1 光あふれる街
東京で電車を乗り換えて鎌倉に行くのに、わざわざ藤沢から江ノ電に乗ったのは、単に大船駅を乗り過ごしてしまったからだ。
そして鎌倉駅に着く前、稲村ケ崎の駅で降りてみたのは、学生時代によくそこの海を訪れたことをふと懐かしく思い出したからだった。
駅のホームに降り立つと、潮の香りと光が、たちまち私の体を包んだ。十数年前、初めて来た時と変わらない。街も海も光の粒で満たされていて、その上を光の風が吹き渡ってゆくのだ。北国生まれの私にはまぶしすぎるほどの明るさ。鎌倉は今も、光で満ち溢れていた。
私が鎌倉に来たのは観光のためではない。
私の勤める会社は地域密着型で、地元新潟にしか店舗がないのだが、なぜかただ一店舗だけ鎌倉にある。理由はよくわからない。社長だか副社長だかの付き合いか何かで鎌倉に店舗を構えるようになったとか先輩から聞いたことがあるが、真偽のほどは謎である。わかっていることは、私がこれから三か月もの長い期間、地元から遠く離れてこの地で仕事に従事しなければならないということだった。
数か月ごとに独身男性にめぐってくるこの長期の出張の指名は、わが社員たちには一般的にありがたくないものとして受け止められていた。それはそうだろう。温暖な地域に行くとはいえ、短くない期間地元から遠く離れて暮らすのだ。私も例にもれず一通り嫌がってみせたが、持ち回りだし、命令なので仕方がない。
誤解のないように書いておくが、私は鎌倉は大好きだ。鎌倉は好きだが仕事に嫌気がさしているのである。
私は仕事を辞めるつもりでいる。
仕事にやりがいや生きがいを心から感じている人はどれくらいいるのだろう。
好きでもない仕事をいやいや勤め、もう辞めたいと思っている人は、どれくらいいるだろう。
私は後者だ。自分の仕事を楽しいと思ったことは一度もない。学生の頃から自分が将来就くであろうこの仕事が嫌で、実際仕事をするようになって失望感は大きくなった。
私は職に就くまでに三年かかり、最初の職場を二年で辞めた。次の職場は二年もたなかった。その次の職場も二年。そして今の会社も、三年目を迎えることはないだろう。
よっぽどこの仕事が向かないのだと思う。しかし気が付いてみればいつしか自分も三十も半ばを過ぎ、ほかのことに挑戦するには遅すぎる年齢になってしまった。
そんなことはない。何歳からだって、夢とやる気があれば成功できるのだ、と熱く主張する人もいるだろう。実際テレビなどではそんな話があふれている。だが私にはわかる。自分はその幸運な人間の一人ではないことが。
私にはほかにやりたいこと、興味のあること、人生の目標がないからだ。今の仕事に嫌気がさしていても、だからといって別の何かがやりたいわけでもない。今の状況から抜け出すための具体的な目標があるのでもない。何になりたいわけでもない。何も持ってはいない。
そんな人間が、なんとなく嫌だからと、転職を繰り返してきたのだ。
自分には、自分にふさわしいもっと別の道があるはずだ。そんなはかない希望を持っていたのは昔の話。そんなものはなかった。結局いくつもの夜を無駄に考え、悩みぬいて得られた答えは、自分にはもはやこの職しか残されていないということなのだった。そして自分ができる唯一のこの職に、私は何度も傷つけられ、疲弊させられてきたのだ。
もう仕事なんかしたくない。目標もない。何もやりたくはない。これが私だ。私の本音だ。こんな私が人生やり直せることはあるまい。運命の神もあきれ果て、機会を降らすこともあるまい。まあ、私は神など信じないが。
鎌倉駅に到着して駅前のバスターミナルに出ると、今度は光とともに圧倒的な雑踏の奔流が私を押し包んだ。
鎌倉はいつも混んでいる。しかも今日は八月初日のよく晴れた休日だ。降り注ぐ陽光の暑さもものともせず、人々は溌剌とした、楽しそうな足取りで商店街へ、あるいは海へ、そして観光スポットへと流れてゆく。
サーフボードを抱えた若者たち。修学旅行と思しき学生の集団。日傘を差した若い女性の三人組。ワンピースの少女とリュックを背負っためがね君の初々しいカップル。老人の団体。白い半そでの制服を着た水夫たち……。
惜しげもなく降り注ぐ日差しの下で、彼らの顔はみな一点の曇りもなく輝いているように見える。
みんなみんな、充実した日々を、希望にあふれた人生を、歩んでいるように見える。
そんな人々にもまれながら、私はひとり、目に涙をにじませながら小町通りを歩いていった。
めくらめっぽうに歩き続けるうち、私はいつの間にか古めかしい住宅街の細い路地へと迷い込んでいた。先ほどまでいた雑踏からは想像もできないくらい人気がなくて静かで、ただ蝉の声だけがもの悲しげに降り注いでいる。路地の途中にこんもりと木々の生い茂った箇所がある。物憂げな午後の光を散らしたカエデの枝の間から、門と思しき建物の瓦屋根が見えた。
なぜだろう。こんなに暑い日なのに、首筋を伝う汗が妙に冷たく感じた。
私は唾を飲み込んでその緑の一角に向かって足を踏み出す。
そのときポケットの中でスマホのアラームが鳴った。
荷物の届く時間だ。はやく自分のアパートに行かないと。
私は後ろ髪を引かれる思いで踵を返した。
細道を抜け、表通りにもどると、潮騒のようなざわめきが大気にこみあげた。何千何万という人々の生命活動がつくりだしているに違いない、エネルギーに満ちたざわめき。身体を包む気温があがり、降り注ぐ光の強さも増した気がする。いや、これが本来の世界の姿なのだろう。
今日も鎌倉は、世界は、実に光にあふれていた。