12歳 イツキの『カシー山地奪取作戦』日誌
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では59話目お楽しみください。
1日目、海軍から揚陸艇を受け取るとすぐに出発した。
1時間の航海でシンガポールから対岸のマレー半島へ到着する。
ここからは、川との勝負だ。
出発して10分、最初の川に当たる。
川幅はほとんどない。
とりあえず5メートルほどの橋を作って渡る。
手すり様に木の杭を周りから集めてロープを張った。
強度には自信はないから1台ずつだ。
次に、ちょっと大きな川に当たった。
今度は10メートルごとに岩の魔法で橋脚を作り、40メートルの橋を作って渡る。
その後20分ほど走り、また大きめの川に当たった。
上流に走ると川幅が細くなる。
そこに10メートルの橋を架けた。
そこを渡って15分ほどするとまた川が流れていた。
細いところで10メートルほどなので真ん中に橋脚を立て、15メートルの橋を架けておいた。
その後6分ほど走ると大きな川に当たる。
川幅およそ100メートル。
橋脚を立てながら橋の完成を待つ。
多少上下してても大丈夫だが、水準器を使って平らなことを確かめる。
そんなことをしながら待っていると出来上がったようなので、飛行魔法使いで引っ張って向こう岸に渡す。
そして橋を固定し、手すり用にくい打ちとロープ張りをする。
そして1台ずつ橋を渡ってもらう。
その後15分ほど走ったらまた小さな川だ。
10メートルの橋を架けて進む。
その5分後にまた小さな川。
また10メートルの橋を架けて進む。
その10分後に中くらいの川、80メートルの橋を架けて渡る。
その5分後、今度は200メートルはありそうな川に当たる。
上流の細いところでも80メートルはあるので、100メートルの橋を架けて渡る。
15分後、今度は20メートルほどの川に当たる。
30メートルの橋を架けて渡った。
その5分後、今度は小さな川に当たった。
5メートルの橋を架けて渡る。
その5分後には30メートルほどの川に当たる。
50メートルの橋を開けて渡った。
これだけやってもまだシンガポールから全然離れていなかった。
こんなことはしていられない。
細い川については埋め立てて道を作るとともに上流を塞き止め、太い川に流してしまうのだ。
陸軍にスコップを振るってもらい、道を作っていく。
とりあえず、見つけられる範囲で塞き止めることに成功した。
その後も100メートルくらいの川幅はしょうがないかと橋を架け、細いものは上流をせき止め進む。
バトゥーパハトというところで休息を取る。
シンガポールへの輸送の中継点だったのか、小さな集落を見つけたので、人間を捕虜にして空中輸送師団の人に渡しておいた。
2日目、バトゥーパハトに流れる川に100メートルの橋を架けると一行は出発した。
30分ほど走ったら60メートルほどの川に当たったので80メートルの橋を架けて進む。
その後1時間ほど走ったら、川幅300メートルほどの川に当たった。
これは避けて通れないと大工事、何とか川を渡った。
その後も30分ごとくらいに細い川に当たるが橋を渡していく。
そのうち、川幅200メートルを超える川にぶつかり、これも橋を渡していく。
ポートディクソンという辺りで休むこととした。
この辺りにもやっぱり人間がいたので、捕虜にして空中輸送師団の人に渡しておいた。
3日目はポートディクソンの北にある川幅100メートルを超える川に橋を架けるところからスタートだ。
そこを通しても、10分ほど走るとまた川幅100メートルを超える川にぶつかり、橋を架けることになる。
その後1時間以上走ると、川幅200メートルほどの川に当たった。
これも細いところを探し橋を架けて渡る。
30分車を走らせるとまた川に当たる。
川幅は100メートルほどで、これも橋を架けて渡る。
その後川幅150メートルほどのスランゴル川やマレーシア最大の川幅600メートルもあるペラ川を通り、シティアワンと云うところで休むことにした。
書くまでもないことかもしれないが、やっぱり人間がいた。
捕虜にして空中輸送師団の人に渡しておいた。
4日目は細い川ばっかりだったので埋め立て、流れを変えることに終始し、どうしても渡らなければいけない川のみ10メートルほどの橋を架けて通過た。
クダーというところで休息を取る。
5日目は決断を迫られた日だ。
西海岸は水場が多かった。
進むか回り道をするか迷ったが、会議で西海岸を通れと言っていることから、西海岸を通ることを決断。
そこさえ抜ければ細い川ばかりなので、水の流れをせき止めて進む。
トランという地で休息を取った。
6日目も細い川ばかり。
海岸線を進み、プーケット島の北の名もなき土地にて休息を取る。
7日目、海岸線を進む。
ラノンというところで休息を取る。
8日目、クラブリー川に橋を架けることを敢行。
5キロほどの橋を架ける。
橋を渡って休むことになった。
9日目、やっぱり海岸線を走る。
名も無き地にて就寝。
10日目、アンダマン海に橋を架ける。
5キロの橋を作るだけで終わる。
11日目、太い河口に橋を渡しながら移動する。
タポーというところで休息を取る。
12日目、やはり海岸線を進む。
細い川しかないおかげで捗る。
ダウェイと云うところで休むことにする。
この辺りになると捕まえる人間の数が増えてきた。
まだまだ未発見だったのだろうか?
13日目、川を3本渡りつつイェーというところに着く。
イェー!
14日目、小さな川3本と大きめの川1本を渡ってモーラミャインというところに到着。
明日はタンルイン川に橋を架ける。
15日目、約2キロの橋を架ける。
そのまま進み、タトゥンというところで休む。
16日目、目を付けていたチャイティーヨー山を見つける。
兵士たちを下ろし築城させる。
17日目、陸軍の将軍様が来てあっという間に濠やら城壁やらを作ってしまった。
すごい!
ついでにヤンゴンに城を作れないかと提案しておいた。
運んできた陸軍の人員のうち半数をここで下ろし、もう半分ででカシー山地を目指すことにする。
獣人の農業指導者の元、冬蒔き米を植えるのだという。
空中輸送師団の面々は、奴隷を運んだり、食料を運んだりと大変そうだ。
第1戦闘攻撃団も周囲から奴隷を調達し貢献する。
半分になった我々は川を2本渡り、ハインサダというところで休息を取る。
18日目、海岸線に平地が見当たらなかったので埋め立てて道を作る。
マウ・ヨンという半島の付け根で休息を取る。
19日目、細い川も太い川も乗り越え進む。
ラムリー島なる島の近くで休息を取る。
20日目、海岸線に道が無くなっているので、しょうがないので土魔法で埋め立て進む。
ミエボンなるところで休みを取る。
21日目、川の流れを遮るも4本の太い川を回避できなかった。
マウンドーと云うところで休息を取る。
22日目、水の多いところに着く。
水が多いということは橋を架ける回数が増えるということだ。
嘆かわしい。
チャカリアというところで休息を取る。
23日目、チャカリアを抜けると少しはましになった。
それでも細い川はなくなりはしないけれど。
サブルームというところで休息を取る。
24日目、水の量が減っている。
橋をかけなくていいというのは便利なものだ。
ジャイスタガンジというところで休息を取る。
25日目、念願のカシー山地のふもとに到着した。
さすが天然の要害、上る糸口が見当たらない。
26日目、とりあえず、坂といえばいろは坂みたいに上っていけばいいかと魔法を使って上がっていく。
そしてはるか南にベンガル湾が……見えなかった。
高度5,000メートルくらいまで上がれば見えるのだろうが、山地の上に立つだけでは見えなかった。
ダッカを見るのにも3,000メートルの標高が必要だ。
どうしよう。
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