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君が消えた明日は、さよならの消失点。  作者: 鷹尾だらり
消え逝く夢、消えないナニカ
11/28

第十夜 どうか覚えていて(前編)

 街路樹を根のように張り巡らせたそのマンションはどこか鬱屈としていて、マンション全体が喪に服しているようにも思えた。

 十七歳と言うあまりにも短い生涯を終えてしまった少女。

 その死が自殺であったとするならば、今回の出来事にも合点がいく。


「着きましたね」


 長い沈黙を、倉敷さんが破る。

 2kmの道程を歩いたにも関わらず、息が切れる様子は一切ない。

 歩くと聞いて真っ先に顔を歪めたのはどこの倉敷さんだったのやら、である。


「もう一度、呼び掛けてみます」


 手短に、先程と同じテンプレートを書き込む。

 応答は、一瞬にして現れた。


《       》


 またも、空白。

 砥の粉色の手帳を白に染める、不気味なメッセージ。

 仮にこれが、岡崎さんからのメッセージだとしたら。手帳ではなく、岡崎さんからの拒絶だとしたら。

 今回の依頼も、一筋縄じゃいかない。たまには苦労の掛からない仕事をしたいものだ、と嘆息する。


「あれ」


 不意に、倉敷さんが声をあげた。

 手帳に目線を落としていた僕は、倉敷さんの意図を飲み込めない。

 半ば無意識的に倉敷さんを見る。

 マンションの屋上を見上げる倉敷さんが目に入る。

 屋上を、見る。

 一人の女性が、転落防止フェンスを背に佇んでいる。


「うわ……」


 喉の震えは、言葉としての意味を成さなかった。

 驚愕か、落胆か。そのどちらでもあるような気もして、けれどどちらでもないような気もする。

 言葉を発そうとして、その実僕はただ単に放心していただけなのだ。


「止めなくていいんですか?」

「よ、様子を……」


 それだけしか、言えなかった。

 無理をしてでも止めるべき状況なのだろう。けれど僕の足はすくんで、まるで地に根を張ったように動かなくなっていた。


「あの人が、岡崎さんで間違えありませんか?」

「可能性はあります……が、生きている人の可能性もあります」


 仮に、転落防止フェンスを背にした彼、もしくは彼女が生きていたとして。

 今から屋上まで行って、間に合うかどうか。


「行くべきです」


 静かに、しかし咎めるような倉敷さんの声が、僕の臆病に襲いかかる。

 

「もしあの人が死んでいたとしましょう」

「はい」

「ユメヒトさん、死んだ人をもう一度死なせる気ですか?」


 僕はまた、言葉を失った。

 言い返そうとして、口を開いて。でも何も言い返せない。至極、正論なのだ。


 屋上をもう一度見やる。

 そこには今にも飛び立ちそうな人がいて、僕たちを見下ろしているようにも見える。


 一瞬、目が合ったような気がした――


 硬直していた膝から、力が抜けた。

 倒れそうになる体を支えようと、足が前に出る。

 また、膝が折れる。足が、前に出る。

 その繰り返しで僕は、いつしか走り出していた。


「行くんですか?」


 既に大分離れている倉敷さんの声が、耳元ではっきりと聞こえた。

 死者の声は、耳元ではっきりと聞こえる。

 僕は倉敷さんに振り向き、言った。


「行ってきますよ。……その代わり間に合わなくても、恨まんでくださいよ!」


 あと、飛び降りたようなら何か合図ください

 それだけ言って、僕は走る。

 重いドアを押し開け、エレベーターのボタンを押す。

 15階建てのマンションの9階から、エレベーターが降りてくる。


 ――待ってられない


 エントランス横の階段を駆け上がる。

 ウォーキングばかりで階段ダッシュを怠っていた足が、悲鳴をあげる。

 学生時代の部活で鍛えた足腰は、そのほとんどが衰退している。

 それでも、走る。

 何故かは分からない。低酸素に喘ぐ脳では、こじつけの建前すらも浮かばない。

 それでも、走る。


 2階。

 階を重ねる毎に、目の前のエレベーターの回数表示は僕のいる階に近づいてくる。

 丁度3階に到達した時、ようやくエレベーターと遭遇した。

 だが、このエレベーターが1階まで下がることを思い出して、乗るのをやめた。

 代わりに、上階へと上がるボタンを押す。


 衰えた足が4階に辿り着く頃、丁度エレベーターが、3階を過ぎた頃だった。

 急いでエレベーターの操作パネルに取り付き、ボタンを押す。

 程なくしてやって来たエレベーターに、倒れ込むように滑り込んだ。


「ハッ、ハァ、ッハ……!」


 誰もいない、エレベーター。

 酸素を求めて喘ぐ僕の息遣いだけが、エレベーターの駆動音と共鳴する。


 もどかしい。

 機械でゆっくりと引き上げられている上昇感が、足が止まっていると言う感覚が。なんとももどかしい。

 自分で階段を駆け上がるより、エレベーターの方が圧倒的に早いってことは分かっている。

 けれど、堪えきれない焦燥感のようなものが、僕の体を急き立てる。

 きっと、理屈じゃないのだと思う。


 10、11……と過ぎていく狭いエレベーターの中で、僕は出会った死者達の事を思い出す。

 バイクの事故でなくなった男性は母に別れを告げ、仕事一筋だった父親は最期の逢瀬に娘と歌を歌った。

 迎え盆には、夭折した子供や婚約者達が遺した家族の下を訪れた。

 皆、満足して天に返っていった。


 今回の依頼人、岡崎さんは一体誰に逢いたいのだろう?

 誰かに逢うことで、救われるのだろうか?

 《ユメヒト》である僕を訪れたのだから、誰かしらに逢いたい事には違いない。

 だが、肝心なことは何一つ教えてくれない。


 ――そう言えば、倉敷さんはどうなんだろう?


 ふと、今まで目を反らしてきた疑問が鎌首をもたげた。

 倉敷さんは、一体誰に逢いたいのだろうか?

 ユメヒトの広告が見えると言うことは、この世に未練があると言うこと。逢いたい生者がいると言うことだ。

 だが、倉敷さんは何も教えてくれない。

 岡崎さんと違って会話ができる分、余計謎が多い。


「八方塞がり、かな……」


 無理矢理呼吸を整え、ポツリと呟いた。

 喋らないと、手持ち無沙汰の重圧に押し潰されそうだったから。

 意味なんてない、のかもしれない。


 ポーン、と間抜けな音を立てて、扉が開いた。

 15階。人が住む、最も高い階だ。

 ここで降り、階段を登って屋上へ進む。

 冷たい鉄の扉を押せば、どんよりと鈍い曇天が飛び込んできた。


「――なあんだ、和樹じゃないんだ」


 扉を開けた瞬間に飛び込んできた、嘲るような声。それが、耳元ではっきりと。

 声の主は、数メートル離れた向こう。フェンスに背を預けて、空を見上げていた。


「岡崎志穂さん、ですね?」

「そうだよ、あんたは?」


 振り返った岡崎さんの切れ長の目が、吊り上がる。こちらを値踏みするような目だ。


「御依頼頂いた、《ユメヒト》です」

「ふぅ~ん? そんなの頼んだ覚えはないけど?」


 「ほらきた」と僕は内心嘆息する。

 ああ言った手合いは、やけに自尊心が高い。自分に絶対の自身があるか、逆にコンプレックスを隠している場合が多い。

 下手に刺激すると厄介だ。


「いえ、確かに依頼を受けました。こちらの手帳に、あなたの情報を頂きました」

「うわ、ストーカーってやつ? こっわ~」


 けたけたと、岡崎さんは笑う。

 その仕草にイラッと来たけど、これも仕事の内だ。

 自分自身を「平成のマハトマ・ガンジー」だと言い聞かせて、苛立つ自分を圧し殺す。


「てか《ユメヒト》ってさ、単なる都市伝説じゃないの?」

「いえ、現にこうして貴方と話せている訳ですし、実在しますよ」


 瞬間、岡崎さんの切れ長の目がスッと細まった。


「……なにそれ? どーゆーこと?」


 地の底から響くような、恫喝。

 頭の出来を疑う軽薄は言動とは裏腹に、頭は切れるらしい。


「あなたが、もう死んでいると言うことです」

「ふーん、根拠は?」

「これです」


 僕は、ガンジー。現代人特有の情報源依存にも動じない。

 出来るだけ無表情を装って、手帳を見せる。半分を過ぎた、一項。岡崎さんの情報が載せられたページだ。


《岡崎志穂、十七歳。四人家族の末っ子。都内の公立高校在籍》


 その気になれば一般人でも集められそうな情報を、岡崎さんのグレー混じりの目が追っていく。


「その気になれば、家族関係から友好関係まで教えてくれますよ」

「自分で調べたんじゃないの?」

「ええ、依頼を受けた時点で、依頼人に関する情報は勝手に浮かんできます」


 「ふーん」と、岡崎さんは面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 挑戦的な目付きは、鳴りを潜めた。どうやら、彼女の中で何かが腑に落ちたらしい。


「ご自分が死んでるってこと、わかってますよね?」

「……なーんだ。ほんとーに分かってたのね」


 落胆の声と共にフェンスがたわむ。

 岡崎さんが、頭からフェンスにもたれ掛かったのだ。


「やっぱり、気付いてたんですね」

「当たり前じゃん。死んだのにまだ生きてる気でいるとか、地獄じゃん」


 事も無げに、岡崎さんは嘆息する。

 フェンスに押し付けた右手に遮られて、彼女の顔は見えない。

 彼女が漏らす、嘆息混じりの声だけが、彼女の諦念と疲労を如実に物語っていた。


「じゃあ、なんでまだ現世に?」


 「はあ?」と岡崎さんの口許が歪む。

 顔を上げないまでも、その心労は声と震える膝でわかる。

 恫喝や怒りと言うよりは、精神的な苦痛が上回っているようだった。


「そんなの……決まってんじゃん。逢いたい人がいたからよ」


 ようやく上げた顔は僕を食い殺すように険しく、憎い人に苦虫を食まされたかのように苦い。

 聞けば、羽島和樹と言う「幼馴染み」に逢いたいらしい。


「今までのは、全部あんたを試してたのよ、ごめん」

「試す価値なんてあったんですかね?」

「死んだばっかだし、死者の世界や道理なんて知らないのよ」

「と、言うと?」

「慎重になったって訳。面倒事とわかっててもこうして会いに来る位のお人好しじゃないと、私の願いは叶えられないでしょ?」


 なんだかよく分からないが、僕は合格したらしい。

 だが仮に僕が落第していたとしたら、彼女は一体誰に依頼を持ちかけていたのだろうか?

 僕以外にユメヒトはいないと言うのに……。


「じゃあ、手帳の空白は?」


 僕を試すにしても、手帳の空白は不気味だった。

 今までも何度か面倒な依頼はあったが、今日ほど手帳の裏切りを予期したことはない。


「ああ、あれ、放送禁止用語を連発してただけよ」

「えっ」


 ユメヒト家業に身を置いて一年。

 この日僕は、初めて手帳の禁忌を知った。


「さあ、それじゃ、行きましょうか」

「え、どこに?」


 いくら冬の午後とは言え、まだ外は明るい。

 疑問符を掲げる僕に、岡崎さんは「鈍いわね」と溜め息を吐く。


「和樹よ。会いに行くの」


 さも当然、と言わんばかりだ。

 だが、死して尚「場所」に縛られる死者は、往々にして人生最期の地から離れられない。

 地縛霊と言う奴だ。


 岡崎さんも、その例に漏れず地縛霊。

 仮に動くことが出来ても、羽島和樹さんにその姿が見えるはずもない。声が、届くはずもない。

 そんな感じのことを説明すると、以外にも彼女は落胆の色を見せなかった。


「……そ」


 言葉尻が、風の音に浚われ消えていく。

 正直、岡崎さんは苦手なタイプだ。

 だが、この一瞬。岡崎さんがちらと見せた、残酷なほどの初々しさを残す「生きた」表情が、僕の胸を抉った。


「僕が――」


 言うべきこと、為すべきこと。もう全部、わかっていた。

 だから僕は、岡崎さんの目を覗き込んで、言った。


 ――僕があなたに、夢を見せます

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