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 心地よい温度の風呂に入って汗を流し。

 いつの間にか用意されていた着替えに袖を通す。

 リビングに用意された料理に舌鼓を打ち。

 食後に用意していた氷菓子に驚く。

 キッチンでの皿洗い音をBGMに熱い茶で冷えた舌を解す。

「うん、何だこの状況は」

 そう一人ごちるが言ったところで何も変わらない。

「調理器具が揃っていたので張り切っちゃいました」

 洗い物を終えたのかテーブルに同席する。

「引越しのときになぁ、家で使わなくなった調理器具を貰ったんだよな。そこまで痛んでなかったし、置き場所に困ってたしでな。あ、冷蔵庫に碌な材料無かった筈だけど何処から用意したんだ?」

「それは友人が農業関連の仕事をしていまして、B級品とか分けてもらったんです」

「ふーん。じゃあ何かお礼をしないとな」

 中々に美味しかったです。

「そこまで気に入って頂ければ、友人も喜ぶと思いますよ」

「そっかー、ところでさー」

「なんでしょう?」

「あんた誰?」

 少なくとも俺の記憶に見覚えはない。

「私ですか? んふふー、分かりませんかぁ?」

 もったいぶる必要があるのだろうか。

「そうですね。ではお言葉に甘えて。私は――」

「あの身代わり地蔵なんだろ?」

「――そう! 身代わり……って何で分かったんですかー!?」

「いや、まぁライトノベルとかじゃお約束だし?」

 この結論に至ったのは風呂に入っていた時だが。

「何で!? 何で分かったんです!?」

 殆んど直感に近いが、まずは外見だな。

「え、だって今、見覚えがないって……」

 俺にはな。

「へ?」

 あの少年だよ、爺さんと一緒だった。

「あの子が?」

 ああ、俺はあの子に嫌われたみたいでな。

 その時、爺さんが言ってたんだ“あやつのただの嫉妬。惚れた腫れたの延長に過ぎません”てな。

「それが一体?」

 お供え物はともかく、頻繁に手を合わせに来ているだろうってのは分かった。

 少年の方も手馴れていたしな。

「ええ、確かに毎日、朝夕にお参りに来てくれますが……」

 本人が居ないところで言うのも何だが、男の子ってヤツはこんな美人で綺麗なお姉さんが身近に居れば気になると思うぞ。

 特に、自分と爺さん以外には見えていないっていう特別感もあるだろうけどさ。

「び、美人ってそんな、照れます」

 おーい、戻って来ーい。

 で、話は戻すが、爺さんもそれっぽい事を言っていたしな。

「あの人が?」

 言っていたぞ、俺が怪我した事は聞いたって。

 真っ暗で人っ子一人いないあの場所で怪我をした瞬間を見ていたのは一人だけ。

 すぐ傍に居たお地蔵さんつまりアンタだ。

 ここでお地蔵さんに何かしらの意思が有るんじゃないかって思った。

「あー成る程」

 で、その意思を持つ存在が傷を受けたことに少年が怒ったとしたらと考えたら何だか腑に落ちてな。

 ま、少年はお姉さんに怪我を負わせた俺が気に喰わなかったんだろうな。

 だけど、そんな様子が印象に残ってな、風呂に入っているときにそんな感じでフッと浮かんだ。

「そうですか、あの子が。ですが人々の苦痛を引き受ける“代受苦”、それも私の重要な役目の一つなのですが」

 まぁ、そう言ってやんな。

 あの子にとって、親しい相手が傷つくのは嫌だろうし、それが惚れた相手なら尚更じゃないか?

「そう、ですか。それは嬉しいですが、出来るのなら同じ時を過ごせる相手と結ばれて欲しいですね」

 そこら辺は、あんたと少年の事だからこれ以上口出しはしないさ。

 で、だ。

 そんな穴だらけの推測だけど、確信したのは飯の時だな。

「食事中ですか? もしかして食べ方が変でした!?」

 いや、綺麗な食べ方だったと思うぞ。

 そっちじゃなくて、それ、手の傷。

 明らかに昨日俺が怪我した場所じゃん。

「あ、隠すのを忘れてしまっていたようですね。ですがよく気が付きましたね。傷自体は小さなものですのに」

 身代わり地蔵だと仮定したらまず確認する所でしょ。

 偶然同じ場所を怪我したって可能性は考えられるけどね。

 それに少なくとも常人ではない事は証明されてるし。

「え? 私普通じゃないですか?」

 だって、

「人の思考を読み取って会話をしている時点で……ねぇ?」

 美人って言うのは呆気にとられた顔も見られるもんなんだな。


          ●


「ど、動揺して気付きませんでした。実体化して安心してましたよ……」

「で? 人の家まで来て何の用だ?」

 学生時代なら、非日常だ、ラブコメだと盛り上がれただろうが、社会の荒波に揉まれた今となっては平穏が何よりも愛おしい。

 というより、疲れているからトラブルを持ち込まないでくれって気持ちが強い。

「まぁまぁそう言わずに」

 正体がばれたからってナチュラルに心を読んできたな。

「おっと、これ以降は読みませんよ。本来読む心算もありませんでしたし」

 なら少し試してみるか。

「…………」

「どうかしました?」

「いや、アンタで卑猥な妄想をしてみたんだが、本当に読んでいないんだな」

「どっ、どんな確認方法ですかっ!?」

 顔が真っ赤だ。

「……コホン、話しを戻しますね。私がここに居る理由、それは――おめでとうございます! 貴方は身代わり地蔵の奉仕対象に選ばれました。おはようからお休みの最期の時までご奉仕致します!」

「チェンジで」

「何でですかぁ――!?」

 怪し過ぎるからだよ。

「詐欺か何かとしか思えないんだが」

「本当の事ですよぅ。正確に言えば私の現世でのノルマが達成間近になりましたから、天に帰るまでのあと少しの間を付きっ切りでお世話しますよ」

 最期までって俺じゃなくてあんたの事かい。

「それで何で俺なんだよ……」

 こんな美人が世話しに来るのなら名乗り上げる連中は多そうだ。

 特にあの少年とか。

 そんな疑問にあっけからんと彼女は答える。

「だって言ってたじゃないですか。“俺を助けてくれ”って」

「そんな事言ったか? ……あっ」

 思い出した。

 昨夜、怪我をした時だ。

 あの時は八つ当たりついでの愚痴でしかなかった。

 というか、意思が有ると知っていたらスルーしてたわ。

 不満を聞かれた事が少し恥ずかしい。

「福天ではありませんので、生活を直に良くするのはできませんが。炊事洗濯の家事は出来ますし、努力が報われるよう支援する事はできます」

「それは分かったが、並木道の方は良いのか? 爺さん達がお供えに来るんじゃないのか?」

 お地蔵さんがあっても中身が来ていたら意味がないのでは。

「その辺りは大丈夫ですよ。分霊――もう一人の私を置いていますし、元々この近辺は犯罪や事故が起き難い地域ですから。それに、近代社会になってから苦痛を渡しにくる人も居なくなりましたから。最近は宮司のお爺さんの腰痛を引き受けるぐらいですかね」

「凄いのかそうじゃないのか分からないな」

 腰痛という辺りが特に。

「いえいえ、貴方はまだ若いからそう思うかもしれませんが、これは人類が代々悩まされる苦痛なのですよ」

「そういうものなのか?」

「そういうものなのです」

 胸を張ってまで言う事なのか。

「あ、生活費に関しては具体的な金銭は渡せませんが、食料に関しては分けてもらった在庫がまだ沢山あるので食費はかなり浮きますよ!」

「それは助かるが、水道光熱費が2人分になったら意味無くないか?」

「…………」

 目を逸らすな。

「だ、大丈夫です。その辺りは旧知の仲である大家さんに直談判しますので……」

 とんでもない事を言い出したぞ。

「大家さんが旧知って……あの人は普通じゃないのか?」

「ええ、初めて出会ったのは江戸の終わり頃でしたが、その時は現役で働いていましたね」

 当時の働きとは一体。

 今のアパート経営のように長屋の経営でもしていたのだろうか。

「今は後進に道を譲りましたが、当時は誰もが知る“死神”だったのですよ」

「死にっ!?」

 あのおっとりとした女性にそんな過去が。

「てか、神様がアパート運営してるんかい!?」

「元ですよ元。それにこの町にはそういった前線を退いた神霊が大家さん以外にも多数住んでいますよ」

 ホントさらっととんでもないことを言う。

「それは、何でだ?」

「地脈や地形の関係上、この土地では神霊や妖怪といった人ならざる者が過ごしやすいんです。この町、余生を送りたい地域でトップなんですよ。そうした神霊達が結界を張る事によって悪霊や害意がある者はこの町に近づけませんので犯罪や事故率は他の地域に比べるとかなり低いんです。ですがたまに、突破する存在が居たりもします。そんな存在は大抵が強い力を持っていますし、この土地の支援効果も相まって凶暴犯罪を引き起こしたりもします」

「ああ、だから犯罪件数の割りに死傷者がほぼ毎回出てるのか」

 この町のちょっとした謎が解けた瞬間だった。

「それと、この部屋の鍵も事情を話したら開けてくれました!」

 この部屋に不法侵入した謎が解けた瞬間だった。

 大家が協力したのなら納得ですわ。

「ですが、私が居れば即死しない限り即復活可能! 大病大怪我何でもござれ、救急箱要らずの一家に一人のこの私! お得ですよ!」

「……はぁ、仕事で日中居ないし疲れているから自分の事はある程度自分で頼むぞ」

 結局、否定するには金銭や性別問題以外で特にこれといった理由も無い。

 代わりに家事をしてくれるだけでもありがたいし、やっぱり非日常というものに憧れはあった。

 男の子だからな、笑いたければ笑うが良いさ。

「そろそろ時間だし明日に備えて寝るとするか」

「はい、布団は敷いてありますよ」

 そういって彼女が和室の引き戸を開けると、言葉通りに布団が敷いてあった。

 ただ、枕は2つも要らないと思うんだ俺は。

「予備の布団を出すからそれを使ってくれ」

「ええっ!? 疲労を取り出すには体が密着していた方が効率が――」

「寝不足で逆に倒れるから止めろ」

「わざわざ手間を掛ける事では――」

 ごねる彼女を無視して押入れから予備の布団を取り出す。

 というか、予備の布団一式から枕だけが取り出されている時点で、故意犯なのは明らかだ。

 いや、どちらかといえば確信犯なのか?

「俺は居間で寝るから、アンタは和室で寝てろ」

「そんな!? 家主が気を使う事はありません! 私が居間……いや、同じ部屋で良いじゃないですか!」

「“男女七歳にして席を同じうせず”だ! 大人しく従え!」

 結局、彼女の粘りに負け、布団の距離を取る事にして和室で寝る事となった。

 狭い空間に異性が居るというのは緊張したが。

 しかし、仕事で溜まった疲労には勝てず、気付けば夢の世界へ旅行していた。

 そして、驚いたのは翌日。

「こんなにスッキリ目覚めたのは何時振りだ?」

 目覚まし時計を見ても想定していた時間よりも何十分も早い。

 何時もよりも睡眠時間は短いのに、この漲る活力は何だ。

「おはようございます。朝ごはん出来てますよ」

 呟きが聞こえたのだろう、襖を開けて彼女が顔を覗かせる。

 それと同時に朝食の良い匂いが漂ってきた。

「体調はどうですか? 直接触るより効果は減衰してしまいましたが疲労は軽減されている筈です」

 数年ぶりに感じた活力はそれが原因か。

「さぁ、朝ごはんは一日の活力です。用意しますのでその間に顔を洗ってくださいね」

「あっああ、わかった」

 こうして、身代わり地蔵の彼女との暮らしが始まった。


          ●


 それから半年。

 何だかんだ言って、彼女との暮らしは思っていたより上手く行っていた。

「ふぅ、今日も何とか終ったな」

「おかえりなさい。今日は前々からリクエストのありました鍋ですよ」

 もちろん性差によるトラブルはあれど、一緒に住む事に抵抗が無くなる程度には相性が良かった。

「ただいま。最近冷えてきたしそれは楽しみだな」

「ふふ、お風呂も沸いていますのでどうぞ」

 こうしてのんびりできる様になったのは何時以来か。

「ところで、ご飯の後はどうします? 今日は大丈夫ですよ」

 それはここ暫くで聞くようになった質問だ。

「……頼むわ」

 少し悩むが頼る事にする。

 始めは遠慮したが、今では彼女が居なければ始まらない。

「はい!」

 彼女の目的とも一致するとの事で、満面の笑みを浮かべていた。

 そして、夕食後。

 居間にあるちゃぶ台に並ぶのは参考書と問題集。

 それらに向かい合うように床に座ると、後ろに彼女が控える。

「それじゃいきますよ――んっ」

 背中を合わせるようにして座るだけなのに、無駄に艶やかな声を出さないで欲しい。

「すいません。怪我と違って疲労を受け取ると変な声が出ちゃうんです」

 たが、効果はたちまち現れる。

 今日の仕事の疲労が抜け、睡魔も何処かへ飛んでいく。

 背中の温かな存在のおかげだ。

「よし、集中しますか」

 行うのは勉強。

 とある事務の資格だ。

 既に幾つか新しく資格を取得している。

 今更、何故と聞かれれば転職の為だ。

 彼女の筋からの情報だが、近々この付近に大手企業の支社ができるようだ。

 玉石混淆である新卒と、磨耗が目立ち始めた屑石では前者が採られる。

 なら少しでも多く資格という飾りを身に着け、見栄えを良くするしかない。

 本当なら、仕事の疲れで動けないところを彼女が身代わりしてくれる。

 勉強中の疲労も受け取ってくれるため、その効率と集中力は学生の頃を遥かに上回っている。

「……さて、ここまでにするか」

 キリの良いところで問題集を畳む。

 時計を見れば針は共に頂点を越えた所だ。

「起きては――」

「すぅ……すぅ……」

「――いないか」

 振り返れば、いつの間にか抱き付くような形で寝ている彼女が居た。

 それでも、無意識に疲労を受け取るのはある種の職業病か。

 地蔵に宿っていた頃はともかく、実体を得た今では疲労や怪我は肉体へダイレクトに響く。

 仕事と勉学の疲労は彼女でもかなりキツイ様だ。

 しかし、寝るのはともかく抱きついてくるようになったのは何時頃だったか。

 そんな事を考えながら彼女を抱き上げる。

 意識の無い女性の体に触れるのは言語道断だが、本人から許可は貰っているし、放置しては風邪を引きかねない。

 いくら神霊とはいえど、肉の身体を得た事による縛りは人間と変わりない。

 布団に寝かせ毛布を掛ける。

 何時見ても幸せそうな寝顔だ。

「いつもありがとうな」

 無意識に頭を撫でてしまう。

「……にゅふふふ」

 幸せそうな笑顔がより一層増した気がするのは気のせいか。

 初めの頃はどうなる事かと思ったが、意外と気に入っている自分が居た。

 彼女からすれば、俺の救済の為の活動の一環でしかないと思う。 

 それでも、今ある感謝の気持ちは伝えたい。

「何時まで続くのかね、この生活は」

 そう長く続くものではないとは思う。

 それでも、一秒でも長く続いて欲しいと思うのは我が儘か。

 だが、終わりは思っていたよりも短かったようだ。

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