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君が消えた明日は、さよならの消失点。  作者: 鷹尾だらり
消え逝く夢、消えないナニカ
16/28

第十五夜 桜の微笑(後編)

 若松さんは、夢の中に現れなかった。


 辛うじてリンクした感情も、痛みが支配するばかり。

 「会いたい」気持ちは痛いほどあって、それでも何も出来なかった自分に、会う資格なんて無い。

 若松さんは、多分そう思っている。


『だから翔は、私のお葬式にも来なかったんじゃないかな』


 と河岸さんは悲しく笑った。

 医師の家系にあって、自分では何も出来なかった。

 学生の身分では、凡そ当たり前のこと。

 それでも若松さんは、無力な自分がどうしても許せないらしい。


(けど、けど……)


 生者の都合なんて、どうでもいいじゃないか。

 生きてる限り、「次」は有り続ける。

 生きてさえいれば、何度だってやり直せるんだ。

 けれど、一度死んでしまった河岸さんは、もう二度とやり直すことも出来ないんだ。


 去り際、河岸さんはまだ笑っていた。

 どこまでも強い女性だ。難病を最期まで戦い抜いただけのことはある。

 だが、それだけ強い彼女が泣き叫んでいたのも、また事実。

 僕が言うのも何だが、男として女の人を泣かせるのは無しだろう。


「姉さん、ちょっと出掛けてくる」

「ホイホーイ。晩飯までには帰ってくるんだよ~。今晩はあねちゃんが作るからね~」

「また僕に走馬灯見せる気……?」


 姉さんの作る料理は、劇薬と大差ない。

 今度アレと同じものを混ぜたら、ビッグバンが起こるだろう。

 アレのお陰で死線をさ迷ったことは、未だ記憶に新しい。


 「いってきます」と「晩飯は僕がやるから」だけ言い残して、僕は家を出た。

 外は牡丹の雪がチラついていて、時折頬を撫でる風は肌を切り裂くほど冷たい。


 昨晩、河岸さんが消える直前のこと。

 僕は河岸さんから若松さんの電話番号を聞き、「明日も来てください。絶対、若松さんと会わせます」と誓った。

 河岸さんは何か言いたげな顔を形容したが、やがて困ったような笑みを浮かべて頷いた。


 その若松さんと、今日面会する。

 夢の中じゃない。現実で、だ。

 「やると決めたら即日実行」がユメヒトを続けられるコツだ。

 昼食のタイミングを伺い、電話を繋げたのが今日の昼時。


『河岸桜の従兄弟ですが、本日お話を伺えませんでしょうか?』


 電話越しにそう言うと、若松さんから『わかりました』と返ってくる。

 そこから巻きで時間と場所を決め、家を飛び出して今に至る。

 面会の場所は、勿論あの垂れ桜の下だ。


「そんなに上手く行きますかね」


 先に着いて若松さんを待つ僕の耳に、聞き慣れた声が飛び込んでくる。

 感情が欠けたように抑揚が無く、けれど透き通ったような綺麗な声。


「……着いて来なくてもよかったんですよ、倉敷さん」


 倉敷千草。一ヶ月近く前、ユメヒトを訪れた死者だ。

 自分の死に気付いているのか、はたまた気付いていないのか。今一つ曖昧な女の人だ。


「ひどい言いようですね、せっかく来てあげたのに」


 わずかに頬を膨らませつつ、倉敷さんは僕の横に腰を下ろした。

 枯草色に染まった草木は、彼女が触れても音を立てない。

 地べたの草までもが、倉敷さんの死を静かに語っていた。


「あれ、僕そんなこと言いましたっけ」

「だってユメヒトさん、昨日は何も出来てなかったじゃないですか」


 鋭い指摘。「ぐっ」と詰まった言葉は、後に繋がる言葉を完全に逸している。

 確かに僕は、何も出来なかった。

 無力だ、と実感した。


「い、いや、だからこそですよ」

「だからこそ、なんですか?」


 倉敷さんは基本、無感情。

 感情の籠らない言葉を重ねられると、自然と尋問口調に聞こえるから不思議だ。


「だからこそ、その……今日で何とかするんですよ」

「そうですか」


 それ以上、倉敷さんが何かを言うことはなかった。

 ただ僕の隣に腰掛けたまま、そっと目を閉じる。

 枯野を撫でる風。木枯らしと戯れる、倉敷さんの黒髪。

 風を楽しむように、心持ち空を向く横顔。

 放って置けば、今にでも散ってしまいそうな程脆く、儚げな横顔。


 その横顔に、どうしようもなく目を奪われてしまう。

 どうしようもなく、胸を締め付けられてしまう。

 死んでいて欲しくない、と思った。

 こんなにも綺麗な人が、なんで死んでしまったのだろう。

 なんで、誰も助けはしなかったのだろう。

 少なくとも、もう少し――


「もう少し、違う出会いだったらな……」


 一際強い木枯らしが、僕の声を浚っていく。

 そうして僕は、ようやく気付いた。


(ああ、やっぱり僕は、倉敷さんの事が――)


 鈍い色の空に、透明な鼻唄が昇っていく。

 年を明けた空は、ゆっくりと春の匂いを滲ませつつあった。




 ◇◆◇




 若松さんは、予定時間ぴったりに現れた。

 なるほど確かに、几帳面な拘りを持つタイプだ。

 イヤホンのかけ方がどうのと言う話は、あながち嘘でもないらしい。


「初めまして。えっと、桜の従兄弟の……」

「はい、四条実栗・・・・です。初めまして、若松さん」


 偽名を名乗って立ち上がり、礼を一つ。倉敷さんも僕に習う。

 だが、やっぱり若松さんに倉敷さんが見えている様子はない。


「……お話はよく聞いてました。さくねぇ・・・・が自慢げに教えてくれてましたよ」


 勿論、僕は河岸さんの従兄弟ではない。

 「さくねぇ」と言うあだ名は、話に現実味を持たせるためだ。

 何故かは分からないが、背中から冷たい空気が漂ってくる。


「そう、ですか。でも僕は、そんな大層なもんじゃないっすよ……」


 僕の隣に腰を下ろしながら、若松さんは暗い笑みを投げ掛ける。

 目が笑っていない。

 やっぱり若松さんは、まだ自分が許せないらしい。

 恋人を救えなかった無力さが。のうのうと生きている、無力な自分が。


「桜が苦しんでるのに、僕は何も出来ませんでした。それどころか、葬式にも出ませんでした。

 揃いで買った白いイヤホンも、今はどこにあるのか……」


 だから葬式には出なかった、と言う訳か。

 確かに、自分を憎むには十分な理由だ。

 しかし、それで恋人の葬式に出ないと言うことは、また違うことだろう。


(理屈じゃないのは分かる。けど――)


 僕の中には、若松さんに同情する気持ちがあって。

 けれど彼に対するもどかしい気持ちも、確かにあった。


「夢……」


 「え?」と若松さんは首を傾げる。

 その仕草はどことなく河岸さんと似ていて、僕はふと以前読んだ記事を思い出した。


 ――男は皆「元カノの成分」で出来ている


 そう言われれば、若松さんは確かに「河岸さんの成分」で出来ているのだろう。

 若松さんは、未だに河岸さんの面影を追い続けている。

 それこそ、仕草まで無意識に似せてしまうほどに。


(だからこそ、もう、終わらせないと)


 これから言うことは、嘘に塗れた法螺だ。

 けれど、それでこの二人を救えるなら、何だっていい。

 そう思い、僕は口を開いた。


「……夢を、見たんですよ。さくねぇが、ここの垂れ桜の下で座っている夢を。

 何してんのって聞いたら、さくねぇ悲しそうに「翔を待ってるの」って。白いイヤホン、クルクル弄って」


 若松さんは押し黙る。

 「白いイヤホン」と言う単語に、ピクリと動いた目尻を、必死に抑えて。

 まるでそれが、最適解であると言うかのように。或いは、何かから逃げるかのように。


「ずっと、「会いたいな~」って言ってましたよ。でも時々「翔は会いたがってないのかな」って、悲しそうに笑ってました」

「それは、夢の中の話でしょ……」


 苦しげに、瞠目して溢す若松さん。

 だが僕の「嘘」は、その程度じゃ終わらない。

 誰にも後悔して欲しくないから。

 後悔しないのが、夢枕だと信じたいから。

 だから僕は、どんな手だって使うんだ。


「ええ、夢の話ですよ。ですが、そんな夢が何日も続けば、何かに縋りたくもなります」

「だから、僕に話を聞こうと思ったんですか?」


 「はい」と僕は頷いた。


「若松さんも、この河川敷の夢を見たんじゃないですか?」

「……見ましたよ。ですが、桜は僕に振り向いてくれませんでした。

 多分、葬式にも出なかった僕となんて、会いたくないんでしょう」


 さっきから、若松さんはずっと目を閉じている。

 しかしその目や口許は確かに拍動していて、口から生まれてくる言葉は、悲痛に震えていた。

 きっと、今にも零れてきそうな涙を、必死に堪えているんだと思う。


「違いますよ」


 僕がそっと言葉を掛けると、若松さんは「違いませんよ」と悲痛な声を漏らした。

 そっと手を置いた肩は震えていて、けれど暖かい。

 若松さんが泣いているのは、決して自分の為なんかじゃないのだろう。

 若松さんは、確かに河岸さんの為に泣いている。

 そんな、暖かい肩をしていた。


「怖いんですよ」

「……え?」

「さくねぇも、怖いんです。若松さんにさくねぇの顔が見えないのと同じで、さくねぇにも若松さんの顔は見えない。

 だから、若松さんが「会いたい」と思っているのかも分からなくて、怖いんです」


 拙い言葉を紡ぐ中で、僕は河岸さんの独白を思い出していた。


『怖いよ……』


 あの時、河岸さんは確かにそう言った。

 直接聞こえた訳じゃないのに、あの日あの時の言葉は、確かに僕の頭に響いていて。

 今もこうして、僕の胸を締め付ける。


「だから、言って上げてください。一言だけでいい、「会いたい」って」

「……っ」


 若松さんの手が、縋るように右ポケットを探る。

 僅かに袖口から覗く、白いイヤホン。

 やっぱり、若松さんは隠してたんだ。


「無くして、なかったんですね」


 「当たり前じゃないですか」と若松さんは絞り出す。

 握りしめたイヤホンを、若松さんは拝むように額に押し当てた。


「これが、この揃いの白いイヤホンだけが、まだ桜と繋がってる気がするんです……っ」


 鼻を啜り、若松さんは白いイヤホンを見詰める。

 堪えた涙が、また若松さんの眼を覆う。


「恋人なのに、僕、あんまり桜を笑わせられなかった……ッ」


 潤んだ瞳が涙に揺れる度、若松さんは何度も眼を閉じる。

 そうして涙を堪えて、言葉に溜め込んだ感情を乗せて吐き出す。

 その言葉はどこまでも悲痛で、鈍く重い空に響き渡った。


「僕は、僕は恋人失格です……ッ! 桜を、幸せに出来なかったッ!」


 道行く人は我関せずと通り過ぎ、冷たい川の流れは、責めるように激しくせせらぎを奏でる。


「そんなことありませんよ。若松さんは、最期まで恋人に寄り添ったじゃないですか」


 僕は若松さんの正面に回り込んだ。

 肩に両手を置き、そっと語りかける。

 河岸さんは、多分こう言うだろうから。


「そして今も、こうして想っているじゃないですか。

 こうして――まだ、好きでいるじゃないですか」


 若松さんの眉間が、深い深いシワを刻んだ。

 深く悲痛なそのシワは、きっと河岸さんへの想いの印。

 こんなにも想い合う恋人たちを、僕は素直に羨ましいと思った。


「……好き、なんですよね?」


 問い掛ける。若松さんは涙の代わりに嗚咽を漏らして、言った。


「好きだよ……」

「河岸さんのこと、まだ好きなんですよね?」

「好きだ! どうしようもなく好きだよ!」


 「会いたいですか?」と僕は訊ねる。


「会いたいさ! 桜に……桜に会いたいさっ!!」


 胸を抉るような慟哭を、風の音が優しく包み込んだ。

 その風に、春咲きの桜が薫る。

 桜が薫るにはまだ早い。

 反射的に振り返った先では、倉敷さんが驚いたように口許を覆っていた。


「倉敷さん? どう――」


 「どうしました?」と聞き掛けた矢先、風が僕らを取り巻いた。


『まったく、ホントに君は泣き虫なんだから……』


 鼻にかかったような、少し甘いな声。

 その声は、誰よりも若松さんが笑わせたい人。

 その声は、誰よりも恋人に会いたいと願った人――


『お待たせ、泣き虫クン』


 河岸桜さんが、そこにいた。


「河岸さん、なんで……!?」

『そりゃあ、「お別れ」を言いに来たんですよ。泣き虫な、でも私の一番大事な、恋人に』


 半透明の河岸さんが、僕にニッコリと笑いかける。

 その姿は向こう側の景色を透かし、薄く霞めて見せる。

 ただでさえ死者は、生者には見えない。

 僕でさえ半透明にしか見えないのなら、余計若松さんには見えないだろう。


『いいんだよ。これ以上泣かれても、遺して逝けないしね~』


 僕の落胆を見透かしたように、河岸さんは淑やかに笑う。

 河岸さんは、成仏を決めたらしい。


「桜……? 桜、そこにいるのか?」


 若松さんが、慌てて辺りを見回す。

 その様子を若松さんの背後で見て、河岸さんは悪戯っぽく笑った。


『今さら姿は見せないよ。これ以上泣かれたら、また「生きたい」って思っちゃうからね』


 「そんな……」と若松さんは瞳を潤ませる。

 だが直後、ゆっくりと頭を振り、固い笑顔を作った。


「……そっか、ごめんな、泣き虫で」

『今に始まった事じゃないんだし、別にいいんだよー』


 河岸さんが子供をあやすような声で、若松さんを後ろから優しく抱き締める。


『私の為に泣いてくれて、ありがとう。

 忘れないでいてくれて、ありがとう。

 好きのままでいてくれて、ありがとう。

 私も、ずっと、大好きだよ……』


 今までの感謝を、伝えられなかった言葉を、河岸さんは囁く。

 若松さんも「僕もだよ」と笑った。


「僕と出会ってくれて、ありがとう。

 精一杯生きてくれて、ありがとう。

 会いに来てくれて、ありがとう。

 ずっと、大好きだよ……」


 姿はなくて、体は触れ合えなくて。

 それでも言葉は繋がって、歔欷を含んだ笑い声は響き合う。

 しめやかな、だけどどこか晴れやかに。恋人達は啜り泣き、笑う。


「恋人って、良いですね」


 いつの間にか僕の隣に並んだ倉敷さんが、そっと囁く。

 その声は、心なしか鼻声だ。


「……そうですね」


 僕は、笑って答えた。

 河岸さん達と同じように、声は少し鼻にかかったけど。僕は確かに、笑うことが出来た。


「……ねえ、桜」


 不意に、若松さんの声が転がった。

 『んー?』と返す河岸さんの声は、少し落ち着いている。


「もう、大丈夫だよ」


 河岸さんは、静かに笑って囁いた。

 涙混じりの声は、まだ途切れ途切れだけど、その言葉は強かな力を持っていた。


『……そっか』


 少し悲しげに、けれど笑って、河岸さんも頷く。

 河岸さんの姿が、徐々に消えていく。


『じゃあ、もういくね』

「うん。――サヨナラは言わないよ」

『そうだね。――君と、また会う日まで』


 二人は息を揃えて、見詰め合う。

 姿は見えていないはずなのに、言葉が二人を惹き合わせる。


「『またね』」


 去り際。若松さんの右頬に、河岸さんの唇がチョンと触れた。

 それは、触れるか触れないかの、小さなキス。

 小さくて、でも暖かくて、少し切ない、別れのキス。


「……また、ね」


 河岸さんが天へ返った後。

 遺された若松さんの右頬を、一条の涙が伝った。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 これからも続いていく人生を、ゆっくり歩いていくように。


『お盆になったら、また会えるよ――』


 見上げた冬の鈍空から、そんな声が聞こえたような気がした。

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