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3-2



 丘のむこうからあらわれたのは騎乗の一団であった。ひづめで地面と下草を掘り返しながら、王女の一行を追い上げてくる。

 装備の統一感からして、賊のたぐいではなさそうだ。


「子爵の手勢か……?」

「それにしてはおかしいわね」


 カルもうなずいてリナの疑問に同意する。


「襲撃の段階なのにまだ替え馬を引いてるな」

「なんだか必死に逃げてるみたい」


 突如、閃光が丘を覆い、大気の割れるような轟音がそれに続いた。

 落雷である。だが、空には雲一つ見当たらない。


 地上に視線をもどすと、そこに子爵の手勢の姿はなかった。

 彼らが寸前までいたあたりは、地形が変わっていた。丘からは地面がごっそりとえぐりとられ、黒い土が剥き出しになっている。強烈な雷撃にさらされ、白熱し、蒸発し、まさに文字どおりこの地上から消滅したのだ。


 肉食獣の咆吼をさらに百倍にしたものが辺り一面に響き渡る。

 えぐられた丘のむこうからあらわれたのは、羽をもった巨大な怪物であった。子爵の手勢への加害者であることはまぎれもない。

 遠目には大蛇に手足と羽をつけたような輪郭をしている。

 おそらくその姿を見知っていた者がいたのだろう、誰かが絶望しきった声でその名を叫んだ。


「ヒースレイヴン!?」


 王女一行に戦慄がはしる中、カルとリナはすでに心の武装を完了していた。戦闘者としての経験が反射的にそうさせたのである。王都消失から半年、短くはあるが濃厚な日々を二人が生きてきた証しであった。


「なんでこんなところに……この辺りは活動域からはずれてるはずだろ」

「おおかた子爵の手勢が囮になってここまで引っぱってきたんでしょうね」


 子爵は出遅れたのではない。むしろ、その逆だったのだ。魔法学園(チュエリス・サリス)からの護衛について十分に情報を得ていたからこそ、待ち伏せしても太刀打ちできる相手ではないと知り、狂気の沙汰ともいうべき暴挙に出たのだ。

 それがどれだけ危険なことなのか、子爵自身は果たして理解していたかどうか。何にせよ、その報いは子爵の部下たちが自らの命をもってあがなうはめになった。


 捧げられる代償がまだ足りないのか、ヒースレイヴンはゆっくりと旋回して今度は王女の一行を追い上げてくる。

 カルは手のひらを額にかざした。


「やけに大きいんだが……あいつのこと中型って言わなかったか?」

「うるさいわね、ガイヴァントは大きいからって強いとは限らないでしょ」

「あいつは大きい上に強そうなんだが」


 修了者(マスター)が三人がかりでも倒せなかったという話はカルも聞いている。だが、ヒースレイヴンに関するカルの知識はそこまでだ。まさか戦うことになるとは思っていなかったので下調べもしていない。


「それで、どうする?」


 カルはリナの方を振り向いて、ぎょっとした。

 リナはすでにマナをもりもりと練り上げている。


「もちろん、思いっきりひっぱたくのよ!」

「おい、ちょ……」


 話を聞きそうもない。カルは慌てて身を低くした。


紅蓮烈球(ボライド)!!」


 リナの手から熱球が放たれ、ヒースレイヴンめがけて炸裂する。

 発動の速さからリナが初手としてこのんで使う魔法である。たっぷりとマナを練っただけあって威力も十分、爆発は広範囲におよんだ。

 むしろ十分すぎた。爆煙はあまりに広がりすぎて、カルたちまで包みこんでしまう。


「おい! 何も見えないぞ!」


 目の前の空間を手で払ったくらいではどうにもならない。


「めくらましよ!」

「俺たちまでくらませてどうするんだ!」


 疾走する馬車が煙を抜けた。

 にもかかわらず、陽が翳ったままであることにカルは気づいた。

 頭上を見あげる。ヒースレイヴンである。彼らの頭上を傘のように覆っている。


「でか……」


 胴体部分だけでも四頭立ての馬車の全長をはるかに上回っていた。そこに長い首と尾が加わるのである。


 遠くからだと爬虫類に羽をつけたような姿に見えたが、間近ではまた印象が変わる。頭部は爬虫類というよりもぬめりとした水棲生物を思わせる。目は左右の側面に四つずつ。その時点ですでに異形であり、異様である。


 手足は羽をのぞいても六本ある。その点では昆虫じみてもいた。いかなる生物にも分類できない不気味な姿だが、ガイヴァントとはおおむねそういうものである。


 手強い敵であることも間違いない。広大な体表に突き刺さったままの刀槍や矢は、これまでいくたびもの討伐をことごとくはねのけてきたことをあらわしていた。


 もう馬車の上だの下だの言っていられない。カルは馬車の屋根に飛びあがる。

 ヒースレイヴンの羽から雷光が走るのと、カルの白銀(アージェント)が閃くのとは同時だった。

 電圧と熱と衝撃が狭い空間で荒れ狂う。

 しかし、実際に馬車を襲ったのは実害のない光と雷鳴だけであった。

 ヒースレイヴンが馬車の前方に飛び去ると、リナは気まずそうに首を伸ばした。


「カル、生きてる……?」


 カルは馬車の屋根で大の字になり、ぴくりとも動かない。


「……死んだ」

「死んでないでしょ」

「いや、そうなんだけどさ」

「だいたい、カルは死なないんだから」

「無茶をおっしゃる……」


 文句を言いながらもカルは案外ひょいと身を起こす。カルのことは尻をひっぱたいてでも働かせるべきだ、というリナの認識は間違いでもなさそうである。


「あいたた、手がしびれた……何とかやり過ごしたか?」

「だといいんだけど」


 カルたちにしてみれば、なにもここで決着をつける必要はない。任務はあくまで王女の護衛であり、あちらが去ってくれるならそれで十分なのである。

 しかし、ヒースレイヴンは街道の行く手で旋回している。どうやら引き返してくるようだ。


「無駄にやる気を出してるみたいね」


 本格的に戦うこととなり、リナは大声と身ぶりで他の馬車に散開の号令を発した。固まっていれば一網打尽にされる危険があるからだ。

 本来、リナには彼らに対する命令権はない。だが、これほど強大なガイヴァントと戦った経験は彼らにはなく、この場は誰の指示にしたがうべきは明らかであった。

 それぞれの馬車は街道をはみ出して緑の野原にちらばっていく。


 ヒースレイヴンの方はというと、王女の馬車と正対するかたちで突っ込んでくる。カルとリナを倒すべき敵とみなしたようだ。


「俺たちだけ降りて食い止めるか?」

「それで馬車の方を追われたら何にもならないわよ」


 警護の騎兵からヒースレイヴンにむけて幾本かの矢が放たれる。だが、いくら的が大きいといっても高速で飛んでいるものに前方から矢を当てるのはむずかしい。

 そもそもまるで届いていない。ヒースレイヴンの巨大さが射手の遠近感を狂わせているのだ。

 まったく、空を飛ぶ敵というのは厄介である。まずは地上に引きずり下ろすことだが、それにはリナの火力がたよりだった。


「死をまだぐ者、暁に生まれし者、千の移ろいと万の眠りを越え、(まこと)の姿をあらわしたまえ、ヒヒラムを炎にくべしその翼により……」


 詠唱は魔法の発動に必ずしも必要なものではない。あくまで集中力を増すための形式であるが、これでなかなか馬鹿にできない。同じ手順を繰り返すことが反復練習ともなり、精神に同じ状態をよびおこすことが容易となるのだ。

 ギフト持ちによってはオリジナルの詠唱を『作詞』する者もいる。だが、大抵は一族に代々受け継がれてきた言葉と音律の方がすぐれた結果をひきだすのは、本人の中に流れている血に何らかの作用をおよぼすためだろうか。


 血族とは関係なく生まれた天綬(ギフト)については、当然ながら詠唱というものが最初は存在しない。それでも魔法の名を叫ぶだけでも威力をたかめる効果があると、魔法学園では教えられている。

 カルが「アージェント!」と叫ばないのは性格の問題である。単に気恥ずかしいのだ。


「止まるな!!」


 手綱を引きかけていた御者をカルは叱咤した。止まれば向こうが狙いをつけやすくなるだけである。


 ヒースレイヴンが雷撃を放ってきたのは、馬車のはるか前方からだった。圧倒的な火力と射程さえあれば、わざわざ標的に近づく必要はないのである。先ほどはリナの先制攻撃により視界をうばわれ、たまたま接近戦になっただけのことだ。


 ヒースレイヴンと王女の馬車が光の束でつながれる。

 白銀でむかえうつカルの力もまだ底をついていない。体の大きさと強さが必ずしも一致しないのはガイヴァントに限らず、ギフト持ちについてもいえる。


 雷光を受けきるのと入れ替わりにリナが叫んだ。


「……罪人(とがびと)に抱擁を与え給え、怒れる(レジェンド)炎帝(・トゥ・)の宣告(フェニックス)!!!!」


 繰りだされた炎が火の粉をあげながら不死鳥の姿をとる。詠唱が長々とつづいただけあり、火力自慢のリナにとっても大技であった。敵の攻撃を受けとめるのではなく、消し去る白銀だからこそ、その余波を気にせず即座に反撃へ移ることができる。


 だが、白銀が消えると同時に動いたのはリナだけではなかった。ヒースレイヴンもきりもみしながら急上昇に転じる。まるで攻撃を予期していたかのような全力回避である。


「あれ? ちょ、ちょっと、ねえ」


 肩すかしをくらわされ、リナはおもわず呼び止めるような手つきになる。

 リナの放った不死鳥も追いすがりはするが、飛ぶごとに小さくなり、やがて小鳥ほどのサイズになってついには消滅してしまう。

 魔法は発動した瞬間から威力が減じていくため、一般に射程距離はみじかい。特に、炎の魔法にはその傾向が強く、リナの力もまたその点においては例外ではなかった。


「あああ~~~!! むかつく~~~!!」

「あいつ、頭いいな……」


 まるで敵を誉めるようなことを言うカルに、リナはキッと視線を強めた。


「カル!! まだいける!?」


 噛みつくように言われるとカルも無理とは言えない。


「まあ、向こうもだいぶん力を使ったことだしな」


 そう言ったそばから遠くで雷光が閃いた。遅れて音も聞こえてくる。二度、三度と。

 ヒースレイヴンは地面すれすれを飛びながら、めいっぱい広げた羽で地面との間に稲妻を走らせているようだった。


「あれ、何やってるんだ?」

「さあ」

「放電?」

「まさか」


 リナの返答はにべもない。

 ヒースレイヴンはふたたび高度を上げつつ、カルたちを追ってくるコースにのる。


「もしかして雷撃の力を地面から吸い上げたんじゃないかしら」

「まじか……」


 げっそりとしているカルにリナが同じことをもう一度たずねる。


「いける?」

「なるべく早めにけりをつけてくれ……」

「軽口がたたけるならまだまだ余裕ね」

「今のどこに軽口の要素があるんだ??」


 カルの足元が急にぐらつく。

 リナの言い草のせいではない、物理的に馬車が揺れたのだ。


 馬車の速度が落ちている。それに気づいたカルは御者にむかって叫ぶが、反応はなかった。

 それもそのはず、御者は泡をふいて気絶していた。肩をゆすっても目をさます気配はない。よだれが左右に飛び散っただけだ。


 このまま減速し、停止してしまうのは危険である。速度は戦闘における大きな要素だ。止まれば向こうは石をぶつけるような容易さを手にしてしまう。

 しかし、戦う片手間に手綱をとる余裕はカルにもリナにもなかった。


「副使殿、お手をお貸し願えませんか」


 切迫した状況に似合わない、落ちついた声が聞こえてくる。カルの足元からであった。

 カルを仮初めの肩書きで呼ぶ者は限られている。王女の侍女、クロエ・ハリスだった。馬車の中でふるえているかと思いきや、馬車のドアを開けておおきく身を乗りだしている。


 手を差しのべられ、カルは慌ててそれを屋根の上から握った。カルやリナとは違い、彼女はただのか弱い女性である。馬車から落ちればただではすまない。


「そのまま前に運んでいただけますか」

「御者台にですか」

「ええ」


 この状況で御者をやるというのである。

 カルもリナも止めるべきであっただろう。だが、否とは言えない事情が彼らの背後に迫りつつあった。

 リナは不安そうに声を波打たせる。


「お、落とさないでよ」

「言うな、余計に焦る」


 クロエの手がふるえていることにカルは気づいている。

 怖くないはずがない。彼女のすぐ真下では地面が猛烈な勢いで駆けすぎているのだ。もし落ちれば、全身をおろし金でひかれたようになるだろう。それでも彼女は名乗り出たのだ。


 女傑だ。カルはそう思った。人としての強さに、戦闘力は関係ない。


 クロエの体が完全に馬車から離れる。支えるのはカルの腕一本のみである。

 御者台にクロエの両足が降りると、ほっとした吐息がふたつ聞こえてきた。ひとつはリナであり、もうひとつは馬車の中から心配そうに首をのばしているナタリア姫である。


「ほら、中で小さくなってろ」


 カルは微笑みかけながら、ナタリア姫の小さな頭を馬車の中に押し戻す。

 ナタリア姫は言われたとおり手足を縮めて箱のような体勢をとるが、時々頭をもたげては、上から覆いかぶさってる侍女に迷惑をかけているようだ。


 いい連中だ。

 王女やその侍女たちに対して、カルはそんな気持ちをごく自然に持った。

 思うことでカルの中のスイッチが入る。

 守っているばかりではいずれじり貧になる。どこまでも追いかけてくるならいっそ倒してしまおうか──。


 そんなことを格好よく思っていたら、ヒースレイヴンはカルたちのはるか上空を追い越していった。


「うわぁ、遠い」


 カルは空を見上げて間の抜けた声をあげる。


「あきらめたのか?」

「そんなわけないと思うけど」

「やっぱり放電……」

「まさか」


 相変わらずリナの返事は容赦がない。

 だが、ヒースレイヴンが馬車の行く手でまた旋回をはじめたところをみると、リナの指摘の方が正しそうではある。


 馬車と正対したヒースレイヴンは、早々と雷撃を放つ。馬車のずっと先、まるで見当違いな場所を狙ってのことだ。雷撃はむなしく地面に炸裂する。


「放電」

「ない」


 街道が真横にえぐられたのを目にして、カルたちは青ざめた。ようやく敵の意図を察したのである。

 クロエは懸命に手綱をひいた。驚いた馬がいななきを上げる。馬車の中でナタリア姫と侍女たちがひっくり返ってあられもない姿になる。


「間に合いませんっっっ!!」

「右に回せ!!」


 口調を飾っていられない、カルはするどく叫ぶ。

 どこでおぼえたのか、クロエは見事な手綱さばきで進路を右に曲げた。馬車は街道からはずれて野原に入る。車輪が小石を踏んで絶え間なく振動する。


 地面の亀裂に突っ込めば馬車はまちがいなく転倒する。強引にでも進路をまげたクロエの判断は間違っていない。だが、一か八かの賭けにはどちらを選んでもはずれという場合が存在する。無理なカーブをえがいてしまったため、遠心力により馬車の右側の車輪が地面を離れる。


「た、たた、倒れる!?」


 誰の口からとびだした言葉かわからなかったが、誰もが同じ感覚を共有していた。


 その直後、馬車はいささか乱暴な勢いで元の姿勢に戻されていた。

 カルが馬車を蹴ったのだ。馬車の重量にくらべて人の体重などたかが知れているが、質量の差は飛び出す速度でおぎなうことができる。加えて、カルの脚力は特別製であった。


 馬車が体勢をとりもどす一方で、カルが飛んでいった先はヒースレイヴンであった。

 矢のような山なりの軌道ではない。まるで弾丸である。ヒースレイヴンもこれは避けようがない。人体がこれほど馬鹿げた速度で飛んでくるなど、怪物にも予想できなかったことだろう。

 カルは腰のブロードソードを抜き払い、その切っ先をまっすぐヒースレイヴンにむけて体当たりした。


 結果はだいたい予想のとおりである。

 剣は砕け、カルの体は弾き飛ばされる。少しは刺さるかと思って垂直に突き立ててみたのだが、まったく意味がなかった。


 とっさに手を伸ばすがどこにも届かず、カルは空中に投げ出される。

 おもしろいくらい世界が回っている。もちろん、実際に回転しているのはカルの方である。

 こうなると頭から落ちるか足から落ちるかは運であった。地面がぐんぐんと近づいてくる。


 だが、落下の衝撃はおとずれなかった。


「お、おお……!?」


 カルの体が二度、三度と上下する。何か網のようなものの上に落ちたようだ。

 カルはさらに放り上げられ、次に落ちたのは粗末な幌馬車の上だった。そのまま屋根をつきやぶる。


 幌にからまれ、もがきながら立ち上がった時には、網は霞のように消えている。

 カルはかすかな湿り気を感じた。きらきらと光るものが空気中に漂い、すぐに消える。網が水で編まれたものだとすれば、それは魔法に他ならない。流体の形を一定に保って意のままにあやつるとは、魔法の中でも精緻な部類に入るだろう。並大抵の腕前ではない。


 カルは小高い丘の上に騎乗する者の姿を認めた。

 馬の背には、笠の開いたきのこのようなものが乗っかっている。


「……違った。人だ」


 つばの広いとんがり帽子、肩から下を覆うマントという、まるで絵物語から抜け出てきたような魔法つかいの装束である。今時、そのような格好をする者は、浮世離れした学園塔の研究者にすらいない。

 人影はやけに小さかった。カルよりも年下の少年、あるいは少女だろう。

 在野のギフト使いがこんな場所にいるとも思えない。まして、あの服装である。

 魔法学園から迎えにきた使節の一員だろうか。

 しかし、カルたちにそれ以上の加勢をするそぶりもなく、馬をうたせて丘の向こうに消えてしまう。


「な、な、なにごとだ!?」


 驚きの声があがったのは意外なほど近くからだった。馬車にいた兵士がぺしゃんこになった幌の下でもがいているので、幌の一部を裂いて出してやる。

 兵士はカルのことを見つめてあんぐりと口をひらいた。空から降ってきたのがまさか人間とは思わなかったのだろう。


「ところで、この馬車は何を積んでるんだ?」


 カルは足元を指さした。幌の下の感触がやけにごつごつしているのがさっきから気になっている。


「足で踏んづけるな! これは近衛騎士団の装備なるぞ!」


 近衛騎士団とはたいそうな名前がついているが、つまりはナタリア姫についてきた使用人や村人たちである。

 渡りに舟とはこのことだ。

 カルが片っ端から武器を身につけ始めると、兵士は目を白黒させて騒ぎだした。


「な、なにをしている!? これは近衛騎士団の、いわば殿下の所有物だぞ!!」


 武器が盗まれないように見張るのは彼の職分であるが、こんな時にまで筋をとおそうとするのは当人も十分混乱しているのだろう。王女をもちだしたのは単なる虚仮威(こけおど)しである。

 だが、実力で阻止しようとしないのは賢明な判断だった。

 それは彼我の実力差を感じ取ったというわけではなく、一方的に自分の武勇に自信がないからだろう。もしかすると戦闘の経験すらないのかもしれない。


「悪いな、緊急事態だから大目にみてくれ」


 馬車の奥から出てきたカルの姿は、まるでハリネズミのようだった。

 剣を腰の左右にひとつずつ差し、身の丈ほどもある大剣をたすきに二つ背負っている。右手には片刃の戦斧。左手にはウォーピッケル。時と場所が違えば、はりきりすぎた山賊か、もしくは火事場泥棒と勘違いされるところだ。質に期待できないところは数でおぎなおうというわけである。


 カルは空を見上げる。が、ヒースレイヴンの姿は見当たらない。

 見当たらないということで安心はできない。なぜなら、それは見失ったのと同じことだからだ。


 振り返るその動作の途中で、ヒースレイヴンの存在を背後に感じた。王女の馬車をしつこく追い回していたヒースレイヴンだが、不意打ちをしかけてきたカルの方を先に倒すべきと判断したのだろう。

 視界のはしで雷光が白い蛇のようにのたくるのが見えた。


(くそっ、間に合わな……!)


 しかし、カルに襲いかかってきたのは雷撃ではなく、爆風だった。


「カルーーーっ!!!!」


 ヒースレイヴンの間近で生じた爆発はリナによるものだ。相棒の背中を守るのは何もカルだけの役割ではないのだ。

 続いて二発、三発、威力は大きくないが間断なく着弾してヒースレイヴンを怯ませ、体勢をたてなおす隙をあたえない。


 怯んだ敵は見逃すべきではない。怯んだまま死の淵まで追いやるべきだ。


 カルは幌馬車から猛然と跳躍した。反動に耐えかねた車輪が音を立ててはずれ、馬車は派手に底をこすってみるみる速度を落とす。


 カルはヒースレイヴンの首筋めがけて両手の得物を同時にふり下ろした。深々と突き刺さったのはウォーピッケルの方で、それを手がかりとしてもう一方の手にある武器を叩きつける。

 折れれば次、また次と、持ち出した武器はあっという間に使い切ってしまう。ことごとく武器を使いつぶすカルの膂力(りょりょく)も馬鹿げているが、ヒースレイヴンの表皮も頑丈で何条かの傷が浅くついたにすぎない。うろこに覆われているわけでもないのだが、皮膚に弾力があって刃がとおらないのだ。


「なんて固さだ……っ!」


 ヒースレイヴンはカルを振り落とそうと身をのたくらせる。羽ばたきのたくましさからもダメージは感じられない。

 食い込ませたウォーピッケルがあっけなくはずれ、カルは空中に放り出された。今度は水の網の助けも入らず、背中から地面に叩きつけられる。呼吸が止まりそうになっているところへ駆け込んできたのは王女の馬車であった。


「カル!!」


 馬車からめいっぱい身を乗りだしたリナに手をつかまれ、カルは一気に引っぱり上げられる。

 息をつく暇もなくカルはたずねた。


「敵は!?」


 リナも見失っていた。二人は反射的に背中合わせとなり、死角を消す。

 カルの側にヒースレイヴンの姿は見あたらない。


「そっちか?」


 カルが振り返ると、リナもまた同じようにカルとは反対側の肩で振り返っていた。


「消えたのか……?」

「あ! あそこ!」


 リナが空のかなたを指さす。そこには確かにヒースレイヴンの黒い影が浮かんでいたが、今や青一色の画布(カンバス)に染みを一滴たらしたようなものだった。


「ずいぶんとちっちゃくなったな……」

「遠いのよ。どこに行くつもりかしら」


 わざわざ入れる必要のない訂正をねじ込みながら、リナは目を細めた。

 ヒースレイヴンは街道からも遠ざかっていく。


 やや唐突ながら戦いは終わったようだ。

 それはおそらく喜ぶべきことなのだろうが、どうもしっくりこない。悪夢のような戦闘をいくつもくぐり抜けてきた二人にとっては、降ってわいたような幸運などで素直にほっとする気にはなれないのだ。

 世の中、そう都合よく話が運ぶはずがない。すぐそこに性悪な罠が待ちかまえているような気がしてならなかった。


「まだ深手を負わせたわけじゃないわよね」

「そうだな……疲れたのかな?」

「だったら丘の方に戻るんじゃないの?」


 ガイヴァントにどれほど縄張り意識があるのかはわからないが、丘陵地帯の方角がヒースレイヴンの本来の活動領域だ。

 今は、それとは街道を挟んで反対側に向かっている。

 あちらにあるのは確か……。


「……町だ」

「どうしたの?」

「ガイヴァントは人の多いところに向かう傾向がある。少ない上に手強い相手よりも、無力で大勢の獲物に切り替えたんだ」


 ここに到るまで、いくつも集落があった。

 ヒースレイヴンのクラスは低くみつもっても城塞(シタデル)である。田舎町などひとたまりもない。


「待って」


 カルの動きに先んじてリナが制止する。


「私たちの任務は殿下を無事に魔法学園へお連れすることなのよ」

「何だよ、こんな時にまじめな話だな」

「バカ! 優先順位を間違えないでと言ってるのよ! 町を守ってもナタリア姫の身に何かあったらどうするの!」


 そんな冷たい正論をリナは口にする。

 そのくせ、今すぐにでも駆けだしたい顔をしているのはむしろリナの方であった。

 元々、町の人々が犠牲になるのを平気で見捨てておける娘ではない。建前と同時に、瞳が本音を物語ってしまう。

 そのまなざしこそが、カルをこの場所にまで連れてきたものだ。


 家族を失い、すべてをなくし、もはやこの世に何のつながりもなくなってしまったというのに、憐れみをかけるどころか、血みどろになって戦えとカルの尻を叩く。


 ゼロになってしまったカルに、なおも戦えと、そんな残酷なことを言ってくるのはリナだけであった。


 だが、そんな彼女の存在が、空洞になってしまったカルの胸に響くのだ。まるでそこに、再び心臓の鼓動が宿ったかのように。


 リナの瞳が、今もカルの胸をはげしく叩く。

 悲劇をくい止めろと、全身全霊をもって求め訴える。

 おぼれる者が必要とするのは、さしのべられるたった一本の手である。安全な場所から捧げられる万言の祈りなど、ひとつかみの藁にも値しない。

 カルの中にヒトの本能を呼び覚ますのは、いつも決まってリナなのだ。


 カルはウォーピッケルを腰の後ろに差した。それが、今やカルに残された唯一の武器だった。


「なあ、リナ」

「……何よ」

「バカは祭や市と聞いたら、居ても立ってもいられず走りだすものなんだよ」

「!! だ、駄目よ! 殿下に危険が及ぶような真似は……」

「お前たちは」


 カルは街道の続く先を指さす。


「このまま行け。じきに迎えと合流できるんだろ? だから俺は市でちょっと遊んでいく」

「でも……でも!! あんな化物を一人でなんて……」


 言い訳が頭から無視されてカルは苦笑してしまう。

 元より、言い訳としては下の下であることは承知している。


「心配するなよ」


 カルは御者台のはしに立つ。リナの方に向きなおり、笑ってみせる。

 リナはまるで泣きだす寸前の子供みたいな顔をしていた。

 その額を指先でかるく突っつく。


「なにせ、俺は一対一なら無敵の剣士さまだからな」


 カルは微笑みを見せたまま後ろに倒れる。

 馬車はなおも疾走をゆるめていない。

 体が地面に触れる寸前、くるりと身をひるがえす。大地へのひと蹴りで勢いを殺し、そのまま町の方へと疾走する。


「バカぁぁぁ!!」


 リナの叫び声すらもう追いつけない。

 動きだしたのだ。

 無慈悲な世界をくつがえす何者かが。





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