第二話 出会い
「もしも君が本当になろうと決めたら、もう成功したのと同じだよ」
エイブラハム・リンカーン(アメリカ合衆国 第16代大統領)
「…ん、ちゃうな(違うな)。あれ、もしかしてネコちゃうか?」
ピンッと立った、2つの尖った耳。
歩を進める度に左右にフラフラと揺れる尻尾。
真っ白な4本の細い脚…
斜め後ろの位置から見ているので、顔(というか頭というか)こそ見えないが、どうやら猫が背中に本を乗せて歩いているらしい。
確かにこの辺りには、昔から野良猫は多い。
マンションで暮らしていた為、家で猫を飼うことができなかった僕にとって、ネコを飼う事は昔からの憧れだった。
子供のころなどは、祖母の家の近くでネコをよく追いかけては逃げられていたものだ。
しかし、目の前の光景は初めて見る、とても不思議なものだった。
そのネコは、器用にも開いた本を背中に乗せ、軽快なリズムで歩いている。
…しかも、なんだか慣れている?
ツバメは巣を作るのに泥を。カラスもハンガーや光り物を集めて巣に持ち帰る。
でも、ネコが本?背中に乗せて遊んでいるのか??…いや、遊んでいるにしても、すごい芸当だぞ。いや、もしかしたら飼い主が背中に括り付けてどこかに運ばせているのかも…伝書バトみたいな感じで?
見た事も聞いたことない。
もしかしたら、面白いものが見られるかもしれない。
好奇心は猫を殺す、という言葉が一瞬頭をよぎったが、幸いにも優人自身は人間である。
さすがにネコを追うくらいで危険な目に遭う事はないだろう。
僕は暑さのことなどすっかり忘れ、ネコの追跡を開始していた。
ネコは民家と空き地の間を通って、その後方にある雑木林を抜け、車の通れない細さの路地に入って、その先にある1軒の家に入っていった。
「こんなところに…えらい大きい家があったんやな」
優人自身、このあたりは少年時代に随分と散策したつもりだったが、この家は初めて見る。空き家になっているのか、玄関には表札も出ていない。昔は名家だったらしく、家は随分と大きく、庭も広い。長年の風雨にさらされて、外壁の塗装は剥げ、庭の雑草は伸び放題でとなっている。
猫は、その空き家の庭に入っていったらしい。
庭だけでどのくらいの広さがあるのだろうか。
「げ…こんなとこに入ってったんか…」
見ると、この夏前の梅雨で育った草が生い茂り、庭は軽い草原のようになっている。バッタやセミなどの虫たちのたまり場になっていそうである。少年時代にこの界隈で虫取りをして遊んでいた優人にとって、虫は恐れるに足りないものであったが、流石に空き家とはいえ人の家に入っていくのは気が引けた。
「しゃーない…ここで諦めるか…」)
ひとり、アスファルトに突っ立って、そう思案していると…
シュシュッ…
…ん?
シュルシュル…
あれ?いま何か音がしたような…
音がした方向を振り向いてみたが、周囲には何も見えない。おかしいな…と思った所で、足元からカサッという音が聞こえて、そちらに目をやる。
見ると2メートルほど後方に、一本のロープが落ちていた。さっき通った時、こんなのあったっけ?
…と、そう思った瞬間ロープがすごい速さでこちらに向かって近寄ってくる!
何事か!と、動けずにいた優人の前で、そのロープの端が持ち上がる。
そして、その先端が2つに割れ、中に白い牙が見えた!
「ぎゃーっ!!」
ヘビだ!!…と、分かったときにはパニック気味で家の方へ向けて走り出していた。祖母の家周辺で何度かヘビに出遭ったことはあるが、見るたびにゾッとしていた。あの容姿、質感…生理的に受け付けないのだ。そもそも、足がないのにあんなに素早く動くなんて、反則だと思う。
足元で草がカサカサと鳴り、バッタとも何ともつかないものが、飛び跳ねたり羽ばたいたりしている。しかし、そんな事には構っていられない!今は少しでも遠くに行かねば!優人はその思いで、ただ走った。が、それも十秒ちょっとの事。ここまでこれば…というところで、周りの異様な風景に気づく。
「うそ…やろ?中がこんな風になってたなんて…」
背の高い雑草が生い茂っているだけと思われた庭の中心あたりに、開けたスペースがあったのだ。距離にして4メートル四方。ここだけは雑草も生えておらず、足元が石畳になっている。そのこと自体が不思議ではあったが、それよりもっと目を引くものがあった。
中央に、こんもりと本が積まれている。それも大量に。100?200?いや、そんな数じゃ足りないくらい、たくさんある!優人はそこに近づき、本の山を見た。どのくらい前から置かれているのかわからないが、風雨にさらされて、何の本だったのか表紙が読めなくなっているものも多い。もしかして、さっきのネコが運んできた本がここに集められているのか?
「ニャ〜…」
気の抜けるような癒される声が聞こえ、そちらを見やると、どうやら先ほど背中に本を乗せて運んでいたと思しきネコが、本の山の後ろから姿を現した。
真っ白な体に、頭から背中にかけて広がる金に近い体毛、そこに掛かるように縦横に数本入った茶色の毛…白茶トラ模様と言うのだろうか。その瞳は透き通るようなブルーで、どこか気品さえ漂ってくる。…かなり可愛いネコである。
と、ネコはこちらに近寄ってきて、お座りをした。なんだ?随分と人懐っこい猫だな。この家で飼われていた猫…なのかな?試しに頭をなでてやると、ゴロゴロと喉を鳴らしだした。
「カワイイやつやなぁ。この本は、お前が運んできたんか?」
ネコに話しかけて返事などあろうハズもないが、自分自身に問うように疑問を口に出していた。ネコは、うんともすんとも言わない。いや…この場合、ニャンともすんとも、だろうか。
「お前も1人なんか?俺と同じやな」
ネコに語り掛けながら、手前にある本をとって、ページをめくってみる。どうやら、人付き合いを円滑にする為にどうするか、を書いた本らしい。…馬鹿馬鹿しい。こんな本を読んだって、友達が増えるわけじゃないだろう。人付き合いがうまいやつは上手いし、ヘタな奴はずっとヘタだ。
「人付き合いの本やってさ。この本に書いてあるみたいに、一流の人間らしく振る舞えたら、さぞ幸せな人生を送れるんやろうなぁ」
今の自分自身の大学生活を思い出して、皮肉を込めて言ってみた。他の本にも、同じような事が書いてある。正しく生きろ、相手を気遣え…そうすれば幸せになれる。そんな事、言われなくても分かってる。そうやっても、心の底から友達と思える友達なんかできなかったじゃないか。
「俺やって、なれるもんなら幸せになりたいわ…」
「その願い、聞き届けよう」
後ろから、声がした。




