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第三夜 神様なんて

「それでそれでー? お客さんは怒って帰っちゃったのかーい?」


 帰宅早々頭を抱え込んだ僕に掛けられた言葉。それは嫌味なほどにハイテンションで、僕の頭をさらに重くした。

 この仕事に就いて二年目。遅かれ早かれ抱える事になると踏んでいた面倒事は、僕のテンションを彗星レベルで急降下させた。


「うるさい。怒ったって言うか、気付いたらいなかったんだよ」


 キザったらしい声には目も暮れず、僕は上がり框に腰を下ろした。都営マンションの一室が、僕達の家だ。僕と姉さんの二人暮らし。やたらキザったらしい口調の人物が、三つ離れた同居人。僕の姉さんである。


「なんだよなんだよー! 悩める少年かい? ナイーブなお年頃なのかーい?」


 何も普段からキザったらしい訳ではないが、今日はキザキャラでいくと決めたらしい。


「年中ナイーブなお年頃だよ。ほっといて」


 ただでさえ疲れていると言うのに、温度差の激しいやり取りは余計疲れる。部屋に逃げ込もうにも、放置したままじゃストーキングされるのが常だ。適当にあしらうしかない。


「おー我が弟クンにも、ついに春が来たのであるか~! 乳揉ませてやろう、近う寄れ」

「いらない。あと、キャラ一つに統一して」

「あねちゃんはラクダに乗った商隊さ!」

「それはキャラバン」


 僕が今年十九歳になり、誕生日の早い姉さんは、もう二十一歳になった。それでも浮いた話の一つも無いのは、純粋にこの変人気質が原因なのだろう。顔もスタイルもそこそこ良いのに、地雷要素満点だ。


「ねーえー、今度弟クンの店行ってい~い~?」

「それは絶対ダメ」

「よーし、それじゃあ次のシフトの日は首を洗って待っておるんじゃよー!」

「来ないでね?」


 因みに、姉さんには僕の仕事は内緒である。表向きは、ファミレスでウェイターをしていることになっている。女手一つで面倒を見てくれる姉に、「怪しげな仕事」をしていると心配を掛けたくないのだ。


「姉さん、今日の晩御飯は何食べたい? てか、そこどいて」

「あねちゃんは弟クンが食べたいぞ~!」

「はいはい、どいてねー」


 上がり框を立って、姉を押し退ける。


「ああんっ、激しい……っ!」

「やかましい」


 こんなやり取りの毎日だ。これが一日二日くらいならまだ楽しめるかもしれないけど、毎日続くとなると疲れてくるから堪らない。そうでなくとも今は、あまり気分が優れないのだ。

 倉敷さんは、数日前にあの公園で自殺した女性だった。彼女は今も死のうと、あの公園をさ迷っている。初めは地縛霊だと思っていた。自分が死んだことも気付かず、残留思念だけであの公園に染み付いているのだと。

 だから倉敷さんが消えた後も、僕は彼女を探して公園を歩き回った。けれど、ついぞ倉敷さんは現れなかった。どうやら、彼女は自縛霊ではないらしい。手帳を開いてみても、そこに彼女の名前はない。


「はあ……」


 執拗に着いて来てカンチョーを狙う姉さんを引き剥がし、部屋に入った。小さなテーブルと本棚。それとベッドが置かれただけの、小さな部屋だ。


「倉敷さんの一件、どうしようかな……」


 溜め息を一つ溢して、ベッドに横たわった。疲れているのか、やけに体がベッドに呑まれていく。

 霊魂と話すのは、異様に疲れる。

 喋るだけならまだいいけど、回りの目から逃れるために気を配らなければならない。会話中はある程度、生者には見えなくなっているらしいけど、それは自身の精神力を使う隠れ蓑に過ぎない。。ここ一年は、帰宅直後にベッドへ沈むのが日課になっていた。


「弟クン」


 ふいに、扉を挟んでくぐもった姉さんの声が聞こえた。首だけ起こして、「何?」と返す。


「そんなに辛いなら、仕事止めてもいいんだよ?」


 いつになく真面目な声だった。日頃からふざけてばかりの姉さんが、こうして真面目な声になる時。姉さんは往々にして罪悪感に苛まれている。だから僕は、真面目な姉さんが苦手だった。


 僕が中学生。姉さんが高校生の時に、僕達の両親はいなくなった。母は死に、父は蒸発。親戚中から絶縁されていた僕達に身寄りなんてあるハズもなくて、僕と姉さんは二人暮らしを余儀なくされた。

 当然、子供二人の暮らしが満足なものになる訳もない。僕達はいつだって、ギリギリの生活をアルバイトで食い繋いできた。姉さんは高卒で働き、僕を高校へ入れてくれた。

 「せめて大学は行ってね」と言われたけれど、頑なに断って、僕も高卒でアルバイトを幾つか掛け持ちしていた。

 姉さんは、僕にそんな生活をさせている事に罪悪感を覚えているらしい。


「私、今日から昇給したんだ。だからもう、弟クンが働かなくても大丈夫なんだよ?」


 そして、姉さんは嘘が下手だ。姉さんの給料がアップしたところで、二人の生活を賄えるほどの金額になんてなりはしない。いくつものバイトを掛け持っても、高卒の姉さんの給料は少なかった。


「弟クン……」


 扉の向こうで、姉さんの声が掠れた。


「私、もっと頑張るから。仕事も、増やすから……っ!」


 震える姉さんの声は喉の奥から絞り出されるように苦しげで、聞いている僕の胸を抉る。

聞いていられなかった。一言「姉さんは悪くない」と言って、またいつも通りに戻ってもらいたかった。


「姉、さん」


 重い体を起こして、僕は扉ににじり寄った。扉を挟んだ向こう側では、姉さんが啜り泣く声が上がっている。


「だから、だから……っ!」

「姉さん……っ」


 ドアノブに手をかけて、一気にひねった。少し立て付けの悪くなった金具が、キィと小さな音を立てて内に開く。扉の外で俯いていた姉さんが、バッと顔を上げて言った。


「あねちゃんより多く稼がないでくださいっ!」


 姉さんには感謝している。それは間違いない。けれど少し。ほんの少しだけ、姉さんに対して「ガッデム」と思ってしまった。どうもユメヒトを辞める日は、近くはないらしい。




 ◇◆◇




 その日の夜は、寝付けなかった。

 僕自身のこと、仕事のこと、姉さんのこと、僕達の将来のこと。そして、倉敷さんのこと……。

 色々な事が頭を低回して、僕から睡眠時間を奪っていった。


 気付いた時には、僕は公園に立っていた。

 昼間倉敷さんと出会った、あの公園に。年が開けて、春も近い。だと言うのにこの公園は、その薄気味悪さも相まって、不良一匹いやしなかった。


「カイロ、持ってきたら良かったな……」


 ポツリと溢した言葉は、白い息と共に夜の寒空へと消えていく。ベンチの脇に立つ木の根には、夜だと言うのに白ユリの花が月明かりに淡光を返していた。


「どうしたもんだろ……」


 聞いたところで、誰かが答えてくれる訳でもなくて。

 言葉は夜の霜天に言葉は呑まれるばかり。

 それでも言葉は吐き出したくて、僕は昼間のベンチに腰を落ち着けた。


《生者に夢を、死者には逢瀬を。我ら夢負い人は、生死の狭間に夢を背負う》


 あの日。

 冬空に花火が咲かされた日。

 夢に出た手帳の一文で、僕の人生は変わった。

 〈ユメヒト〉を求める死者の声を聞き分け、会話ができるようになった。それと同時に、自分が何をなすべきなのかも、理解できるようになった。

 あの日から僕は、半分死んでいるのかもしれない。


「あ、ユメヒトさん……」


 寂れた冬の夜。虫も鳴かぬ丑三つ時に、彼女は現れる。音もなく、僕の隣に現れる。

 白のダッフルコートとベージュのスキニーが、冬の遠い太陽の下にボーっと浮び上がる、冬の亡霊。


「こんばんは、倉敷さん」


 倉敷さんは幽霊だ。数日前、この公園の木で首を吊った女の人。ユメヒトである僕を好奇心で訪れた、お客様でもある。

 ただ、夢を見る気があるのかは不明な、少し変わった人だった。


「こんな夜更けに、何してるんですか?」


 今回の倉敷さんは、昼間見た時よりも落ち着いている。

 けれど、その台詞はそっくりそのままお返ししよう。


「ちょっと散歩に」

「お巡りさんが怖くないと見えますね」

「いやあ、怖いのは怖いですよ。出来れば近付きたくありません」


 薄暗い公園を照らす灯りの下で、倉敷さんが隣に座る。


「そう言う倉敷さんは、こんな夜更けに何を?」

「散歩です」


 あっけらかんと、倉敷さんは言い捨てる。


「お巡りさんが怖くないと見えますね」


 出来るだけ彼女の口調を真似る。倉敷さんの唇が、少しだけ尖ったように見えた。


「ええ、全く」


 夢枕を求めて僕を訪れる死者は、外見上は皆普通の人間である。頭が潰れて死んでしまった人も、生前の元気な姿のままで現れる。倉敷さんの首にも、首吊りで付くはずの擦過傷はない。白く細い、綺麗なままの首だった。


「と言うかユメヒトさんって、夜になると少しだけ口調が崩れますよね?」


 倉敷さんが、小首を傾げる。


「まあ眠れないとは言え、ちょっとは眠いですからね。若干寝惚けてるんでしょう」

「眠れないんですか?」

「ええ、まあ」


 主に原因は、倉敷さんなのけど。まあそれは、言わない方が得策だろう。「貴女のことを考えてました」なんて、ナンパにしか聞こえないのだから。

 そんな僕の苦悩も知らず、倉敷さんは空を見上げる。


「奇遇ですね、私もです」

「倉敷さんも?」

「はい、最近色々考え事があって、眠れなくて……。だから、この公園にはよく来てたんです」

「そうですか」


 釣られて見上げた冬の空は、星も見えない程の暗闇。逆眉の三日月だけが、雲を被って朧気に淡光を発している。チラリと盗み見た倉敷さんの横顔は、思いがけず綺麗だった。


「なんで昼間は、急に消えちゃったんですか?」


 心に浮かんだ質問が、口を突いて出た。

 倉敷さんは、こちらを見ようとしない。ただ何かを躊躇うように、口許を数度蠢かした。


「私、死にたかったんです」


 ぎょっとして、三日月から目を逸らした。相変わらずこちらを見ようとしない倉敷さんの顔。それはどこまでも無表情で、却って生来の容姿の良さが月明かりに煌めいていた。

 こんな人が自殺するなんて、考えたくもない。けれど一度接触してきた死者の情報は、ある程度頭の中にインプットされる。インプットされて、カウンセリングの材料として使われる。倉敷さんが死ぬ間際に見た光景は、変わり様のない事実として僕の脳に記されていた。その、はずだった。


(……いや、なんだ、これ?)


 死者の死の情報は、その死者自身が最期に見た光景を「記憶」としてインプットされる。けれど倉敷さんのそれには霞がかっていて、うまく見えない。違和感ばかりが、胸の中に巣を張る。


「ユメヒトさん?」

「……すみません、続けてください」 


 この違和感はきっと、まだ触れるには早すぎる。僕が暗に死んでいると言っても、倉敷さんはまだ死んでないと言い張って。きっと彼女の中にある死の記憶は、彼女自身の防衛本能が封じ込めているのだろう。その記憶を無理に引き出したら。彼女はきっと壊れてしまう。

 この気持ちが悪い違和感は、胸に仕舞っておこう。


「むう、そういわれるとなんか話しづらいですね」


 少し尖った唇を俯かせて、けれどまたすぐ自嘲気に、倉敷さんは嗤う。


「まあ、生きていても虚しかったってだけですよ。どうです、死んで当然とでも言いますか?」

「そんな人間、そうそういませんよ……」


 倉敷さんの目は月を見ているはずなのに、何を捉えていない。真っ黒な瞳孔には、月すらもその黒さに呑まれて見えなかった。


「そんな訳で私、この公園に何回か下見に来てたんです」

「下見、ですか……」

「はい。まあ、先を越されてしまったようですが」


 百日紅の木の根本に供えられた白ユリを、倉敷さんは一瞥した。


「……その遺体、数日前の明け方に見付けたんですよ」

「へえ、そうなんですか」


 「どうでもいいですね」と言う倉敷さんは、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「とまあ、下見してても中々勇気が出なくて、実行できなくて……。そんなことを繰り返してる内に、一枚の広告を見つけたんです。それが、〈ユメヒト〉さんでした」


 ポツリポツリと語る倉敷さんは饒舌だ。それなのにその目はどこも見ていなくて、本当に「絶望」って言葉を知っていて。そんな倉敷さんが怖くなって、僕は目を逸らした。


「生きるのも怖いし、死ぬのも怖い。生きるにしても死ぬにしても、誰かに話を聞いてほしかった」


 彼女は、本当に自分の死に気付いていないのだろうか?

 本当は、もうとっくに気付いていて、それでも何も変わらない世界に絶望しているんじゃないのだろうか。そう考えればこそ、彼女の語る一言一言が、誰にも届ける術を失った懺悔のように聞こえた。


「どうせなら、最後に騙されてみるのも悪くないって。自棄っぱちだったんです」


 そう言って、倉敷さんは初めて僕に目を向けた。綺麗な顔に絶望の色がくっきりと張り付いて、それでも口許だけは無理に笑おうと歪んでいて。

 ともすれば、今すぐにでももう一度首を括りそうな顔をしていた。


「あ、その……」

「そんな顔しないでくださいよ。別に人前で死のうだなんて、思ってません」


 冷たい空には雲が薄く張って、僕たちを閉じ込める檻みたいに重く垂れこめている。倉敷さんの発した冷たい言葉は行き先を失って、宵闇にさまよい消えていく。


「――それで、あなたに会って話を聞くうち、もっと怖いと思うようになりました」

「な、なんでですか?」


 「見透かされているような気がしたんです」と倉敷さんは目を閉じた。


「「死んだ人にしか、あの広告は見えない」って言われて、私フッと思ったんです。ああ、何の気力も目標もない私は「死者」なんだ、って――」

「あ、いや……っ」


 違う、と。「貴女は死んでいない」と、言いたかった。言おうとして、僕は口をつぐんでしまった。倉敷さんは、目の前で震える女の人は、本当に死んでいるのだと思い出してしまったのだ。

 僕は今、死を求めてさ迷う死者と会話していた。


「無理な慰めは結構です」


 それでも倉敷さんは、やっぱり自分の死には気付いていないのだろう。面倒くさそうに僕の機先を制すると、倉敷さんは昼間の感情を殺した顔で、僕に向き直った。


「私に、夢を見せてください」


 感情の死んだ目が、僕を見つめた。さっきまで何も映っていなかった暗い目が、僕だけを捉える。

 モーセが存在しても海は割れず、神様が悪魔よりも人を殺すのと同じように。死者は眠ることも出来ず、ましてや夢なんて見ることも叶わない。


 それでも倉敷さんに夢を見せてあげたくて。なのに頷くことは出来なくて。僕の視界は、グニャリと歪んだ。

 神様なんていないと思っていたのに、いつだって神様は、僕のすぐそばで嗤っている。挙げ句の果てには、神様の力を信ぜざるを得ないような境遇に僕を陥れた。神様の存在を見せ付けるかのような仕事に、僕を就かせた。


「神様なんて、大嫌いだ……」


 霜夜の空を振り仰ぎ、僕は独り言ちた。


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