒を眺めながら、独り言のようにつぶやく。
「これは驚いたな…金棒が曲がっちまうとは…」
「おいおいマイク、こんなお嬢ちゃんに負けるのか?相手はまだ子供だぜ?」
「まさか!サム、冗談キツイぜ」
サムと呼ばれた男の冷やかすような物言いを受け流しながら、マイクと呼ばれたいかつい男は、金棒を投げ捨ててアイへ向き直った。素手で戦うのか?なんにせよアイを助けなければ。そう思って前へ出ようとした優人を、後ろで控えていたサムともう1人の賊がけん制した。
「おっと坊主、邪魔するんじゃねえぞ。お前が出るなら、俺らは3人がかりで相手してやるぜ?」
こっちだって3人いるんだぞ?と思いながら、周りを見渡したが、そこにデールの姿はなかった。くそ…こんなピンチの時に、一体どこに行ったんだよ。そのまま動けなくなってしまう優人。その様子を見て2人の賊は安心したようにニヤニヤしながら、アイとマイクの戦いを観戦し始めた。
「嬢ちゃんよ、そこのジジイはお前の身内か?こっちが下手にでて鉱山を売れと言っていたのに、頑なに断っていたらしいな。ファミリーに立てついたのなら、これも当然の報いだろうよ」
アイは、マイクの言うことを黙って聞いていた。その様子を見たマイクは、くっくっ、と卑屈に嘲笑った。そして両手を横に伸ばし、その時の事がさも愉快だったかのように喋りだした。
「今日にいたっては、『老い先短いここの者たちの余生を奪うな』だとさ。どこまで我が儘言えば気が済むんだろうな。生きていてもいなくても、変わらない奴らが存在していて何だっていうんだ。ははは!」
「あんたたちみたいに、自分の都合で人を傷つけて満足するような奴の方が、存在している必要なんてないわよっ!」
この村のみんなの事を何も知らないくせに…自分勝手な話ばかりをするマイクに、アイは怒り心頭に発して言い返した。
「嬢ちゃんもそのクチか。ジジイはそうやって楯突いた罰として、長く苦しませる事にした。生かさず殺さずの虫の息にしておいてやったんだ。胸のナイフは、その為の俺からのプレゼントだ!あはは!」
この外道め…。優人がそう思ったときには、アイは再びマイクに挑みかかっていた。
祖父であるハンスは、アイにとって、自分を危険な戦場から助けてくれた恩人であり、ここまで育ててくれた里親であり、護身術、文字の読み書きを教えてくれた教師であった。普段は仲良く、そして時には喧嘩もする、大切な家族だった。本当の親のように、いや、それ以上に慕っている存在であった。
それを、このような形で侮辱されたアイが、平静を保っていられるはずがなかった。
「(許さない…絶対に許さない!)」
1メートルほど飛び上がり、そのままの勢いでマイクに迫るアイ。必殺の意思をもって上段から振るわれたオリハルコン入りのリュックが、風を斬る音をたてながら、マイクの頭部に命中した!…かに思われた、その瞬間。マイクはリュックを避けるのではなく、逆にアイに向かって1歩進み出て、その距離を詰めた。
「ぐあっ!?」
マイクの拳が、アイの胸部を捉える。アイのリュックは、作用点を逃して宙を彷徨い、アイと一緒になって、地面に落ちる。
「う、げほっ…」
苦しそうに胸元を押さえ、地面に膝をつくアイ。マイクはその機を逃さず、アイの髪を掴み上げると、グイっと乱暴に引いた。
「痛い!離してよっ!」
「アイ!」
「はは、気の短い嬢ちゃんだ。挑発すれば突っ込んでくると思ったぜ!相手の力量も確かめず、近接戦を挑むようじゃ、まだまだ未熟だな」
アイは歯を食いしばり、目をつぶってただ黙っている。
「余生が何になるっていうんだ。こうやって、死んじまえばお終いだろうが!結局のところ、残るのは力の強いヤツだけなんだよ」
「あ~あ、つまんねぇの。やっぱマイクの勝ちか…」
「当たり前だろ!俺をなめるんじゃねぇよ」
そのようなやりとりをしている賊を前に、優人は内心で恐怖と戦っていた。この場で戦えるのは、もう自分1人しかいない。自分等、マイクの相手にもならないだろう。それだけでなく、後ろで控えているサムと呼ばれた賊も、もう1人の賊も、きっと同じくらいの強さを持っているだろう。
絶対に勝てない相手に戦いを挑むなど、無謀である。逃げたい…逃げるのであれば、あいつらが話をしている今この時だ。この世界は、僕が過ごしている世界とは別の世界だ。ここで命を懸ける必要なんてあるのだろうか。夢なら早く覚めてくれ…。
でも、この状況から逃げ出すのは難しいだろう。アイの事だって、このままにしておけない。それに、ここで暮らしていた村のみんなの、平穏な日常を奪ったコイツらは、絶対に許してはいけない。ならば…
生まれたばかりの小鹿のように震える足を、意思の力で無理やり前に進める。優人はその恐怖に押しつぶされないように、勇気を出して、出来るだけ大きな声で叫んだ。
「ア、アイを離せよっ!」
解説等、ありません。。。
フォディナの戦い、中編へと続きます!




