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第二十一夜 因果なものだよ

『ありがとね~。お陰さまで娘たちに伝えれたわ~』


 朗らかな声を残して、中年の女性が消えていく。

 その顔に張り付いた柔和な笑顔は、彼女の人の善さを物語っていた。


「いえいえ、娘さんのご懐妊おめでとう御座います」


 今回の依頼は、受胎告知の夢枕。

 近隣の県に住む娘夫婦に、懐妊の知らせを告げるために、《ユメヒト》を訪ねた。

 依頼主は眞島多香子さん、四十三歳。

 この仕事では珍しい、生きた人間だ。


『目が覚めたら、この夢枕は忘れてしまうのかしら?』

「そうなりますね。俗に言う「生き霊」状態ですので、夢のように思い出すことは有りません」

『残念だわ~。今度会ったらお茶でも、と思っていたのだけれど』


 「ああ、それは残念ですね」と僕は笑いかける。

 ユメヒトの仕事で笑ったのは、これが初めてかもしれない。


『にしてもこれ、本当に消えちゃうのね』

「はい、ですが死んでしまう訳ではないので、ご安心ください」

『なら安心ね』


 眞島さんは笑う。

 その顔に差す影を、僕は見逃さない。

 何故なら、僕は彼女に迫る「厄」を知っているからだ。


『依頼主:眞島多香子、四十三歳

 都内在住、看護職

 備考:白血病』


 依頼を受けてユメヒト手帳に浮かんだ、依頼主の情報。

 それは明らかに余分な・・・情報を含むようになっ

た。

 曖昧模糊として精度こそ優れないが、正直余計なお世話だ。

 先入観は、仕事の妨げになる。


『それじゃ、ありがとねー。ああ、そうそう』

「はい?」

『君、ちょっと目の隅が黄色いわよ? 良く見ないと分からないけど、早めに病院に行きなさいね~』


 晴れやかな笑顔と、不穏な忠告を残して、眞島さんの生き霊は消えていった。

 最後の最後まで医療に関することとは、恐れ入る。

 職業病と言うのだろうか? 僕もああはなりたくないものだ。


「ああ、終わった……」


 悩みの種は増えたけれど、一先ず依頼は達成された。

 月末には給料も振り込まれるだろうし、今日のところは帰宅してもいいだろう。

 生き霊相手の依頼は、亡者相手のそれより疲れるのだ。


 亡者の魂には帰る体がないため、《ユメヒト》側からは何の干渉もなく対話を進めることが出来る。

 一方、「帰る体がある」魂はどうだろう?

 生きている分、魂に力がありそう?

 どっこいそんな事はない。


 生き霊の魂は、風に揺られる枯れ葉のようなもの。

 僅かな振動だけで、その魂は弾かれて「元の体」に帰ろうとする。

 それを防ぐには《ユメヒト》側からの干渉行為が必要なのだ。

 干渉行為自体はただ念じるだけの簡単なお仕事であるけど、この「ただ念じるだけ」のことが存外体力を消費する。

 全力疾走後のような疲労感が、一日中ついて回るのだ。


(帰っても、由香はもういないよね)


 今日の由香は遅番だ。

 今から帰っても、丁度入れ違いになる。

 一方の僕には、この後の予定は一切ない。

 《ユメヒト》の副業として就いた接客のアルバイトも、今週一杯は店舗改装とやらで休みだ。


(一人で家にいるのも、嫌だな)


 女性に働かせて男は家で暇を持て余すだなんて、ヒモにもほどがある。


「病院、行くか……」


 今から病院に行っても、由香の帰りには間に合うだろう。

 日が傾きかけた冬空は、もう随分と日も長くなっている。

 年明けから急速に迫る春前の空に、僕は一人、白い息を溶かした。




 ◇◆◇




 吹き抜けの天窓から降りた陽が、院内を白く染めていた。

 静かな時が世と死を伴って流れる病院は、猥雑な外との温度差で、時が止まっているように感じられる。


 平日の昼間は診療者も少なく、受付を澄ました僕は据え付けのソファに腰を下ろす間もなく診療室へと通された。


「それで、今日はどうされました?」


 対面に座った医師は眼鏡面で、角ばった顔は少しだけ窶れて見える。

 名前は確か、今井と言った。


「はい、黄胆が出てると言われて」

「黄胆ですか……」


 胸ポケットからライトを取り出して、僕の目の縁を照らす。

 瞳孔収縮の確認じゃないんだから、左右に揺するのは止めてほしい。僕、まだ生きてます。


「黄胆を見つけた方のご職業は?」


 黄胆が出ていると言ったのは、眞島さんだった。

 確か彼女は、看護婦だったはずだ。


「看護婦です」


 僕が答えると、先生は「ああ」と唸った。


「納得です。どうりで黄胆なんて正確な表現をしたもんだ」

「え?」

「確かに黄胆が出ています。倦怠感や、食欲がないと言ったことはありませんか?

 吐き気等でも構いません」


 早口言葉のように捲し立てる先生に、僕はついていけなかった。

 ただ質問に「はい、はい」と頷くことしかできない。

 だが、医者と言う立場の人間に日常で覚え得る症状を聞かれても、「そう言えばそうかも」としか思えない。

 所謂、「誘導尋問」と言う奴である。


「普段からある程度倦怠感はありますし、食欲だって日に日に収まってきてます。

 でも、あまり体調不良に繋がるほどとは思えません」


 張り合うつもりはないけれど、頭ごなしに不安にさせられるのは性に合わない。

 僕も負けじと、早口言葉のように捲し立てた。


「んー、そう、ですか」


 先生はそう言ったっきり、黙ってしまった。

 何かを俊巡するように唸り、腕を組む。


「わかりました」


 やがて、何かを振りきったような表情で先生は頷いた。

 眼鏡の奥の目は、何か腹に一物抱えていそうな色をしていた。


「黄胆自体は大して危険なものじゃないです。赤ん坊でも出ますし、自然に収まることも多いです」


 僕赤ん坊なの? ばぶぅ?


「ですが、出ているのも事実。一応、血液検査だけはしておきましょうか」

「は、はあ」


 赤ん坊と言う言葉を気を取られ、僕は頷いていた。

 しかし、すぐ失態であったことに気付く。


「えっ、注射?」

「はい、血液検査ですからね」

「や、やっぱりいいです」


 僕、注射苦手なんですよ。


「大丈夫ですよー、痛くないですからねー」

「痛い痛い痛い痛い」

「はいはい、まだ刺してないですからねー」


 僕の抵抗なんて気にも留めず、先生は僕の二の腕を捲り上げる。

 近付いてくる針先は、刀剣のように不穏に煌めいていた。

 いや、真剣を見たことはないけれど。


「ちょっと聞きますが」

「……はい?」


 目を瞑っていると、先生の声が暗中に響いた。

 油断して目を開けた瞬間に、鋭い針が僕の腕を貫いた。


「イッタ!?」

「うん痛いよねー注射ー」


 度を越えて適当な先生の同情の声が、僕の神経を逆撫でる。

 けれど、僕の非難の声は喉を登り終える前に霧散した。


「ご家族に何かご病気に――肝炎を患われた方は?」

「……え?」


 吸われていく黒みがかった血も、僕の腕を貫いて抜けない針も。

 全てが視界からログアウトする。


「三条さん?」

「あ……、はい」

「ご家族で、肝炎を患われた方は?」


 考えるまでもない、母さんだ。

 母さんは、肝炎が悪化して死んだ。

 あの日の事は、今でも瞼の裏に焼き付いている。


「母が、B型肝炎で」

「なるほど。肝炎は母子で接触感染する場合があります。

 この後、血液を検査にかけますので、待ち合い室でお待ちください」

「あ、はい……」


 言われるがままに、診察室を出る。

 「肝炎」と限定されたことで、僕の鼓動は太鼓のように早く脈打っていた。

 とどのつまり、僕にも肝炎の可能性がある、と言うとことだ。


 病は気から。

 僕は少し、根暗に過ぎたのかもしれない。


(由香に、何て言おうか……)


 肝炎を否定しながらも、僕の頭の中は由香への言い訳で一杯だった。

 由香に、何と言えばいいのか。

 仮に僕が肝炎だったとして、果たして正直に伝えるべきなのだろうか?


 そんな事をとりとめもなく考えていたら、時間はあっという間に過ぎていった。

 あっという間に過ぎて、僕の名前が呼ばれた。


「検査の結果が出ました」


 僕の対面に椅子を回した先生が、神妙な面持ちで切り出す。

 その顔を見ただけで、僕の心臓は大きく高鳴った。

 いつかの昔、僕はこの光景を見たことがあった。


「……悪いんですよね」


 そう、あれは確か、僕が中学生の時の事。

 母さんが突然倒れて病院に運び込まれた時、検査を終えた「先生」の顔と同じだった。


「一言では、言いきれません」


 あの日も、今日と同じ。

 天窓から漏れ入った麗らかな春前の陽射しが、静かに院内の時を進めていた。

 僕たち家族にヒビが入った事なんて気にも留めず、世界は春へ向かって歩いていた。


「その前に、一つ聞いていいですか?」

「はい、なんでしょ?」

「先生は「三条美佳子」を覚えてますか?」


 そう、あの時。

 この病院で、母さんを――三条美佳子を診察したのは、痩せ面に眼鏡の医師。

 今井先生だった。


「……覚えてるよ」


 背もたれに深くもたれかかり、先生は眼鏡を外す。

 その目は、物憂げに天井を見上げていた。


「医者って言うのは、本当に助けたい人ほど助けられないものだ。

 私は、この仕事に向いてなかったのかもしれないな」


 嘆息するその目は、長く生死と向き合ってきた人間の目をしていた。

 僕よりも、直接「死の瞬間」を看取る仕事。

 医者は、平穏な世の中で唯一の「死と向かい合う」職業だった。


「全く、因果なものだよ。親子に「同じ診断」を突き付けるなんてさ……」


 先生の口調が、確かな「芯」を持つ。

 そこには仕事にも生死にも向き合い、煩悶する大人の強かさが在った。

 その目が、僕を見据えて言う。


「――B型肝炎の陽性反応が出た」


 それから先の事は、あまり覚えていない。

 感染経路が、恐らくは母さんとの接触感染であること。

 僕がキャリアを持っていたこと。

 そして、


「私は医者だからね。あまり非科学的な事は言えないのだが。

 因果・運命ってのは、本当に嫌なもんだね……」


 体を萎ませるほどの溜め息と共に吐き出した言葉は、不思議と僕の頭を離れなかった。

 運命も、神様も大嫌いだ。

 けれど《ユメヒト》になって、否応なく訪れる「結果」を見て。

 僕は運命の存在について、信じざるを得なくなっていた。


「幸いにも、まだ初期症状です。ワクチン接種を続けて、様子を見ましょう」

「はい、よろしくお願い致します」


 機械的に返す。

 その後何言か交わして、その日は帰ることになった。

 「家族に家族にキチンと伝えなさい」とのことだ。



(同じところを、グルグルと……)


 帰り道。

 春前の空は、やっぱりあの日の命と同じ。

 僕は命を脅かされて、春に歩いていく世界に置き去りにされる。


 街はいつも通り。

 真新しいランドセルを抱えた子供が笑顔で跳ね回り、疲れた顔のサラリーマンが靴を鳴らし歩く。


(由香に、何て言おうか……)


 何度も言葉を転がしては、強引に飲み込む帰り道。

 漠然と考えてはいるが、今一つ実感がわかない。

 呆然と流れるテレビを眺めるように、自分を俯瞰しているような感覚。

 どこか僕は、現実の感覚を手放してしまっていた。


「取り合えず、死んだらまず由香に会いに行こう」


 試しに転がした冗談は、やっぱりただの冗談でしかなくて、実感がない。

 ただ「気が重い」という感情だけが、僕の足を重くしていた。


「倉敷さん……」


 その時に倉敷さんの名前が出たのは、きっと単なる逃避だった。

 けれど今は、倉敷さんに会うのが最適解としか思えない。

 彼女とは暫く会っていないし、依頼の件もまだだ。


「また、あの公園にいるかな……」


 そう、実感がわかないと言うのなら。

 いつも通りでいい。

 いつも通り、僕は《ユメヒト》として過ごせばいい。

 由香に伝えるのは、その後でも、いい。


 その方が、由香に遺せる・・・ものが多そうだから。

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