夜の公園
僕の家のすぐ近くにある公園の前を歩いたとき、人影が見えた。あれ、公園に人がいる……? 昼間なら小さな子供で賑わっているのだが、こんな時間は静かで誰もいない。いつもならば。
立ち止まり、公園を見る。「どうした、義久」歩叶が訊いてくる。「うん、ちょっと……」じっと目を凝らすと、確かに人影が見えた。「ごめん、先に行ってて」僕は歩叶と広樹にそう言った。二人は怪訝そうな顔をしながらも、「分かった」と歩き出した。「早く来いよ」と、歩叶が言った。
二人が歩き出したのを確認すると、僕は公園の中へと歩き出す。ベンチに、誰かが座っている。僕の足音に気がついた人影--よく見れば、少女だった--が、こちらを向く。
「あの、」
僕が声をかけると、人影は身体を強ばらせた。警戒しているのだろう……無理もない、見ず知らずの人に話しかけられているのだから。
それでも僕は、続ける。「こんな時間に一人で……危ないですよ」僕が言うと、彼女は俯いた。何か、事情があるのだろうか。
「すみません」と、彼女が謝る。「でも、気にしないで。大丈夫だから……」大丈夫だなんて言うが、その言葉も頼りない。このあたりの治安は悪くないが、こんな夜に一人で暗い公園にいるのは、さすがに危ないだろう。
「帰らないんですか?」僕が訊くと、彼女は途端に眉を下げて、悲しそうな顔をした。えっ、と思った瞬間、彼女の瞳からは大粒の涙が零れた。慌てて、彼女の隣に腰を下ろし、しかし何をすればいいのか分からず、オロオロする。「ど、どうしたんですか……?」怖々と訊ねると、「なんでもない……」と、弱々しい涙声が返ってきた。なんでもないと言われても、目の前で泣いてしまった--もしかしたら、僕が泣かせたのかもしれない--彼女を放って、ではさようなら、とするわけにもいかない。
ごそごそとポケットを探ると、運よくティッシュが出てきた。「使いますか?」と訊ねると、こくりと彼女は頷いて、ティッシュを一枚取り出した。「ありがとう」まだ涙声だけれど、少し落ち着いたようだ。
「ごめんなさい……急に、泣いたりして」
しばらくして泣き止んだ彼女は、まず最初にそう言った。僕は、首を横に振る。「僕の方こそ、ごめんなさい。何か、まずいことを言ってしまいましたか?」僕の問いかけに、彼女は違う、あなたは悪くない、と言ってくれた。
そういえば、彼女は鞄も何も持っていない。手ぶらだ。
ふと、彼女の顔を見る。薄暗い街灯しかないので、はっきりとは見えないが、綺麗な顔立ちをしている。肌が少し青白く感じるのは、薄暗い街灯のせいか。
「あなたは……帰らなくていいの?」
「ああ……僕は別に多少遅くなっても大丈夫ですよ」
「あなたこそ、帰った方がいいんじゃ……?」僕が言うと、彼女は首を横に振った。帰らなくてもいいのかな? でも、手ぶらだし、友達の家に行くって感じでもなさそうだ。
色々訊きたいことはあるけれど、あまり深入りするのもよくないだろうか……。そんな風に考えて、結局何も訊けない。
どうしていいかも分からず、ぼうっとする。少し遠くできらきらと輝いているイルミネーションを見る。女の子と一緒にイルミネーションを見たなんて言ったら、歩叶は羨ましがるだろうか。いや、別に一緒に見ているわけではないか……。
そんなことを考えていると、ピリリ、と携帯の着信音がした。待ちくたびれた歩叶からか、そう思いポケットの中の携帯を取り出したが、どうやら鳴っていたのは、僕の携帯ではなかったようだ。
「……出ないんですか」
おそらく、鳴っていたのは彼女の携帯。しかし、彼女は一向に電話に出ようとしない。訊いてみれば、「いいんです」との答え。
ますます、わからない。
「たぶん、お母さんからだから」と言うが、それなら出た方がいいんじゃ……と思う。しかし、彼女にも何か事情があるのだろう。彼女のお母さんは、彼女がここにいることを知っているのだろうか。それとも……。
「私、家出してきたんです」
突然のことにとっさに反応できず、声を発することができたのは、少し経ってから。「え?」と訊き返す。
「その、お母さんとけんかして……」と、言いにくそうに言う彼女。家出、なるほど。納得する。けれどそれなら、そろそろ家に戻って、お母さんと話し合いをした方がいいのではないだろうか。
そう思い、訊いてみる。すると彼女は困ったように笑って、「話し合いしても……意味ないから」と言う。
「お母さん、私の話なんて聞いてくれないもん……」
「……それって、どういう……」
言ってから、訊かない方がよかったか……と後悔する。何やら複雑な事情を抱えているのかもしれない。家庭の事情に、他人が口出しをするのはよくない。
「あ、いや、ごめんなさい。深入りされたくないですよね。あー……そうだ、自己紹介もしてませんでしたね。僕、菊池義久っていいます」
彼女が驚いたような顔をした。その顔を見て、はっとした。名前を訊くなんて、ナンパのようだっただろうか。もしかして、嫌な気持ちにさせてしまっただろうか。どうしよう。
「あの、ごめんなさ」
「桜井綾香」
「え……っ」と、驚く。「桜井、綾香っていいます」もう一度、彼女--桜井綾香さん--は、言った。「高校一年です」少し俯きながら、彼女は言った。
「高校一年生? 同じだ」僕がそう言うと、桜井さんは「そうなんだ……」と、幾分か安心したようだった。「菊池くんは、これから何か用事あるの?」と訊かれ、友達と遊ぶだけだよ、と答えた。
「……私も、そこに行っていい……?」
とても控えめに、申し訳なさそうに、桜井さんは言った。僕は一瞬ぽかんとしてしまって、桜井さんはそんな僕を見て、「ご、ごめん。忘れて……」とまた泣き出しそうな顔で言った。
「--いいよ」僕はほとんど反射的に、答えていた。「おいでよ……っていっても、男ばっかりだけど。それでもいいなら」桜井さんはじっと僕の顔を見て、少しだけ瞳を潤ませて、「ありがとう……」と言った。「じゃあ、行こうか。いつまでもここにいたら、冷えちゃうから」と言い、立ち上がる。桜井さんも立ち上がり、二人で歩き出す。「すぐそこだから」と案内をしながら、家への道を歩く。