3 手紙と返信
私は翌日もそのまた翌日も、覚妙寺を訪れることはなかった。
死をあきらめたわけではなかったが、鞠子のいるあの寺でそれをしようとは思わなくなっていた。そして、あの寺以外になかなか格好な死に場所を見つけることもできなかったのだ。
そしてもうひとつ。書くということが私の心を捉えていた。鞠子の言っていた、私の想いを書き記すという行為のことだ。それを神棚に納めたからといってどうこうなることもないだろうが、とにかく、自分の気持ちを書いてみるということを、私はやってみたいと思った。
どうせ死ぬ身のこの私の中にあるものを、誰ひとり知ることなくとも、どこかに残しておくのも一興ではないか。
才能がなくとも駄文であろうとも、人がどう評価しようとも関係はない。
そして私は、机に向かったのである。
『こんにちは。私は三十代半ばになる男です。私はもう疲れ果ててしまいました。今の自分を肯定できず、かといって何をしたいという目標もありません。何にも興味が持てないのです……』
私はその夜、机の中にあった便箋をめくってそこにとつとつと書き綴っていった。
文と文のつながりや全体的な脈絡は無茶苦茶だ。それを整理している余裕もなく、胸にこみ上げる思いを浮かんだ順から紙にあらわしてゆく。
自分の生い立ち。
周囲の過剰な期待。
主張のできない自分。
己の人生について考えもせず、その判断を人に委ね、能力もないくせに人の要求に答えようとして押しつぶされてしまった、青春。
もういっぱいいっぱいなのに、弱音すら吐かせてはくれない周囲。
大人になってからの空虚な毎日。何も与えられず、奪われ続け、逃げることも許されず責任ばかりが増えてゆく……。
書きながら私は、いつの間にか涙を流していた。自分の文章に酔ったわけではない。ただただ自分が惨めで哀れだったのだ。人がこれを読んだらなんと思うのだろう。甘ったれるなと叱咤されるだろうか。世の中にはもっと不幸な人間がたくさんいるのだからと、慰められるのだろうか。だがそんな人の評価などどうでもよかった。他の人たちがどんなに頑張っているかとか、そういうこととは関係がなかった。私は私だった。己の人生をこんな風にしてしまった自分自身を限りなく憎み、そして手を施しかねている。私はそんな人間なのだった。
手紙を書いた翌日、私は覚妙寺を訪れたが、その日は鞠子はそこにはおらず、本堂の裏の神棚は鍵かかけられていて開かなかった。来る時間が遅かったからか。日入り後の薄暗い境内で少しの間待っていたが、その日はあきらめて私は帰った。
その翌日、仕事は午前だけだったので、この前と同じ夕暮れ時に行ってみた。
鞠子はこの前と同じく、橙色の木漏れ日揺れる本堂脇で石碑に手を合わせていた。
私が声をかけると、彼女はふりかえり、そして数日前と同じそよ風のような笑みをその頬に浮かべた。
「生きていたのですね」
「ああ、これを書いていました」
一昨日書き上げた、誰に宛てたわけでもない文章の綴られた紙束を、彼女に渡す。それが自分の手を完全に離れ彼女の手にのったとき、一瞬さびしいような安堵感が私の胸をつかんだ。私の想いは、私の手の届かぬ何かにゆだねられたのだ。
鞠子はその折りたたまれた数枚の紙束を祈るように押し頂いてから、本堂の裏へと歩んでいった。神棚の前に座り込み、なにやらぶつぶつと祝詞か呪文かわからぬ文句をつぶやいてから、うやうやしく扉をひらく。真っ暗な棚の中からまた、涼しい空気が流れ出てきた。
小さな扉の向こうに紙束をしまいこんで鍵を閉めると、彼女は緊張を解くように大きく息を吐いた。
「これで、よし」
私は首を傾げてたずねる。
「それで、このあとどうなるのですか」
「どうなるって、返信があります」
「返信? いったい誰から」
鞠子はその問いには答えず、はぐらかすように涼やかに微笑んでいた。
漠然と私は鞠子がそれを読んでくれるのであろうと思っていた。しかしどうやらそうではないらしい。まあ、冷静に考えればそれは当然といえば当然のことだが。初対面の男の愚痴と泣き言の羅列を辛抱強く読まねばならぬ義理はこの娘にはない。それを期待するのはあまりに虫が良すぎるというものだ。
ならば誰が?
まさか本当に神様とやらが読んでくれるのか。そんなはずはあるまい。第一ここは寺だ。もっともわれわれにとっては神様も仏様も同じようなものだが。いつの間にか神仏習合してしまった歴史をもつ国であり民族なのだから、そんなに違和感はない。私の実家でも神棚と仏壇が並んでおかれていて、毎朝その両方に手を合わせたものだ。
神様に手を合わせるが、しかし神様がいると思ったことはない。神様がいちいち人の書いたものを読んで何かをしてくれるとも思えない。
そうなると、どこかにいる寺の職員か、どこぞの慈善団体が救いの手を差し伸べようとでもしてくれるのだろうか。
よく、自殺の名所に置かれているという電話ボックスのようなものか。死ぬ前にここに連絡してくださいという紙の貼られた……。ひょっとしたら、鞠子もそういう団体のメンバーなのかもしれない。
私があれこれ思案に暮れながら鞠子の顔を眺めていると、彼女は落ち着きなくあたりをきょろきょろ見回しはじめた。
「わあ、すごい蝉時雨」
彼女につられて上を見上げる。潮騒や川のせせらぎと同じように耳にしみこんだ蝉の声が、急に存在感を増して辺りを包んだような気がした。頭上でゆれる竹の浅緑の葉の上から、暮れ色の光が消えようとしていた。
「じゃあ、明日でもあさってでも、都合のよいときまた来てくださいね」
ふっと夏草の香りが横切り、足音が遠ざかっていく。
視線を地上に戻すと、もう彼女の姿は見えなくなっていた。
私が覚妙寺を再び訪れたのは翌々日だった。
最後を覚悟してから結局死ねずに、ここにくるのはかれこれもう四度目になる。不思議な縁だ。ばかばかしいとは思いながら、それでも私の足は自然とあの寺のほうに向いてしまう。何が起こるのか見届けたいという気持ちがどこかにあって、それがたとえ子供だましの結末であっても、その行き着く先に何かあるのではないかと思っている自分がいる。
期待はしていない。しかし何もおこらなくても、別にちょっとくらい付き合ってもいいではないか。どうせやることもほかに考えることもない人間なのだ。
境内では鞠子が、やはり石碑の前にたたずんで、微笑とともに私を迎えてくれた。
「待っていました。返信が、きていますよ」
早速神棚をあけると、その中には折りたたまれた紙が入っていた。
それは一昨日私が入れた紙ではなかった。四つ折にされた原稿用紙で、ひらくと万年筆の読みにくい文字が数行、そこに書きなぐられてあった。
『私は四十代の男です。仕事って、いやですよねえ。私も職を転々とし、先月再就職したけど、もう辞めたいです。二、三年続くなんて立派ですよ。私はつくづく会社勤めが合わないのだなと思います。自分にいろいろ問題はあるとは思いますが、いまさら反省したところで変えられるものでもないですしね。このまま生きれるところまで生きるだけです』
それは神様からの言葉ではなかった。ありがたい訓示でも、偉人の成功談でも、誰かの克服談でもなかった。
励ましでも、叱咤でもない。
ただの人……、私と同じような人間の、私と同じような、人生に対する愚痴であった。
「これが、あなたの言っていた返信というやつですか」
私の問いに鞠子は微笑みながらうなずく。
「神様の言葉でなくて、残念?」
私は首を振った。正直少し拍子抜けしたのは確かだが、心の多くを占めていたのは安堵感だった。私と似たような人間の愚痴でよかったと思う。厳しい言葉や、上から目線の説教など、きっと疲れるだけだから。
「また来て。ほかの人からも返信が来るから」
そうだね、また来るよ。彼女にそう返事をして、私は覚妙寺を後にした。山門の柱に橙色の光が這っている。まだ今日は陽が沈む前だったようだ。見上げると、茜に染まった雲のいくつもの柔らかな塊が、軽やかに、まるで南国の海のような色の空をたゆたっていた。